優秀な兄と、出来損ないの弟。
まるで他人事とは思えないその関係性に、私の胃がキュッと収縮する。
「いくら注意しても、その空気はなくならなかった。一度誰かが言い出すと、周りも同調するんだよな。本当にくだらねぇ。そのせいで弟も段々と自信がなくなって、稽古もサボりがちになった。そんな中で、親の離婚の話が持ち上がったんだ。離婚したら、俺と弟はそれぞれどっちの親についていくかを選ばなきゃいけない。空手の稽古のことを考えると、俺は親父についていく気持ちしかなかった。けど、俺か弟かどちらか一人は、おふくろについていくことになる。だから俺は、弟としっかり話し合って決めるつもりだった。なのに……」
一陣の風が、足元を吹き抜ける。どこかで空き缶の転がる音がむなしく響く。
「あいつは言ったんだ。兄である俺が、親父についていけって。俺は長男で、道場を継がなきゃいけないし、周りからも期待されてるからって。あいつも空手が好きだったくせに、自分の気持ちにフタをして、自分のやりたかったことを全部俺に譲ったんだ。本当はあいつだって、親父についていきたかったはずなのに……」
そう言い終えたときの彼の横顔は、それまでの彼のイメージからは考えられないくらいに悲痛で、弱々しかった。
「親が離婚してから、弟とは一度も会ってない。たまに連絡しても無視された。せめて恨み言の一つでも言ってくれればまだ良かったのに、あいつは俺に何も言わなかった。言いたいことなんていくらでもあっただろうに、あいつはずっと我慢して、全部自分の中だけで完結させやがったんだ」
言いたいことを何も言わずに、遠野くんの前からいなくなってしまった弟さん。
その話を聞いている内に、私の脳裏では、遠野くんと初めて話したときの言葉が思い出されていた。
——自分の気持ちはハッキリ伝えた方がいいぞって、そう言いたかったんだ。
私が自分の気持ちを隠そうとすると、彼は怒った。自分の心にブレーキをかけずに、素直な気持ちを吐き出せと彼は言っていた。
それはきっと、彼自身が弟さんとのことで後悔していたからなんだ。
「……七月十七日の夜八時に、弟はやっと俺と会う気になってくれたんだ。正直、当日の会話は弾まなかったけど。それでも、顔を合わせられただけでも良かったと俺は思ってる。だからその日は、絶対にあの場所へ行かなきゃいけない。この機会を逃したら、あいつはもう二度と俺とは会ってくれない気がする」
遠野くんがあの日、あの場所へ向かうのは弟さんのためでもあり、遠野くん自身のためでもある。
そんな彼の行動を、私は止められるはずがなかった。
やがて私たちの足は、私の家の前までたどり着いた。遠野くんにお礼を言って、また学校でと手を振り合う。
そうして夜の暗がりへ消えていく彼の背中を見つめながら、前に向田くんが言っていたことを思い出す。
——もしもの話だぞ。オレたちがどうあがいたところで、二週間後にこの中の誰か一人が必ず死ぬって言われたらどうする?
遠野くんは弟さんと和解しなきゃいけない。それに家の道場も継がなきゃいけないし、将来も期待されている。
何もない私とは大違いだ。
向田くんとハルカちゃんも、お互いを必要としている。どちらか片方が事故に遭うなんて、そんなことは絶対にあってはいけない。
もしもこの四人の中で、必ず誰か一人が死ななければいけないとしたら。
——真央はだめな子ね。お兄ちゃんはこんなにしっかりしてるのに。
誰にも必要とされていない私。
出来損ないの私こそが、その適任なんだろうなと。
生ぬるい夜風に吹かれながら、頭上の星に思いを馳せた。



