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西の空が茜色に染まり、茹だるような暑さが少しずつやわらいできた頃。海辺のオープンテラスのひな壇に腰掛けて、私たちは潮風に当たっていた。
視線を落とせば、目の前の波止場にはクルーズ船が停泊している。周りにはカップルがどんどん集まってきて、もうじき夜景のライトアップが始まることを予感させる。
「その……さっきはありがとな、遠野。ハルカのこと、助けてくれて」
周囲の喧騒に紛れて、向田くんの呟くような声が聞こえた。彼はいつになく元気のない眼差しで、海の方を眺めている。
遠野くんに対してあれだけ反発していた彼が、ありがとうだなんて。珍しいこともあるものだと思った。彼がここまでストレートに感謝を伝えるのは初めてのことだと思う。
それだけ、さっきの出来事は彼にとって一大事だったのだろう。
ハルカちゃんが車に轢かれそうになったあのとき、向田くんはまるでこの世の終わりでも見るような顔をしていた。
「遠野。お前の言う通りだよ。オレは……この状況に浮かれてた。タイムリープとかパラレルワールドとか、本当にSFみたいなことが起こって、つい舞い上がってたんだ。でも……さっきので思い出したよ。あの事故の日に、ハルカが轢かれて全然目を覚まさなかったとき、オレは……すげー怖かったんだ」
あの事故の日。七月十七日の夜。向田くんの目の前で、ハルカちゃんはトラックに撥ねられた。そのまま救急車で運ばれて、日付が変わる前に亡くなってしまった。
「あんな事故は……起きちゃいけないんだ。起こってたまるかってんだ。オレは何としても、あの事故を回避したい」
その気持ちは、私も同じだった。きっと他の二人も。
「ねえ。じゃあさ、七月十七日のあの時間に、ここに来なければ大丈夫なんじゃないの? あたしたちが全員、あの瞬間にここにいなければ、事故で死ぬことはないでしょ?」
ハルカちゃんはそう言って、ぎこちなく笑みを浮かべる。けれど向田くんは、
「多くのSF作品では、死の運命ってのは回避が難しい場合が多いんだ。たとえこの場所で事故に遭わなくても、また別の要因で死を迎えるのが定石だ」
たとえ別の場所でも、事故に遭う可能性はある。それに急病や天変地異、通り魔など、突然死の要因となるものは他にいくらでもある。
「でも悠生。せめてこの場所から離れれば、少しくらいは生存率が上がるんじゃないの? 少なくとも、あのトラックに轢かれることはなくなるでしょ」
ハルカちゃんの言う通りだった。
たとえ死を回避するのが難しいとしても、すでに危険だとわかっている場所から離れるのは無意味だとは思わない。
「あたしと悠生は別にここへ来なきゃいけない理由なんてないし。当日は、もっと別の所へ遊びに行けばいいでしょ? 真央と遠野だって、そうなんじゃないの?」
聞かれて、私は頷く。
「うん。私も、ここに来なきゃいけない理由はないよ」
一昨日はハルカちゃんとケンカして、気持ちが沈んでいたからここに来た。けれど今はもう彼女と仲直りもできたし、どちらにせよ、私はここへ来なきゃいけない理由なんてない。
「遠野はどうだ?」
向田くんが尋ねると、遠野くんは、
「俺は……」
彼はなぜかそこで一度切ると、どこか言いにくそうに、再び口を開く。
「俺は、当日もここへ来る。必ず来なきゃいけないんだ。……弟が、待ってるから」



