真夏の観測者たち

 
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 自室の机で、ノートにペンを走らせる。
 といっても、真面目に勉強しているわけじゃない。罫線の上に並ぶのは文字ではなく、表情がバラバラのウサギのキャラクターたちだった。

 心がざわついているとき、私はいつもウサギを描く。そうすると気分が落ち着く、というよりも、ほぼ無意識に描いてしまう感じだった。たぶんクセのようなものだと思う。

 ——絵は、描いてないのか?

 ふと、遠野くんが言っていたことを思い出す。
 絵画教室に通っていないのか、と彼は私に尋ねた。

 なぜ急にそんなことを聞いてきたのかはわからない。別に深い意味なんてなかったのかもしれないけれど、あのときの私は少しだけ、ほんの少しだけ動揺したのだ。

(絵画教室、か)

 今は習っていないけれど、昔、小学一年生の頃に数ヶ月だけ通ったことがある。もともと絵を描くのは好きだったし、小さい頃は唯一、お母さんも私の絵だけは褒めてくれたから。
 けれど、

 ——何だそれ、気持ち悪いな。そんなのばっか描いてんのか?

 気持ち悪い、とお兄ちゃんに言われてしまった。
 私の絵には、センスがないのだと。

 それから色々あって、絵画教室は辞めてしまった。もともと私には向いていなかったのかもしれない。だからこの絵は人に見せるようなものではなく、私がひとりで楽しむためのもの。
 私にとって絵を描くということは、ただの息抜き。ノートの端っこに落書きをしているくらいが丁度いいのだ。

「真央」

 と、急に横から声が聞こえて、私はびくりと肩を跳ねさせる。
 見ると、声の主は机の端に置かれたスマホだった。

「あ……なんだ、ラビか。あれ? アプリは開いたままにしてたっけ」

 ここ最近、勝手にアプリが立ち上がっていることが多い気がする。私の消し忘れかもしれないけれど、今日は特にその頻度が高いような。

 もしかしたら昨日のサイバー攻撃の影響が出ているのかもしれない。ラビの口調も敬語のままだし、やっぱり調子が悪いのかな——と呑気に考えていると、

「真央。明日はハルカと話すのですか?」

 スピーカーから、予想外の質問が飛んできた。

 ラビの方から質問してくるなんて珍しい。
 というより、もしかしたらこれが初めてかもしれない。

 ラビはいつも、私から話しかけることで返事をしてくれるアプリだった。それ以外はスケジュールの確認をしてくる程度。朝学校へ行く時間や、帰りは門限が迫っていることを知らせてくれるぐらいで、基本的には待ちの姿勢のはず。

「……すごいね、ラビ。私のこと、そこまで理解してくれてるんだ」

 AIの技術はどんどん進化している。そのうち人間と変わらないくらいの会話能力を備えるようになるかもしれない。その場合は、私よりもずっと人間らしいコミュニケーションが取れるようになっちゃうかも。

「あ、そうだ。ねえラビ。せっかくだからさ、明日のハルカちゃんとの会話の練習台になってよ」

 明日、ハルカちゃんと話す。
 彼女がなぜ怒っているのか、その理由をちゃんと確かめる。

 その練習として、ラビには今、ハルカちゃんの役をやってもらおうと思った。さすがに無茶振りが過ぎるかなとも思ったけれど、ここまで私のことを理解してくれているのなら、意外といける気がする。

 私はスマホを両手で持って姿勢を正し、画面に映るウサギのキャラクターに向かって、真剣に語りかける。

「あのね、ハルカちゃん。私の話を聞いてほしいの」

「私はラビですよ」

 ラビは冷静に言った。

 その淡々とした声がなんだかおかしくて、我に返った私はつい噴き出すようにして笑った。