真夏の観測者たち

 
 どういう意味だろう、と私が戸惑っているうちに、遠野くんは続ける。

「まだ言葉を覚えたての小さい子どもがさ、うまく喋れないなんて当たり前のことだろ。一ノ瀬の兄貴が何歳か知らないけどさ、少なくとも一ノ瀬よりは上のはずだろ? その兄貴からすれば、下手で当たり前なんだよ。それを真に受けるから、自信がなくなったんじゃないのか?」

 お兄ちゃんからすれば、年下の私は能力が低くて当たり前。特に小さい頃はそれが顕著になるのだと、遠野くんは言っている。

「下手だって言われて、自信がなくなって、それを必要以上に気にして自分にブレーキかけてるから、それで喋れなくなってるだけじゃないのか? でも実際はさ、一ノ瀬はもう普通に話せるんだよ。自信持って堂々としてればいいんだ。だから明日は、天江ともちゃんと話してみろよ。一ノ瀬が真剣に話そうとすれば、あいつだって聞いてくれるだろ」

「そう……なのかな」

 今の私なら、その気になれば普通の人みたいに話せる。
 本当にそうなのだろうか。
 まだ半信半疑ではあるけれど、遠野くんがそう言ってくれるなら、本当にそんな気がしてくるから不思議だ。

「がんばれよ。もし逃げられそうになっても、食いつけ。こっちの話を最後まで聞かせてやるまでは、絶対に放すな」

 まるで何かのスポーツの試合みたいに語る遠野くんに、私は思わず笑ってしまう。
 すると彼も、「へっ」と少しだけ満足そうに笑った。

 そうこうしているうちに、私たちの足は駅前までたどり着いた。
 JR(なだ)駅。私はここを利用しているけれど、遠野くんはすぐ近くの阪急(はんきゅう)王子公園(おうじこうえん)駅まで歩くらしい。

「遠野くんは、家に帰ったら空手の稽古をするの?」

 彼の家は空手の道場だと聞いている。
 私が尋ねると、彼は「ああ」と当たり前のように返事をする。

「すごいね。やっぱり毎日練習してるんだ」

「そういう一ノ瀬は何か習い事とかしてないのか?」

「私は全然。何をやってもセンスないし……」

「ほら、また卑屈になってる」

「う……。ごめん」

 遠野くんに注意されて、私は苦笑いしながら謝る。
 そろそろお別れの時間かな——と少しだけ寂しい気持ちになっていると、

「……絵は、描いてないのか?」

「え?」

 不意に、彼がそんなことを聞いてきた。
 絵、というと、絵画教室のことだろうか。

「いや、私は……習ってない、けど」

 言いながら、脳裏ではウサギの絵が浮かぶ。
 ノートの端っこに描いた、私の落書き。

「そうか。……いや、別に大した意味はないんだ。忘れてくれ」

 そう言った彼の顔は、なぜだか少しだけ寂しそうに見えた。

「じゃあな、一ノ瀬。また明日」

「う、うん。また明日……」

 駅前のロータリーで、お互いに手を振る。
 そうして遠くなっていく彼の背中を、私は見えなくなるまで見送った。