ギルドでロイドに告白し、そして振られた日の夜。私は、自分の部屋で一人、酒を煽っていた。
 安物のワインが、喉を焼くように流れ落ちていく。その熱さが、心の奥底で凍りついた感情を、無理やり溶かそうとしているかのようだった。
 テーブルには、使いかけの安いワインボトルと、適当な皿に乗せただけのチーズが置かれている。食事をする気力など、どこにもなかった。ただ、この身を蝕む痛みを、少しでも麻痺させたい。その一心だった。

「故郷に、将来を誓い合った子がいる」

 ロイドの言葉が、耳の奥でこだまする。彼の口から発せられたそのフレーズが、私の胸を容赦なく抉り続けた。彼は、私など見ていなかった。彼の瞳には、最初から、私ではない誰かの姿が映し出されていたのだ。

 馬鹿だ。私は、なんて愚かなのだろう。過去の教訓を無視し、ステファニアに対する焦りやセシリアの指摘に動揺して、失敗した後を想定せずに出した決断。そして、最も忌み嫌うべき誓いを自ら破り、彼に告白してしまった。

 その結果がこれだ。私が一方的に舞い上がっていただけだった。彼の優しさを、私への好意だと勝手に勘違いしていただけなのだ。

 グラスを傾け、また一口飲む。
 苦い。苦い味が、私の口いっぱいに広がる。この苦さは、アルコールのせいだけではない。心の中に広がる、どうしようもない絶望の味だ。

 モーリスを失った時の痛みとは、異なる種類の苦しみが私を襲った。あの時は、突然の喪失と、彼を奪った世界への憎悪、そして「なぜ」という問いが心を支配していた。
 しかし今回は、私の感情が届かぬ場所に一方的に向かっていたことへの絶望、そして自身の愚かさや思い上がりへの嫌悪感が、波となって押し寄せてくる。

 あの時、私は誓ったはずだ。「もう二度と、冒険者に恋はしない」と。あの地獄のような喪失感を、二度と味わいたくないと、心に固く刻み込んだはずだ。
 なのに、私はその誓いを破ってしまった。自分を守るために築き上げたはずの壁を、自ら壊してしまった。そして、その報いがこれだ。自業自縛とは、まさにこのことだろう。

 テーブルに肘をつき、頭を抱える。どうすればいいのだろう。この胸の痛みを、どうすれば癒せるのだろう。
 涙は、もう枯れ果ててしまったのか、それとも、心が麻痺してしまったのか、流れることさえなかった。ただ、胸の奥がひどく重く、息をするたびに鋭い痛みが走る。

 あのキスの後、彼は恥ずかしそうにギルドを去っていった。その時、ほんの少しだけ、私にも脈があるのではないか、と淡い期待を抱いた。
 あの時の自分を、今すぐ殴りつけてやりたい。なんて浅はかな人間だったのだろう。彼が恥ずかしがっていたのは、私という年上の女性に、突然キスされたことへの戸惑いだったのだ。
 そこに、私への好意など、欠片もなかった。

 ボトルのワインが減っていくにつれて、私の思考は泥沼にはまっていった。彼の屈託のない笑顔が、私の心を締め付ける。
 あの真面目な眼差しが、私には嘲笑にすら思えてくる。私が教えてあげた依頼のコツや、解体屋との交渉術。
 それら全てが、今、彼が故郷の「誓い合った子」のために、まっとうに稼いでいくための足がかりになるのかと思うと、胸が苦しくてたまらない。

 彼のことは好きだ。それは変わらない。けれど、同時に、私をこんなにも惨めな気持ちにさせた彼を、恨んでもいる。そして、彼の帰りを待つ彼女という得たいの知れない生き物に対しても、憎しみを抱く。

 私だけが、こんなにも苦しんでいる。彼の方は、きっともう何事もなかったかのように、明日の依頼を考えているに違いない。その女は、故郷で彼の安寧を願っているに違いない。
 
 理不尽な感情なのだろうか?
 いや、世界は不公平だ。
 私だけが不幸だ。

 救いようのない思考が水泡のように浮かび上がり、私の心をさらに蝕んでいく。

 私は、彼の隣にいたかった。彼の成長を見守り、彼の喜びを分かち合い、彼の悲しみに寄り添いたかった。
 このギルドを卒業し、冒険者を引退したら、小さな家を建てて静かに暮らそうと、モーリスと夢見たように、彼ともそんな未来を描きたかった。
 けれど、それは全て、私の描いた勝手な夢物語だったのだ。

 街は私の感情のような闇に覆われ、喧噪すら聞こえなかった。たぶん、深夜を回っているのだろう。
 孤独感が、冷たい雨のように降り注ぎ、私の心を湿らせる。
 このまま、私は一生一人なのだろうか。また誰かを好きになることなんて、もうできないのではないか。そう考えると、途方もない絶望が押し寄せた。

 もう、やめよう。こんなことを考えても、何も変わらない。ただ、苦しいだけだ。私は安物のワインボトルにわずかに残るワインをグラスに注ぎ、その空っぽの瓶を乱暴にテーブルに置いた。
 ふと、部屋の隅に置かれた、埃をかぶった宝石を象ったワインボトルが目に入った。三ヶ月ほど前、無理矢理交際を迫った冒険者に渡された、普段私が手にする安物とは比べ物にならないほど高価そうなワインだ。彼がギルドに来なくなったため返せぬまま、ただの装飾品と化していた。どうせなら、この全てを忘れてしまいたい。この痛みも、彼への想いも、全て。何もなかったことにできれば、どれだけ楽だろう。

 私はゆっくりと立ち上がり、そのボトルを手に取った。ずっしりと重い。迷うことなく栓を抜き、グラスに残ったワインを飲み干し、洗うことなく、その高価なワインを注ぐ。複雑で不思議な香りが鼻につくが、一気に煽った。
 アルコールが、喉を焼くように流れ落ちていく。その熱さが、心の奥底で凍りついた感情を、無理やり溶かそうとしているかのようだった。
 だが、それは許されない。この痛みこそが、私が彼を愛した証であり、二度と目を背けてはならない、私の生きた証なのだから。

 私はベッドに身を横たえた。枕が冷たい。涙は出ないのに、なぜか頬が濡れているような気がした。
 明日、またギルドに行かなければならない。彼の顔を、見なければならない。その事実が、私を深く絶望させた。
 けれど、それでも、私は生きていかなければならない。この痛みを抱えたまま、私は明日を迎えなければならなかった。
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次回はいよいよラストです。
最終話「挨拶と笑顔」は明日18時頃更新です。
どうぞお楽しみに!