風見ヶ丘高校二年生、三宅蒼真と一ノ瀬紅太郎は仲が良い。
 何もかもが正反対なのに事あるごとに絡んでいるせいで、二人の仲の良さは周知の事実だ。
 しかし、そんな彼らが幼馴染同士だと知っている者は、ほんの一部しかいない。
 ふたりの運命は、十七年前に三宅夫妻が紅太郎の祖母の家から徒歩20秒足らずの土地に新居を建てると決めた瞬間に定まった。

「こんちゃーす」
「だれもいないよ」
「こんちゃぁあああすッ!!」
「デカい声で確かめようとすんなよ」

 他所の家の玄関で腹から声を出す紅太郎の背中に蒼真がビニール袋を振り翳した。グシャッと音を立てて袋の中身が白いビニール越しに紅太郎の背中にぶつかるが、彼は気にもしていない。適当に靴を脱ぎ捨てて廊下をずかずかと歩いていく。玄関先に置いて行かれた家主は、自分と紅太郎の靴を端の方に並べ直した。
 ビニール袋の中身を冷蔵庫に仕舞うために蒼真がキッチンに向かえば、階段を昇る足音が聞こえた。蒼真の部屋は二階の突き当たりにある。それはちょうどキッチンの真上で、蒼真の頭上から紅太郎が乱暴に鞄を下ろす音が聞こえた。

 放課後に紅太郎が自宅に直帰することは滅多にない。たいていは蒼真の家に入り浸っていて、高確率で夕飯の時間まで居座っている。バイトがない日は泊まっていくことも多いので蒼真の部屋のクローゼットには紅太郎の服が置いてあった。
 一見すればそんなに身長差があるとは思えない二人なので、蒼真の服を貸せばいいのではないかと思ったこともあるが、紅太郎は意外と猫背で、きちんと縦に伸ばせば蒼真と6センチも差がある。これでも蒼真は中学三年のときに骨が伸びる痛みで夜も眠れないほどの凄まじい成長期が来て178センチという高身長を手に入れたのだ。それなのに紅太郎は小学生の頃からずっと背の順は後ろの方。中学でも高校でもすくすく成長して現在では184センチに達している。
 本人曰く、「俺はここで終わる男じゃない」らしいが、身長差をこれ以上ひろげないためにも蒼真は隙あらば紅太郎の頭を押さえつけている。

「オマエ、それやめろ」
「どれのこと?」
「なんでこの状況でとぼけられるんだよ」

 自室のベッドに寝転がった蒼真は、ベッド脇に背中を預けてフローリングに座り込んでいる紅太郎の頭の上に足の踵を置いていた。
 かつては手で押さえつけるのが主流だったものの、ずっと押さえているのが大変なのでこの画期的な方法を編み出した。もちろん紅太郎は嫌がって頭上に置かれた足を外そうとする。けれど、決して座っている位置をずらそうとしないので何度でも蒼真の踵は紅太郎のつむじに着地することが出来た。

「やめろ、マジ集中できねえ」

 文句を垂れる紅太郎の手元には蒼真の部屋の本棚に収まっていたはずの漫画の最新刊がある。1、2巻が出たときには「つまんなくね?」と言って単行本を買っていた蒼真を馬鹿にしていたくせに、新章に突入した途端に面白くなったと嬉々として読み漁っている。凄まじい手のひら返しだが、意地になって読まないという選択をするのではなく、ちゃんと評価を改めるところが紅太郎のいいところだと蒼真は思っている。まあ、蒼真の部屋で勝手に読んでいくだけで、紅太郎はその漫画の単行本を一冊も持っていないのだが。

「ねぇ、暇なんだけどぉ〜」

 寝返りを打った蒼真は紅太郎の頭上から踵を下ろし、今度はその襟足にターゲットを移した。傷んだ金髪はギリギリ結べるか結べないかという長さまで伸びている。後ろから見るとまるで別人のように見えて、蒼真は今の紅太郎の髪型があまり好きではない。
 蒼真が知っている紅太郎は、チクチクとした硬い髪質の黒髪で、年中短パンを履いていて、右の奥の乳歯がグラグラしているのが怖くて泣いてしまった情けない男の子だったのに、いつのまにかヤンキーもどきに変わってしまった。
 ——たった三年、離れただけなのに。

「オマエは面倒クセー彼女か」

 襟足をちょいちょいと指で弄ってくる蒼真に、紅太郎はようやく漫画に夢中になるのをやめて振り返った。不機嫌そうな顔。こんなやつがコンビニの前でたむろっていたら最悪だなと蒼真は思うが、紅太郎は公共の場で他人に迷惑をかけるようなことは滅多にしない。制服のシャツからときどき煙草の匂いがするのはバイト先が全席喫煙可という時代錯誤な喫茶店だからだし、酔っ払いが大嫌いだから酒も飲まないし、喧嘩だって高校に入学してからは全くしていない。ファッションヤンキーと呼べばめちゃくちゃ怒って蒼真の胸ぐらを掴んでくるけれど、本当に殴られたことは一度もなかった。

「だってコウちゃんが構ってくれないから」
「その呼び方やめろ」
「コウちゃん♡」
「キショ……」
「ガン萎えすんなよ」

 いいやつだな、と蒼真は思った。口は悪いけど、性格は悪くない。蒼真の両親も、高校でまた紅太郎と一緒になったことを息子が伝えたらとても喜んでいた。こうして家に遊びに来るのも大歓迎で、蒼真の母親なんて紅太郎のことをまるで二人目の息子のように扱い、コウちゃんと呼ぶ。それを紅太郎が嫌がることはない。いつも飯をご馳走になってるんでとバイト代を封筒に入れて渡しに来たこともある。いい友達が出来てよかった、一生の親友だなと蒼真の父親は笑った。
 一ノ瀬紅太郎は、本当にいいやつだと思う。
 だけど最近それが嫌になってくることが蒼真にはあった。

「暇なら自撮りでもしとけよ」

 紅太郎は吐き捨てるように呟いた。胡座をかいた膝の上に漫画の単行本を乗せて、つけっぱなしの帯を指でなぞる。黄色い帯に「アニメ化決定!話題騒然の超人気青春バトル漫画」とデカデカ書かれている。

「なんで?」

 ベッドから起き上がった蒼真が笑顔で問いかけた。けれど少し俯いていた紅太郎とは目が合わず、仕方なく紅太郎のつむじを見つめた。左回転の黒い渦が小さなブラックホールのように見えた。

「なんかそういうの、みんな喜ぶだろ」
「なにが?」
「オマエの写真見るの好きじゃん、みんな」
「ええ〜?」

 とぼけたフリをしながら蒼真はずっと紅太郎の頭にあるブラックホールを眺めていた。今、これに手を伸ばせば吸い込まれて消えるのだろうか。それもいいなと蒼真は思った。吸い込まれた先が紅太郎の頭の中なら、もっといい。そしたら紅太郎は蒼真のことを忘れることはないだろう。

「……あのさぁ」

 紅太郎が珍しく少し控えめなトーンで話を切り出したので、蒼真はちょっとだけ嫌な予感がした。それでも表情には出さず、ニコニコしたまま答える。

「なに?」
「俺が持ってるオマエの写真さぁ」
「うん」
「……見せていい?」

 チラッと紅太郎が蒼真に視線を寄越してくれたお陰でようたくふたりの目が合いそうだったのに、今度は蒼真が顔を逸らした。ベッドの上に放り出していたスマホに手を伸ばして、それを適当に弄る。紅太郎のことなんて見てもいない。

「うーん、誰に?」
「ニトと、その友達とかに」
「ニト……仁藤さん? A組の?」
「うん」

 紅太郎は静かに頷いた。今日の昼間に蒼真を追いかけていた男とは別人のように大人しい。気色悪いな、と蒼真は思ったけれど口には出さなかった。半分以上、八つ当たりみたいになりそうだったから。

「オマエと同じ小学校だったって話したら、そんときの写真見たいって言われて……」
「僕の写真?」
「いや、俺の写真もだけど……俺が写ってるやつ、大抵オマエも写ってんじゃん」
「ああ……ね」

 蒼真はSNSアプリを弄りながら話半分に頷いた。視線の先には柔らかそうな黒髪をゆるく巻いてはにかみながら友達に囲まれている制服姿の女の子の写真があった。テーマパークで撮ったのだろうか。パステルカラーの耳つきカチューシャをつけてぬいぐるみを抱きしめていた。過去の投稿を遡れば流行りのダンスを踊っている動画もあったが、その子が出ているのは最後の最後で、ほんの一瞬だった。恥ずかしがって顔を両手で隠すとすぐに画面外へと消えてしまう。画面の端にハートマークが表示されていたが、蒼真の指はそれを押さなかった。

「いいよ。仁藤さんなら知ってるし」
「あ、そうなん?」
「ちょっとだけ喋ったことあるかなってぐらいだけど。一応、アカウントもフォローしてくれてるっぽいし」
「……へえ」

 少しだけ声が低くなった紅太郎に蒼真は無言になった。僕からはフォローを返してないし、投稿も今見たばかりでそれまで顔すら思い出せなかったけど——とは言わない。本当は言いたかった。でもそんなことを言ったら紅太郎が怒るだろうと分かっていたから、蒼真は何も言えなかった。

「てか見せたいなら勝手に見せればよかったのに」

 スマホの画面を真っ黒にしてシーツに放り投げれば、蒼真はそこらへんに置いてあったぬいぐるみを引き寄せて抱きしめた。前に紅太郎がクレーンゲームで取って、蒼真に押し付けたものだ。俺の部屋にこんなもん置けねえとかなんとか言い訳していた。だったら取らなきゃいいのにと思ったが、最初から自分にくれる気だったことを蒼真は分かっていた。

「や、でも……オマエが嫌がるかもしんねえじゃん」

 紅太郎は、若干唇を尖らせて少し拗ねたように呟いた。視線は宙に浮いていて、どこを向いているのか分からない。

「ふぅん……」

 蒼真は思わずぬいぐるみを抱く腕の力を強めた。可愛らしいぬいぐるみの顔が歪む。まるで怒ってるみたいな、泣きそうになってるみたいな、よく分からない表情になったぬいぐるみの頭の上に顎を乗せて蒼真は呟く。

「じゃあ今度からもちゃんと聞いてね」
「そこは聞かなくていいよ、じゃねえのかよ」
「お写真は事務所通してくんないと」
「無所属だろうが」
「今から所属しようかな」
「出来そうだからやめろ」

 肩を竦めて再び蒼真に背中を向けた紅太郎の視界を邪魔するように蒼真は背中から抱きついて強引に顔を覗き込んだ。

「おらッ、至近距離でイケメンを喰らいな!」
「自分で言うな、つかオメーの面はとっくに見飽きてんだよ」
「今なら撮り放題よぉ〜」
「いらねぇ、撮らねえ」

 紅太郎と蒼真がそのまま揉み合えば蒼真はベッドから落ちて、紅太郎は無駄に顔の良い幼馴染にプロレス技をかけた。手加減はされていたものの、蒼真は振り解けずにフローリングの上に転がったまま情けない悲鳴を上げた。それからまた別の技をかけられて解説までされたけれど、蒼真には全く分からなかった。

「ギブギブギブッ!」
「いや、まだカウント終わってねえから」
「もう10カウント以上過ぎてんだよ……!!」


 結局、蒼真の母親が帰ってくるまで紅太郎は蒼真を締め上げ、階段を上がってくる音が聞こえた途端に手を離した。咳き込む蒼真を放置した紅太郎は蒼真の母親にカレーかビーフシチューのどちらがいいか聞かれて勝手に答える。

「カレーすかね」
「ええ、僕ビーフシチューがいいんだけど」

 そして当然のように息子の意見は無視され、三宅家の夕食はカレーライスになった。
 やっぱり紅太郎は嫌なやつかもしれないと思いながら蒼真は真っ赤な福神漬けを隣の皿から掻っ攫い、母親からは叱られた。