風見ヶ丘高校二年生、三宅蒼真と一ノ瀬紅太郎は仲が良い。
何もかもが正反対なのに事あるごとに絡んでいるせいで、二人の仲の良さは周知の事実だ。
しかし、そんな彼らが恋人同士だと知っている者は、ほんの一部しかいない。
ふたりの運命は、ある夏の日に定まった。
「ウッヒッヒヒヒヒヒ……!!!」
珍妙な笑い声が四階の廊下をこだましていた。その笑い声の持ち主はもちろん四谷紫乃だ。彼女は笑い過ぎて膝から崩れ落ちていた。そんな四谷を仁藤も心配するかと思いきや、四谷よりも先に床に転がっていた。
死屍累々の女性陣を前にして、紅太郎は怒りに震える。
「なんとか言えやゴラァあああああッ!!!」
こんがりいい感じに焼けた男子高校生は拳を握り締めるが、たかが日焼け程度で女子高校生たちも笑っているわけではない。もっと重要な部分における変化に笑い転げているのである。
「いやぁ、やっぱりかっこいいよね〜」
紅太郎の背後からニュッと姿を現したのは、蒼真である。彼は紅太郎の肩に手を置いたまましみじみと頷く。
「それ、本気で言ってる?」
息も絶え絶えになりながら起き上がった四谷が蒼真に尋ねる。
それに対して蒼真はわざとらしく肩を竦めた。
「うーん、多分?」
含みがある言い方だが、蒼真が笑い転げずに済んでいるのは新学期を迎える数日前から徐々に紅太郎のニュースタイルに目を慣らしていたからだ。蒼真が紅太郎の変化を初めて目の当たりにした時は、四谷や仁藤以上に笑い転げた。そんな蒼真がふたりの初見の反応を見たいがためにグループトークでも紅太郎について一切触れなかったのはやはり天才だからだろうか。
「似合ってるよ、林檎ちゃん♡」
蒼真は後ろから抱きつきながら真っ赤な林檎に囁きかける。
「あ、間違えた! コウちゃん♡」
そしてわざとらしく肩を竦めれば、それを合図と言わんばかりに蒼真が駆け出す。
——遠のいていく背中が輝いて見えたことをずっと覚えている。
「おい待て、このアホッ!!!」
四階の廊下に一陣の風が吹いた。
真っ赤な髪がたなびき、仁藤と四谷の目の前を掠めていく。
「またなーい♡」
「なに、かわいこぶってんだ!! 毎回じゃ効かねえぞ!!」
甘ったるい声を遮るように怒声が唸る。傷みきった赤髪が廊下の窓から差し込む朝陽を反射した。バタバタと騒がしい足音が廊下の端から端まで響き、突き当たりまで届く。
「といいつつ、毎回効くのであった……」
「黙れ、ぶりっ子ぉッ!!」
「それはニトのほうじゃない?」
「はあ? 私まで巻き込まないでよぉ!!」
外階段に飛び出して四階から三階へ駆け降りていく二つの影。その距離は一定を保っている。
さらに、もう二つ分の影がそれを追いかける。
先頭を走るのは、柔らかな茶髪の——いかにもモテそうな面をした男子生徒。
「おっと……ごめーーーーん!!」
階段で休んでいた黒猫を見つけて慌てて立ち止まりかけるが、そんなことしなくても猫はすぐに飛び退いた。蒼真は、自分よりも先を走る猫を追いかけるために再び好奇心のままにひとりで走り出しそうとする。
しかし、そんな蒼真を呼び止めたのは猫どころか閻魔大王も怯えて逃げ出すほどの迫力を持つ男。
「そぉおおおまああああああ!!!!!」
階段の五段飛ばし——俺こそがリンゴだ見たかニュートンと言わんばかりの大ジャンプを見せつけたのは、金髪をすっかり赤髪に染めた紅太郎だった。
「オマエが好きって言ったんだろうが!!」
紅太郎は蒼真の好きな漫画のキャラを真似て髪を染め直したらしい。
しかし、不良漫画のキャラというよりは——。
「林檎の擬人化?」
「アハッ!!」
的確な一言を告げたのは、紅太郎たちの後を追ってきた四谷だった。流石は現役陸上部と言ったところか、蒼真たちにも追いついてきている。
一方で可哀想なのは、元文化部の仁藤である。
「手加減をしてよ!! もう!!」
引き離された仁藤が必死に走ってやっと追いついた頃には、三人とも中庭にいた。誰が一番速いか競走して、見事に蒼真が勝った。レースの優勝者は、戦利品のパックジュースを悠々と飲み干しながら芝生の上に転がっている愛おしい林檎を見下ろす。
蒼真は紅太郎の真っ赤な髪に指を絡めた。
「ほんとに林檎みたい」
蒼真の瞳に、紅太郎だけが映る。
そして、紅太郎の瞳にも同じように蒼真だけが映っている。
「そりゃオマエもだろ」
蒼真の顔は、夕陽がなくても十分に赤かった。
林檎と林檎がぶつかって、互いの心にハート型のクレーターが生まれる。
その凸凹がふたりにとってなによりも愛おしいものだった。
ふたつの林檎を背景に仁藤が四谷の耳元で囁く。
「ああいう人たちのこと、英語でなんていうか知ってる?」
「なんていうの?」
元英語部の少女はクスッと笑った。
——The apple of my eyes!

