どんなに僕が嫌がろうが落ち込もうが、高橋君の体は一つしかないわけで……。ほぼ同時刻に起こることを二つ同時にこなせるわけはない。

「下でしっかり見ててやるからな」
「私も! だから気落ちしないで頑張って!」

 みんなの励ましにも気持ちを浮上させることは出来なくて、僕はため息を零しながら俯くことしか出来なかった。


 そして、時間になった僕はミミーの衣装に袖を通す。それに誰かが家から持ってきていたかつらをかぶり、即席ミミーの出来上がりだ。

「おお、結構可愛いじゃん。変じゃないぞ歩」
「本当だ。かつらがあるだけで雰囲気だいぶ変わるな」
「うん、うん。鹿倉君変じゃないよ! 可愛い!」

 気落ちしている僕を励まそうと加賀くんたちが口々にホメてくれる。
 ……なんだか微妙。

「そろそろ時間ですよー」

 新歓の運営を任されている上級生が、僕らの教室にやってきて仮装担当を呼びにやって来た。ようするに僕だ。

「……はい」

 先をさっさと歩く上級生の後を、僕は俯きながらついて行った。

 うなだれながら、グラウンドの傍らに設置されているステージの脇に並んだ。この時間だと残り試合も数少なくなっているので、試合を見ずに仮装を楽しもうとここに来ている人が結構いてため息を吐いた。
 何気にチラッと前方に視線を向けたら、読書同好会の先輩方が既に勢ぞろいしていた。みんなこちらを見ていて、目が合うと千佳先輩と白石先輩はにこやかに手を振ってくれた。

 今の僕に出来る限りの笑みを作って、ぺこりと会釈した。千佳先輩は『ファイト!』って感じで軽く拳を握って合図を返してくれた。その横の礼人さんは、僕の隣に高橋君がいないことに気が付いたんだろう。少し心配そうな表情をしている。

「はい、君。そろそろ出番だからね、心の準備しておいて」
「あ、はい」

 係りの人に誘導されて、手のひらから汗が滲み出て心臓もバクバクと激しくなってきた。とてもじゃないけどこの状況じゃあ、みんなをカボチャと思うことは出来そうにない。

「曲はこちらで掛けてあげるから。壇上に上がってスタンバイしたらかけてもいいかな?」
「……はい。よろしくお願いします」

 僕はどうやら次の次らしい。壇上では今、アイドルグループの曲を掛けて女の子たちが踊っている。結構可愛い二人組で、男子も女子も楽しそうに手拍子したり手を振ったりして盛り上がっている。

 ああ、もう。緊張し過ぎて卒倒しそうだ。手のひらや背中に嫌な汗を掻いているし。

 早いのか長いのか分からない時間を経て、いよいよ僕がステージ上へと通された。

 ステージ横ではテンパる僕を心配してくれて、担当の上級生が代わりに僕のことを紹介してくれているようだ。――ようだ、というのは、ほぼ頭の中が真っ白になっている僕には詳細が耳に入ってこれなくなっているからだ。

「それではー、曲流します! どうぞー」

 かなりの大声でコールされて、ハッとした。それとほぼ同時に『もふもふワンダー』の曲が流される。

 ♪♪もっふ、もっふ、もふもふワンダー♪♪
 ♪♪もっふ、もっふ、もふもふワンダー♪♪

 あ……、ええっと……。
 ど、どうしよう……。頭が真っ白になって、踊りが思い出せない……!

 真っ青になって狼狽える僕に、周りのざわつく声が聞こえて来た。

「しっかりしろ―! なにやってんだー」

 おたおたする僕に浴びせられるようしゃない声。ううん、もしかしたら激励なのかもしれないけど、今の僕にはそんな風に受け止める余裕は無かった。
 手のひらからにじみ出る汗。背中にも、緊張し過ぎて嫌な汗が伝っていく。

『動き小さすぎないか? 二人とも、恥ずかしいのが先に立ってんだろ?』

『こういう時は開き直って踊り切った方が、却って恥ずかしさも吹き飛ぶもんだぞ? 見てる方も一緒に楽しむから可哀そうにって思われることもないし、白けられることもない』

 不意に、高橋君と僕にダンスの指導をしてくれた時の礼人さんの言葉が脳裏に浮かんだ。

 このままじゃいけない、な……、何とか振り切って、何とかしなくちゃ。

 強張る体。ギクシャクと動かない腕や足。必死でそれに叱咤して、腕を伸ばそうとした時――、

「キャアア―――!」
「ええっ! 嘘! すごっ!!」
「はあっ!? なんだあいつ!」

 ……え?

 突然変わった周りの雰囲気に、なにがなんだか分からなくておたついた。そして、真っ赤な顔で嬉しそうに壇上を見上げる女子に首を傾げる。
 傾げて……、視線の先を追って後ろを振り向くと。

「高橋の代打だ」

 そう言って、王子様な圭一の衣装を身に纏ってニヤリと笑う礼人さんが立っていた。

「礼人……さん」
「よう、災難だったな。……少しは落ち着いたか?」

 僕に近づきながら、礼人さんがニッコリと微笑んだ。

 ……どうしよう、泣きそうっ……!

「礼人―! 礼人―! こっち見て―――!!」
「礼人―!!」
「なにやってんだ紫藤! お前一年じゃないだろー!」

 ……あっ!

 思いがけない礼人さんの登場にホッとして、それよりも感動してしまって体から力が抜けそうになっていたけれど、周りの歓声の間から聞こえてくる怒声でハッとした。

「れ……礼人さん、あの、ありがとうございます。でも……、大丈夫ですから……あのっ」

 そうだよ。礼人さんの迷惑にはなりたくない。そんな種は作りたくない。
 そうじゃなくてもカッコよすぎるってそれだけの理由で、妬みやら嫉妬やらいっぱい浴びて嫌な思いをしているのに。僕を助けようと思ってくれている優しい礼人さんの気持ちを、勝手な嫌悪の対象にさせてしまうのは絶対だめだ。

「生意気ー」

 パスンと軽く礼人さんが僕の頭を叩いた。

 ……な、生意気? どうして?

「同好会の大事な後輩が困ってるんだ。先輩として手助けしようと思うのは普通だろ。……あーっと、すまない担当、曲かけてくれ」
「オッケ……」
「ちょーっと、待ったー!」

 ……え?

「キャー、千佳だ! 千佳―!」
「うわっ、工藤まで出て来た! なんなんだこの一年!」

「読書同好会の後輩のピンチとして、俺も加勢する!」
「おう、千佳。なんだお前、可愛いな」
「千佳先輩……」

 千佳先輩は女子から借りたのか、大きなリボンのヘアバンドを付けている。それだけでぐんと可愛くなるからさすがだ。

 千佳先輩が現れたことでさっきよりも周りが騒がしくなっている。
 だけどそれよりも凄いと思ったのは、さっきまで礼人さんに文句を言っていた男の先輩たちの声のトーンが変わり、「なんだあの千佳の可愛さは」だの「工藤だ、工藤だ」と地味にはしゃぐ声まで聞こえてくる。
 いつのまにかブーイングの声は鳴りを潜め、歓迎のムードまで漂い始めていた。

 ――千佳の扇動効果。

 ……そういうことか。愛らしい千佳先輩は、女子からだけでなく男子からも好かれてるってことなんだな。
 確かにこの可愛さは、男子の嫉妬の対象にはなりようがないか。

「じゃ、行くぞ。曲かけてくれ」
「了解」

 ♪♪もっふ、もっふ、もふもふワンダー♪♪
 ♪♪もっふ、もっふ、もふもふワンダー♪♪

 曲に合わせて三人で踊り始めた。
 礼人さんが僕に笑いかけながら手を取って、くるくると僕を回して軽やかにステップを踏む。近づいたり遠のいたりしながらじゃれ合うように踊るんだけど、さらさらと靡く髪や綺麗でかっこいい礼人さんを映えさせている華麗な衣装が素敵すぎて、まるで本物の王子様だ。
 そんな王子様に優しくリードされて、僕はお姫様になってしまったような錯覚に陥りそうになる。

 目が合う度に『大丈夫』と言うように優しく微笑まれて、僕は今嘘みたいに舞い上がっている。

 千佳先輩も、きっと礼人さんを助けようと思って出てきてくれたんだろう。優しい礼人さんを、妬みや嫉妬で嫌がらせをする人たちをあまりよく思っていないみたいだったから。

 千佳先輩はたまに僕らに絡みながら、楽しそうに周りをひらひらと歩き回って可愛らしいオリジナルなダンスを披露してくれた。
 おかげで、さっきまでのテンパりはどこへやら。礼人さんと千佳先輩に挟まれて、僕は何とかこのステージをやり過ごすことが出来たんだ。

 曲が終わり観客から盛大に拍手が送られた。三人でぺこりとお辞儀をして、僕は心の中で盛大なため息をつきながらステージを降りて、降りた途端にふらついた。

「……っと、大丈夫かお前」
「す……、すみませんっ。ホッとしたら力が抜けてしまいました……」
「そっかー。でもよかったね。無事にすんだよ」

 あ、そうだよ!

「礼人さんと千佳先輩のおかげです。ほんっと―にありがとうございました!」

 まだ体に力が入らない僕は、礼人さんの腕を掴んだまま二人にぺこりと頭を下げた。

「いいよ―。全然大丈夫!」

 ニッコリ笑ってピースをする千佳先輩は恐ろしいほど可愛い。ドギマギと笑顔を作っていると横から手が伸びてきて、千佳先輩の大きなリボンがサッと引き抜かれていった。

「剛先輩! どうだった? 俺、可愛かったでしょ?」
「かわいいに決まってる! おい! お前ら勝手に千佳のこと見てんじゃねーよ!」
「相変わらずだなぁ」

 そうだった。剛先輩はすごく独占欲の強い人だった。それなのに、千佳先輩が壇上に上がることを僕の為に許可してくれたんだ。

「あの、剛先輩も……、ありがとうございました」

 ぺこりと剛先輩にも頭を下げると、剛先輩は一瞬方眉を上げた後僕に向かって二ッと笑った。

「なんだ、お前も分かるようになってきたじゃないか。……さてと、俺は試合が残ってるからそろそろ行くわ。礼人も、クロが待ってるみたいだぞ」
「……ああ、はい」

 相変わらず仲良さそうに、剛先輩は千佳先輩の頭を撫でながら自分のクラスに戻っていった。白石先輩と黒田先輩は、少し離れたところで礼人さんを待っている。

「あの……、礼人さん。凄く凄く嬉しかったです」
「ああ……。じゃあまだ試合が残ってるから応援に来いよ。――あっちで待ってる加山と一緒にな」
「え? あ、」

 全然気が付かなかったけど、加山さんがまたもの凄――く嬉しそうな顔をして僕らを見ている。

 ああ、はいはい。今の加山さんの状態は、凄い脳内妄想に溢れてるんだよね。

 それはそうと、
 目立つことが嫌いな礼人さんが、僕の為にこんな派手な王子様の衣装を着てステージに飛び入り参加をしてくれた。こんなに優しくて、頼もしい人……、やっぱり僕は礼人さん以外には知らないよ。

「礼人さん」
「うん?」
「……礼人さんは本当に……、僕にとっては王子様です。本物の」

 ジッと礼人さんを見つめてそう言うと、礼人さんの表情が一瞬止まった。止まってそして……、はにかむように微笑んだ。

「それこそ欲目だ。……お互い様だな」

 ポンと僕の頭に手を置いて、羽織っていた圭一の王子様のコートをサッと脱ぎ僕に手渡し、「じゃあな」と言って黒田先輩の元へと走っていってしまった。

 だって、本当に王子様だ。カッコよくて綺麗で、そして何より――
 とても優しい僕だけの王子様。

 黒田先輩達と話をしながら遠のいていく礼人さんを見ながら、ひとり感慨にふけっていた。

「かっこいいよねー」
 うわっ、びっくりした!

「か、加山さん、びっくりさせないでよ」

 突然耳元で声を掛けられて飛び上がりそうになった。その後ろで加賀くんも苦笑いをしている。

「紫藤先輩って、いい先輩なんだな。俺だったら、いくら可愛い後輩が出来たとしてもあんな風に体張ることなんて出来ねーや」
「うん……。礼人さんって本当は、あんな風に目立つの嫌な人なんだよ。だけど優しいから、……迷惑かけちゃった」
「なーに言ってんのよ! 迷惑なんかじゃないって! 鹿倉君がそんな風に考えたら、紫藤先輩も立つ瀬がないじゃん」
「そう、そう。それに加山たち女子は大喜びだったもんな」
「そーよー。ああ、もう、ホントにー!」
 バシバシ!

「いったいよ!」

 もう―、加山さんったら妄想に入るとすぐ人の腕叩くんだから。

「アハハ、ごめんごめん。……紫藤先輩のクラスの試合は……、今の試合が終わってからだからまだ二十分くらいあるかなー。でも早めに行かないといい場所取れないよね。そろそろ行こうか」
「そうだね、行こう。あ、加賀くんも見に行く?」
「おう。なんかさっきの紫藤先輩って、かっこよかったし」
「えっ!?」

 加賀くんの言葉になぜだか加山さんが凄い勢いで反応した。……まさか、また変なセンサーが作動したわけじゃないよね?

「……なんだよ? 男だからって妬むやつばかりじゃないぞ。さっきも言ったけど、みんなにブーイングされること分かっていたのに後輩を助けに行く先輩ってスゲーじゃん」
「……ああ、まあね」

 あからさまに"そっちか"って気落ちした顔をするのは止めて。加賀くんが首を傾げてるよ……。

「じゃ、いこーぜ」
「うん」
「あ、待って。おいてかないでよ」

「え~っと、確かこっちのフィールドだよな」

 予定表に書かれている各試合の場所を確認して、加賀くんが僕らを引率中。僕と加山さんはひよこよろしく加賀くんの後をついていく。

「うっわ。すっごい人だね。なんだろう、二回戦だから盛り上がってんのかな」
「……違うんじゃない? これ、今の試合の応援の人だけじゃなくて、次の試合の紫藤先輩や黒田先輩目当ての女の子たちが陣取ってるみたい」

「ええっ?」
「はあっ? ……あー、そうみたいだ。よくよく見ると女子が前の方にかたまってる」

 結局、礼人さんたちのサッカーの試合が始まっても、応援している人たちの数はほとんど減らなかった。だから一回戦の時と違って前の方に行くことは出来ない。

「しょうがないね。まあ、見えないことは無いからこっから応援しようか」
「だな」
「うん」

 この試合に勝てば次は決勝だったんだけど、運の悪いことに相手のクラスにはサッカー部の選手が三人もいたようで、ライバル視されていたのか執拗に黒田先輩がマークされ、三対四という僅差で礼人さんのクラスは負けてしまった。


 いろんなことがあったから凄く長い一日に感じた新入生歓迎スポーツ大会も、すべての試合を終了して無事閉会式を迎えた。
 僕らのクラスはドッジボールが優勝。そしてバレーボールが準優勝だった。
 ドッジボールの優勝の立役者は間違いなく加山さんだろう。迫力、半端なかったもん。凄い勢いでガンガンボールをぶつけて、相手チームのメンバーを次々倒していく鬼のような加山さん……。

「さすが加山。お前本当は男だったんじゃねーの?」
「はあ? あんたも潰されたいの?」
「勘弁してください」

 みんな頑張ったからという事で、担任の先生が慰労会を開くと言ってジュースを一本ずつ僕らに奢ってくれた。よく冷えた炭酸飲料を飲みながら、お互いの頑張りをねぎらった。

 加賀くんと一緒に加山さんの武勇伝に花を咲かせていたら、高橋君と増岡君が僕の傍にやって来た。

「ゴメン、鹿倉。俺がドジしたせいで一人で仮装させることになっちゃって」
「あ……、ううん。わざとじゃないし、捻挫の方は大丈夫なの?」
「ああ。大したことないから。……でも、しばらくは体育の授業は出れそうにないかな。びっこ引かなきゃ歩けないし」
「そうなんだ。災難だったね」
「まあ、でも。おかげでいいもの見れたけどね」

 横から加山さんがにこにこしながら僕らの話に入って来た。

「ああ、そうなんだってな。俺ら見れなかったけど、紫藤先輩が王子様になったって女子が騒いでたの聞いたぞ」
「かっこよかったぞ、男前で。……あんな先輩がいたら、頼もしくていいよな。ちょっと歩がうらやましかった」
「ああ、うん。二年生たちはあんまりよく思ってなかったみたいだけど、割と俺ら一年は、紫藤先輩のこと見直したって奴けっこういたよな」

 僕らの会話に、傍にいた城田君たちも頷きながら会話に参加してきた。

 礼人さんのことをこうやって、見直したとかかっこよかったとみんなが言ってくれて、僕はなんだか誇らしいようなホッとしたような、くすぐったい思いだ。
 心の中でそんな風にニソニソしていたら、加山さんが『良かったね』と言うように僕に目配せをした。僕は心の中で思いっきり大きく頷いて、加山さんに笑い返した。


 慰労会を終えて、僕はそのまま部室へ直行しようと教室を出た。加賀くんとは方向が逆なのですぐに別れて、加山さんと試合の話をしながら廊下を歩いていた。
 そんな僕らを見つけた女子が、普段なら気にも留めないのに声を掛けて来た。

「鹿倉君……、だよね?」
「え? うん」
「ああ、やっぱり! 今日ミミーの女装してた人だよね。紫藤先輩と同じ同好会に入ってるって!」
「……ああ、うん」

 礼人さん絡みか。紹介してくれって言われたらどうしよう。

「あの……さ、お願いがあるんだけど。実は私たちも同好会に……」
「ダメみたいだよ」

 僕が返事をする前に、というか女子に全部言わせない勢いで加山さんがすかさず断った。

「……て、え?」

 関係ないはずの加山さんに口出しされて、女子が面食らう。そして『どういうこと?』と言いたげに僕の顔を見た。

「だから―、女子は前に問題があったみたいで警戒されてるんだって! 知ってる? 上級生からも怖がられている鬼先輩! あんたたちが紫藤先輩目当てで入ろうとしてるって知ったら、即一喝されて追い出されるよ」

「鬼……?」
「ああ! ソレ、聞いたことある。すごく怖い先輩がいて、部員以外は同好会のあの建物に誰も近づかないって」

 ……東郷先輩って、まるで読書同好会の番犬のような言われようなんだな。実際には千佳先輩だけの番犬みたいだけど。

「鹿倉君、それ……本当なの?」
「……あ、うん。鬼のような先輩は確かにいるよ。僕は単純に読書が好きだったし文化系の部活に入りたかったからOKだったみたいだけど、それでも当初はちょっと威嚇されてるような感じがして怖かったもの」

 ちょっとオーバーかなとは思ったけど、千佳先輩絡みで確かに威嚇はされた記憶があるから、あながち嘘ではないよね。
 僕の言葉に言葉を失った彼女らは、引き攣った顔をして「そっか」と言って去って行った。

「鬼先輩、様様だね」
「……ちょっとオーバーに言っちゃったかな。東郷先輩に悪かったかも」
「なーに言ってんのよ! あれくらいでちょうどいいわよ。嘘ってわけじゃないしね!」
「……そうだね」

「あ……っ」
「え?」

 校舎を出て、グラウンド脇の通りに出たところで加山さんが声を上げた。その視線の先を見ると、部室方向に歩いている礼人さんと黒田先輩達がいた。

「じゃあ、私は帰るね! 紫藤先輩によろしく!」
「うん。じゃあね」
「バイバイー」

 加山さんを見送って、礼人さんたちの元へと走り寄った。

「あ、歩」
「こんにちは!」
「やあ」

 白石先輩は相変わらず優しい表情で、にっこりと笑って挨拶してくれた。黒田先輩も相変わらずで、軽く頷くようなしぐさが返事の代わりだ。
 この二人って、対照的だよなあ。

「礼人さん、今日は本当にありがとうございましたっ!」

 向き直って改めてお礼を言うと、礼人さんはクスリと笑った。

「いいって言ってる。気にすんな」
「……はい」

 じんわりと礼人さんの優しい気持ちをかみしめて、泣きたくなるくらいの幸せを感じる。

 不思議。幸せだって心底思うと、人って泣きたくなるんだね。
 礼人さんと出会うまでは、こんな気持ちがあるなんて わからなかったけど。

「あー、でもそうだな。せっかくだからご褒美もらっても良いか?」
「ご褒美……ですか? えっと、はい。なんでも言ってください」
「じゃあ、また膝枕してくれるか? 歩の膝で眠るとすごく気持ちがいいんだ」
「礼人さん……。はいっ! 喜んで! それって、僕にもすごい幸せな時間です!」

 張り切ってそう言うと、礼人さんは楽しそうに笑った。
 笑って僕を抱き寄せてくれた。


 初めて礼人さんに膝枕をしてあげた時、夢みたいで嬉しかった。でもそれと同時に、幸せ過ぎてまずいと思った。
 だってまさか、礼人さんとこんな関係になれるとは思ってもいなかったから。迷惑にならないように、これ以上思いを募らせないようにって思っていたから。

 僕らは部室に入って、そのまま備品室に直行した。

「あ、何か本を持ってくるか?」
「いいえ。大丈夫です。……礼人さんの髪の毛撫でたり、寝顔見てる方が楽しいですから」
「えっ?」

 ちょっぴり驚いたのか、礼人さんは目を丸くして瞬いた。だけどすぐに可笑しそうに、「変わってるなー」と笑った。

 変わってなんてないですよ。だって僕は、礼人さんが凄く好きだから。これは僕にとっても、凄く幸せで特別な時間なんです。

 綺麗な瞳を閉じて、僕の膝にくったりと体を預ける礼人さん。さらさらと流れる柔らかな髪を撫でながら、僕にとってもご褒美の礼人さんの眠る姿を堪能している。
 綺麗でかっこよくて繊細な……、僕だけの王子様を独り占めできる幸せをかみしめながら。