朝登校すると、加賀くんが既に来ていて加山さんと何やら楽しそうに話をしていた。
「おはよう」
「よう、歩」
「おはよう、鹿倉君。ねえねえ、鹿倉君は何に出る?」
「なにって?」
話が見えないなーと思いながら、荷物を机に置く。
「だーかーらー、新歓スポーツ大会があるでしょ! バレーとサッカーのどれに出たい?」
「……え、えっと……。サ、サッカー?」
「へー、サッカー? 鹿倉君サッカー得意なの?」
「まさか! そうじゃなくてっ。……バレーは逃げ場がないけど、サッカーならボールを取らずに走り回ってればいいかなーって……」
「……それってー」
「歩、運動苦手なんだってさ」
「あー、そんな風に、見えるわね……」
二人に同情するように見つめられて居心地が悪い。僕の話を終わらせようと、今度は僕から加山さんに尋ねてみた。
「……加山さんは何に出るの?」
「私? 私はドッジボール! あれ結構楽しいのよねー。気に入らない子をめがけて当ててやるんだ。スカッとするよ!」
「キャッチされたらまたムカつくんだろ?」
「当前! そうならないようにうまく投げるんだから!」
二人はとても楽しそうに新歓の話をし続けている。運動音痴の僕としては、羨ましい限りだ。
その日のSHRで、誰がどこに出るのかを皆で話し合った。……結果、さんざん揉めた末、僕は仮装担当になってしまったんだ!
酷いよっ!
「歩……」
「鹿倉君……、ま、元気出して」
「……開き直れ。俺は何とか気持ちを切り替えたぞ」
「……高橋くん」
僕のクラスは男子が十九人、女子が十八人。おかげで男子だけが二人競技からあぶれてしまう。
クラスの人数によって違うのだけど、もしもあぶれる人がいる場合はその人数分が自動的に仮装担当に割り当てられることになっている。
よって、僕のクラスからは僕と高橋君の二人が仮装担当に選ばれてしまった。
仮装担当は午後の試合が始まる前にグラウンドにステージが用意されていて、そこで個々のパフォーマンスを要求される。だからダンスをするならその振り付けも、自分たちで考えなければならないんだ。
ただ衣装に関しては、クラスの女子が全面的に協力してくれると言ってくれた。
「はうっ……」
僕は何度目になるのか分からないため息を吐いていた。
「るせーな。鬱陶しいぞ」
パカン!
「って……、いったいよ千佳」
「あああ、すみませんっ! 鬱陶しいって僕のため息ですよね! もう吐きませんから!」
「気にすんな、歩。威嚇するのは剛先輩の癖のようなものだ。いちいち反応しなくていいからな」
「そうだよー。ごめんね、歩君」
「……お前ら」
「駄目だよー、後輩を無駄にビビらせちゃぁ。剛先輩本当は優しい人なんだから、誤解させちゃ損だよ」
東郷先輩の隣に座っている千佳先輩が、頭を撫でながら宥めている。そのせいか、さっきまで浮かんでいた眉間のしわは、東郷先輩の眉間から既に無くなっていた。
……千佳先輩ってすごいよなあ。あの東郷先輩を、いっつも簡単に宥めてるんだもん。
「猛獣使いだからな」
僕の隣で礼人さんが小声でこっそりと僕に耳打ちをした。
猛獣使い?
えっ? と思って礼人さんを見ると、千佳先輩たちをチラッと見て「そう思うだろ?」とささやいた。
……ああ、猛獣。確かに、……納得。
「ところで、歩」
「はい」
「お前ホントさっきから、なにため息吐いてんだ?」
「あ……、えっと。実はですね……」
あんまり話したくは無かったんだけど、SHRで決まったスポーツ大会の仮装担当に決まってしまったことを打ち明けた。
「選ばれちまったんだ……」
「はい……」
絶句する礼人さんに、僕もシュンとうなだれた。
またため息を吐きそうになったので、かろうじて堪えた。これ以上猛獣さんを困らせてはいけない。
ナデナデ。ナデナデ。
「礼人さん……」
僕は猛獣では無いけれど、礼人さんが僕を慰めようと僕の頭を撫でてくれていた。
「クラスで決まったことに俺は口出しできないし助けてやることも出来ないけど、お前のステージはちゃんと見てやるからな」
「……え―。それはそれで、……恥ずかしいです」
「なに言ってんだ。他の奴らはカボチャだと思って、俺のためだけに仮装してると思えばいいだろ?」
「……う~」
「俺も見るよ!」
「ふわっ!? ち、千佳先輩……聞いて……」
「うん、聞いてた。歩君が恥ずかしくないように、俺もステージ下で盛り上げてあげるから。気を大きく持ってよ」
「そうだな、頑張れ。俺は千佳の隣で、お前をあざ笑うやつがいたらちゃんと威嚇しておいてやる」
「……ふえぇ」
「そうだね。頑張ってよ。剛先輩!」
「おう」
余りにも頼もしすぎる先輩方に、僕は笑顔を引きつらせるしか出来なかった……。
遅れてやって来た黒田先輩と白石先輩、それに桐ケ谷先輩が来た頃には僕の仮装担当の話題は終了していて、また各々が読書をしたりいちゃついたり(?)のいつもの雰囲気に戻っていた。
「あ……」
「ん? 今度はなんだ?」
唐突に、礼人さんに報告しなきゃならないことを思い出した。
「すみません。今度僕んちに来てくれることになってましたけど、さっきの……仮装のせいで出来なくなってしまいました」
「え?」
「……同じ仮装担当になった高橋君と練習しなくちゃならないので、学校に行くことになっちゃって」
「ああ……、そっか」
「はい。楽しみにしてたんですけど……」
「仕方ないな。……何時から行くことになってるんだ?」
「えっと、1時集合です。教室に」
「ふうん……。ま、頑張れ」
「はい……」
あ~、凹む。何でこうなっちゃうんだろうなあ、もう。
「そういえば、礼人さんはバレーですか?」
「俺? 不本意ながらサッカーだ」
「えっ! そうなんですか?」
あ~、ライバル増えそう。
でも、……キラキラしたかっこいい礼人さんが見られるんだよね。女子が群がるのを見るのは嫌だけど、カッコいい礼人さんを見れそうなことはすごく楽しみだ。
「俺のせいじゃないからな」
え?
心の中で勝手にいろんなことを思い描いて気持ちを乱高下させていたら、奥の方から黒田先輩の声が聞こえてきた。
「分かってるよ。誰もクロのせいだなんて思ってないから」
……?
どういうことだろ。黒田先輩のせいじゃない……?
「クロと俺同じクラスなんだよ。で、な。あいつ中学の時サッカーやってて結構すごかったんだ。それを知ってる女子がサッカーすべきだって騒いでさ、ついでになぜか俺まで巻き込まれちゃったんだよ」
そういえば、礼人さんも中学の時部活で色々あったって言ってたよな。
「もしかして礼人さんも昔サッカーやってたんですか?」
「いや。俺はテニスだ」
……テニス!
すごいっ! 絶対、絶対礼人さんに似合ってるよ!
グリグリ。
え?
「…………」
コツン。
余りにも似合い過ぎるテニスを礼人さんがやっていたって聞いて、思わず勝手にいろいろ想像していたら(多分顔はニヤけていたはずだ)礼人さんが僕の頭をグリグリとした。
そして礼人さんの顔を見て、そんな自分にちょっぴり後悔したんだ。
だって、見上げた礼人さんの表情は、ちょっぴり自嘲したような諦めたような、何とも言えない表情だったから……。
バカだ、僕。
礼人さんが過去のことを話してくれて、それにまだ囚われていることもちゃんと分かっていたのに。
しかも優しい礼人さんは僕の表情を見て、おそらく瞬時に僕の気持ちの変動に気が付いたんだろう。額を優しくコツンと叩いて、暗に"気にすんな"と言ってくれている。
「礼人さん!」
「うん?」
のんびりと返すその返事に、礼人さんの優しさが痛いほど伝わって堪らなくなった。
膝立ちになって、ギュウッと礼人さんを抱きしめた。
「え? あゆ……」
ギュウウウウッ。
何を言っていいのかなんて分からない。ごめんなさいだなんて、絶対ないし。今の僕の気持ちをどう表現したらいいのかも分からない。
だから、僕が。
僕の気持ちがちゃんと伝われば良いってそれだけを思って、僕は礼人さんの体を力いっぱい抱きしめた。礼人さんも僕の背中に腕を回してくれて、お互いギュウッと抱きしめあった。
僕の気持ちはちゃんと伝わっている? 礼人さんの気持ちも、少しは浮上してくれてる?
いろんなことを思いながらずっと黙って礼人さんを抱きしめ続けていたけど、そっと力を抜いて体を離した。顔を合わせた礼人さんの表情はさっきのソレとは違って、面はゆい表情をしている。
「気にさせて悪かったな」
さっきと違って照れくさそうな表情になってくれてるのはいいんだけど、それは違う!
僕はもう一度ギュウッと礼人さんを抱きしめた。
「違います。そうじゃないです。僕はもっと礼人さんのことを理解できるくらいになりたいんです。……僕まだガキで、頼りないどころか色々察することも出来ないんですけど……」
コツン。
礼人さんが僕の頭を軽く叩いた。
「え?」
「バーカ。誰もそんなの望んでないっての。歩は、そのポヨンとしたところがいいんだろ? 変に背伸びなんてするなよ」
「でも……」
「そーだよー。歩君には他のみんなに無いいいところがてんこ盛りなんだから、それ無くしちゃダメだからな!」
え?
あ!
わ、忘れてたけどここ部室だった……。皆さんいらっしゃったんですよねぇ。
恐る恐る顔を上げると千佳先輩だけじゃなくて、白石先輩達までもがこちらを見ていた。そしてみんな一様に、優しい笑顔だ。
ねえ、礼人さん。僕はまだ礼人さんの心の中にグイグイと入って行く勇気は無いけれど、そのうち礼人さんが抱えて重荷になっている気持ちを聞いてもいいですか?
本当の意味で、礼人さんを癒せる存在になりたいから。
僕は心の中でそうこっそり呟いて、礼人さんの掌をキュッと握った。
新入生歓迎スポーツ大会の種目の割り当てが決まったことで、僕らのクラスも自然とその準備態勢に入り、各々がチームごとに練習を始めた。
そんな中、僕と高橋君は仮装担当の演目を考えていた。
「聞いたところによると、アニメやアイドルの曲を流しながら同じように踊ったりするのが今までの主流らしいぞ」
「うん……。一から考えるよりもその方が簡単だよね」
「だよな。で、どうしようか? なんかおススメとか無いか?」
「opzとかは? キャンディクラッシックとか今流行ってるよね」
「……いいけど、それだと二人とも女装だぞ?」
「あー……、だね。それはヤだな」
「うーん」
「…………」
二人で必死で頭を働かせた。
イタい企画だから、せめてみんなが楽しんでくれないと恥ずかし過ぎて凹むに違いないし。それだけは出来れば避けたいんだ。
「あっ!」
「な、なに?」
「もふもふワンダー!」
「あぁーっ! うん! それいいよ!」
もふもふワンダーとは、今大流行のアニメだ。主人公圭一が飼っている子猫が、魔法で可愛い女の子になって繰り広げる不思議なラブコメで、子供たちどころか大人までもがハマるという一種の社会現象を引き起こしている。
「それなら、子猫の着ぐるみと圭一の学生服だけでオッケーだよね! エンディングのダンスもみんなでノレそうだし!」
「衣装の値段、ちょっと見てみようぜ。一応女子がなんとかするとは言ってくれたけど、そんなに高くなければどうせみんなで折半するわけだから買ってもいいよな」
そう言って、高橋君が値段を調べ始めた。
「二人分の衣装で二万くらいかあ。……1人頭、600円もかからないな。これならOKでそうだな」
「うん、そうだね。向坂さんたちに報告しておこうか。彼女たち、衣装は作ってあげるって言ってくれてたから」
「そうだな。……あ、いた。おーい、向坂ー」
高橋君に呼ばれて向坂さんがやって来た。
「なに、仮装何にするか決まったの?」
「ああ。でさ、調べたら買ってもいいんじゃないかなーと思ってさ」
「へえ? 演目は?」
「もふもふワンダーだよ。コスチュームは圭一と子猫ので」
「圭一と……、子猫ねぇ」
向坂さんは小首を傾げて自分でもスマホを取り出した。そして何やら考えた挙句、「じゃあ、こっちで手配してあげるから。後は任せてダンスをしっかり覚えてよ」と言った。
「……分かった」
渋々答える僕らに向坂さんもお気の毒、と言ったように笑った。
「あ、そうそう念のため。圭一担当は、どっち?」
「俺。鹿倉より俺の方が背、高いだろ?」
背が低いってホント損だよね。その理由を言われたら、全力で否定できなくなるもん。
あ~あ。
僕のゲンナリした表情を見たはずなのに、向坂さんまで笑って頷いている。
「あはは。だよね。じゃあ二人ともサイズ一応教えて。高橋はMでいいかな? 鹿倉君は……」
僕は高橋君の学生服と違って子猫の着ぐるみだからそんなにきっちり測る必要は無いと思うんだけど、せっかく買って無駄になると困るからと言われて、簡単にだけどメジャーで測られた。
でもまあ、女装でないだけましだよね。スポーツ大会は来週の金曜日だから、それまでには何とかダンスも覚えられるだろうし。
とりあえず高橋君と話し合って、エンディングのダンスはそれぞれでチェックして練習しておくことに決まった。そして日曜日までにはある程度ものにしておいて、後は適当に放課後に合わせるなら合わせようという事になったんだ。
放課後、加賀くんがヨッと荷物を抱えて席を立った。それとほぼ同時に、スポーツ大会で同じくバレーに出る木島君たちが加賀くんの下に集まって来た。
「加賀―、練習行こうぜー」
「おう。松山たちも、ビシバシ鍛えてやっからな」
「うげー、いいじゃん俺らは。足引っ張らないように頑張るけど、加賀と白井がいるんだからさー」
「なに言ってんだよ」
「それより、部活は遅れても大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫。クラスの練習があるなら、三、四十分は遅れてもいいって言ってたから、な?」
「うん」
いいなあ、加賀くん。運動音痴の僕から見ると、本当スポーツマンって憧れるよ。
「じゃあな、歩。お前も頑張れよ」
「ああ、鹿倉は仮装担当だったな。頑張れー」
「……アハハ。じゃあね」
ドヤドヤと出ていくみんなに手を振って見送って、僕も同好会に行こうと席を立った。
……そう言えば先輩たちはみんな、バレーに出たりサッカーに出たりするって言ってたよな。
僕はちょっと考えた後、いつものコースを変えてグラウンドの方に足を向けてみた。もしかしたら礼人さんも加賀くんたちみたいに練習してるかもしれないって思ったから。
グラウンドの脇の方に、それぞれクラスで練習をしているらしきグループが幾つかあった。
礼人さん、いないかなあ。
目を凝らして探していると、僕の位置よりも校門寄りの所で騒いでる女子がいた。もしかしてと視線を向けると、彼女らの視線のほぼ直線上に、礼人さんのさらさらなびくピンクバイオレットが目に飛び込んできた。
遠目でよく分からないけど、たぶん今すごいスピードでドリブルしているのは黒田先輩だ。礼人さんはその少し前を、同じようなスピードで走っている。途端に、女子の黄色い声援もヒートアップする。
「キャアアーッ! 黒田くーん!!」
「行け礼人―ーっ!」
黒田先輩が礼人さんにパスをした。それを受けた礼人さんは、ゴールの手前まで持って行ったあと他の誰かにパスをしてその人にシュートを任せた。……んだけど、それは入らずキーパーに弾かれてしまった。だけどそれをすかさず回り込んできた黒田先輩が思いっきり蹴って、ゴールを決めた。
凄いっ!
「キャアーー!! カッコイイ―黒田くーん!!」
「ヤバイ、ヤバイ、どうしよ、ヤバイよ!」
……うん。本当に……。
こんな遠くから見ていてもよくわかる。ハイタッチをした礼人さんと黒田先輩は、凄く活き活きしているよ。
もしかして黒田先輩も何か訳ありなのかな? だってあんなに活き活きしていて上手いのに、サッカー部に入らなくて読書同好会に入っているなんて不思議じゃないか。
「アレー? 歩君だぁ」
「……え?」
振り向くと、Tシャツ姿の千佳先輩と白石先輩が立っていた。
「お疲れ様です! バレーの練習ですか?」
「そ。でも、もう済んだからこれから同好会に行くところだよ」
「え? ……じゃあ」
もしかしたら礼人さんたちも、そろそろ終わるんだろうか。そう思って視線をグラウンドに向けると、つられるように白石先輩もグラウンドに視線を向けた。
「……やってるな」
「あー、ホントだ。クロったら、パワー全開だね」
「そうだな。……やっぱさすが礼人だな。しっかり陸についていってる」
「いいなぁ……」
純粋に、運動神経がよくてスポーツの出来る人がうらやましい僕は、無意識に本音がポロッと零れ落ちた。それに白石先輩と千佳先輩が、キョトンと二人で僕を見た。
「うん?」
「あ、いえあの。僕運動神経が皆無で、だから礼人さんや黒田先輩達みたいにかっこよく決められる人が純粋に羨ましいんです」
「そうだねー。そういや中学時代に二人とも随分活躍してたよな」
「……もったいなかったよな、礼人。変な妬みで追い出されたようなものだろ、あれ」
「うん」
千佳先輩たちの会話で、僕は礼人さんが話していた"いろいろあった"という言葉を思い出していた。
礼人さんのように外見も良くて運動神経も抜群で、そんでもってあんなに優しい人だからモテるのは当たり前のことなのに。羨ましいっていうそれだけで、嫌がらせをする人たちってなんなんだろう。
そんなに妬ましいんなら自分でももっと努力して、礼人さんに上回る何かを手に入れればよかったのに。
「……歩君?」
僕は知らず険しい顔つきになっていたみたいだ。白石先輩が心配そうに僕を覗き込んだ。
「あっ、大丈夫です。すみません。……なんか理不尽だなって思っちゃって……。礼人さんが自分から燥いだり騒いだりしてみんなに迷惑をかけたわけじゃないだろうに、それなのに単に羨ましいからって嫌がらせをするとか……、男らしくないですよ」
「……うん、僕もそう思う」
「だねー。でも、そういう奴ってウジャウジャいるよー」
「……そう、ですよね」
「……まあ今もそうだけど、それ以上にあの頃の礼人のモテ方は半端なかったから、本人もうんざりしてたようなんだよね。だけどね、歩君。礼人は運動神経が人並み外れていいからテニスも上手かったけど、別に礼人はテニスに命を懸けてたわけじゃないよ。そうだよね? シロ」
「うん……、そうだね」
……え?
どういうこと?
「おー、どうした? みんな揃ってんな」
「あ、礼人さん!」
遠くから礼人さんの声が飛んできた。振り返ると黒田先輩と一緒に、礼人さんがタオルで汗を拭きながらこちらの方に歩いてきていた。
「礼人たちも済んだんだね。これから同好会に行こうと思ってたんだけど」
「おう、行く行く」
千佳先輩の呼びかけで、僕らはそのままそろって同好会に行くことになった。さっき僕から離れたところで礼人さんたちを見ていた上級生の女子たちが、羨望の眼差しでこちらを見ているけどみんな素知らぬフリだ。
千佳先輩は黒田先輩や白石先輩の隣りに並び、僕らはその後から二人で並んで歩いた。
「さっき、みんなで何話してたんだ?」
「え? あ、えっと、実は礼人さんの中学時代の話を……」
自分のいないところで噂話みたいなことをされてちゃいい気はしないかもしれないけど、嘘があまり得意じゃない僕はそのまま正直に話した。不愉快になっちゃうかなとも思ったんだけど、礼人さんは「そっか」と言っただけであまり気にしてはいないようだった。
「……あの、聞いてもいいですか?」
「なんでも」
「……その、礼人さんテニスもすごく上手かったんですよね。正直どうなんですか? 今でも出来ればテニス部に入りたいってこと、あります?」
少し礼人さんに踏み込んでしまっている自覚はある。だけどそれでも礼人さんが理不尽な目に遭っていたことが(もしかしたら今もそうなのかもしれないし)僕はすごく悔しくて、だからさっきの千佳先輩の言葉がどうしても気になってしまっていた。
それは礼人さんにとってのテニスが、千佳先輩の言う通り本当に大したことじゃなければいいのにって、心のどこかで思っているからかもしれない。
ぽふっ。
礼人さんの温かく大きな掌が、僕の頭の上に優しく乗っかった。
「それは無いなー。……俺があの時テニス部に入ったのは、単に自分の条件に合った部活を選んだ結果だったから」
「……?」
どういう意味だろ。
「あの頃なー、俺んち両親が揉めててさ、離婚協議の真っ最中だったんだよ。家の居心地は最悪で、何でもいいから遅く家に帰るために体育会系の部活に入りたかったんだよ。それなら大会があったり色々忙しいから、部活の時間が遅くなることもあったりするだろ?」
ああ……、そういうことか。今のお母さんは再婚相手だって言ってたもんな。
「ついでに俺結構な人見知りだから、団体競技よりも個人で試合が出来るテニスがいいかなって思っちまったんだよ」
「礼人さん……」
明らかに失敗だったという表情の礼人さんの様子からして、千佳先輩が言ったようにテニスに特に未練が無いというのは間違いないだろうと思えた。
「だからな、」
礼人さんはそう話しかけて、言葉を区切り僕の顔を見た。
「今の状況が退屈だとか体育会系の部活に戻りたいだとか、そんな風には思わないぞ」
「礼人さん……、はい」
そっか、そうなんだ……。礼人さんがそう思ってるんなら、いいかな。
「なあ、歩」
「はい」
「お前、俺が出る試合見に来れるか?」
「はい! 試合時間が分かったらクラスの試合を抜け出してでも見に行きます!」
僕が勢い込んでそう言うと、礼人さんは眉を下げて笑った。
「いや、うれしいけどそれは駄目だろう」
「大丈夫です。ちょこっとだけでも抜け出して見に行きます。僕小さいから、多分目立ちません」
「そうか。じゃあ、クロと二人で勝ちに行くから期待してろよ」
「……はい!」
「え~、俺らのクラスには手加減してよぉ?」
「するかよ、バカ。水はバレーだろ? 手加減なんてしねーよ」
僕らの話に割り込んできた千佳先輩に、すかさず黒田先輩が反論する。
……てか、白石先輩には手加減ありなんだ。さすがだな、黒田先輩。
「それにしても、どういう風の吹き回し? 礼人、こういうのにあんまり本気になったりしなかったでしょ」
心底不思議そうに、千佳先輩が礼人さんに聞いた。礼人さんはそれにクスリと笑って僕を見て、それから口を開いた。
「そのつもりだったんだけどなー。なんだろ、やっぱ好きな奴には出来るだけかっこいいとこ見てもらいたいって感情になっちまうみたいだな」
え?
「な?」
「……礼人、さん」
目立ちたくなんかないって言ってたのに。僕がその気持ちを変えさせたの?
「僕……、頑張って絶対応援に行きます」
「おう」
ポンポンと頭を撫でるように叩かれて、涙が出そうになる。
「よっしゃー、じゃあ俺も歩君の隣を陣取って応援したげるね!」
燥ぐように元気に話す千佳先輩が、この場の色を変えてくれた。
各々のクラスでスポーツ大会の練習はありはするけど、それだからと言って部活が疎かになるわけでは無いので普段とあまり変わらない日々が過ぎて行った。
僕と高橋君も演目は決まったし、家でダンスの練習はちゃんとしていたのでとりあえず今日二人でダンスを合わせて、仮装担当の練習は終わることになっていた。
衣装の方は水曜日までには学校に持ってこれるそうなので、それから試着をして、最終的にサイズを合わせる事になっている。
高橋君との待ち合わせは一時なので、十二時半には家を出た。学校近くをテクテク歩いていると、前方を、あまりにも見覚えのある人が歩いていた。
「……え?」
礼人……さん。
どうしたんだろ。今日は日曜日なのに……。あ、もしかして礼人さんのクラスもサッカーの練習が入ってたりするんだろうか。
「礼人さん!」
呼びかけてタタッと走り寄ると、礼人さんがくるんと振り返った。
「よお。……会っちまったな」
「……え?」
……もしかして、僕に会いたくなかった……の?
僕はシュンと萎えていく気持ちになったのに、礼人さんは笑って頭を掻いていた。
「突然歩の教室に現れて、驚かそうと思ってたんだけどな」
「えっ!?」
萎えるどころか焦った。
なに、それ。
まさか僕のダンスの練習を見に来たってこと?
うわー、止めてよそれ。
恥ずかし過ぎるよー!
「れ、礼人さん……っ、あの、まさか僕の練習を見に来たんですか?」
「ああ」
やっぱりーーーー!
「礼人さん、僕、凄く運動音痴なんですよ!」
「そうらしいな。聞いてるぞ」
「だっ……、だからっ、その……」
「なんだ? 恥ずかしいから見に来るなってか?」
「……う。はい」
「バーカ。んなこと言ってて本番どうすんだよ。ほら、ごたごた言ってないで、行くぞ」
自然と歩く速度の遅くなる僕を、礼人さんが引っ張る形で教室まで進む。二人揃って教室に現れた僕らを、先に来ていた高橋君がびっくりしてガタッと席を立った。
「……え? は、ええっ!?」
「よお、邪魔するぞ」
「……遅くなってごめんね」
「え? なっ、ええっ!?」
……どうやら高橋君は、突然現れた礼人さんにビビるというか戸惑うというか……、状況をまだつかめずにいるみたいだ。わかる、そうなるよね。
「えーっと、あの紹介するね。僕と一緒に仮装担当になった高橋君。……で、こちらは僕が入っている同好会の先輩で紫藤礼人さん」
「よっしくー」
なぜだか礼人さんは、普段以上にチャラく挨拶をした。高橋君が固まってるから緊張をほぐそうとしたのかな……?
「あ、こっこちらこそよろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げる高橋君に、礼人さんは明るく笑って近くの椅子に腰かけた。
「飛び入りで悪いな。俺のことは気にしないで練習しろよ。ほら、歩。進めてやれ」
「はい。……えっと高橋君、じゃあ合わせようか」
「……うん、わかった」
礼人さんを気にして僕に色々聞きたそうな顔をしてはいるけれど、ここでそれを問いただす度胸はやっぱり無いようなので、僕も気が付かないふりをして先を進めることにした。
最初はいきなり音に合わせるのではなく、(恥ずかしいから)小声で歌いながら合わせようということになった。
「じゃあ、行くよ。……三、四」
「モッフモッフ、モフモフワンダー……」
小声で二人で歌いながらダンスをしていると、礼人さんがパンパンと手を叩きながら立ち上がった。
「はーい、ちょっと待てー」
「は……? え?」
戸惑って動きを止める僕らに、礼人さんが近づいてきた。
「動き小さすぎないか? 二人とも、恥ずかしいのが先に立ってんだろ?」
「…………」
「…………」
「まあ、気持ちは分かるけどさ。こういう時は開き直って踊り切った方が、却って恥ずかしさも吹き飛ぶもんだぞ? 見てる方も一緒に楽しむから可哀そうにって思われることもないし、白けられることもない。それに……、千佳は最強だぞ?」
「千佳先輩……?」
「ああ。言ってたろ? 下で盛り上げてやるって。あいつの扇動効果はけた外れだからな。大船に乗った気でいて大丈夫だ」
「は……あ」
「千佳先輩……って、工藤千佳先輩? ええーーーーっ!?」
目を真ん丸にして僕を見る高橋君は、何でお前がそんなすごい人たちと知り合ってるんだーという驚愕を露にした表情だった。
……うん、だからね、部活の先輩たちなんだよ。
高橋君の戸惑いはとりあえず横に置いておいて、僕らは礼人さんに励まされ叱咤されてダンスをきっちり(?)仕上げた。
パチパチパチパチー。
「よく頑張ったな―。いいんじゃないか? これだけ振り切ってりゃ、みんな楽しんでくれるぞ」
「はい! ありがとうございました」
「ありがとうございます!」
最初礼人さんに気圧されていた高橋君だったけど、今ではまるで礼人さんをダンスの師匠だとでも思っているかのような表情だ。
礼人さんのことを勘違いしている人たちが多い中で、こうやって本当の礼人さんを知ってくれる人が現れてくれるのは素直にうれしい。
三人そろって教室を出た後、高橋君とは校門でそのまま別れた。
「さて、と。四時前かー。どうする歩? 時間はまだ大丈夫だろ?」
「はい! 大丈夫ですっ」
「……んー、じゃあ今度は俺んち来るか? 帰りは送るぞ」
「はいっ。……て、え? い、いいんですか?」
「おう。寄ってけ」
「は、はいっ」
うわー、うわー!
礼人さんのお家って!
義理のお母さんだって言ってたよな。しっかり挨拶とかして、礼人さんの印象を下げないようにしなきゃ!
何か手土産持ってった方がいいのかな?
あ、でも友達の家に行くときにわざわざ持ってったりしないか。それに気を遣い過ぎて……とか言ってたから、逆にあまり気にしない方がいいのかな?
「こーら、なにグルグル考えてるんだ―?」
「え? あ、何でもないですっ! 緊張するけど楽しみにしてます!」
礼人さんは一瞬目を丸くしてそしてプハッと笑った。
「大丈夫だよ。あの人……義母さんは、俺が友達とか連れてくるとすごくうれしいみたいなんだ。いい人なんだよ、本当に」
「礼人さん……」
そうか。そうなんだ。
僕にはハッキリとは分からないけど、きっと新しく他人を家族として迎え入れるのはやっぱりいろんな思いがあるんだろうな。しかも礼人さん、自分のことを人見知りだって言ってたし。……繊細なところがあるもんな。
「じゃあ、僕元気よく挨拶します!」
「そうしてくれ」
ということで、今度は礼人さんがいつも普通に通う通学路から帰ることになった。
しばらく雑談をしながら歩いていると、道の向こうからサッカーボールを小脇に抱えた黒田先輩と白石先輩がこちらに向かって歩いてきていた。
「あれ?」
向こうもこちらに気づいて、驚いた顔をしている。
「よー! どこ行くんだ?」
「小浜公園だ! ちょっと体動かそうかってことになって。お前らも来るか?」
「おう! ……と、いいか? 歩」
「はい。もちろんです」
礼人さんのお家に行くのはまた今度でもいいよね。
「よし、じゃあ行こう」
礼人さんはスッと僕の手を取って、黒田先輩達の元へと走り出した。
公園は日曜のせいもあってか、この時間でも結構な人出だ。黒田先輩はサッカーボールを下に置いて、何やら考えている。
「バスケのゴールが空いてる。二対二でもするか?」
「えっ?」
どう見ても一人だけ運動音痴なこの状況で、スポーツ万能なこの人たちと一緒にプレーをするのはかなり気が引ける。
引き気味な僕に、礼人さんが僕の頭に掌を乗っけてグラグラと揺らした。
「遊びだ、遊び。この狭い枠内でシュート目指してわちゃわちゃすればいいんだから。ドジしたって誰も怒んねーよ」
「そうだよ鹿倉君。俺もそれほどスポーツは得意じゃないけど、この二人とのゲームは結構楽しいと思うよ」
「は……、はい。分かりました、頑張りますっ」
「だーから、頑張らなくていいんだってばよ」
僕の頭から手を離して、礼人さんがスッと背筋を伸ばした。
「いこーぜ」
夕陽を背に浴びて、ピンクバイオレットの髪がキラキラ光る。影を帯びた端正な顔が、一際かっこよく僕の目に飛び込んできた。
この、どう見ても僕と不釣り合いにカッコいいこの人が、僕の彼……、彼氏なんだよな。
改めてそう思って顔を真っ赤にさせていると、礼人さんがじんわりと微笑んだ。ああ、恥ずかしい。
いろんな意味でドキドキしながら僕も参加だ。
コイントスで攻撃権を決めて、最初は黒田先輩がボールを取った。
白石先輩にパスを回して、ゴール近くに走っていく。ボールを受け取った白石先輩はドリブルしながら進んでいき、黒田先輩にパスをしたところを横から礼人さんが素早くカットしボールを奪った。
「くそ―っ、礼人、お前お遊びじゃなかったのかよ」
「遊びだよ。けどクロの顔見てたら、ついついな―」
笑いながら礼人さんがアーク外へと歩いていく。
「行くぞ。ホラ、歩!」
「うわっ、はっはい!」
ポーンと弧を描くように軽く、僕でも簡単に受け止められそうなボールを礼人さんが放ってくれた。
一瞬わたわたしたけれど、「近くまで行ってシュートしてみろ!」と礼人さんが言ったので、ボールを突きながらもたもたとバスケットゴールへと近づいた。
ゴール下には黒田先輩がいたけど、思い切って「エイッ!」とシュート。
……したんだけど、すんなり入ってくれずにリングにガツンとぶつかって弾かれてしまった。礼人さんがそれをすかさずフォローしようとしてくれたのだけど、一瞬早く黒田先輩に奪われてしまった。
「テメー、クロ。せっかくいいとこ見せれるところだったのに、少しは遠慮しろよ」
「それはこっちのセリフだろ。さっきは人の見せ場奪ったくせに」
「いいじゃんお前は。シロは十分クロのかっこよさ知り尽くしてるだろ」
「あー、始まった」
「え?」
「なんだかんだ言ってあの二人、気が合うというかムキになるというか。楽しんでるんだよね、ああやって」
ああ、うん。
二人とも言い合ってるように見えるけど、表情はとても楽しそうだ。
黒田先輩は否定しそうだけど、何となく言葉でじゃれ合ってるっていうのがあってるかもしれない。
「それにしても……、たいていは礼人の方がもっと余裕で陸のことを揶揄うのが常なんだけど……。今日は歩君がいるから、礼人までムキになっちゃってるみたいだね」
「え?」
白石先輩の言葉に、礼人さんの言葉を思い出して顔が熱くなった。
目立つのは嫌だけど、僕がいるから本気になりたいってそう言っていた礼人さんの言葉……。
「うぉーい、歩、シロ。続き行くぞー」
「はーい」
「わかった」
白石先輩と戻って、また四人でわちゃわちゃとボールを奪い合う。黒田先輩はすごく上手いにも関わらず、僕にはかなり手を抜いていて楽しませようと思ってくれているようだった。ただ礼人さんがボールを持つと豹変して、凄く執拗にボールを奪いに行っていた。もちろん逆も然りだけど。
礼人さんがピポッドをしながら上手く黒田先輩をかわして、僕にパスをくれた。
「イケ、シュートだ!」
「はい!」
かなりの近くからシュートを放った。
パスン。
間が良かったのかフォームが良かったのか、僕の放ったボールが綺麗にゴールへと入っていった。
「おー、ヤッター」
シュートが決まってすぐ、礼人さんが僕の傍に寄ってきてスッと片手を上げた。
あ、ハイタッチ!
憧れてたんだ、これ。グラウンドで黒田先輩とハイタッチしているところを見た時から。
僕はドキドキしながら右手を上げて、パシンと礼人さんと掌を合わせた。
「綺麗なシュートだったな―。歩はもうちょっと自分に自信持つといいかもな」
「はい」
「いいフォームだったよな。名残惜しいけどもうそろそろ引き上げるか。少し暗くなってきたし」
「そうだな……。もう陽も落ちかけてるか。クロたちはこれからどうするんだ?」
「ん? 明日は学校だからな、そのまま家に帰るよ。紫藤らも帰るんだろ?」
「……ああ、その方が良いかもな。歩、送ってくよ」
「……はい」
先輩達とバスケをしたのは楽しかったけど、礼人さんとのハイタッチも嬉しかったけど……。礼人さんのお家、やっぱり行ってみたかったかな……。
名残惜しい気持ちでいっぱいだったけど、ここでわがままを言うわけにはいかないから、僕もおとなしく白石先輩たちに挨拶をして礼人さんの後に続いた。
「なあ、歩―?」
「はい」
「アイスクリームでも食べてくか?」
「え?」
もしかしたら僕がすぐに帰りたくないって思ってる気持ちに気が付いたんだろうか?
ニッと笑って、『行くよな?』といった表情で僕を見ている。
「はい、行きます!」
「よーし、じゃあついてこい。ちょっと遠回りするぞ」
「はいっ」
礼人さんはさっき通った道とは別の方へと進んでいき、ちょっとした商店街へと入って行った。
その一角に、見慣れた某大手チェーンのアイスクリームショップが見えて来た。店内は日曜だけあって、結構な人だ。
僕らが入ると、振り返った客がびっくりしたように礼人さんの顔を二度見していく。そして女の子たちは嬉しそうに頬を赤くして、コソコソと内緒話をした後キャーキャーとはしゃいでいた。
気持ちはわかるんだけどね……。
礼人さん騒がれるのってあんまり好きじゃないんだよね。嫌な気持ちになってなきゃいいけど……。
「どうした、歩?」
「あ、いえっ、何でもないです。えっと……、礼人さんはどれにします?」
「うん? 俺か? 俺はシンプルにチョコとか好きなんだよな。あと、クッキークリームとか……、でもなあ。ダブルにするにしても似た感じだから一つは柑橘系も欲しいよな……」
「クッキークリーム! 僕も好きです。……んー、決めました! 僕、クッキークリームにラズベリーチーズにします」
「じゃあ俺はチョコにバニラレモンにするわ」
二人でダブルのコーンを注文して、そのままお店を出た。その時礼人さんの後ろ姿を、お店にいるほとんどの女の人たちが目で追っていた。
どこにいても目立つ人だ。
きっとひいき目なんかじゃなく、トップアイドルと言われるような人達よりもずっとずっと綺麗でかっこよくて凄いオーラを放っている。そんなすごい人とこうやって当たり前のように一緒にいられることが嬉しいと同時に、やっぱり今でもすごく不思議に思えてならない。
礼人さんとアイスを食べながら元来た道を戻って行く。そして公園の入り口傍にあるベンチに座った。
「これ、食べたら送ってくな」
「……はい」
贅沢な時間をもらえてるってことは分かってるんだ。
元々約束していたとはいえ、僕の都合でそれは反故にされたはずだった。それなのに礼人さんがひょっこり現れてくれて、こうやって少ない時間とはいえ二人っきりの時間を与えてもらっている。
だけど……。
礼人さんの特別な存在になれてるかもって思えるようになってから、僕の中で、『もっと、もっと』って思いが膨らんでしまっていた。
「……参ったなぁ」
礼人さんが空いている手で僕の肩を引き寄せた。
トン、と礼人さんの腕の中に引き寄せられて心臓がトクンと大きく響いた。
……み、密着!
密着しているよ、僕……!
どっ、どうしよう……!!
アイスをほぼ食べ終わり、コーンがあと少しになっているので溶けて零れてくる心配はもうないんだけど、もちろんそんなことが問題なんじゃない! 礼人さんの温かい腕の中が嬉しくて恥ずかしくて、僕の顔に熱が集まって顔が熱い!!
「そんな顔されてると、帰したくなくなるんだけど」
「……礼人さん」
困ったように優しく微笑まれて、僕の心臓の音がどんどん激しくなった。
「……鹿倉君?」
……え?
不思議そうに窺う小さな声が斜め背後から聞こえて来た。びっくりして振り向くと、僕らをおずおずと窺う加山さんがいた。
加山さん!?
何で? どうしてここに加山さんがいるの!?
それより!
そんなことより……!
……どっ、どうしよう! 礼人さんとくっ付いてるところを見られちゃった!
僕なんかはどう言われてもいいけど、礼人さんは学校では知らない人がいないと断言できるほど有名な人だ。それなのに、男でこんなちんけな僕と付き合っているだなんてみんなに知られたら、きっと礼人さんの迷惑になる。
僕は慌てて礼人さんから離れて加山さんに言い訳をしようと思ったんだけど、それを察したはずなのになぜか礼人さんは逆に手の力を強めて僕から離れようとはしなかった。
「……礼人さん?」
僕の問いかけにニコリと笑って、礼人さんは加山さんを見た。
「誰? 歩の知り合い?」
礼人さんの表情は威嚇するでもなく警戒しているふうでもなく、いたって普通の表情だ。話しかけられた加山さんは首まで真っ赤になって、コクコクと頷いている。
そしてなぜだか目を潤ませるくらい感激した表情で僕と礼人さんを交互に見ては、フルフルと嬉しそうに体を震わせている。
……?
「あの、私……、鹿倉君と同級生の加山凛です」
「そう」
焦る僕を余所に、なぜだか礼人さんは平然としているし……、加山さんなんて礼人さんを目の前にして感激に打ち震えているといった感じだ。
……加山さん、男同士のこの密着具合を変に思わないんだろうか……。それとも仲のいい友達同士って、こんなもの……?
いやいや、女子じゃないんだから! てか女子でもこの体勢は不自然じゃないの?
「あの……、鹿倉君」
「へ?」
グルグル考え込んでいる時に突然加山さんに話しかけられて、僕は素っ頓狂な声を出してしまった。
「突然ごめんね? もしかしてだけどさ、その……鹿倉君と紫藤先輩って……」
言いにくそうに問いかける加山さんに、僕の顔面からスッと血の気が引いた。
やっぱり、やっぱり気づかれてるんじゃないか! どうしよう、どうにかして誤魔化さないと礼人さんに迷惑が……!
「あ、ゴメン! そうじゃないのっ。私軽蔑とか揶揄う気なんて無いからね! そうじゃなくて、頑張って! てか、密かに応援するから気を大きく持って!」
「……え、は?」
……そう言えば加山さん、さっきからキラキラした表情だよな。それも礼人さんだけに向けてるというよりは、僕も合わせてセットで感激してるって感じだし……。
「そっか。じゃあ、内緒にしていてくれる? ……出来れば歩とのことは、誰にも邪魔されたくないんだ」
「はい。大丈夫です。……きっとバレちゃったら多分、鹿倉君が女子からかなり恨まれると思うし、邪魔が入っちゃいそうですものね」
「加山さん……」
なんて人格者なんだ! いくら礼人さんに憧れてるからって、こんな大人な対応が出来るなんて!
「……歩」
「はい。あ、僕からもお礼を言わなきゃですね! 加山さんありがとう」
「……くくっ」
へ?
キョトンとする僕に、笑う礼人さん。その横で加山さんも苦笑いをしている。
「……紫藤先輩は気づいちゃってますね」
「まあな。……だいぶ前にそんな方々と遭遇したこともあるしな」
……??
「歩、この人はな」
「はい」
「ふの付く女子なんだよ」
「ふ?」
ますますキョトンとする僕に、加山さんと礼人さんは楽しそうに笑った。
人見知りだって言っていた礼人さんだけど、和やかに加山さんと話をしている。"ふの付く女子"の意味が未だに分からない僕だけが頭をグルグルとさせていた。
「さて、歩。そろそろ送ってく。きみも送るよ。どっち?」
「あ、私はこっから五分もかからないところのおばあちゃんちに行くんで、大丈夫です」
「おばあちゃんち?」
「はい。……え~と、あれ。あの先にあるクリーム色の二階建てのお家です」
「……ああ、あれか。じゃあ、気を付けてな」
「はいっ。あの、邪魔しちゃってごめんなさいっ」
なんとも言えないうれしそーな笑顔で言われて、僕と礼人さんは微妙な笑顔を返した。
手を振り去っていく加山さんを見送って、僕らも帰路に就いた。
「僕……、加山さんは礼人さんのことが好きなんだとばかり思ってましたけど、なんか違うんですね。憧れてる……ってだけだったのかな?」
「さあ……、どうかな」
礼人さんは苦笑して僕を見て、そして言葉を続けた。
「どっちにしても、歩の味方になってくれるみたいだから構わないよ」
「あ、それ!」
「え?」
「"ふの付く女子"って何ですか? 僕さっぱり意味が分からないんですけど」
「あー……」
ん?
困ってるような可笑しさをかみ殺しているような、なんとも微妙な表情だ。
「あの子はな……、んー、ようするに男同士がこうやって付き合ってたりいちゃついてたりするのを見たり妄想するのが好きな子なんだよ」
はあっ!?
ええっ!?
「な……、何ですかそれ」
「ま、そういう趣味なんだろ。……あんまり考えすぎなくていいよ。どういう趣味であれ、加山がいい子だってことは確かな事だろ?」
あ……。
「はい! 僕らのことも受け入れてくれましたし、それに加山さんは、普段から明るくてとても感じのいい人です」
「そうか、それは良かった」
「はい」
僕が笑って頷くと、礼人さんが頭をぽふんとひと撫でして微笑み返した。
だんだんと薄暗くなり風も少し冷えて来たけれど、僕の頬はほんのりと温かかった。
加山さんは僕と礼人さんの味方だと言ってくれてたけど、ちょっぴり緊張はしてたんだ。どんな顔で会えばいいのかなとか。揶揄われちゃうのかなとか。だけど、学校で会った加山さんはいつもと何にも変わることはなくて、特に礼人さんのことを振ってくることも無かった。
そして水曜日。登校するとすぐ、衣装が出来上がったと言って向坂さんが僕と高橋君を呼んだ。
「……え?」
「なにコレ。注文のと違うじゃないか」
広げられた衣装を見て僕らは絶句した。
だって……。僕らが指定したのは圭一の学生服に子猫の着ぐるみだったはずだ。それなのに、目の前にある衣装は派手な王子様っぽい圭一の衣装に、子猫のミミーが女の子に変身した時に来ているひらひらレースのワンピースだ。……丈も短い。
「かわいいでしょー、ほらぁ」
絶句する僕を余所に、向坂さんたちは嬉しそうに僕に衣装をあてがった。
「……て! ちょっと待ってよ! なんでこんなことになってるの? 僕は子猫の着ぐるみだって言ったよね! それにこれじゃあ、六百円で収まらなかったんじゃないの?」
「あ、大丈夫。圭一の衣装は確かに高かったけど、ミミーのこれは手作りだから、却って安くついたよ。私たち、手芸部なんだー」
ちっとも悪びれる様子の無い向坂さんにくらくらする。話もちっとも噛み合っていない。
「鹿倉……」
気の毒にと言った表情で高橋君が僕を見下ろした。
いいよね、高橋君は。……王子様の衣装だし、きっとかっこよくなるよ。
それなのにっ、それなのに何で僕だけ女装だなんてことになってるの!? 理不尽すぎるっ!
「お家の毛布で代用する……」
「え?」
なに言ってんのって顔で向坂さんと栗田さんが僕を見た。
「今からじゃ通販だって間に合わないでしょ? だから毛布で包まって猫ってことにするから!」
「なに言ってんのよ! 駄々こねないでよっ」
「駄々ってなんだよ! もとはと言えば向坂さんが悪いんじゃないか! だまし討ちだよこんなの!」
さんざんさんざんごねた。僕の中ではこれ以上ごねれないんじゃないかと言うくらいにごねた。
……んだけど、理不尽にも僕の方がみんなに説得され、結局ミミーの女装をする羽目になってしまった。
「……気の毒に」
「ひでーよな、向坂の奴。あれ絶対確信犯だろ」
皆に責められ宥められて、仕方なく僕はミミーの衣装を試着した。向坂さんたちに初めに寸法を測られていたこともあって、残念なことに何の手直しもせずに着ることが出来るという最悪の状態だった。
……小さすぎて着れないって状態だったらよかったのに!
打ちひしがれる僕に、加賀くんと加山さんが一緒になって怒ってくれた。怒ってくれたけど、だからと言って決まってしまったことが覆ることも無く、僕はやっぱりひたすら落ち込むことしか出来なかった。
「はう……」
放課後、みんなと一緒にバレーの練習に向かう加賀くんを見送って、またため息を吐いた。
「もう、ヤだなー。まだ落ち込んでるの? これから同好会でしょ? ……先輩に話して慰めて貰ったらいいよ」
「えっ? ……言いたくないよ」
「何でよ? シドウ先輩、優しいから抱きしめて慰めてくれそうじゃない……! あぁ~、想像しただけで美味しすぎてたまらないわ!」
「…………」
加山さんってこんな人だったっけ? ……礼人さんが言っていた"ふのつく女子"って、こういうことなのか。
だけど律義に礼人さんの名前だけは小さな声で話してくれているところは、加山さんの優しいところだ。
「ねえ、加山さん」
「なあに?」
「加山さんは……、その、レイトサンのこと好きなんじゃなかったの?」
「えっ? ああ、うん。好き好き。だってあんなキレイな男の人、めったにいないじゃない! 個人の好みかもしれないけど、同好会のメンバーの中でもダントツだと思うし! その、その綺麗な人がさ……!」
加山さんはそこまで言って、話を区切りキラキラした瞳で僕を見つめた。
……?
「ヤだー、もうっ!!」
バシバシ!
「ちょっ、痛いよ加山さん」
「鹿倉君!」
「え? な、なに?」
加山さんは僕をぐっと引っ張り、僕の耳元に手を添えて内緒話をする形をとった。
「紫藤先輩とさ、進展とかあったら教えてね! 楽しみにしてるからっ」
「ええっ?」
内緒話で何を言うかと思ったら! さっきの好きって何だったの? その感じは恋愛対象のそれじゃないよね!
「とにかく、私は鹿倉君の味方だからね。気を大きく持って、今日もしっかり甘えておいでよ」
「ええっと……」
なんて返事をしたらいいんだろう……。
僕がアウアウしている内に、別の女子が加山さんを呼びに来た。
「凛―、ドッジボールしに行くよー」
「あ、分かったー。じゃあね、鹿倉君。しっかり甘えて元気もらっといで!」
「う、……うん。加山さんも頑張って」
「オッケー。じゃね」
……なんというか。明るくハキハキとした加山さんの意外な一面だ。
正直驚いたけど、あの加山さんが味方になってくれたのはやっぱり嬉しかった。
部室に向かって歩いていると顧問の水樹先生が前を歩くのが見えたので、少し速足で近づいて挨拶をした。
「水樹先生、こんにちは。久しぶりですね」
「やあ、いろいろと忙しくてね。……て、あれ? そういえば鹿倉君早いな。君たちのクラスは練習はしないのか?」
不思議そうに聞かれてたじろいだけど、仮装担当になってしまったと伝えると、「それはそれで大変だな」と労ってくれた。
大変……。本当にそうだ。
僕はまた、性懲りもなく女装しなければいけないことを思い出して落ち込んでしまった。
「どうかしたか? なんだか元気が無いな」
「あっ……、はい。仮装担当で……」
「ん?」
「……仮装担当で子猫の着ぐるみを着るはずが、女子の策略で女装することになっちゃって……」
「――ああ。……そっか、それは……」
苦笑して僕を見る先生に何にも言えなくて、しばらく黙って二人で部室へと向かう。和風の建物が見えてきたところで、先生がまた口を開いた。
「なあ、鹿倉君」
「……はい」
「――まあ、なんだ。やらなきゃならない事ならさ、学生時代のバカバカしい経験ってことで、後々の笑い話にでもするくらいのつもりで割り切っちまったらいいよ」
「先生……」
「そうは言ってもって感じだな。だけどさ、俺くらいの歳になると分かってくるものだぞ? 学生時代のこういう思い出が、キラキラ輝く大切なものになっていくんだってことがさ」
水樹先生は優しく笑って僕の頭を撫でてくれた。
「先生……。それ、水樹先生の経験談ですか?」
「ああ、もちろんだよ。……たまにさ、フッと思い出して笑っちまうのは、やっぱりそういう馬鹿馬鹿しいことだったりするもんだ」
「……はい」
居心地の良い人だな……。あ、"人"じゃなくて先生だね。
優しい先生のおかげで、気持ちを少しだけ浮上させることが出来た。そんな僕の表情を見て、水樹先生がまた頭をポンポンと撫でてくれた。
「あー! 涼さん! 浮気しちゃダメだよー」
「え?」
「は?」
驚いて振り向いた僕らのかなりの後ろを、先輩達がこちらに向かって歩いていた。
「なに言ってんだ、千佳は」
笑いながらそう言って、先生は僕の頭をもう一撫でして手を離した。
「まあ、クロや剛先輩と違って、要さんも礼人も変な嫉妬はしないだろーけどさ」
へえ……?
確かに黒田先輩も東郷先輩も独占欲強いよな。初めて僕が同好会に入った時、結構二人には警戒されていた記憶があるよ。
「だけど珍しい組み合わせではあるよな。……久しぶりですね涼さん」
「ああ、たまには顧問として参加もしないとな」
立ち止まってる僕らに先輩方が少し速足で近づいてきた。もちろん礼人さんも同様で、僕の隣にやってきてつむじをフニフニと指で弄んだ。そしてその手をするりと下して、クッと腕を引き寄せる。
ま、また密着してるっ!
……嬉しいけどドキドキするよ。
チラリと礼人さんを見上げたら、パチッと目が合って優しく微笑まれた。
ギュムッ。突然タガが外れた僕は、礼人さんの腕にしがみついた。
「え……?」
ギュムムムムッ。
「どうした……? 歩?」
ポンポンと優しく背中を叩かれたけど、僕はどうしても礼人さんから離れたくなかった。礼人さんの微笑みが呼び水となって、必死で堪えていた甘えたいという僕の感情を抑えきれなくなったんだ。
しがみ付いて離そうとしない僕に、礼人さんはゆっくりと優しくギュッと抱きしめ返してくれた。
「歩……」
「…………」
「すごくうれしいけど、一応外だから。部室も近いから、中に入ろうか」
「……あっ! うわわ、すみません!」
礼人さんの一言でハッと我に返った。そうだよ、人気が無くてもここは校内だ。誰かに見つかったら礼人さんに迷惑だ!
僕は、焦って離れようと飛びのいた。
「そこまで離れなくてもいいだろ?」
可笑しそうに笑った礼人さんは僕の腕をクイッと引っ張った。そしてそのまま歩き出す。
「……あ、あの」
「うん?」
のんびりとした口調で返事をし、僕を見た後ニヤリと笑った。そして猫のように目を細める。
うわっ、うわっ、うわっ!
初めて見る……、ううん。正確には、初めて僕に向ける礼人さんの表情だ。先輩達を揶揄う時に、たまに見せる礼人さんの……。
「引率。迷子になったら困るだろ?」
「…………」
だけど。
声だけは、僕が初めて聞く礼人さんの声だった。
甘く優しくて、愛しくて仕方が無いと言った……そんな蕩けてしまいそうな礼人さんの、初めて僕が聞く声だった。
部室に入るなり、いつもの本棚が添えられている部屋では無くて、礼人さんは奥の部屋に僕を引っ張っていった。
「ちょっと奥借りるぞ?」
「はーい」
僕はちょっぴり緊張。
未だに繋がれている手からも、汗が滲み出ている。
「千佳たちみたいに人目も気にせずベタベタ甘えられるタイプじゃないだろ? 素直にもなりにくいしな」
礼人さんは掴んでいた僕の手を離して壁に凭れかかり、足を投げ出して座った。
そして足を広げて、ポンポンとここに座れと畳を叩いて促した。
「え……、あ、あのっ」
「ほら」
催促するように手を差し出されて、おずおずとその手を掴んだ。顔はおそらく真っ赤っか。だって、もの凄く熱くなってるもん……。
キュッと引っ張られ、素直にそこに腰を下ろした。背中からギュウッと優しく抱きしめられる。
心地よく背中から感じる礼人さんの規則正しいトクトクと響く心臓の音。じんわりと温かく広がる礼人さんの体温。じわじわと広がる幸せに、僕は僕を抱きしめてくれている礼人さんの腕をキュッと握った。
「なにか、あったんだろ?」
「……え?」
礼人さんが腕に力を込めて、僕を引き寄せるように抱き込んでさらに密着する。
ふわわわわっ!
「歩?」
「ふ……ふわぃっ……」
ドキドキするあまり、へんてこりんな返事になってしまった。は、恥ずかしい……っ。
礼人さんはクスリと笑い声を漏らした。
「なんだその声。……気のせいなのか? さっき、いつもより気落ちしているのかと思ったんだけど」
「礼人……さん」
気づいて、くれてたんだ……。
「僕……」
「うん?」
礼人さんは僕に無理やり聞き出そうとはしなかった。しばらくただただ甘えたくて、抱きしめてくれている礼人さんの腕に頬を擦り付けたりギュッと握りしめたりしている最中も、返事を急かすことはせずにされるがままになってくれていた。
だから、話さなきゃと追い詰められた気持ちにならずに、自然と言葉を口にすることが出来た。
「今度の仮装担当で……」
「うん」
「……着ぐるみから、女装させられる羽目になっちゃいました……」
「……そう、か」
キュウッ。
礼人さんの腕の力が、また少し入った。
「……俺もちょっと心配かなぁ」
「え……?」
「だって、お前可愛いから」
「ふええっ!?」
「……くくっ。だから、なんだその声」
だって、だって可愛いって! なにそれ!
「よいしょっと」
礼人さんが少し体を離して、僕の体をくるんとひっくり返した。(なんて力!)
おかげで、凄い間近で礼人さんと向かい合う形になった。
僕の目の前にある綺麗な澄んだ瞳。スッと通った鼻筋に、色っぽくて形のいい唇。こんな綺麗な男の人が本当に存在するんだなって、礼人さんを見ていると何度も何度もそう思ってしまう。
するり。
ピクン。
礼人さんの綺麗な指先が、僕の頬を撫でた。
何度も頬を行き来するその指のせいで、引きかけていた僕の頬の熱がまたじわじわとぶり返してきている。
ううう……、恥ずかしい。でも……、うれしいし気持ちいいからやめて欲しくは無いけど。
「……おまじない、しておいてやろうか?」
「おまじない?」
至近距離で僕を見つめる綺麗な瞳がキラキラと輝いている。うっとりと、僕の瞳は礼人さんのそれに引き込まれて、離すことが出来ない。
「そう、おまじない。緊張しないであっという間に終わって、そんでもって盛り上がるおまじない」
「……そんなおまじない、あるんですか?」
「あるよ。ホラ、目閉じてみな」
ゆっくりと微笑む礼人さんのその表情がなんだかとても色っぽくて、僕はドキドキしながら言われたとおりに目を閉じてみた。
ふわり……。
あ……。
びっくりしてピクンと体が反応した。
ふわりと優しく僕の唇に押し当てられた柔らかく温かい感触。柔らかく何度も食むように啄まれて、頭も体も沸騰したように熱くなった。
キ……、キス!
キスされてるよ、僕!
うれしさと緊張と興奮で、ボムッと正常な思考回路がショートした。固まって上手く力の入らない指で、礼人さんの腕を必死で掴む。
それにほんの少しクスリと笑った礼人さんが、硬直した僕の後頭部に掌をあてがい支えてくれた。
「礼人さ……」
「――黙って。もうちょっと」
「……え? え?」
し……、し、舌!
ぼ……、僕の口の中に礼人さんの舌が入ってきてるーーーーーーっ!!
熱く柔らかく。そして少しざらざらとした弾力のある艶めかしいそれが、僕の舌を甘く絡めとる。舐めてなぞって絡めとり……、息も絶え絶えな僕は、礼人さんにされるがままただただ翻弄され続けた。
「……ふっ、あ……」
「かわいい……」
ぼんやりと開いた僕の目に映るとても綺麗な顔。そんな綺麗な人が、僕なんかに「かわいい」だなんて……。
「歩……」
「礼人……さん」
僕の名を呼びながら、礼人さんが掌で僕の頬をするりと撫でる。そしてそのままその手のひらを首筋に下ろした。
ビクン!
何かに反応したように、体が突然跳ねた。
な、なにコレ!
「あー、もう! 可愛くてたまんねーな歩は」
言うなりグイッと引き寄せられて、ギュッと抱きしめられた。
どうしよう、熱いよ。体中が沸騰したように熱い。でも、その熱さが不思議と心地いい。
礼人さんの背中に腕を回した。僕だけじゃなくて、それ以上に熱い礼人さんの体も……、凄く凄く心地よかった。
礼人さんは、僕を抱きしめたまま僕の側頭部に頬を擦りつける。スリスリとするその感覚が、僕の中から礼人さんを愛おしいという気持ちを増殖させているようだ。
愛しくて切なくて、離れたくない。
「……まずいよなぁ」
頬ずりを止めた礼人さんが、今度は僕の背中を摩りながらポツリとつぶやいた。
「礼人……さん?」
「いや……。まあ、なんだ。歩の仮装の時は絶対見に行ってやるから、それこそ本当に俺だけに見せるつもりで頑張れよ」
「……うう。それも……。礼人さんにそんな変な恰好見せるのも嫌です」
「変か? ……歩は可愛いから、逆に似合ってライバルが増えるんじゃないかと心配なんだけど」
「はあっ?」
ライバルが増える?
余りにもあり得ないことを言う礼人さんに素っ頓狂な声が出た。
「なんだ、自覚なしか?」
「あり得ないです! 礼人さん……、それ、……欲目ってやつですよ」
「ああ、惚れた欲目ってソレか」
「……う。ま、まあそうです……」
ほ、惚れたって……。恥ずかし過ぎるからぼかしたのに……。
自分でそんなことを言っちゃうなんて、僕も結構うぬぼれちゃってるよね。なんだかめちゃくちゃ恥ずかしい。
そんな僕に、揶揄うように慈しむように、礼人さんが僕の髪を撫でまわした。
「そうなのかなぁ。本当に可愛いと思ってるんだけど俺は」
「礼人……さん」
綺麗な瞳にまじまじと見つめられて、体中から汗が滲みだす。
……分かってないのかな礼人さん、自分の破壊力。おかげで僕はさっきから、ちっとも平常心ではいられない。
……でも。そういえばさっきから、凹んでる間もないくらいに気持ちが昂ってる。
凄いんだよ本当に、礼人さんって。
もうちょっと甘えてみたくて、礼人さんの肩にちょこんと額を乗っけてみた。礼人さんは『よしよし』とするように僕の頭を撫でてくれた。
そしてついに新入生歓迎スポーツ大会の日になった。
クラスのみんなもどことなくお祭りムードで、いつもよりリラックスムードだ。テンション低いのは、多分僕だけ……。
開会の挨拶も終わって、みんなそれぞれに動き出した。
「歩―、これスケジュール。俺らのクラスのバレーは最初の試合だから、見ていけよ」
「うん、もちろん。しっかり応援するからね」
僕は加賀くんから渡されたスケジュール表に目を落とした。僕らのクラスの試合のチェックはもちろんだけど、礼人さんのクラスのサッカーの試合も確認する。
ええっと、加賀くんの試合が一番初めの九時からで……。礼人さんのは……、九時五十分頃からか。
ああ、よかった。これなら両方ちゃんと応援出来るね。
午後からのスケジュールも確認していると、今度は高橋君が向坂さんらと一緒にやって来た。
「鹿倉、俺らは一時半ごろだってさ。一時には着替えてくれってさ」
「衣装は私の席に置いてあるから、教室で着替えるでしょ?」
「……うん」
嫌だけど、渋々頷いた。どんなに反抗しても、覆らない事だもんな……。
はあ……。
高橋君とはしばらく仮装のことで少し話をして別れた。高橋君は、どうやら別のクラスにいる好きな子がドッジボールの試合に出るみたいで、バレーよりもそちらを優先したようだ。
「鹿倉君、鹿倉君」
ため息をついていると、向こうの方からうれしそうに加山さんが手を振りながら走ってきた。
「あ、加山さん。加山さんのドッジボールは……」
「それはいいから!」
「え?」
「ドッジボールなんて五分で終わりだし、バレーの応援してていいから。……それよりさ、紫藤先輩の試合一緒に見に行こうよ。私の方は九時半には試合終わるし」
「ああ……。うん、僕もそうしてもらえるとうれしい」
「ふふっ。うれしいのは私の方だったりするけど、じゃあ、約束ね! 試合終わったら、バレーの応援に移動するから」
「凛―、行くよー」
「はあい。じゃあね、鹿倉君! また後で!」
頷いて手を振って、僕は加山さんを見送って加賀くんのバレーを見るために移動した。
僕ら一年六組は、三組との試合だ。
「なんだか強そうに見えるなぁ」
なんというか、顔つきのしっかり(?)した人が多くて強そうに見える。
サーブは三組からのようだ。強気な顔から想像つくような、強力なジャンピングサーブだ。
この人もバレー部なのかな?
とてもじゃないけどこんなサーブ、僕には拾えそうにない。
あ、加賀くんが拾った!
さすがだ。上手く打ち上げて島田君のトスへとつなげている。
「やあ、鹿倉君」
「……え? えっ、あ、桐ケ谷先輩、水樹先生も。こんにちは」
手に汗握り前のめりになって見ているところで声を掛けられたので、ちょっと狼狽えてしまった。慌てて挨拶をしたんだけど、先輩も先生もニッコリと笑ってくれた。
二人とも、僕の印象ではすごく落ち着いた大人な人だ。
「礼人とクロのサッカーがそろそろあるけど、鹿倉君も見に行くだろ?」
「はい。えっと、クラスの子と一緒に見に行く約束をしました」
「……子? 女の子なのか?」
「はい。……とは言っても、僕と礼人さんのことを知ってる子で……、応援してくれてます」
「へえ? それは良かったね」
「はい。……あの、桐ケ谷先輩は確かサッカーでしたよね?」
「ああ。午後からだよ」
「午後?」
「一時からの試合だ」
「……あ、そのころは僕、仮装のため衣装を着替えに行かなきゃいけない時間です……」
「……ああ、そうか。まあ頑張れ。俺以外はみんな鹿倉君の応援に行けると思うから気を大きく持ってな」
「……う。それもかなり恥ずかしいですけど。……頑張ります」
仮装のことを考えるとため息しか出てこないけど……。
ふと、礼人さんがくれたおまじないが脳裏をよぎった。
うわわわわ、どうしよう。確かに破壊力抜群だ。顔が熱くなってきた!
落ち込みかけていた気持ちが、恥ずかしさとうれしさとドキドキがよみがえったことで薄れてきたけど、これはこれでちょっと問題な気がする……。
「鹿倉君?」
「あ、なっ何でもないです!」
僕の顔が突然真っ赤になったので、桐ケ谷先輩たちが驚いて顔を覗き込んだ。慌てて両手をパタパタと振っていると、突然「ワー!!」という歓声が聞こえて来た。
三人でコートに視線を戻すと、加賀くんたちがハイタッチをしている。どうやら点を入れたようだ。
点差を確認しようと目を向けると、三対六で僕らのチームが勝っている。どうやら僕のクラスの方が勢いに乗っているようだ。
ワクワクしながら見ていると、三組のセンターからの猛烈なスパイク。それをまた加賀くんが臆することなく綺麗なレシーブを返した。
凄い! 凄いよ、加賀くん!
それを島田君が受けて、白井君と和島君が時間差攻撃を決めた。凄い!
そういえば白井君もバレー部だって言ってたっけ。
「あのレフト、やるなぁ」
感心したように桐ケ谷先輩が加賀くんを見ている。
盛り上がる試合に、桐ケ谷先輩も水樹先生も僕らと一緒になって応援してくれた。
応援の甲斐があってというよりは、加賀くんたちの頑張りで僕らのクラスは勝つことが出来た。二回戦進出決定だ。
「おめでとー」
「応援、サンキュー」
戻って来たみんなを労っていると、パタパタと加山さんが走って来た。
「勝ったんだね! おめでとー」
「おう。加山は?」
「もちろん、勝ったよ!」
「そっか、お疲れさん」
「おめでとう」
午後一の試合が組み込まれているサッカー以外は幸先よくまずは一勝だ。喜んでいる横で、桐ケ谷先輩たちが僕に軽く合図をして離れていった。どうやら、礼人さんたちの試合を見るために移動するようだ。
「鹿倉君、そろそろ行こう」
「うん、そうだね。じゃあ、みんなお疲れ様。ちょっと他の試合見に行ってくるね」
「ああ。……どこ行くんだ」
「紫藤先輩の試合よ! 鹿倉君と一緒に見に行くんだ」
そう言いながら、加山さんが僕の腕をグイッと引っ張った。その様子を見た加賀くんは、どうやら僕が読書同好会に入っていることを知られたせいで加山さんのイケメン好きに付き合わされていると思ったようだ。『気の毒に』というような表情で、ひらひらと手を振って僕らを見送った。
「ありがとう、加山さん」
「ええっ? お礼を言うのはこっちなんだけどな」
「そうかな?」
「うん。まあ、試合が始まればすぐにわかるよ」
「?」
「さ、いい場所取らなきゃ、急ごう」
焦り始めた加山さんの言葉に視線を上げると、加山さんが危惧する通り沢山の女子がそこを目指して大移動している。
凄い……。
「紫藤先輩と黒田先輩が一緒に出るからね。二人のファンが一気に押し寄せてるんだよ」
「ああ……」
そういえば黒田先輩も、キャーキャー騒がれてたっけ。二人とも相手になんてしてなかったけど。
「ちょっとすいませーん」
群がる女子の中を、僕の手を引いた加山さんがいい具合に隙間を見つけて人波を掻き分けていく。おかげでかなり前の方まで出てこれた。ここなら試合も何とか見れそうだ。
「……ったく、るせーな。なんだこの女子」
「しょーがねーだろ。紫藤と黒田が一緒に出るらしいから」
「紫藤!? げぇっ! あいつ嫌いなんだよな、俺。派手な格好してさ、なにやっても目立ちます~って感じがほんと気持ち悪い」
なんだと~!?
偏見もいいとこたよ! 礼人さんの本心も分からず勝手なこと言って!
言い返したい! 礼人さんは好きで目立ってるんじゃないって、自然にカッコいいし優しいから女子の人気も高いんだって!
そう大きな声で言ってやりたい!
怒りでプルプル震える僕の肩を、加山さんがポンポンと宥めるように叩いた。
「紫藤先輩、そんなんじゃないけどな~」と明るい口調で前方の上級生にも聞こえるような声で言った。
「なに?」
あからさまな物言いの加山さんに、どう考えても自分が言われたと感じたその上級生が不機嫌そうに振り返った。
「私には、騒がれるのを喜んでるようには見えないってこと」
「はあ? だったら何でお前らはこうやって紫藤を追いかけてるんだよ」
「だって! あんなにかっこいいんだもん、見ずにはいられないっしょ」
「……なにがいいんだか、あんなすかした奴」
「れい……、紫藤先輩はそんなんじゃないですよ! すごく優しくて繊細で……」
「はあっ? ばっかじゃねーの? ないない、ソレあり得ないから」
バカにするように爆笑して、話はおしまいと言うように上級生らは前を向いた。
すごく悔しくて頭に来た。だけどさらに蒸し返して文句を言うのは、却って礼人さんの迷惑になってしまいそうで出来なかった。だってこういう人たちって、些細な理由を付けてどんどん礼人さんのことを勝手に毛嫌いしていきそうなんだもの。
やりきれない思いでため息を吐いていると、隣で加山さんがムッとした顔で『イ~!!』と凄い顔をしていた。
「……加山さん」
「なによ?」
「……ありがとう」
「やーねー、もう! 乙女の可愛い顔が台無しだよ」
そう言って、加山さんは僕らのモヤモヤとした気持ちを明るく笑い飛ばしてくれた。
「あ、ホラ。始まるみたいだよ」
ピッチに目を向けると、選手らが並び始めていた。
キックオフをし、ゲームが始まった。
紺色のTシャツを着た黒田先輩が素早く出てきて相手チームからボールを奪う。白いシャツと紺のシャツに分かれているので、どちらが味方でどちらが敵なのかが瞬時に分かって見てるこちらとしては有難い。
黒田先輩がボールを奪ったところで、あちらこちらから「キャアアー―――ッ」と歓喜に溢れた悲鳴が沸き起こった。
「凄いね……」
「ホントにねー。……ああいうモテ過ぎる人を彼氏にしたら気分はいいかもしれないけど、大変だろうなぁ」
「…………」
ポロリと、思わず零れた本音だったんだろう。加山さんは突如ハッとした表情に打って変わって、「たとえ話だからね!」とパタパタと手を振った。
「うん」
分かってるよ。という気持ちで、軽く加山さんに頷いておく。ピッチ上では、黒田先輩を思うようにさせまいと三人が付いていた。
「一対一じゃ無くて一対三なんだ。凄いな……」
「うん。でも、黒田先輩すごいよ。ボール奪われてないもん」
加山さんが感心する通り、黒田先輩は三人の隙をつくようにひょいっとその場から抜け出してサッと辺りを確認した。視線の先には礼人さんがいたのだけど、これまたそれを事前に察していた相手チームに二人掛かりで邪魔をされていた。黒田先輩は礼人さんにパスを回すのを諦めて、他の人にパスを渡す。渡された相手は、ドリブルをしながらゴールに向かおうとするのだけど、相手チームに奪われてしまった。
「ああ~っ!」
あちらこちらから聞こえる残念そうな声。
これ……。こんな状況での試合って、どっちもやりにくいんじゃないかな。それとも試合に集中してるから、そんなことに気が付く余裕はないんだろうか?
変な心配をしている間に、ボールを奪った相手チームの人に黒田先輩が追い付いてディフェンスを仕掛けていた。それで零れたボールを傍にいた別の紺のTシャツを着ている人が上手く引き継いで走り出す。結構この人もうまくて、相手のディフェンダーをうまくかわしてシュートを放った。
……!!
入ったー!
「ヤッター!」
パチンと加山さんと手を叩いて喜び合う。
……?
「あれ? ゴールしたのにあんまり騒がないんだね」
さっきから黒田先輩がボールを保持している間中、あんなにキャーキャー言ってたのに。
「……目当ては別なんでしょ。興味のない人が活躍してもどうってことないんだよ」
あからさま過ぎるよ! そんなんだから、礼人さんがやっかまれるんだ。迷惑。
僕が心の中でぶつぶつ文句を言っている間に、キーパーが思いっきり遠くへとボールを投げた。運のいいことに傍にいた礼人さんが、ボールを体に当てて上手く勢いを削いでまたゴールに向かって走り出した。
「キャアアアア―――!! 行け―礼人ぉーーーっ」
「礼人―――! カッコイイ―!」
どっかのアイドルのコンサートさながらのすごい悲鳴の渦だ。
「ああ、もう。うっせー」
「これだから、ヤなんだよ。紫藤らが出てる試合を見るのは」
「仕方ないだろ。須賀が出てる試合なんだから応援してやらないと」
「わぁってるよ」
そうか。礼人さんは嫌いだけど友達が出てるから見てるんだな。もしかして、相手チームのクラスの人なんだろうか?
「鹿倉君! 鹿倉君!」
突然隣の加山さんが僕の手をペチペチ叩いた。視線を戻すと、礼人さんと黒田先輩がパスをしあいながらゴール近くに確実に近づいてく。
礼人さんより少し前に出た黒田先輩に、礼人さんが相手チームをうまくかわして黒田先輩にパスを出した。それを黒田先輩が、上手い角度からゴールを狙い――
ボールはキーパーの脇を抜けて、ゴールネットを揺らした。
シュートを決めた黒田先輩に、スッと礼人さんが近づいてお互い二ッと笑い合いパチンと右手を挙げてのハイタッチ。
うわあああ―――!
ヤッター!
かっこいい、かっこいいよ二人とも!
思わず僕も加山さんと二人でハイタッチ。
「やったね! 黒田先輩かっこいい!」
「うん、礼人さんも!」
もちろん僕らが燥いでいるんだ。周りではその何十倍ともいえる異様さで、女子らが悲鳴のような歓声を上げていた。
「キャアアアアアアアーーーーー!!」
鼓膜が破れるんじゃないかってくらいの叫び声だ。女の子たちはみんなぴょんぴょんと跳ねながら、あちらこちらでハイタッチをしている。まるで県大会かなんかで優勝したかのような、凄い喜びようだ。
僕は周りのざわめきはとりあえず横に置いといて、ワクワクしながら礼人さんたちを見つめていた。すると、スッとこちら側に視線を向けた礼人さんが僕に視線を合わせた。
あ……! と思った瞬間、礼人さんは軽く口角を上げてさりげなくスッと手を上げた。
トクン。
今、今僕に……、僕だけに合図してくれたよね?
もうこちらには背を向けて、試合の渦に戻って行ってしまったけど、僕は一人でドクドクと煩い心臓と共に幸せをかみしめている。
「く~、たまんない!」
「……? え?」
加山さんは満面に笑みをたたえながら体を震わせている。
「ど……、どうしたの?」
パチッと目が合うと、笑みがだんだんと崩れていきニヤニヤとした下品な笑い方になった。
「ヤダ、もう! ヤダ、もう!」
バシバシ!!
「いっ、痛いよ加山さん」
「いいの、いいの。気にしないで、あ~、もう幸せ!」
訝しむ僕を余所に、加山さんは体をくねらせしまいにはしゃがみこんで、「たまらん、けしからん」だの意味不明な言葉を言っていた。
その後も相手チームにゴールを決められはしたけれど、結局礼人さんたちのクラスの勢いは衰えることはなく、四対一で試合は終了した。
「凄かったねぇ……」
未だ興奮冷めやらずの表情で、加山さんが「ほうっ」とため息を吐く。僕の心臓も無駄に働き続けて、興奮と幸せにトクントクンといつも以上に心音を鳴らし続けていた。
しばらく二人で礼人さんのかっこいいところを言い合いながら楽しい時間を過ごし、十一時半にはドッジボールの二回戦が入っていたので、僕は加賀くんたちと合流してみんなで女子のドッジを応援した。
そんなこんなでお昼休み。
僕は加賀くんたちと一緒に弁当箱を広げた。そのすぐ隣では加山さんたち女子のグループが輪になっている。そこでもやっぱり、話題は礼人さんたちのサッカーの試合のことだった。
「ねえ、見た? 黒田先輩のシュート! かっこよかったぁ」
「見た、見た。紫藤先輩もかっこよかったよ! あのアシストがあってこそのシュートでしょ!」
「うん、うん!」
「それでさ、菜摘と私かなり前の方から見れたんだけど、紫藤先輩がニッコリ笑うトコ見ちゃったんだよね!」
「えっ? なにそれ! 愛花に笑いかけたってこと?」
「まさか。黒田先輩がシュート決めた後だったから、自然に笑みが零れたのかもしれないけどさ。……それにしてもかっこよかったぁ……」
「…………」
それって確か、あの時のことだよな。
……あ、ヤバイ。僕も思い出しただけでにやけそうだ。
「女子はまるでイケメン祭りだな。……そういや歩、お前この後だよな」
お、思い出してしまった。そうだよこの後、ミミーの衣装を……。
「おいっ! 大変だぞ!」
落ち込み始めた僕の思考を遮るように、バタバタと廊下を走って所沢くんがやって来た。
「なんだ所沢。お前飯食ったのか?」
「食った! てか、大変なんだって! 増岡が階段から足踏み外して捻挫しちまった!」
「ええっ? 大丈夫なのか?」
「うん。一応、そう酷くはないみたいなんだけど午後のサッカー出られなくなっちゃって……。あ、高橋! お前増岡の代わりにサッカーの試合出ろってさ」
ええっ!?
「あ、うん。分かった。……あー、鹿倉、しょうが無いよな?」
え?
え?
ええーーーーーーっ!?
てことは、てことは僕一人であのミミーの衣装を着て踊るってこと――――!?
うわぁぁぁぁん、神様―!!
何でこうなるの―――――っ!!
「おはよう」
「よう、歩」
「おはよう、鹿倉君。ねえねえ、鹿倉君は何に出る?」
「なにって?」
話が見えないなーと思いながら、荷物を机に置く。
「だーかーらー、新歓スポーツ大会があるでしょ! バレーとサッカーのどれに出たい?」
「……え、えっと……。サ、サッカー?」
「へー、サッカー? 鹿倉君サッカー得意なの?」
「まさか! そうじゃなくてっ。……バレーは逃げ場がないけど、サッカーならボールを取らずに走り回ってればいいかなーって……」
「……それってー」
「歩、運動苦手なんだってさ」
「あー、そんな風に、見えるわね……」
二人に同情するように見つめられて居心地が悪い。僕の話を終わらせようと、今度は僕から加山さんに尋ねてみた。
「……加山さんは何に出るの?」
「私? 私はドッジボール! あれ結構楽しいのよねー。気に入らない子をめがけて当ててやるんだ。スカッとするよ!」
「キャッチされたらまたムカつくんだろ?」
「当前! そうならないようにうまく投げるんだから!」
二人はとても楽しそうに新歓の話をし続けている。運動音痴の僕としては、羨ましい限りだ。
その日のSHRで、誰がどこに出るのかを皆で話し合った。……結果、さんざん揉めた末、僕は仮装担当になってしまったんだ!
酷いよっ!
「歩……」
「鹿倉君……、ま、元気出して」
「……開き直れ。俺は何とか気持ちを切り替えたぞ」
「……高橋くん」
僕のクラスは男子が十九人、女子が十八人。おかげで男子だけが二人競技からあぶれてしまう。
クラスの人数によって違うのだけど、もしもあぶれる人がいる場合はその人数分が自動的に仮装担当に割り当てられることになっている。
よって、僕のクラスからは僕と高橋君の二人が仮装担当に選ばれてしまった。
仮装担当は午後の試合が始まる前にグラウンドにステージが用意されていて、そこで個々のパフォーマンスを要求される。だからダンスをするならその振り付けも、自分たちで考えなければならないんだ。
ただ衣装に関しては、クラスの女子が全面的に協力してくれると言ってくれた。
「はうっ……」
僕は何度目になるのか分からないため息を吐いていた。
「るせーな。鬱陶しいぞ」
パカン!
「って……、いったいよ千佳」
「あああ、すみませんっ! 鬱陶しいって僕のため息ですよね! もう吐きませんから!」
「気にすんな、歩。威嚇するのは剛先輩の癖のようなものだ。いちいち反応しなくていいからな」
「そうだよー。ごめんね、歩君」
「……お前ら」
「駄目だよー、後輩を無駄にビビらせちゃぁ。剛先輩本当は優しい人なんだから、誤解させちゃ損だよ」
東郷先輩の隣に座っている千佳先輩が、頭を撫でながら宥めている。そのせいか、さっきまで浮かんでいた眉間のしわは、東郷先輩の眉間から既に無くなっていた。
……千佳先輩ってすごいよなあ。あの東郷先輩を、いっつも簡単に宥めてるんだもん。
「猛獣使いだからな」
僕の隣で礼人さんが小声でこっそりと僕に耳打ちをした。
猛獣使い?
えっ? と思って礼人さんを見ると、千佳先輩たちをチラッと見て「そう思うだろ?」とささやいた。
……ああ、猛獣。確かに、……納得。
「ところで、歩」
「はい」
「お前ホントさっきから、なにため息吐いてんだ?」
「あ……、えっと。実はですね……」
あんまり話したくは無かったんだけど、SHRで決まったスポーツ大会の仮装担当に決まってしまったことを打ち明けた。
「選ばれちまったんだ……」
「はい……」
絶句する礼人さんに、僕もシュンとうなだれた。
またため息を吐きそうになったので、かろうじて堪えた。これ以上猛獣さんを困らせてはいけない。
ナデナデ。ナデナデ。
「礼人さん……」
僕は猛獣では無いけれど、礼人さんが僕を慰めようと僕の頭を撫でてくれていた。
「クラスで決まったことに俺は口出しできないし助けてやることも出来ないけど、お前のステージはちゃんと見てやるからな」
「……え―。それはそれで、……恥ずかしいです」
「なに言ってんだ。他の奴らはカボチャだと思って、俺のためだけに仮装してると思えばいいだろ?」
「……う~」
「俺も見るよ!」
「ふわっ!? ち、千佳先輩……聞いて……」
「うん、聞いてた。歩君が恥ずかしくないように、俺もステージ下で盛り上げてあげるから。気を大きく持ってよ」
「そうだな、頑張れ。俺は千佳の隣で、お前をあざ笑うやつがいたらちゃんと威嚇しておいてやる」
「……ふえぇ」
「そうだね。頑張ってよ。剛先輩!」
「おう」
余りにも頼もしすぎる先輩方に、僕は笑顔を引きつらせるしか出来なかった……。
遅れてやって来た黒田先輩と白石先輩、それに桐ケ谷先輩が来た頃には僕の仮装担当の話題は終了していて、また各々が読書をしたりいちゃついたり(?)のいつもの雰囲気に戻っていた。
「あ……」
「ん? 今度はなんだ?」
唐突に、礼人さんに報告しなきゃならないことを思い出した。
「すみません。今度僕んちに来てくれることになってましたけど、さっきの……仮装のせいで出来なくなってしまいました」
「え?」
「……同じ仮装担当になった高橋君と練習しなくちゃならないので、学校に行くことになっちゃって」
「ああ……、そっか」
「はい。楽しみにしてたんですけど……」
「仕方ないな。……何時から行くことになってるんだ?」
「えっと、1時集合です。教室に」
「ふうん……。ま、頑張れ」
「はい……」
あ~、凹む。何でこうなっちゃうんだろうなあ、もう。
「そういえば、礼人さんはバレーですか?」
「俺? 不本意ながらサッカーだ」
「えっ! そうなんですか?」
あ~、ライバル増えそう。
でも、……キラキラしたかっこいい礼人さんが見られるんだよね。女子が群がるのを見るのは嫌だけど、カッコいい礼人さんを見れそうなことはすごく楽しみだ。
「俺のせいじゃないからな」
え?
心の中で勝手にいろんなことを思い描いて気持ちを乱高下させていたら、奥の方から黒田先輩の声が聞こえてきた。
「分かってるよ。誰もクロのせいだなんて思ってないから」
……?
どういうことだろ。黒田先輩のせいじゃない……?
「クロと俺同じクラスなんだよ。で、な。あいつ中学の時サッカーやってて結構すごかったんだ。それを知ってる女子がサッカーすべきだって騒いでさ、ついでになぜか俺まで巻き込まれちゃったんだよ」
そういえば、礼人さんも中学の時部活で色々あったって言ってたよな。
「もしかして礼人さんも昔サッカーやってたんですか?」
「いや。俺はテニスだ」
……テニス!
すごいっ! 絶対、絶対礼人さんに似合ってるよ!
グリグリ。
え?
「…………」
コツン。
余りにも似合い過ぎるテニスを礼人さんがやっていたって聞いて、思わず勝手にいろいろ想像していたら(多分顔はニヤけていたはずだ)礼人さんが僕の頭をグリグリとした。
そして礼人さんの顔を見て、そんな自分にちょっぴり後悔したんだ。
だって、見上げた礼人さんの表情は、ちょっぴり自嘲したような諦めたような、何とも言えない表情だったから……。
バカだ、僕。
礼人さんが過去のことを話してくれて、それにまだ囚われていることもちゃんと分かっていたのに。
しかも優しい礼人さんは僕の表情を見て、おそらく瞬時に僕の気持ちの変動に気が付いたんだろう。額を優しくコツンと叩いて、暗に"気にすんな"と言ってくれている。
「礼人さん!」
「うん?」
のんびりと返すその返事に、礼人さんの優しさが痛いほど伝わって堪らなくなった。
膝立ちになって、ギュウッと礼人さんを抱きしめた。
「え? あゆ……」
ギュウウウウッ。
何を言っていいのかなんて分からない。ごめんなさいだなんて、絶対ないし。今の僕の気持ちをどう表現したらいいのかも分からない。
だから、僕が。
僕の気持ちがちゃんと伝われば良いってそれだけを思って、僕は礼人さんの体を力いっぱい抱きしめた。礼人さんも僕の背中に腕を回してくれて、お互いギュウッと抱きしめあった。
僕の気持ちはちゃんと伝わっている? 礼人さんの気持ちも、少しは浮上してくれてる?
いろんなことを思いながらずっと黙って礼人さんを抱きしめ続けていたけど、そっと力を抜いて体を離した。顔を合わせた礼人さんの表情はさっきのソレとは違って、面はゆい表情をしている。
「気にさせて悪かったな」
さっきと違って照れくさそうな表情になってくれてるのはいいんだけど、それは違う!
僕はもう一度ギュウッと礼人さんを抱きしめた。
「違います。そうじゃないです。僕はもっと礼人さんのことを理解できるくらいになりたいんです。……僕まだガキで、頼りないどころか色々察することも出来ないんですけど……」
コツン。
礼人さんが僕の頭を軽く叩いた。
「え?」
「バーカ。誰もそんなの望んでないっての。歩は、そのポヨンとしたところがいいんだろ? 変に背伸びなんてするなよ」
「でも……」
「そーだよー。歩君には他のみんなに無いいいところがてんこ盛りなんだから、それ無くしちゃダメだからな!」
え?
あ!
わ、忘れてたけどここ部室だった……。皆さんいらっしゃったんですよねぇ。
恐る恐る顔を上げると千佳先輩だけじゃなくて、白石先輩達までもがこちらを見ていた。そしてみんな一様に、優しい笑顔だ。
ねえ、礼人さん。僕はまだ礼人さんの心の中にグイグイと入って行く勇気は無いけれど、そのうち礼人さんが抱えて重荷になっている気持ちを聞いてもいいですか?
本当の意味で、礼人さんを癒せる存在になりたいから。
僕は心の中でそうこっそり呟いて、礼人さんの掌をキュッと握った。
新入生歓迎スポーツ大会の種目の割り当てが決まったことで、僕らのクラスも自然とその準備態勢に入り、各々がチームごとに練習を始めた。
そんな中、僕と高橋君は仮装担当の演目を考えていた。
「聞いたところによると、アニメやアイドルの曲を流しながら同じように踊ったりするのが今までの主流らしいぞ」
「うん……。一から考えるよりもその方が簡単だよね」
「だよな。で、どうしようか? なんかおススメとか無いか?」
「opzとかは? キャンディクラッシックとか今流行ってるよね」
「……いいけど、それだと二人とも女装だぞ?」
「あー……、だね。それはヤだな」
「うーん」
「…………」
二人で必死で頭を働かせた。
イタい企画だから、せめてみんなが楽しんでくれないと恥ずかし過ぎて凹むに違いないし。それだけは出来れば避けたいんだ。
「あっ!」
「な、なに?」
「もふもふワンダー!」
「あぁーっ! うん! それいいよ!」
もふもふワンダーとは、今大流行のアニメだ。主人公圭一が飼っている子猫が、魔法で可愛い女の子になって繰り広げる不思議なラブコメで、子供たちどころか大人までもがハマるという一種の社会現象を引き起こしている。
「それなら、子猫の着ぐるみと圭一の学生服だけでオッケーだよね! エンディングのダンスもみんなでノレそうだし!」
「衣装の値段、ちょっと見てみようぜ。一応女子がなんとかするとは言ってくれたけど、そんなに高くなければどうせみんなで折半するわけだから買ってもいいよな」
そう言って、高橋君が値段を調べ始めた。
「二人分の衣装で二万くらいかあ。……1人頭、600円もかからないな。これならOKでそうだな」
「うん、そうだね。向坂さんたちに報告しておこうか。彼女たち、衣装は作ってあげるって言ってくれてたから」
「そうだな。……あ、いた。おーい、向坂ー」
高橋君に呼ばれて向坂さんがやって来た。
「なに、仮装何にするか決まったの?」
「ああ。でさ、調べたら買ってもいいんじゃないかなーと思ってさ」
「へえ? 演目は?」
「もふもふワンダーだよ。コスチュームは圭一と子猫ので」
「圭一と……、子猫ねぇ」
向坂さんは小首を傾げて自分でもスマホを取り出した。そして何やら考えた挙句、「じゃあ、こっちで手配してあげるから。後は任せてダンスをしっかり覚えてよ」と言った。
「……分かった」
渋々答える僕らに向坂さんもお気の毒、と言ったように笑った。
「あ、そうそう念のため。圭一担当は、どっち?」
「俺。鹿倉より俺の方が背、高いだろ?」
背が低いってホント損だよね。その理由を言われたら、全力で否定できなくなるもん。
あ~あ。
僕のゲンナリした表情を見たはずなのに、向坂さんまで笑って頷いている。
「あはは。だよね。じゃあ二人ともサイズ一応教えて。高橋はMでいいかな? 鹿倉君は……」
僕は高橋君の学生服と違って子猫の着ぐるみだからそんなにきっちり測る必要は無いと思うんだけど、せっかく買って無駄になると困るからと言われて、簡単にだけどメジャーで測られた。
でもまあ、女装でないだけましだよね。スポーツ大会は来週の金曜日だから、それまでには何とかダンスも覚えられるだろうし。
とりあえず高橋君と話し合って、エンディングのダンスはそれぞれでチェックして練習しておくことに決まった。そして日曜日までにはある程度ものにしておいて、後は適当に放課後に合わせるなら合わせようという事になったんだ。
放課後、加賀くんがヨッと荷物を抱えて席を立った。それとほぼ同時に、スポーツ大会で同じくバレーに出る木島君たちが加賀くんの下に集まって来た。
「加賀―、練習行こうぜー」
「おう。松山たちも、ビシバシ鍛えてやっからな」
「うげー、いいじゃん俺らは。足引っ張らないように頑張るけど、加賀と白井がいるんだからさー」
「なに言ってんだよ」
「それより、部活は遅れても大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫。クラスの練習があるなら、三、四十分は遅れてもいいって言ってたから、な?」
「うん」
いいなあ、加賀くん。運動音痴の僕から見ると、本当スポーツマンって憧れるよ。
「じゃあな、歩。お前も頑張れよ」
「ああ、鹿倉は仮装担当だったな。頑張れー」
「……アハハ。じゃあね」
ドヤドヤと出ていくみんなに手を振って見送って、僕も同好会に行こうと席を立った。
……そう言えば先輩たちはみんな、バレーに出たりサッカーに出たりするって言ってたよな。
僕はちょっと考えた後、いつものコースを変えてグラウンドの方に足を向けてみた。もしかしたら礼人さんも加賀くんたちみたいに練習してるかもしれないって思ったから。
グラウンドの脇の方に、それぞれクラスで練習をしているらしきグループが幾つかあった。
礼人さん、いないかなあ。
目を凝らして探していると、僕の位置よりも校門寄りの所で騒いでる女子がいた。もしかしてと視線を向けると、彼女らの視線のほぼ直線上に、礼人さんのさらさらなびくピンクバイオレットが目に飛び込んできた。
遠目でよく分からないけど、たぶん今すごいスピードでドリブルしているのは黒田先輩だ。礼人さんはその少し前を、同じようなスピードで走っている。途端に、女子の黄色い声援もヒートアップする。
「キャアアーッ! 黒田くーん!!」
「行け礼人―ーっ!」
黒田先輩が礼人さんにパスをした。それを受けた礼人さんは、ゴールの手前まで持って行ったあと他の誰かにパスをしてその人にシュートを任せた。……んだけど、それは入らずキーパーに弾かれてしまった。だけどそれをすかさず回り込んできた黒田先輩が思いっきり蹴って、ゴールを決めた。
凄いっ!
「キャアーー!! カッコイイ―黒田くーん!!」
「ヤバイ、ヤバイ、どうしよ、ヤバイよ!」
……うん。本当に……。
こんな遠くから見ていてもよくわかる。ハイタッチをした礼人さんと黒田先輩は、凄く活き活きしているよ。
もしかして黒田先輩も何か訳ありなのかな? だってあんなに活き活きしていて上手いのに、サッカー部に入らなくて読書同好会に入っているなんて不思議じゃないか。
「アレー? 歩君だぁ」
「……え?」
振り向くと、Tシャツ姿の千佳先輩と白石先輩が立っていた。
「お疲れ様です! バレーの練習ですか?」
「そ。でも、もう済んだからこれから同好会に行くところだよ」
「え? ……じゃあ」
もしかしたら礼人さんたちも、そろそろ終わるんだろうか。そう思って視線をグラウンドに向けると、つられるように白石先輩もグラウンドに視線を向けた。
「……やってるな」
「あー、ホントだ。クロったら、パワー全開だね」
「そうだな。……やっぱさすが礼人だな。しっかり陸についていってる」
「いいなぁ……」
純粋に、運動神経がよくてスポーツの出来る人がうらやましい僕は、無意識に本音がポロッと零れ落ちた。それに白石先輩と千佳先輩が、キョトンと二人で僕を見た。
「うん?」
「あ、いえあの。僕運動神経が皆無で、だから礼人さんや黒田先輩達みたいにかっこよく決められる人が純粋に羨ましいんです」
「そうだねー。そういや中学時代に二人とも随分活躍してたよな」
「……もったいなかったよな、礼人。変な妬みで追い出されたようなものだろ、あれ」
「うん」
千佳先輩たちの会話で、僕は礼人さんが話していた"いろいろあった"という言葉を思い出していた。
礼人さんのように外見も良くて運動神経も抜群で、そんでもってあんなに優しい人だからモテるのは当たり前のことなのに。羨ましいっていうそれだけで、嫌がらせをする人たちってなんなんだろう。
そんなに妬ましいんなら自分でももっと努力して、礼人さんに上回る何かを手に入れればよかったのに。
「……歩君?」
僕は知らず険しい顔つきになっていたみたいだ。白石先輩が心配そうに僕を覗き込んだ。
「あっ、大丈夫です。すみません。……なんか理不尽だなって思っちゃって……。礼人さんが自分から燥いだり騒いだりしてみんなに迷惑をかけたわけじゃないだろうに、それなのに単に羨ましいからって嫌がらせをするとか……、男らしくないですよ」
「……うん、僕もそう思う」
「だねー。でも、そういう奴ってウジャウジャいるよー」
「……そう、ですよね」
「……まあ今もそうだけど、それ以上にあの頃の礼人のモテ方は半端なかったから、本人もうんざりしてたようなんだよね。だけどね、歩君。礼人は運動神経が人並み外れていいからテニスも上手かったけど、別に礼人はテニスに命を懸けてたわけじゃないよ。そうだよね? シロ」
「うん……、そうだね」
……え?
どういうこと?
「おー、どうした? みんな揃ってんな」
「あ、礼人さん!」
遠くから礼人さんの声が飛んできた。振り返ると黒田先輩と一緒に、礼人さんがタオルで汗を拭きながらこちらの方に歩いてきていた。
「礼人たちも済んだんだね。これから同好会に行こうと思ってたんだけど」
「おう、行く行く」
千佳先輩の呼びかけで、僕らはそのままそろって同好会に行くことになった。さっき僕から離れたところで礼人さんたちを見ていた上級生の女子たちが、羨望の眼差しでこちらを見ているけどみんな素知らぬフリだ。
千佳先輩は黒田先輩や白石先輩の隣りに並び、僕らはその後から二人で並んで歩いた。
「さっき、みんなで何話してたんだ?」
「え? あ、えっと、実は礼人さんの中学時代の話を……」
自分のいないところで噂話みたいなことをされてちゃいい気はしないかもしれないけど、嘘があまり得意じゃない僕はそのまま正直に話した。不愉快になっちゃうかなとも思ったんだけど、礼人さんは「そっか」と言っただけであまり気にしてはいないようだった。
「……あの、聞いてもいいですか?」
「なんでも」
「……その、礼人さんテニスもすごく上手かったんですよね。正直どうなんですか? 今でも出来ればテニス部に入りたいってこと、あります?」
少し礼人さんに踏み込んでしまっている自覚はある。だけどそれでも礼人さんが理不尽な目に遭っていたことが(もしかしたら今もそうなのかもしれないし)僕はすごく悔しくて、だからさっきの千佳先輩の言葉がどうしても気になってしまっていた。
それは礼人さんにとってのテニスが、千佳先輩の言う通り本当に大したことじゃなければいいのにって、心のどこかで思っているからかもしれない。
ぽふっ。
礼人さんの温かく大きな掌が、僕の頭の上に優しく乗っかった。
「それは無いなー。……俺があの時テニス部に入ったのは、単に自分の条件に合った部活を選んだ結果だったから」
「……?」
どういう意味だろ。
「あの頃なー、俺んち両親が揉めててさ、離婚協議の真っ最中だったんだよ。家の居心地は最悪で、何でもいいから遅く家に帰るために体育会系の部活に入りたかったんだよ。それなら大会があったり色々忙しいから、部活の時間が遅くなることもあったりするだろ?」
ああ……、そういうことか。今のお母さんは再婚相手だって言ってたもんな。
「ついでに俺結構な人見知りだから、団体競技よりも個人で試合が出来るテニスがいいかなって思っちまったんだよ」
「礼人さん……」
明らかに失敗だったという表情の礼人さんの様子からして、千佳先輩が言ったようにテニスに特に未練が無いというのは間違いないだろうと思えた。
「だからな、」
礼人さんはそう話しかけて、言葉を区切り僕の顔を見た。
「今の状況が退屈だとか体育会系の部活に戻りたいだとか、そんな風には思わないぞ」
「礼人さん……、はい」
そっか、そうなんだ……。礼人さんがそう思ってるんなら、いいかな。
「なあ、歩」
「はい」
「お前、俺が出る試合見に来れるか?」
「はい! 試合時間が分かったらクラスの試合を抜け出してでも見に行きます!」
僕が勢い込んでそう言うと、礼人さんは眉を下げて笑った。
「いや、うれしいけどそれは駄目だろう」
「大丈夫です。ちょこっとだけでも抜け出して見に行きます。僕小さいから、多分目立ちません」
「そうか。じゃあ、クロと二人で勝ちに行くから期待してろよ」
「……はい!」
「え~、俺らのクラスには手加減してよぉ?」
「するかよ、バカ。水はバレーだろ? 手加減なんてしねーよ」
僕らの話に割り込んできた千佳先輩に、すかさず黒田先輩が反論する。
……てか、白石先輩には手加減ありなんだ。さすがだな、黒田先輩。
「それにしても、どういう風の吹き回し? 礼人、こういうのにあんまり本気になったりしなかったでしょ」
心底不思議そうに、千佳先輩が礼人さんに聞いた。礼人さんはそれにクスリと笑って僕を見て、それから口を開いた。
「そのつもりだったんだけどなー。なんだろ、やっぱ好きな奴には出来るだけかっこいいとこ見てもらいたいって感情になっちまうみたいだな」
え?
「な?」
「……礼人、さん」
目立ちたくなんかないって言ってたのに。僕がその気持ちを変えさせたの?
「僕……、頑張って絶対応援に行きます」
「おう」
ポンポンと頭を撫でるように叩かれて、涙が出そうになる。
「よっしゃー、じゃあ俺も歩君の隣を陣取って応援したげるね!」
燥ぐように元気に話す千佳先輩が、この場の色を変えてくれた。
各々のクラスでスポーツ大会の練習はありはするけど、それだからと言って部活が疎かになるわけでは無いので普段とあまり変わらない日々が過ぎて行った。
僕と高橋君も演目は決まったし、家でダンスの練習はちゃんとしていたのでとりあえず今日二人でダンスを合わせて、仮装担当の練習は終わることになっていた。
衣装の方は水曜日までには学校に持ってこれるそうなので、それから試着をして、最終的にサイズを合わせる事になっている。
高橋君との待ち合わせは一時なので、十二時半には家を出た。学校近くをテクテク歩いていると、前方を、あまりにも見覚えのある人が歩いていた。
「……え?」
礼人……さん。
どうしたんだろ。今日は日曜日なのに……。あ、もしかして礼人さんのクラスもサッカーの練習が入ってたりするんだろうか。
「礼人さん!」
呼びかけてタタッと走り寄ると、礼人さんがくるんと振り返った。
「よお。……会っちまったな」
「……え?」
……もしかして、僕に会いたくなかった……の?
僕はシュンと萎えていく気持ちになったのに、礼人さんは笑って頭を掻いていた。
「突然歩の教室に現れて、驚かそうと思ってたんだけどな」
「えっ!?」
萎えるどころか焦った。
なに、それ。
まさか僕のダンスの練習を見に来たってこと?
うわー、止めてよそれ。
恥ずかし過ぎるよー!
「れ、礼人さん……っ、あの、まさか僕の練習を見に来たんですか?」
「ああ」
やっぱりーーーー!
「礼人さん、僕、凄く運動音痴なんですよ!」
「そうらしいな。聞いてるぞ」
「だっ……、だからっ、その……」
「なんだ? 恥ずかしいから見に来るなってか?」
「……う。はい」
「バーカ。んなこと言ってて本番どうすんだよ。ほら、ごたごた言ってないで、行くぞ」
自然と歩く速度の遅くなる僕を、礼人さんが引っ張る形で教室まで進む。二人揃って教室に現れた僕らを、先に来ていた高橋君がびっくりしてガタッと席を立った。
「……え? は、ええっ!?」
「よお、邪魔するぞ」
「……遅くなってごめんね」
「え? なっ、ええっ!?」
……どうやら高橋君は、突然現れた礼人さんにビビるというか戸惑うというか……、状況をまだつかめずにいるみたいだ。わかる、そうなるよね。
「えーっと、あの紹介するね。僕と一緒に仮装担当になった高橋君。……で、こちらは僕が入っている同好会の先輩で紫藤礼人さん」
「よっしくー」
なぜだか礼人さんは、普段以上にチャラく挨拶をした。高橋君が固まってるから緊張をほぐそうとしたのかな……?
「あ、こっこちらこそよろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げる高橋君に、礼人さんは明るく笑って近くの椅子に腰かけた。
「飛び入りで悪いな。俺のことは気にしないで練習しろよ。ほら、歩。進めてやれ」
「はい。……えっと高橋君、じゃあ合わせようか」
「……うん、わかった」
礼人さんを気にして僕に色々聞きたそうな顔をしてはいるけれど、ここでそれを問いただす度胸はやっぱり無いようなので、僕も気が付かないふりをして先を進めることにした。
最初はいきなり音に合わせるのではなく、(恥ずかしいから)小声で歌いながら合わせようということになった。
「じゃあ、行くよ。……三、四」
「モッフモッフ、モフモフワンダー……」
小声で二人で歌いながらダンスをしていると、礼人さんがパンパンと手を叩きながら立ち上がった。
「はーい、ちょっと待てー」
「は……? え?」
戸惑って動きを止める僕らに、礼人さんが近づいてきた。
「動き小さすぎないか? 二人とも、恥ずかしいのが先に立ってんだろ?」
「…………」
「…………」
「まあ、気持ちは分かるけどさ。こういう時は開き直って踊り切った方が、却って恥ずかしさも吹き飛ぶもんだぞ? 見てる方も一緒に楽しむから可哀そうにって思われることもないし、白けられることもない。それに……、千佳は最強だぞ?」
「千佳先輩……?」
「ああ。言ってたろ? 下で盛り上げてやるって。あいつの扇動効果はけた外れだからな。大船に乗った気でいて大丈夫だ」
「は……あ」
「千佳先輩……って、工藤千佳先輩? ええーーーーっ!?」
目を真ん丸にして僕を見る高橋君は、何でお前がそんなすごい人たちと知り合ってるんだーという驚愕を露にした表情だった。
……うん、だからね、部活の先輩たちなんだよ。
高橋君の戸惑いはとりあえず横に置いておいて、僕らは礼人さんに励まされ叱咤されてダンスをきっちり(?)仕上げた。
パチパチパチパチー。
「よく頑張ったな―。いいんじゃないか? これだけ振り切ってりゃ、みんな楽しんでくれるぞ」
「はい! ありがとうございました」
「ありがとうございます!」
最初礼人さんに気圧されていた高橋君だったけど、今ではまるで礼人さんをダンスの師匠だとでも思っているかのような表情だ。
礼人さんのことを勘違いしている人たちが多い中で、こうやって本当の礼人さんを知ってくれる人が現れてくれるのは素直にうれしい。
三人そろって教室を出た後、高橋君とは校門でそのまま別れた。
「さて、と。四時前かー。どうする歩? 時間はまだ大丈夫だろ?」
「はい! 大丈夫ですっ」
「……んー、じゃあ今度は俺んち来るか? 帰りは送るぞ」
「はいっ。……て、え? い、いいんですか?」
「おう。寄ってけ」
「は、はいっ」
うわー、うわー!
礼人さんのお家って!
義理のお母さんだって言ってたよな。しっかり挨拶とかして、礼人さんの印象を下げないようにしなきゃ!
何か手土産持ってった方がいいのかな?
あ、でも友達の家に行くときにわざわざ持ってったりしないか。それに気を遣い過ぎて……とか言ってたから、逆にあまり気にしない方がいいのかな?
「こーら、なにグルグル考えてるんだ―?」
「え? あ、何でもないですっ! 緊張するけど楽しみにしてます!」
礼人さんは一瞬目を丸くしてそしてプハッと笑った。
「大丈夫だよ。あの人……義母さんは、俺が友達とか連れてくるとすごくうれしいみたいなんだ。いい人なんだよ、本当に」
「礼人さん……」
そうか。そうなんだ。
僕にはハッキリとは分からないけど、きっと新しく他人を家族として迎え入れるのはやっぱりいろんな思いがあるんだろうな。しかも礼人さん、自分のことを人見知りだって言ってたし。……繊細なところがあるもんな。
「じゃあ、僕元気よく挨拶します!」
「そうしてくれ」
ということで、今度は礼人さんがいつも普通に通う通学路から帰ることになった。
しばらく雑談をしながら歩いていると、道の向こうからサッカーボールを小脇に抱えた黒田先輩と白石先輩がこちらに向かって歩いてきていた。
「あれ?」
向こうもこちらに気づいて、驚いた顔をしている。
「よー! どこ行くんだ?」
「小浜公園だ! ちょっと体動かそうかってことになって。お前らも来るか?」
「おう! ……と、いいか? 歩」
「はい。もちろんです」
礼人さんのお家に行くのはまた今度でもいいよね。
「よし、じゃあ行こう」
礼人さんはスッと僕の手を取って、黒田先輩達の元へと走り出した。
公園は日曜のせいもあってか、この時間でも結構な人出だ。黒田先輩はサッカーボールを下に置いて、何やら考えている。
「バスケのゴールが空いてる。二対二でもするか?」
「えっ?」
どう見ても一人だけ運動音痴なこの状況で、スポーツ万能なこの人たちと一緒にプレーをするのはかなり気が引ける。
引き気味な僕に、礼人さんが僕の頭に掌を乗っけてグラグラと揺らした。
「遊びだ、遊び。この狭い枠内でシュート目指してわちゃわちゃすればいいんだから。ドジしたって誰も怒んねーよ」
「そうだよ鹿倉君。俺もそれほどスポーツは得意じゃないけど、この二人とのゲームは結構楽しいと思うよ」
「は……、はい。分かりました、頑張りますっ」
「だーから、頑張らなくていいんだってばよ」
僕の頭から手を離して、礼人さんがスッと背筋を伸ばした。
「いこーぜ」
夕陽を背に浴びて、ピンクバイオレットの髪がキラキラ光る。影を帯びた端正な顔が、一際かっこよく僕の目に飛び込んできた。
この、どう見ても僕と不釣り合いにカッコいいこの人が、僕の彼……、彼氏なんだよな。
改めてそう思って顔を真っ赤にさせていると、礼人さんがじんわりと微笑んだ。ああ、恥ずかしい。
いろんな意味でドキドキしながら僕も参加だ。
コイントスで攻撃権を決めて、最初は黒田先輩がボールを取った。
白石先輩にパスを回して、ゴール近くに走っていく。ボールを受け取った白石先輩はドリブルしながら進んでいき、黒田先輩にパスをしたところを横から礼人さんが素早くカットしボールを奪った。
「くそ―っ、礼人、お前お遊びじゃなかったのかよ」
「遊びだよ。けどクロの顔見てたら、ついついな―」
笑いながら礼人さんがアーク外へと歩いていく。
「行くぞ。ホラ、歩!」
「うわっ、はっはい!」
ポーンと弧を描くように軽く、僕でも簡単に受け止められそうなボールを礼人さんが放ってくれた。
一瞬わたわたしたけれど、「近くまで行ってシュートしてみろ!」と礼人さんが言ったので、ボールを突きながらもたもたとバスケットゴールへと近づいた。
ゴール下には黒田先輩がいたけど、思い切って「エイッ!」とシュート。
……したんだけど、すんなり入ってくれずにリングにガツンとぶつかって弾かれてしまった。礼人さんがそれをすかさずフォローしようとしてくれたのだけど、一瞬早く黒田先輩に奪われてしまった。
「テメー、クロ。せっかくいいとこ見せれるところだったのに、少しは遠慮しろよ」
「それはこっちのセリフだろ。さっきは人の見せ場奪ったくせに」
「いいじゃんお前は。シロは十分クロのかっこよさ知り尽くしてるだろ」
「あー、始まった」
「え?」
「なんだかんだ言ってあの二人、気が合うというかムキになるというか。楽しんでるんだよね、ああやって」
ああ、うん。
二人とも言い合ってるように見えるけど、表情はとても楽しそうだ。
黒田先輩は否定しそうだけど、何となく言葉でじゃれ合ってるっていうのがあってるかもしれない。
「それにしても……、たいていは礼人の方がもっと余裕で陸のことを揶揄うのが常なんだけど……。今日は歩君がいるから、礼人までムキになっちゃってるみたいだね」
「え?」
白石先輩の言葉に、礼人さんの言葉を思い出して顔が熱くなった。
目立つのは嫌だけど、僕がいるから本気になりたいってそう言っていた礼人さんの言葉……。
「うぉーい、歩、シロ。続き行くぞー」
「はーい」
「わかった」
白石先輩と戻って、また四人でわちゃわちゃとボールを奪い合う。黒田先輩はすごく上手いにも関わらず、僕にはかなり手を抜いていて楽しませようと思ってくれているようだった。ただ礼人さんがボールを持つと豹変して、凄く執拗にボールを奪いに行っていた。もちろん逆も然りだけど。
礼人さんがピポッドをしながら上手く黒田先輩をかわして、僕にパスをくれた。
「イケ、シュートだ!」
「はい!」
かなりの近くからシュートを放った。
パスン。
間が良かったのかフォームが良かったのか、僕の放ったボールが綺麗にゴールへと入っていった。
「おー、ヤッター」
シュートが決まってすぐ、礼人さんが僕の傍に寄ってきてスッと片手を上げた。
あ、ハイタッチ!
憧れてたんだ、これ。グラウンドで黒田先輩とハイタッチしているところを見た時から。
僕はドキドキしながら右手を上げて、パシンと礼人さんと掌を合わせた。
「綺麗なシュートだったな―。歩はもうちょっと自分に自信持つといいかもな」
「はい」
「いいフォームだったよな。名残惜しいけどもうそろそろ引き上げるか。少し暗くなってきたし」
「そうだな……。もう陽も落ちかけてるか。クロたちはこれからどうするんだ?」
「ん? 明日は学校だからな、そのまま家に帰るよ。紫藤らも帰るんだろ?」
「……ああ、その方が良いかもな。歩、送ってくよ」
「……はい」
先輩達とバスケをしたのは楽しかったけど、礼人さんとのハイタッチも嬉しかったけど……。礼人さんのお家、やっぱり行ってみたかったかな……。
名残惜しい気持ちでいっぱいだったけど、ここでわがままを言うわけにはいかないから、僕もおとなしく白石先輩たちに挨拶をして礼人さんの後に続いた。
「なあ、歩―?」
「はい」
「アイスクリームでも食べてくか?」
「え?」
もしかしたら僕がすぐに帰りたくないって思ってる気持ちに気が付いたんだろうか?
ニッと笑って、『行くよな?』といった表情で僕を見ている。
「はい、行きます!」
「よーし、じゃあついてこい。ちょっと遠回りするぞ」
「はいっ」
礼人さんはさっき通った道とは別の方へと進んでいき、ちょっとした商店街へと入って行った。
その一角に、見慣れた某大手チェーンのアイスクリームショップが見えて来た。店内は日曜だけあって、結構な人だ。
僕らが入ると、振り返った客がびっくりしたように礼人さんの顔を二度見していく。そして女の子たちは嬉しそうに頬を赤くして、コソコソと内緒話をした後キャーキャーとはしゃいでいた。
気持ちはわかるんだけどね……。
礼人さん騒がれるのってあんまり好きじゃないんだよね。嫌な気持ちになってなきゃいいけど……。
「どうした、歩?」
「あ、いえっ、何でもないです。えっと……、礼人さんはどれにします?」
「うん? 俺か? 俺はシンプルにチョコとか好きなんだよな。あと、クッキークリームとか……、でもなあ。ダブルにするにしても似た感じだから一つは柑橘系も欲しいよな……」
「クッキークリーム! 僕も好きです。……んー、決めました! 僕、クッキークリームにラズベリーチーズにします」
「じゃあ俺はチョコにバニラレモンにするわ」
二人でダブルのコーンを注文して、そのままお店を出た。その時礼人さんの後ろ姿を、お店にいるほとんどの女の人たちが目で追っていた。
どこにいても目立つ人だ。
きっとひいき目なんかじゃなく、トップアイドルと言われるような人達よりもずっとずっと綺麗でかっこよくて凄いオーラを放っている。そんなすごい人とこうやって当たり前のように一緒にいられることが嬉しいと同時に、やっぱり今でもすごく不思議に思えてならない。
礼人さんとアイスを食べながら元来た道を戻って行く。そして公園の入り口傍にあるベンチに座った。
「これ、食べたら送ってくな」
「……はい」
贅沢な時間をもらえてるってことは分かってるんだ。
元々約束していたとはいえ、僕の都合でそれは反故にされたはずだった。それなのに礼人さんがひょっこり現れてくれて、こうやって少ない時間とはいえ二人っきりの時間を与えてもらっている。
だけど……。
礼人さんの特別な存在になれてるかもって思えるようになってから、僕の中で、『もっと、もっと』って思いが膨らんでしまっていた。
「……参ったなぁ」
礼人さんが空いている手で僕の肩を引き寄せた。
トン、と礼人さんの腕の中に引き寄せられて心臓がトクンと大きく響いた。
……み、密着!
密着しているよ、僕……!
どっ、どうしよう……!!
アイスをほぼ食べ終わり、コーンがあと少しになっているので溶けて零れてくる心配はもうないんだけど、もちろんそんなことが問題なんじゃない! 礼人さんの温かい腕の中が嬉しくて恥ずかしくて、僕の顔に熱が集まって顔が熱い!!
「そんな顔されてると、帰したくなくなるんだけど」
「……礼人さん」
困ったように優しく微笑まれて、僕の心臓の音がどんどん激しくなった。
「……鹿倉君?」
……え?
不思議そうに窺う小さな声が斜め背後から聞こえて来た。びっくりして振り向くと、僕らをおずおずと窺う加山さんがいた。
加山さん!?
何で? どうしてここに加山さんがいるの!?
それより!
そんなことより……!
……どっ、どうしよう! 礼人さんとくっ付いてるところを見られちゃった!
僕なんかはどう言われてもいいけど、礼人さんは学校では知らない人がいないと断言できるほど有名な人だ。それなのに、男でこんなちんけな僕と付き合っているだなんてみんなに知られたら、きっと礼人さんの迷惑になる。
僕は慌てて礼人さんから離れて加山さんに言い訳をしようと思ったんだけど、それを察したはずなのになぜか礼人さんは逆に手の力を強めて僕から離れようとはしなかった。
「……礼人さん?」
僕の問いかけにニコリと笑って、礼人さんは加山さんを見た。
「誰? 歩の知り合い?」
礼人さんの表情は威嚇するでもなく警戒しているふうでもなく、いたって普通の表情だ。話しかけられた加山さんは首まで真っ赤になって、コクコクと頷いている。
そしてなぜだか目を潤ませるくらい感激した表情で僕と礼人さんを交互に見ては、フルフルと嬉しそうに体を震わせている。
……?
「あの、私……、鹿倉君と同級生の加山凛です」
「そう」
焦る僕を余所に、なぜだか礼人さんは平然としているし……、加山さんなんて礼人さんを目の前にして感激に打ち震えているといった感じだ。
……加山さん、男同士のこの密着具合を変に思わないんだろうか……。それとも仲のいい友達同士って、こんなもの……?
いやいや、女子じゃないんだから! てか女子でもこの体勢は不自然じゃないの?
「あの……、鹿倉君」
「へ?」
グルグル考え込んでいる時に突然加山さんに話しかけられて、僕は素っ頓狂な声を出してしまった。
「突然ごめんね? もしかしてだけどさ、その……鹿倉君と紫藤先輩って……」
言いにくそうに問いかける加山さんに、僕の顔面からスッと血の気が引いた。
やっぱり、やっぱり気づかれてるんじゃないか! どうしよう、どうにかして誤魔化さないと礼人さんに迷惑が……!
「あ、ゴメン! そうじゃないのっ。私軽蔑とか揶揄う気なんて無いからね! そうじゃなくて、頑張って! てか、密かに応援するから気を大きく持って!」
「……え、は?」
……そう言えば加山さん、さっきからキラキラした表情だよな。それも礼人さんだけに向けてるというよりは、僕も合わせてセットで感激してるって感じだし……。
「そっか。じゃあ、内緒にしていてくれる? ……出来れば歩とのことは、誰にも邪魔されたくないんだ」
「はい。大丈夫です。……きっとバレちゃったら多分、鹿倉君が女子からかなり恨まれると思うし、邪魔が入っちゃいそうですものね」
「加山さん……」
なんて人格者なんだ! いくら礼人さんに憧れてるからって、こんな大人な対応が出来るなんて!
「……歩」
「はい。あ、僕からもお礼を言わなきゃですね! 加山さんありがとう」
「……くくっ」
へ?
キョトンとする僕に、笑う礼人さん。その横で加山さんも苦笑いをしている。
「……紫藤先輩は気づいちゃってますね」
「まあな。……だいぶ前にそんな方々と遭遇したこともあるしな」
……??
「歩、この人はな」
「はい」
「ふの付く女子なんだよ」
「ふ?」
ますますキョトンとする僕に、加山さんと礼人さんは楽しそうに笑った。
人見知りだって言っていた礼人さんだけど、和やかに加山さんと話をしている。"ふの付く女子"の意味が未だに分からない僕だけが頭をグルグルとさせていた。
「さて、歩。そろそろ送ってく。きみも送るよ。どっち?」
「あ、私はこっから五分もかからないところのおばあちゃんちに行くんで、大丈夫です」
「おばあちゃんち?」
「はい。……え~と、あれ。あの先にあるクリーム色の二階建てのお家です」
「……ああ、あれか。じゃあ、気を付けてな」
「はいっ。あの、邪魔しちゃってごめんなさいっ」
なんとも言えないうれしそーな笑顔で言われて、僕と礼人さんは微妙な笑顔を返した。
手を振り去っていく加山さんを見送って、僕らも帰路に就いた。
「僕……、加山さんは礼人さんのことが好きなんだとばかり思ってましたけど、なんか違うんですね。憧れてる……ってだけだったのかな?」
「さあ……、どうかな」
礼人さんは苦笑して僕を見て、そして言葉を続けた。
「どっちにしても、歩の味方になってくれるみたいだから構わないよ」
「あ、それ!」
「え?」
「"ふの付く女子"って何ですか? 僕さっぱり意味が分からないんですけど」
「あー……」
ん?
困ってるような可笑しさをかみ殺しているような、なんとも微妙な表情だ。
「あの子はな……、んー、ようするに男同士がこうやって付き合ってたりいちゃついてたりするのを見たり妄想するのが好きな子なんだよ」
はあっ!?
ええっ!?
「な……、何ですかそれ」
「ま、そういう趣味なんだろ。……あんまり考えすぎなくていいよ。どういう趣味であれ、加山がいい子だってことは確かな事だろ?」
あ……。
「はい! 僕らのことも受け入れてくれましたし、それに加山さんは、普段から明るくてとても感じのいい人です」
「そうか、それは良かった」
「はい」
僕が笑って頷くと、礼人さんが頭をぽふんとひと撫でして微笑み返した。
だんだんと薄暗くなり風も少し冷えて来たけれど、僕の頬はほんのりと温かかった。
加山さんは僕と礼人さんの味方だと言ってくれてたけど、ちょっぴり緊張はしてたんだ。どんな顔で会えばいいのかなとか。揶揄われちゃうのかなとか。だけど、学校で会った加山さんはいつもと何にも変わることはなくて、特に礼人さんのことを振ってくることも無かった。
そして水曜日。登校するとすぐ、衣装が出来上がったと言って向坂さんが僕と高橋君を呼んだ。
「……え?」
「なにコレ。注文のと違うじゃないか」
広げられた衣装を見て僕らは絶句した。
だって……。僕らが指定したのは圭一の学生服に子猫の着ぐるみだったはずだ。それなのに、目の前にある衣装は派手な王子様っぽい圭一の衣装に、子猫のミミーが女の子に変身した時に来ているひらひらレースのワンピースだ。……丈も短い。
「かわいいでしょー、ほらぁ」
絶句する僕を余所に、向坂さんたちは嬉しそうに僕に衣装をあてがった。
「……て! ちょっと待ってよ! なんでこんなことになってるの? 僕は子猫の着ぐるみだって言ったよね! それにこれじゃあ、六百円で収まらなかったんじゃないの?」
「あ、大丈夫。圭一の衣装は確かに高かったけど、ミミーのこれは手作りだから、却って安くついたよ。私たち、手芸部なんだー」
ちっとも悪びれる様子の無い向坂さんにくらくらする。話もちっとも噛み合っていない。
「鹿倉……」
気の毒にと言った表情で高橋君が僕を見下ろした。
いいよね、高橋君は。……王子様の衣装だし、きっとかっこよくなるよ。
それなのにっ、それなのに何で僕だけ女装だなんてことになってるの!? 理不尽すぎるっ!
「お家の毛布で代用する……」
「え?」
なに言ってんのって顔で向坂さんと栗田さんが僕を見た。
「今からじゃ通販だって間に合わないでしょ? だから毛布で包まって猫ってことにするから!」
「なに言ってんのよ! 駄々こねないでよっ」
「駄々ってなんだよ! もとはと言えば向坂さんが悪いんじゃないか! だまし討ちだよこんなの!」
さんざんさんざんごねた。僕の中ではこれ以上ごねれないんじゃないかと言うくらいにごねた。
……んだけど、理不尽にも僕の方がみんなに説得され、結局ミミーの女装をする羽目になってしまった。
「……気の毒に」
「ひでーよな、向坂の奴。あれ絶対確信犯だろ」
皆に責められ宥められて、仕方なく僕はミミーの衣装を試着した。向坂さんたちに初めに寸法を測られていたこともあって、残念なことに何の手直しもせずに着ることが出来るという最悪の状態だった。
……小さすぎて着れないって状態だったらよかったのに!
打ちひしがれる僕に、加賀くんと加山さんが一緒になって怒ってくれた。怒ってくれたけど、だからと言って決まってしまったことが覆ることも無く、僕はやっぱりひたすら落ち込むことしか出来なかった。
「はう……」
放課後、みんなと一緒にバレーの練習に向かう加賀くんを見送って、またため息を吐いた。
「もう、ヤだなー。まだ落ち込んでるの? これから同好会でしょ? ……先輩に話して慰めて貰ったらいいよ」
「えっ? ……言いたくないよ」
「何でよ? シドウ先輩、優しいから抱きしめて慰めてくれそうじゃない……! あぁ~、想像しただけで美味しすぎてたまらないわ!」
「…………」
加山さんってこんな人だったっけ? ……礼人さんが言っていた"ふのつく女子"って、こういうことなのか。
だけど律義に礼人さんの名前だけは小さな声で話してくれているところは、加山さんの優しいところだ。
「ねえ、加山さん」
「なあに?」
「加山さんは……、その、レイトサンのこと好きなんじゃなかったの?」
「えっ? ああ、うん。好き好き。だってあんなキレイな男の人、めったにいないじゃない! 個人の好みかもしれないけど、同好会のメンバーの中でもダントツだと思うし! その、その綺麗な人がさ……!」
加山さんはそこまで言って、話を区切りキラキラした瞳で僕を見つめた。
……?
「ヤだー、もうっ!!」
バシバシ!
「ちょっ、痛いよ加山さん」
「鹿倉君!」
「え? な、なに?」
加山さんは僕をぐっと引っ張り、僕の耳元に手を添えて内緒話をする形をとった。
「紫藤先輩とさ、進展とかあったら教えてね! 楽しみにしてるからっ」
「ええっ?」
内緒話で何を言うかと思ったら! さっきの好きって何だったの? その感じは恋愛対象のそれじゃないよね!
「とにかく、私は鹿倉君の味方だからね。気を大きく持って、今日もしっかり甘えておいでよ」
「ええっと……」
なんて返事をしたらいいんだろう……。
僕がアウアウしている内に、別の女子が加山さんを呼びに来た。
「凛―、ドッジボールしに行くよー」
「あ、分かったー。じゃあね、鹿倉君。しっかり甘えて元気もらっといで!」
「う、……うん。加山さんも頑張って」
「オッケー。じゃね」
……なんというか。明るくハキハキとした加山さんの意外な一面だ。
正直驚いたけど、あの加山さんが味方になってくれたのはやっぱり嬉しかった。
部室に向かって歩いていると顧問の水樹先生が前を歩くのが見えたので、少し速足で近づいて挨拶をした。
「水樹先生、こんにちは。久しぶりですね」
「やあ、いろいろと忙しくてね。……て、あれ? そういえば鹿倉君早いな。君たちのクラスは練習はしないのか?」
不思議そうに聞かれてたじろいだけど、仮装担当になってしまったと伝えると、「それはそれで大変だな」と労ってくれた。
大変……。本当にそうだ。
僕はまた、性懲りもなく女装しなければいけないことを思い出して落ち込んでしまった。
「どうかしたか? なんだか元気が無いな」
「あっ……、はい。仮装担当で……」
「ん?」
「……仮装担当で子猫の着ぐるみを着るはずが、女子の策略で女装することになっちゃって……」
「――ああ。……そっか、それは……」
苦笑して僕を見る先生に何にも言えなくて、しばらく黙って二人で部室へと向かう。和風の建物が見えてきたところで、先生がまた口を開いた。
「なあ、鹿倉君」
「……はい」
「――まあ、なんだ。やらなきゃならない事ならさ、学生時代のバカバカしい経験ってことで、後々の笑い話にでもするくらいのつもりで割り切っちまったらいいよ」
「先生……」
「そうは言ってもって感じだな。だけどさ、俺くらいの歳になると分かってくるものだぞ? 学生時代のこういう思い出が、キラキラ輝く大切なものになっていくんだってことがさ」
水樹先生は優しく笑って僕の頭を撫でてくれた。
「先生……。それ、水樹先生の経験談ですか?」
「ああ、もちろんだよ。……たまにさ、フッと思い出して笑っちまうのは、やっぱりそういう馬鹿馬鹿しいことだったりするもんだ」
「……はい」
居心地の良い人だな……。あ、"人"じゃなくて先生だね。
優しい先生のおかげで、気持ちを少しだけ浮上させることが出来た。そんな僕の表情を見て、水樹先生がまた頭をポンポンと撫でてくれた。
「あー! 涼さん! 浮気しちゃダメだよー」
「え?」
「は?」
驚いて振り向いた僕らのかなりの後ろを、先輩達がこちらに向かって歩いていた。
「なに言ってんだ、千佳は」
笑いながらそう言って、先生は僕の頭をもう一撫でして手を離した。
「まあ、クロや剛先輩と違って、要さんも礼人も変な嫉妬はしないだろーけどさ」
へえ……?
確かに黒田先輩も東郷先輩も独占欲強いよな。初めて僕が同好会に入った時、結構二人には警戒されていた記憶があるよ。
「だけど珍しい組み合わせではあるよな。……久しぶりですね涼さん」
「ああ、たまには顧問として参加もしないとな」
立ち止まってる僕らに先輩方が少し速足で近づいてきた。もちろん礼人さんも同様で、僕の隣にやってきてつむじをフニフニと指で弄んだ。そしてその手をするりと下して、クッと腕を引き寄せる。
ま、また密着してるっ!
……嬉しいけどドキドキするよ。
チラリと礼人さんを見上げたら、パチッと目が合って優しく微笑まれた。
ギュムッ。突然タガが外れた僕は、礼人さんの腕にしがみついた。
「え……?」
ギュムムムムッ。
「どうした……? 歩?」
ポンポンと優しく背中を叩かれたけど、僕はどうしても礼人さんから離れたくなかった。礼人さんの微笑みが呼び水となって、必死で堪えていた甘えたいという僕の感情を抑えきれなくなったんだ。
しがみ付いて離そうとしない僕に、礼人さんはゆっくりと優しくギュッと抱きしめ返してくれた。
「歩……」
「…………」
「すごくうれしいけど、一応外だから。部室も近いから、中に入ろうか」
「……あっ! うわわ、すみません!」
礼人さんの一言でハッと我に返った。そうだよ、人気が無くてもここは校内だ。誰かに見つかったら礼人さんに迷惑だ!
僕は、焦って離れようと飛びのいた。
「そこまで離れなくてもいいだろ?」
可笑しそうに笑った礼人さんは僕の腕をクイッと引っ張った。そしてそのまま歩き出す。
「……あ、あの」
「うん?」
のんびりとした口調で返事をし、僕を見た後ニヤリと笑った。そして猫のように目を細める。
うわっ、うわっ、うわっ!
初めて見る……、ううん。正確には、初めて僕に向ける礼人さんの表情だ。先輩達を揶揄う時に、たまに見せる礼人さんの……。
「引率。迷子になったら困るだろ?」
「…………」
だけど。
声だけは、僕が初めて聞く礼人さんの声だった。
甘く優しくて、愛しくて仕方が無いと言った……そんな蕩けてしまいそうな礼人さんの、初めて僕が聞く声だった。
部室に入るなり、いつもの本棚が添えられている部屋では無くて、礼人さんは奥の部屋に僕を引っ張っていった。
「ちょっと奥借りるぞ?」
「はーい」
僕はちょっぴり緊張。
未だに繋がれている手からも、汗が滲み出ている。
「千佳たちみたいに人目も気にせずベタベタ甘えられるタイプじゃないだろ? 素直にもなりにくいしな」
礼人さんは掴んでいた僕の手を離して壁に凭れかかり、足を投げ出して座った。
そして足を広げて、ポンポンとここに座れと畳を叩いて促した。
「え……、あ、あのっ」
「ほら」
催促するように手を差し出されて、おずおずとその手を掴んだ。顔はおそらく真っ赤っか。だって、もの凄く熱くなってるもん……。
キュッと引っ張られ、素直にそこに腰を下ろした。背中からギュウッと優しく抱きしめられる。
心地よく背中から感じる礼人さんの規則正しいトクトクと響く心臓の音。じんわりと温かく広がる礼人さんの体温。じわじわと広がる幸せに、僕は僕を抱きしめてくれている礼人さんの腕をキュッと握った。
「なにか、あったんだろ?」
「……え?」
礼人さんが腕に力を込めて、僕を引き寄せるように抱き込んでさらに密着する。
ふわわわわっ!
「歩?」
「ふ……ふわぃっ……」
ドキドキするあまり、へんてこりんな返事になってしまった。は、恥ずかしい……っ。
礼人さんはクスリと笑い声を漏らした。
「なんだその声。……気のせいなのか? さっき、いつもより気落ちしているのかと思ったんだけど」
「礼人……さん」
気づいて、くれてたんだ……。
「僕……」
「うん?」
礼人さんは僕に無理やり聞き出そうとはしなかった。しばらくただただ甘えたくて、抱きしめてくれている礼人さんの腕に頬を擦り付けたりギュッと握りしめたりしている最中も、返事を急かすことはせずにされるがままになってくれていた。
だから、話さなきゃと追い詰められた気持ちにならずに、自然と言葉を口にすることが出来た。
「今度の仮装担当で……」
「うん」
「……着ぐるみから、女装させられる羽目になっちゃいました……」
「……そう、か」
キュウッ。
礼人さんの腕の力が、また少し入った。
「……俺もちょっと心配かなぁ」
「え……?」
「だって、お前可愛いから」
「ふええっ!?」
「……くくっ。だから、なんだその声」
だって、だって可愛いって! なにそれ!
「よいしょっと」
礼人さんが少し体を離して、僕の体をくるんとひっくり返した。(なんて力!)
おかげで、凄い間近で礼人さんと向かい合う形になった。
僕の目の前にある綺麗な澄んだ瞳。スッと通った鼻筋に、色っぽくて形のいい唇。こんな綺麗な男の人が本当に存在するんだなって、礼人さんを見ていると何度も何度もそう思ってしまう。
するり。
ピクン。
礼人さんの綺麗な指先が、僕の頬を撫でた。
何度も頬を行き来するその指のせいで、引きかけていた僕の頬の熱がまたじわじわとぶり返してきている。
ううう……、恥ずかしい。でも……、うれしいし気持ちいいからやめて欲しくは無いけど。
「……おまじない、しておいてやろうか?」
「おまじない?」
至近距離で僕を見つめる綺麗な瞳がキラキラと輝いている。うっとりと、僕の瞳は礼人さんのそれに引き込まれて、離すことが出来ない。
「そう、おまじない。緊張しないであっという間に終わって、そんでもって盛り上がるおまじない」
「……そんなおまじない、あるんですか?」
「あるよ。ホラ、目閉じてみな」
ゆっくりと微笑む礼人さんのその表情がなんだかとても色っぽくて、僕はドキドキしながら言われたとおりに目を閉じてみた。
ふわり……。
あ……。
びっくりしてピクンと体が反応した。
ふわりと優しく僕の唇に押し当てられた柔らかく温かい感触。柔らかく何度も食むように啄まれて、頭も体も沸騰したように熱くなった。
キ……、キス!
キスされてるよ、僕!
うれしさと緊張と興奮で、ボムッと正常な思考回路がショートした。固まって上手く力の入らない指で、礼人さんの腕を必死で掴む。
それにほんの少しクスリと笑った礼人さんが、硬直した僕の後頭部に掌をあてがい支えてくれた。
「礼人さ……」
「――黙って。もうちょっと」
「……え? え?」
し……、し、舌!
ぼ……、僕の口の中に礼人さんの舌が入ってきてるーーーーーーっ!!
熱く柔らかく。そして少しざらざらとした弾力のある艶めかしいそれが、僕の舌を甘く絡めとる。舐めてなぞって絡めとり……、息も絶え絶えな僕は、礼人さんにされるがままただただ翻弄され続けた。
「……ふっ、あ……」
「かわいい……」
ぼんやりと開いた僕の目に映るとても綺麗な顔。そんな綺麗な人が、僕なんかに「かわいい」だなんて……。
「歩……」
「礼人……さん」
僕の名を呼びながら、礼人さんが掌で僕の頬をするりと撫でる。そしてそのままその手のひらを首筋に下ろした。
ビクン!
何かに反応したように、体が突然跳ねた。
な、なにコレ!
「あー、もう! 可愛くてたまんねーな歩は」
言うなりグイッと引き寄せられて、ギュッと抱きしめられた。
どうしよう、熱いよ。体中が沸騰したように熱い。でも、その熱さが不思議と心地いい。
礼人さんの背中に腕を回した。僕だけじゃなくて、それ以上に熱い礼人さんの体も……、凄く凄く心地よかった。
礼人さんは、僕を抱きしめたまま僕の側頭部に頬を擦りつける。スリスリとするその感覚が、僕の中から礼人さんを愛おしいという気持ちを増殖させているようだ。
愛しくて切なくて、離れたくない。
「……まずいよなぁ」
頬ずりを止めた礼人さんが、今度は僕の背中を摩りながらポツリとつぶやいた。
「礼人……さん?」
「いや……。まあ、なんだ。歩の仮装の時は絶対見に行ってやるから、それこそ本当に俺だけに見せるつもりで頑張れよ」
「……うう。それも……。礼人さんにそんな変な恰好見せるのも嫌です」
「変か? ……歩は可愛いから、逆に似合ってライバルが増えるんじゃないかと心配なんだけど」
「はあっ?」
ライバルが増える?
余りにもあり得ないことを言う礼人さんに素っ頓狂な声が出た。
「なんだ、自覚なしか?」
「あり得ないです! 礼人さん……、それ、……欲目ってやつですよ」
「ああ、惚れた欲目ってソレか」
「……う。ま、まあそうです……」
ほ、惚れたって……。恥ずかし過ぎるからぼかしたのに……。
自分でそんなことを言っちゃうなんて、僕も結構うぬぼれちゃってるよね。なんだかめちゃくちゃ恥ずかしい。
そんな僕に、揶揄うように慈しむように、礼人さんが僕の髪を撫でまわした。
「そうなのかなぁ。本当に可愛いと思ってるんだけど俺は」
「礼人……さん」
綺麗な瞳にまじまじと見つめられて、体中から汗が滲みだす。
……分かってないのかな礼人さん、自分の破壊力。おかげで僕はさっきから、ちっとも平常心ではいられない。
……でも。そういえばさっきから、凹んでる間もないくらいに気持ちが昂ってる。
凄いんだよ本当に、礼人さんって。
もうちょっと甘えてみたくて、礼人さんの肩にちょこんと額を乗っけてみた。礼人さんは『よしよし』とするように僕の頭を撫でてくれた。
そしてついに新入生歓迎スポーツ大会の日になった。
クラスのみんなもどことなくお祭りムードで、いつもよりリラックスムードだ。テンション低いのは、多分僕だけ……。
開会の挨拶も終わって、みんなそれぞれに動き出した。
「歩―、これスケジュール。俺らのクラスのバレーは最初の試合だから、見ていけよ」
「うん、もちろん。しっかり応援するからね」
僕は加賀くんから渡されたスケジュール表に目を落とした。僕らのクラスの試合のチェックはもちろんだけど、礼人さんのクラスのサッカーの試合も確認する。
ええっと、加賀くんの試合が一番初めの九時からで……。礼人さんのは……、九時五十分頃からか。
ああ、よかった。これなら両方ちゃんと応援出来るね。
午後からのスケジュールも確認していると、今度は高橋君が向坂さんらと一緒にやって来た。
「鹿倉、俺らは一時半ごろだってさ。一時には着替えてくれってさ」
「衣装は私の席に置いてあるから、教室で着替えるでしょ?」
「……うん」
嫌だけど、渋々頷いた。どんなに反抗しても、覆らない事だもんな……。
はあ……。
高橋君とはしばらく仮装のことで少し話をして別れた。高橋君は、どうやら別のクラスにいる好きな子がドッジボールの試合に出るみたいで、バレーよりもそちらを優先したようだ。
「鹿倉君、鹿倉君」
ため息をついていると、向こうの方からうれしそうに加山さんが手を振りながら走ってきた。
「あ、加山さん。加山さんのドッジボールは……」
「それはいいから!」
「え?」
「ドッジボールなんて五分で終わりだし、バレーの応援してていいから。……それよりさ、紫藤先輩の試合一緒に見に行こうよ。私の方は九時半には試合終わるし」
「ああ……。うん、僕もそうしてもらえるとうれしい」
「ふふっ。うれしいのは私の方だったりするけど、じゃあ、約束ね! 試合終わったら、バレーの応援に移動するから」
「凛―、行くよー」
「はあい。じゃあね、鹿倉君! また後で!」
頷いて手を振って、僕は加山さんを見送って加賀くんのバレーを見るために移動した。
僕ら一年六組は、三組との試合だ。
「なんだか強そうに見えるなぁ」
なんというか、顔つきのしっかり(?)した人が多くて強そうに見える。
サーブは三組からのようだ。強気な顔から想像つくような、強力なジャンピングサーブだ。
この人もバレー部なのかな?
とてもじゃないけどこんなサーブ、僕には拾えそうにない。
あ、加賀くんが拾った!
さすがだ。上手く打ち上げて島田君のトスへとつなげている。
「やあ、鹿倉君」
「……え? えっ、あ、桐ケ谷先輩、水樹先生も。こんにちは」
手に汗握り前のめりになって見ているところで声を掛けられたので、ちょっと狼狽えてしまった。慌てて挨拶をしたんだけど、先輩も先生もニッコリと笑ってくれた。
二人とも、僕の印象ではすごく落ち着いた大人な人だ。
「礼人とクロのサッカーがそろそろあるけど、鹿倉君も見に行くだろ?」
「はい。えっと、クラスの子と一緒に見に行く約束をしました」
「……子? 女の子なのか?」
「はい。……とは言っても、僕と礼人さんのことを知ってる子で……、応援してくれてます」
「へえ? それは良かったね」
「はい。……あの、桐ケ谷先輩は確かサッカーでしたよね?」
「ああ。午後からだよ」
「午後?」
「一時からの試合だ」
「……あ、そのころは僕、仮装のため衣装を着替えに行かなきゃいけない時間です……」
「……ああ、そうか。まあ頑張れ。俺以外はみんな鹿倉君の応援に行けると思うから気を大きく持ってな」
「……う。それもかなり恥ずかしいですけど。……頑張ります」
仮装のことを考えるとため息しか出てこないけど……。
ふと、礼人さんがくれたおまじないが脳裏をよぎった。
うわわわわ、どうしよう。確かに破壊力抜群だ。顔が熱くなってきた!
落ち込みかけていた気持ちが、恥ずかしさとうれしさとドキドキがよみがえったことで薄れてきたけど、これはこれでちょっと問題な気がする……。
「鹿倉君?」
「あ、なっ何でもないです!」
僕の顔が突然真っ赤になったので、桐ケ谷先輩たちが驚いて顔を覗き込んだ。慌てて両手をパタパタと振っていると、突然「ワー!!」という歓声が聞こえて来た。
三人でコートに視線を戻すと、加賀くんたちがハイタッチをしている。どうやら点を入れたようだ。
点差を確認しようと目を向けると、三対六で僕らのチームが勝っている。どうやら僕のクラスの方が勢いに乗っているようだ。
ワクワクしながら見ていると、三組のセンターからの猛烈なスパイク。それをまた加賀くんが臆することなく綺麗なレシーブを返した。
凄い! 凄いよ、加賀くん!
それを島田君が受けて、白井君と和島君が時間差攻撃を決めた。凄い!
そういえば白井君もバレー部だって言ってたっけ。
「あのレフト、やるなぁ」
感心したように桐ケ谷先輩が加賀くんを見ている。
盛り上がる試合に、桐ケ谷先輩も水樹先生も僕らと一緒になって応援してくれた。
応援の甲斐があってというよりは、加賀くんたちの頑張りで僕らのクラスは勝つことが出来た。二回戦進出決定だ。
「おめでとー」
「応援、サンキュー」
戻って来たみんなを労っていると、パタパタと加山さんが走って来た。
「勝ったんだね! おめでとー」
「おう。加山は?」
「もちろん、勝ったよ!」
「そっか、お疲れさん」
「おめでとう」
午後一の試合が組み込まれているサッカー以外は幸先よくまずは一勝だ。喜んでいる横で、桐ケ谷先輩たちが僕に軽く合図をして離れていった。どうやら、礼人さんたちの試合を見るために移動するようだ。
「鹿倉君、そろそろ行こう」
「うん、そうだね。じゃあ、みんなお疲れ様。ちょっと他の試合見に行ってくるね」
「ああ。……どこ行くんだ」
「紫藤先輩の試合よ! 鹿倉君と一緒に見に行くんだ」
そう言いながら、加山さんが僕の腕をグイッと引っ張った。その様子を見た加賀くんは、どうやら僕が読書同好会に入っていることを知られたせいで加山さんのイケメン好きに付き合わされていると思ったようだ。『気の毒に』というような表情で、ひらひらと手を振って僕らを見送った。
「ありがとう、加山さん」
「ええっ? お礼を言うのはこっちなんだけどな」
「そうかな?」
「うん。まあ、試合が始まればすぐにわかるよ」
「?」
「さ、いい場所取らなきゃ、急ごう」
焦り始めた加山さんの言葉に視線を上げると、加山さんが危惧する通り沢山の女子がそこを目指して大移動している。
凄い……。
「紫藤先輩と黒田先輩が一緒に出るからね。二人のファンが一気に押し寄せてるんだよ」
「ああ……」
そういえば黒田先輩も、キャーキャー騒がれてたっけ。二人とも相手になんてしてなかったけど。
「ちょっとすいませーん」
群がる女子の中を、僕の手を引いた加山さんがいい具合に隙間を見つけて人波を掻き分けていく。おかげでかなり前の方まで出てこれた。ここなら試合も何とか見れそうだ。
「……ったく、るせーな。なんだこの女子」
「しょーがねーだろ。紫藤と黒田が一緒に出るらしいから」
「紫藤!? げぇっ! あいつ嫌いなんだよな、俺。派手な格好してさ、なにやっても目立ちます~って感じがほんと気持ち悪い」
なんだと~!?
偏見もいいとこたよ! 礼人さんの本心も分からず勝手なこと言って!
言い返したい! 礼人さんは好きで目立ってるんじゃないって、自然にカッコいいし優しいから女子の人気も高いんだって!
そう大きな声で言ってやりたい!
怒りでプルプル震える僕の肩を、加山さんがポンポンと宥めるように叩いた。
「紫藤先輩、そんなんじゃないけどな~」と明るい口調で前方の上級生にも聞こえるような声で言った。
「なに?」
あからさまな物言いの加山さんに、どう考えても自分が言われたと感じたその上級生が不機嫌そうに振り返った。
「私には、騒がれるのを喜んでるようには見えないってこと」
「はあ? だったら何でお前らはこうやって紫藤を追いかけてるんだよ」
「だって! あんなにかっこいいんだもん、見ずにはいられないっしょ」
「……なにがいいんだか、あんなすかした奴」
「れい……、紫藤先輩はそんなんじゃないですよ! すごく優しくて繊細で……」
「はあっ? ばっかじゃねーの? ないない、ソレあり得ないから」
バカにするように爆笑して、話はおしまいと言うように上級生らは前を向いた。
すごく悔しくて頭に来た。だけどさらに蒸し返して文句を言うのは、却って礼人さんの迷惑になってしまいそうで出来なかった。だってこういう人たちって、些細な理由を付けてどんどん礼人さんのことを勝手に毛嫌いしていきそうなんだもの。
やりきれない思いでため息を吐いていると、隣で加山さんがムッとした顔で『イ~!!』と凄い顔をしていた。
「……加山さん」
「なによ?」
「……ありがとう」
「やーねー、もう! 乙女の可愛い顔が台無しだよ」
そう言って、加山さんは僕らのモヤモヤとした気持ちを明るく笑い飛ばしてくれた。
「あ、ホラ。始まるみたいだよ」
ピッチに目を向けると、選手らが並び始めていた。
キックオフをし、ゲームが始まった。
紺色のTシャツを着た黒田先輩が素早く出てきて相手チームからボールを奪う。白いシャツと紺のシャツに分かれているので、どちらが味方でどちらが敵なのかが瞬時に分かって見てるこちらとしては有難い。
黒田先輩がボールを奪ったところで、あちらこちらから「キャアアー―――ッ」と歓喜に溢れた悲鳴が沸き起こった。
「凄いね……」
「ホントにねー。……ああいうモテ過ぎる人を彼氏にしたら気分はいいかもしれないけど、大変だろうなぁ」
「…………」
ポロリと、思わず零れた本音だったんだろう。加山さんは突如ハッとした表情に打って変わって、「たとえ話だからね!」とパタパタと手を振った。
「うん」
分かってるよ。という気持ちで、軽く加山さんに頷いておく。ピッチ上では、黒田先輩を思うようにさせまいと三人が付いていた。
「一対一じゃ無くて一対三なんだ。凄いな……」
「うん。でも、黒田先輩すごいよ。ボール奪われてないもん」
加山さんが感心する通り、黒田先輩は三人の隙をつくようにひょいっとその場から抜け出してサッと辺りを確認した。視線の先には礼人さんがいたのだけど、これまたそれを事前に察していた相手チームに二人掛かりで邪魔をされていた。黒田先輩は礼人さんにパスを回すのを諦めて、他の人にパスを渡す。渡された相手は、ドリブルをしながらゴールに向かおうとするのだけど、相手チームに奪われてしまった。
「ああ~っ!」
あちらこちらから聞こえる残念そうな声。
これ……。こんな状況での試合って、どっちもやりにくいんじゃないかな。それとも試合に集中してるから、そんなことに気が付く余裕はないんだろうか?
変な心配をしている間に、ボールを奪った相手チームの人に黒田先輩が追い付いてディフェンスを仕掛けていた。それで零れたボールを傍にいた別の紺のTシャツを着ている人が上手く引き継いで走り出す。結構この人もうまくて、相手のディフェンダーをうまくかわしてシュートを放った。
……!!
入ったー!
「ヤッター!」
パチンと加山さんと手を叩いて喜び合う。
……?
「あれ? ゴールしたのにあんまり騒がないんだね」
さっきから黒田先輩がボールを保持している間中、あんなにキャーキャー言ってたのに。
「……目当ては別なんでしょ。興味のない人が活躍してもどうってことないんだよ」
あからさま過ぎるよ! そんなんだから、礼人さんがやっかまれるんだ。迷惑。
僕が心の中でぶつぶつ文句を言っている間に、キーパーが思いっきり遠くへとボールを投げた。運のいいことに傍にいた礼人さんが、ボールを体に当てて上手く勢いを削いでまたゴールに向かって走り出した。
「キャアアアア―――!! 行け―礼人ぉーーーっ」
「礼人―――! カッコイイ―!」
どっかのアイドルのコンサートさながらのすごい悲鳴の渦だ。
「ああ、もう。うっせー」
「これだから、ヤなんだよ。紫藤らが出てる試合を見るのは」
「仕方ないだろ。須賀が出てる試合なんだから応援してやらないと」
「わぁってるよ」
そうか。礼人さんは嫌いだけど友達が出てるから見てるんだな。もしかして、相手チームのクラスの人なんだろうか?
「鹿倉君! 鹿倉君!」
突然隣の加山さんが僕の手をペチペチ叩いた。視線を戻すと、礼人さんと黒田先輩がパスをしあいながらゴール近くに確実に近づいてく。
礼人さんより少し前に出た黒田先輩に、礼人さんが相手チームをうまくかわして黒田先輩にパスを出した。それを黒田先輩が、上手い角度からゴールを狙い――
ボールはキーパーの脇を抜けて、ゴールネットを揺らした。
シュートを決めた黒田先輩に、スッと礼人さんが近づいてお互い二ッと笑い合いパチンと右手を挙げてのハイタッチ。
うわあああ―――!
ヤッター!
かっこいい、かっこいいよ二人とも!
思わず僕も加山さんと二人でハイタッチ。
「やったね! 黒田先輩かっこいい!」
「うん、礼人さんも!」
もちろん僕らが燥いでいるんだ。周りではその何十倍ともいえる異様さで、女子らが悲鳴のような歓声を上げていた。
「キャアアアアアアアーーーーー!!」
鼓膜が破れるんじゃないかってくらいの叫び声だ。女の子たちはみんなぴょんぴょんと跳ねながら、あちらこちらでハイタッチをしている。まるで県大会かなんかで優勝したかのような、凄い喜びようだ。
僕は周りのざわめきはとりあえず横に置いといて、ワクワクしながら礼人さんたちを見つめていた。すると、スッとこちら側に視線を向けた礼人さんが僕に視線を合わせた。
あ……! と思った瞬間、礼人さんは軽く口角を上げてさりげなくスッと手を上げた。
トクン。
今、今僕に……、僕だけに合図してくれたよね?
もうこちらには背を向けて、試合の渦に戻って行ってしまったけど、僕は一人でドクドクと煩い心臓と共に幸せをかみしめている。
「く~、たまんない!」
「……? え?」
加山さんは満面に笑みをたたえながら体を震わせている。
「ど……、どうしたの?」
パチッと目が合うと、笑みがだんだんと崩れていきニヤニヤとした下品な笑い方になった。
「ヤダ、もう! ヤダ、もう!」
バシバシ!!
「いっ、痛いよ加山さん」
「いいの、いいの。気にしないで、あ~、もう幸せ!」
訝しむ僕を余所に、加山さんは体をくねらせしまいにはしゃがみこんで、「たまらん、けしからん」だの意味不明な言葉を言っていた。
その後も相手チームにゴールを決められはしたけれど、結局礼人さんたちのクラスの勢いは衰えることはなく、四対一で試合は終了した。
「凄かったねぇ……」
未だ興奮冷めやらずの表情で、加山さんが「ほうっ」とため息を吐く。僕の心臓も無駄に働き続けて、興奮と幸せにトクントクンといつも以上に心音を鳴らし続けていた。
しばらく二人で礼人さんのかっこいいところを言い合いながら楽しい時間を過ごし、十一時半にはドッジボールの二回戦が入っていたので、僕は加賀くんたちと合流してみんなで女子のドッジを応援した。
そんなこんなでお昼休み。
僕は加賀くんたちと一緒に弁当箱を広げた。そのすぐ隣では加山さんたち女子のグループが輪になっている。そこでもやっぱり、話題は礼人さんたちのサッカーの試合のことだった。
「ねえ、見た? 黒田先輩のシュート! かっこよかったぁ」
「見た、見た。紫藤先輩もかっこよかったよ! あのアシストがあってこそのシュートでしょ!」
「うん、うん!」
「それでさ、菜摘と私かなり前の方から見れたんだけど、紫藤先輩がニッコリ笑うトコ見ちゃったんだよね!」
「えっ? なにそれ! 愛花に笑いかけたってこと?」
「まさか。黒田先輩がシュート決めた後だったから、自然に笑みが零れたのかもしれないけどさ。……それにしてもかっこよかったぁ……」
「…………」
それって確か、あの時のことだよな。
……あ、ヤバイ。僕も思い出しただけでにやけそうだ。
「女子はまるでイケメン祭りだな。……そういや歩、お前この後だよな」
お、思い出してしまった。そうだよこの後、ミミーの衣装を……。
「おいっ! 大変だぞ!」
落ち込み始めた僕の思考を遮るように、バタバタと廊下を走って所沢くんがやって来た。
「なんだ所沢。お前飯食ったのか?」
「食った! てか、大変なんだって! 増岡が階段から足踏み外して捻挫しちまった!」
「ええっ? 大丈夫なのか?」
「うん。一応、そう酷くはないみたいなんだけど午後のサッカー出られなくなっちゃって……。あ、高橋! お前増岡の代わりにサッカーの試合出ろってさ」
ええっ!?
「あ、うん。分かった。……あー、鹿倉、しょうが無いよな?」
え?
え?
ええーーーーーーっ!?
てことは、てことは僕一人であのミミーの衣装を着て踊るってこと――――!?
うわぁぁぁぁん、神様―!!
何でこうなるの―――――っ!!
