「なあ、歩、お前どの部に入るか決めた?」

 出席番号順のおかげで僕の前に座っている加賀くんが、くるんと後ろを振り返って僕に聞いた。加賀くんは気さくな性格で僕と話もあったので、いつの間にか親しくなれて今はしょっちゅうつるむ友達になっている。

「ううん、まだ。でもあんまり運動は得意じゃないから、文化系で探したいなって思ってるんだけど。加賀くんは?」
「俺? 俺はバレー、中学の時からやってるんだ」
「そうなんだー、かっこいいね」
「アハハ。なんだそれ、別に普通だろ?」
「そんなことないよ。僕運動神経ほぼゼロだから、スポーツマンって憧れるよ」

 僕らの話を聞いていたんだろう、隣の女子、加山さんも話に加わって来た。

「ねえねえ、文化系って言ったらさ、加賀くんたち知ってる?」
「何を?」
「部じゃないんだけどさ、読書同好会ってすごいところがあるんだけどさ」
「凄い? なんで同好会が凄いんだ?」
「それがね! すごいイケメンぞろいなんだよ!」
「ああ……」

 目をキラキラと輝かせて話す加山さんに、加賀くんがうんざりしたような顔をする。

「ばっかばかしい。読書なんて、わざわざ同好会なんて作らなくても勝手に読んでればいいのに」
「何よ、もう―! そこにいる紫藤礼人って人がさ、めちゃくちゃかっこいいんだよ!」

 ……え?
 紫藤……礼人?

 不意打ちで聞いた紫藤さんの名前に、ドキンって心臓が大きく鳴った。

 紫藤さん……、紫藤さんが読書同好会にいるんだ!
 どうしよう。
 入りたい! 入ったら、あの紫藤さんに毎日会えるんだ!

「あー、はいはい。そんなにかっこいいんなら、入ればいいじゃん。そうすりゃ毎日イケメン拝み放題だろ?」
「そうなんだけどさー、アソコ何でかわかんないんだけど入会希望者を審査するみたいで、全員断られてるみたいなのよ」
「……審査?」

 何?
 それどういうこと?
 驚きすぎて、さっきまでうるさかった心臓がまるで止まったかのように静かになった。

 加山さんが、びっくりして思わず漏れた僕の言葉に反応し大きく頷いた。

「そうなのよー、酷くない? 隣のクラスのナミナミがさ、友達と一緒に申し込みに行ったんだけど、なんだかやたらデカい人に『お前らは駄目だ』の一言で却下されたんだって! その人もすごいイケメンだったらしいんだけど、感じ悪いったら無いらしいの!」

「そ、そうなんだ……」
「それ聞いたらさ、チャレンジする気無くなっちゃって。だって断られたらショックじゃない」

 デカい人って誰だろう?
 クリスマスの時に一緒にいた人たちは、そんなにデカい感じじゃなかったし怖い感じでも無かったけど……。

 入会させる気が全くないのなら、多分僕もダメだよな。
 やっぱり遠くから紫藤さんを眺めることしかできないのかな……。


 小心者で平凡で、自慢できることが何もない僕は、可愛い女子らに交じって紫藤さんを追いかける真似なんてとてもじゃないけど出来ない。だから僕は、時々遠くを歩いている紫藤さんを見るだけで満足していた。
 読書同好会は気になるし入りたいとは思ったけど、加山さんの情報を聞いた今ではその勇気もとうになくなっている。

「あ、アレだな」

 加賀くんが廊下の窓から指さした。
 つられてそこに目をやると、紫藤さんが歩く周りを数人の女子が取り囲みながら移動している。

 ツキンと胸が痛む。

 ため息つきながら見ていると、紫藤さんが誰かに気が付いて手を上げた。そしてまとわりついている女子らに何かを告げて走っていく。
 それがなんだか気になって紫藤さんが駆けて行った先に目を向けると、そこにはあの時紫藤さんと一緒にいた、優しい感じの人が立っていた。

「あの人も読書同好会のメンバーだってさ」
「そうなの?」
「うん、加山が教えてくれた。イケメンぞろいっていうのはどうやら本当のようだな」
「……うん」
「だけどまあ、俺には関係ないか。……でも、歩は文化系に入りたいんだよな?」
「え? あ、そうだけど。でも加山さんの友達が断られたんだよ? 僕なんて絶対だめだよ」

 思わずため息を吐いてしまう。そんな僕に、加賀くんがそんなことないだろと言ってくれた。

「もしかしたら純粋に読書が好きな会員を求めてるんじゃないのか? どう見ても同好会の誰かが目当ての女子だったから断ったのかもしれないぞ」
「え? あ、そうか」

 そういうことなら納得いく。
 入部するのに審査だなんて想像つかないけど、きっと前にそう言ういざこざがあったんだろう。特に紫藤さん、すごくかっこいいもんな……。

「行ってみれば?」
「……でも」

 言い淀む僕に、加賀くんが笑って肩を叩く。

「ま、無理強いすることでも無いけどさ。他にもいろいろあるだろうからゆっくり考えたらいいさ」
「……うん」

 そう返事をしたものの、やっぱり僕の心の中には『入りたい』という欲求が強まってきていた。



 放課後になって、バレー部に向かう加賀くんを見送ったあと僕は校内を散策した。

 ……散策と言うと聞こえはいいけど、実は紫藤さんのいる読書同好会が気になるから、こっそり同好会の部室になっている和式の部屋を見に行ってみようかと思ったんだ。

「でも、今から行ったら同好会の人たちと鉢合わせしちゃうよな……」

 ちょっと迷った末、僕は適当にぐるりとグラウンドを見渡して、それから中庭や図書館裏を適当に歩き回ってからその部屋を見に行くことにした。


「……そろそろいいかな」

 時間を確認して読書同好会の部屋に行こうとした時、向こうから数人の上級生らしき女子がバタバタと走って来た。

「もー、ほんっと礼人ったら逃げ足早いんだから―」
「見失っちゃったね」
「もう同好会に行っちゃったんじゃない? ……行ってみる?」
「えぇー? やだよ。例の鬼先輩、怖いんだもん」
「ああ、あの先輩! あれヤダ。私も苦手っ」

 ……鬼先輩?
 もしかして、加山さんが言っていた人かな?
 たしかデカいイケメン……。

「もういいや、帰ろっか」
「うん。帰ろ、帰ろ」

 ぞろぞろと帰っていく彼女らを見送って、ちょっぴり考える。

 やっぱりもうちょっとこの辺ウロウロしてから行くことにしよう。
 さっきまで紫藤さんがこの辺にいたとしたら、他の人たちもそうかもしれないし。

 そう考えて中庭をテクテク歩いていたら、奥の方からガサッと人の気配がした。
 何気なくそちらに顔を向けたら……。
 憧れて憧れて、もう一度会って話が出来ればとそう思っていた、紫藤さんがいた。

「……あ」

 思わず漏れた僕の声に、紫藤さんが気が付いてこちらを見た。
 
 見て、目が合って。
 紫藤さんも「あっ!」と声を上げた。

「うわ、久しぶりだな―。元気だったか? ……え? あれ、そういやお前、志望校は富樫じゃなかったっけ」
「……はい。だったんですけど、聖徳も良いなって思ってて……、で、こっちにしました」

 あー、やっぱドキドキする。
 遠くで見てるより、やっぱりこんだけ近いと迫力が違う。
 本当に、こんなモデル張りの綺麗な人っているんだよなあ……。

「歩、もうどっかに入った?」

「え?」

 あ、歩って! 歩って!
 名前、憶えてくれてたんだ!
 ていうか……! 呼び捨て名前呼び!
 ど、どうしよう。うれしすぎる。

 顔を真っ赤にさせて心臓バクバクさせていたら、目の前の紫藤さんが困ったように笑っていた。

「あ……、えと、あのっ……」

 何聞かれたんだっけ? テンパり過ぎて忘れちゃった。

「部活は? どっか入ったのか?」
「……あ。いえ、まだです。文化系に入りたいなっては思ってるんですけど、まだ決められなくて」
「ふうん。……じゃあ、俺んとこ入る?」
「……え?」
「読書同好会。本読んでくっちゃべってるだけだけどな」

 え!?
 ええっ!?

「い、いいんですか!?」

 目を真ん丸くして驚く僕に、紫藤さんも驚いていた。

「あ、えと。クラスの子の友達が、その同好会に入りたいって言ったらすごく怖い人に却下されたって聞いたんで……」
「ああ、……あれ!」

 どうやらすぐに思い当たったようだ。そして何やら可笑しそうに笑いだした。

「あれはな……、まあしょうがないっつーか……」

 笑いを堪えながらだけど肯定しているから、やっぱり審査があるのは嘘ではないらしい。

「だけど歩は大丈夫だから」
「……え?」

 笑いながら、僕の目を覗き込むようにしてそう言われて、僕の心臓がトクンと波打った。

「俺が推薦するよ。いやじゃ無ければ」
「い、嫌じゃないです!」

 間髪を入れずに返事をした僕に、紫藤さんは楽しそうに笑っていた。

「そうか。じゃあこれから行くか」
「は、はい」

 意気込んで返事をする僕に、紫藤さんは笑って手招いた。
 紫藤さんの隣を歩く。ああ、すっごくドキドキする。

 紫藤さんは僕より背が高いからもちろん足も長い。歩くスピードが違うので、少し小走りになっていると、それに気が付いた紫藤さんが歩く速度を落としてくれた。

「悪い。歩の身長考えてなかったな」
「大丈夫です。……ちび……で、すみません」

 ちょっと息を弾ませながらそう言うと、紫藤さんは小首を傾げ、そして楽しそうに笑った。

 キュン。

 ああ、やっぱりいいな。紫藤さんの笑った顔。

 初めて会った時も思ったけど、こんなに綺麗でかっこいいのに、紫藤さんは気さくで話しやすい人だ。だからモテるだろうなとは思っていたけど、まさかこんなに紫藤さんの人気がすさまじいとは想像していなかった。
 紫藤さんの隣で、またこんな風にお喋りすることが出来るなんて……、なんだかまだ夢を見ているみたいだ。

「ホラ、着いたぞ。いいだろ? 隠れ家みたいで」
「はい」

 校舎の奥の、少し離れた場所に佇むように建てられた和風の建物。
 ここで紫藤さんが、放課後みんなと集まってるんだ。――みんなの憧れの読書同好会。

 う、うわわ。緊張してきたっ。

「あの、しっ紫藤さん」
「うん?」
「あの、僕本当に大丈夫でしょうか? えっと、その。皆さんイケメンで、すごい人たちばかりみたいな噂も聞いたんですけど……。やっぱり審査で却下されないでしょうか」

 大真面目で尋ねる僕を紫藤さんはポカンと見つめて、それからすぐに吹き出した。
「……ぷっ」
「え?」
「ア、アハハハハハハハハッ。……っ、なに、イケメンですごいって? しかも審査って……! 無い無いそんなもの」
「え? だって……」
「確かにかなりの子たちにお断りはしたけど、それは審査というより、……今の同好会の雰囲気を壊したくないというのが基本にあるんだよ。だからメンバーの誰かと良い仲になりたいっていうスケベ心を持っている人には、問答無用でお断りさせてもらっているだけだ」

「え……」

 あっけらかんと答える紫藤さんだけど、紫藤さんがいるから入りいたいという気持ちが強い僕はギクッとした。だって、まるで僕のことを指しているような言葉だって思ったんだもの。

「どうした?」
「あ、い、いえっ! 何でもないです!」

 まさか僕があの時紫藤さんに一目ぼれをしてしまっていたなんて言えるわけが無いので、慌てて誤魔化した。

「うぉーい、新入生を連れて来たぞー」
「新入生!? 誰、誰?」
「こら千佳! お前はまずは隠れてろ!」
「嘘っ! 礼人が連れてくるって、誰!?」

 紫藤さんが横開きの扉をからからと開けながら呼びかけた言葉に、奥の方からやけに騒がしい声と共にどたどたと足音が近づいてきた。
 強面の人を筆頭に、女の子と勘違いしそうないやに可愛い人。その後から、クリスマスの日に出合った優しそうな人が続いて顔を出した。

「んん? やけにちっこい奴だな。見慣れない奴だが、中学時代の礼人の後輩か?」
「違いますよ、そうじゃなくて……」
「あっ! もしかしてクリスマスの時の受験生?」
「おう、さすがシロ。覚えてたか」
「覚えてるも何も……」

 笑いながら話す綺麗で優しい感じの人の後ろから、また誰かが奥の方から出てきた。

「紫藤が珍しく人見知りを発動してなかったからな。それだけで充分記憶に残るだろ」

 あっ、あの人もそうだ。あの優しそうな人の隣にいた人だ。

「俺は結構人を見る目があるんだよ。……ていうか、自分と気の合うやつを見分けるセンサーかな?」

 ……え?
 もしかして、それって僕のこと?

 紫藤さんはみんなに向けていた顔をこちらに向けて、僕にニッコリと笑いかけた。

 ドキンって心臓が大きな音をたてた。

 ……ああ~、まずいよ。そんな笑顔向けられたら……。

 じわじわと熱を持ち始めた顔を隠そうと下を向いたんだけど、たぶんみんなに知られてしまってる。
 女の子みたいに可愛い人には、「かわいい」と言われ、優しそうな人には「初々しいな」と言われた。
 だけどなぜだか強面の人には、「まあ、そういうことなら構わないか」と了承され、もう一人の人には「まったくわけわかんねー奴だ」と言われた。

 どういう意味!?

 様々な反応に困惑する僕に、紫藤さんが笑って僕の肩を叩いた。

「さ、入ろうぜ。みんなも了承してくれたし、今日から歩は読書同好会のメンバーだ」
「は、はい!」
「だーかーらー、そんなに緊張するなって」

 そんなこと言われても無理ですって……。


 紫藤さんに通されて入った部屋は、畳の敷いてある純和風の部屋だった。

 外観と同じ感じなんだな。

 変なところで感心して、キョロキョロと辺りを見回した。……と、不意に視線を感じて顔を向けると、さも興味津々な視線と目が合った。
 さっきの可愛らしい人だ。

「ねえきみ、なんて名前?」

「あ、すみません! 自己紹介まだでした。えっと、1年の鹿倉歩です。あの……、紫藤さんとは去年のクリスマスに……、勉強でお世話になり知り合いました。……それから……えっと、文化系のクラブに入りたくて入部を希望しました。よろしくお願いします!」

「……文化系。まあ、文化系っつったら文化系か」
「読書なんだから、そうでしょ?」
「まあ、そうだが……」

 僕の挨拶を聞いた真ん前で、強面の人と可愛い人がボソボソと話をしている。
 何だか妙な会話に聞こえるんだけど……。

「まあ、読書って言ってもダラダラしてる時間の方が多いからな。受験勉強だけをしに来ている人もいるし」
(かなめ)は目標があるからな。……俺も、そろそろそうしようかな」
「じゃあ、俺も付き合うよ」

「えーと、ちょっとみんな聞け―」
「あぁ?」
「あっと、すみません。(つよし)先輩も聞いてください」
「なんだ?」

 各々がそれぞれに話しているところを、紫藤さんがパンパンと手を叩いて皆を注目させた。

「新入生がせっかく入会してくれたんですから、それぞれ自己紹介をしてください。え~と……」

「じゃあ、俺から行きまーす! 二年の工藤千佳(くどうちか)だよ。特技は誰とでも仲良くなれること。だから歩君ともすぐに親しくなれると思うから、よろしくね♪」

「はい。えっと工藤先輩、よろしくお願いします」
「うん~、千佳先輩って呼んで!」
「あ、はい。千佳先輩」

「特技がもう一つ抜けてんだろ?」
 クリスマスの時に傍にいた一人の人が、揶揄うように言った。

「あー、ははっ。まあ、それはそのうち」

 ……?
 何だろう?

「で、俺の隣にいるのがー」
 そう言って、顔をくるんと強面の先輩に向ける。自己紹介を促してくれているようだ。

「三年の東郷(とうごう)剛だ」
「よ、よろしくお願いします!」

 やっぱりこの人怖い。
 愛想の欠片も無い東郷先輩に、僕は慌ててぺこりと頭を下げた。

「じゃあ次は俺。えっと、同じく二年の白石水(しらいしみず)です。きみとはクリスマスの日にあったよね」
「はい! 白石先輩、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げた僕の姿を、白石先輩の背後からクリスマスの日に一緒だったもう一人の人がジッと見ていた。

「ホラ、(りく)も」

 振り返った白石先輩が、その人を促した。それにフッと息を吐いて、僕を見た。

「……紫藤目当てなら、まあいいか。俺は黒田(くろた)陸だ」

 ……!!
 ふえぇっ?

 今、今この人何って言った!?
 やっぱりさっきの僕の態度で、完璧バレちゃってたの?

 ボムッて音がしたんじゃないかと思ったくらいに、一挙に顔が熱くなった。

「バカ! 陸!」
「……んだよ。いいじゃん、本当のことだろ? それに、大体紫藤がここに連れて来たってことは……、デッ!」

 え? と思って黒田先輩を見たら、横から紫藤さんのパンチが飛んでいた。

「おいクロ、余計なこと言ってんじゃねーよ」

 パンチを腕に食らった黒田先輩が、忌々しそうに紫藤さんを見ている。その隣で、宥めるように白石先輩がその腕を摩っていた。

「気にすんな歩。……それより、いくつか本は集まってるぞ。読みたいものは何かあるか?」

「え? あ、はっはい」

 気を取り直すように紫藤さんが僕を本棚に案内してくれた。まだ顔の火照りは引かないけど、それを気にし過ぎるとせっかく紫藤さんが回避してくれたことが無駄になってしまいそうなので、あえて気にしていないように必死で平静を装った。

 そこに千佳先輩がタタッと近づいてきた。そしてちょいと本を引き寄せて、僕の手の平に乗っけてくれた。

「俺のお薦めはこれだよ! ライトなミステリーで面白かったよ」
「ありがとうございます」

 どうやら、僕はなんとかここのみんなには受け入れてもらえたようだ。
 だけど、僕の気持ちが既に気が付かれてしまってるらしいことは気にかかる。それと、さっきの黒田先輩の意味深な言葉の続きが、僕はどうしても気になってしまっていた。

「歩、それでいいか?」

 千佳先輩が勧めてくれた本を持ったまま突っ立っていた僕を、紫藤さんが寄ってきて肩をポンと叩いた。

「うわっ、は、はい」
「なんだ、どうした」
 ぼーっと考え事をしているところに急に話しかけられてびっくりしてしまった。そんな僕を見て紫藤さんも驚き目をぱちくりとさせている。

「あ、あの……いえ。皆さんに受け入れられてほっとして、気が抜けてました」

 紫藤さんは一瞬真顔になり、それから優しく微笑んだ。
「そっか、じゃあ来いよ」

 畳の部屋に備え付けられている大きなテーブルの一角に僕を促して、ここに座れと言った。紫藤さんも僕の隣に座った。

 ドキドキしちゃうな。隣に紫藤さんがいるってだけで、嬉しくて嬉しくてしょうがない。

 ダメだ、ダメだ。ただでさえ、みんなに気持ちがバレてしまっていそうな状況なのに、これ以上僕が紫藤さんのことを好きだと思わせるような態度に出てしまったら、紫藤さんもきっと困るに違いないし。
 集中だ!
 この本に集中するんだ!

 僕はこの小説の一言一句見逃さないぞという気持ちで、一文字一文字をしっかりと目で追う。そうやってだんだん集中し始めたころに、コツンと軽く肘に何かがぶつかった。

 ……あ。
 紫藤さんの肘だった。

 視線を向けた途端にパチッと目が合って、瞬時にまた頬が熱くなる。まずいと思ってパッと視線を離して、しまった! と思った。

 こんなふうにあからさまに目を逸らすなんて、後輩にはあるまじき失礼な態度だ。上下関係の厳しい人だったら、きっとムッとするレベルじゃないだろうか?
 もう色々ごちゃごちゃ考えすぎて、頭の中はパニック状態だ。きっと今の僕の顔は、赤くなったり青くなったりと忙しないに違いない。

「あーゆーむー」
「うわわっ!」

 突然横から手が伸びてきて、わしゃわしゃと乱暴に髪の毛を混ぜられた。そして僕の頭に手を置いたまま、紫藤さんが顔を覗き込んだ。

「余計なこと考えるなよ。素直に楽しんでろ。ここは俺らにとってそう言う場所だ」
「……紫藤さん」

 まただ。
 また、ほんの一瞬で僕の心の内を理解してくれた。そして知らないふりをしないで、向き合ってくれる。

 クリスマスの日に初めて会ったあの時、勉強を教えてやるって言ってくれたのも、多分僕が焦りながら勉強に手が付かない状態になっていたことを気づいてくれたからだ。
 綺麗で近寄りがたいくらいにかっこいい人なのに、他人の、しかも初めて出会った人に対してまでも、さりげない優しさを与えてくれるような人なんだよな。紫藤さんって……。

 そんな紫藤さんだから、僕は一目ぼれした後に、増々紫藤さんを好きになってしまったんだ。


「そうだよー、ここは緊張しないでいいとこなんだから。それに、歩君はもうこの同好会のメンバーなんだから、好きにしちゃっていいんだよ。こんなふうに」

「……え?」

 びっくりして目が真ん丸になった。
 だって。

 僕の目の前で千佳先輩がコロンと横たわって、あの強面の東郷先輩の膝の上に頭をちょこんと乗っけたんだ!
 しかもあのおっそろしい東郷先輩もそれに怒るどころか、目じりを下げて嬉しそうに千佳先輩の髪の毛を撫でている。

 ……どういうこと?

「付き合ってるんだよ、あいつら」
「えっ!?」

 驚く僕に、紫藤さんはさらに衝撃の言葉を続ける。

「それにあいつらも」
「ええっ!?」

 紫藤さんの指さす方向には、白石先輩と黒田先輩。

 白石先輩はそれにはにかんだように笑って、黒田先輩はムッとしたような表情をした。

 びっくりして、ただただ言葉も出なくて、僕はポカンとした表情で紫藤さんを見上げた。

「フリーなのは俺だけだな」
「…………」

 ニッコリと笑う紫藤さんに、僕の心臓がドキドキと煩くなった。


「なんだ、靴が一つ多いと思ったら新入部員か?」

 紫藤さんにドキドキしていたら、突然背後から声が聞こえてきてびっくりして振り返った。

 振り返って……。
 噂は嘘じゃなかったと改めて確信した。

 だって、顧問と思しき人と上級生が二人で入ってきたんだけど、二人ともやっぱりカッコイイ。平凡なのは僕だけだ……。

 あ、そうだ! 挨拶しなきゃ!

「あのっ、お世話になります! 僕、一年の鹿倉歩です。よろしくお願いします!」

 勢いよく立ってぺこりと挨拶をして顔を上げた。

「おー、今度はちゃんとした子だな。俺は三年の桐ケ谷(きりがや)要だ。よろしく」
「一応顧問の水樹(みずき)だ。……ここの活動はかなり緩いから、みんなで仲良くやってくれ」
「はいっ」

「で? ……もしかして、礼人が連れて来たのか?」
「そうですよ。よくわかりましたね」
「いや、だってお前、隣に座ってるだろ。……まあ、お前が連れてきた子なら間違いないだろ。ちゃんと面倒見てやれよ」
「ういっす。ホラ、もういいぞ座れよ」
「あっ、はい」

 思わず突っ立ったままになっていた僕に気が付いた紫藤さんが、ポンポンと畳を叩いて座るように促してくれた。


 元々読書同好会に入りたいと思っていたこともあって、紫藤さんに誘われるまま何も考えずに同好会に入っちゃったけど……、やっぱり何となく浮いてるよな。

 イケメンぞろいの中に平凡1人。
 はあっ……。

 チラリと他の人たちを見てみると、後から来た桐ケ谷先輩は水樹先生に勉強を教えてもらっているようだった。
 そして白石先輩と黒田先輩は互いに別の本を読んでいるんだけど、時々どちらかが話しかけたり相手の本を覗き込んだりと、何とも仲睦まじさが窺える。
 そして強面の東郷先輩と可愛らしい千佳先輩は、人の目なんてお構いなしにべったりとくっ付いている。

 で、紫藤さんだけフリー……。

 あれ?
 紫藤さんだけ……?
 てことは、もしかして桐ケ谷先輩と水樹先生も……?

 くるんともう一度桐ケ谷先輩たちを見ると、何となくだけど……、そんな雰囲気があるような気がする。

 ……紫藤さんには、好きな人とかいないんだろうか。あんなにモテるんだから、それこそその気になればいつでも恋人なんてできちゃいそうだけど。
 そっと紫藤さんを窺ってみる。

 端正な横顔に長い睫毛。さらさらと額を覆うピンクバイオレットの艶やかな髪。
 一見僕みたいな平凡なんて、相手にもしてくれなさそうな風貌なのに……。

「……なに、どうした?」
「あっ、いえっ」

 いけない、いけない。ついジッと見てしまってた。
 慌てて本に目を落とすと横から手が伸びてきて、頭をグリグリとされた。

「……不思議だなあ、お前」
「え?」

 何が? と思って紫藤さんを見上げたんだけど、紫藤さんはただ笑うだけで、その言葉の意味を教えてはくれなかった。