今日はクリスマスイブ。おそらく国中のほとんどの人たちが楽しく過ごしている日だ。そんな中僕は、ため息をつきながらひとり机に向かっている。一応中学三年生で受験生だから。
 あ、とは言っても、クリスマスらしきことはしたよ。リビングにはそれほど大きくないクリスマスツリーが飾られているし、ローストチキンにケーキも食べた。それだけを考えれば、特に例年と何ら変わりはない。引っ込み思案の僕はこういう特別な時に遊びに行こうと言い合える友達がいないから。
 それなのに僕が腐っているのは、受験に焦って空回りして勉強に手がつかないからだ。

 カーテンを開けて窓から外を見てみる。この窓からでは、繁華街を彩っているだろうイルミネーションの光すら見えなかった。
 僕はスマートフォンを手に取って部屋を出た。

「母さん、ちょっと出てくるね」
「歩? こんな時間からどこへ行くの?」
「イルミネーション見に行ってくる」
「今から? 勉強は?」
「これやりながら見るから」

 スマートフォンを突き出して見せた。この前、受験対策アプリを入れたことは話している。
 母さんはしょうがないわねという顔をして、「あんまり遅くならないようにね」と言って送り出してくれた。

 僕の住んでいるところはいわゆる普通の住宅街で、隣近所は個人宅だし少し歩いたところにアパートがあるくらいだ。だけど十五分も歩くともうそこは繁華街で、『遊びに行くにも良い場所に住んでるな』と言われることが多い。
 マフラーをキュッと結び直し首をすくめながら早足で歩く。だんだんと人通りも多くなってきた。

 大型のショッピングセンターや飲食店の立ち並ぶ繫華街に入ると、街路樹を彩るシャンパンゴールドの光の群れに出迎えられた。ショッピングセンター前には華やかに光り輝くどでかいクリスマスツリーがある。カップルが、楽しそうに写真を撮っていた。

 風が冷たい。こんなに大勢人がいるのに、いや、いるからか、僕はすごく寂しくなってしまった。ぼんやりとシャンパンゴールドのまばゆい光を眺めながら歩いていたら、前方不注意になっていて誰かにドシンとぶつかってしまった。

「あっ、すみません! ああっ!」
 焦って振り向いた瞬間、手に持って行ったスマートフォンがするりと僕の掌から落ちてしまった。

「おっと、危ない」
 ぱしっという子気味良い音がして、僕のスマートフォンが目の前の人の手にしっかりと握られていた。ほっとして「ありがとうございます」とお礼を言い顔を上げると、どこかのファッション雑誌で専属モデルでもしてるんじゃないかと思うくらいきれいな男の人が立っていた。
 
 二重まぶたでそれほど大きくはないけれど形の良い瞳、すっと通った鼻筋。少し薄い唇も色っぽかった。そして眼前で揺れるピンクバイオレットの髪がびっくりするくらい似合っている。きっとモテる人なんだろうなって、鈍感な僕でも容易に想像がついた。

 その人は僕のスマホの画面をちらりと見た後、僕に「はい」と返してくれた。

「受験生?」
「え? は、はい、そうです」

 びっくりした。まさか話しかけられると思わなくて、綺麗な顔につい見入ってしまってた。

「偉いね、頑張ってるんだな」
 綺麗な顔が優しく微笑む。そんな人に褒められたら嬉しくなるものなのに、僕は後ろめたさから居心地がわるくなった。だって全然頑張れてない。焦れば焦るほど勉強が手につかなくて困っているから。

「そんなんじゃないんです。……本当は家で勉強した方が良いんでしょうけど、せっかくのイブに机にかじりついてるのもなんだか悔しくて、それでアプリで勉強しながらなら良いかなってそう思って……」

 そんな言い訳をして、逃げてるだけなんだ。
 もごもごする僕に、その人は「ちょっと待ってて」と言った。

「シロ、クロ。俺、もう行くわ。こいつの勉強、そこらの店に入って付き合う事にしたから」
「えっ!?」

 そんな話一言もしてないのに、突然言われてびっくりした。しかも連れがいるらしいのに僕なんかに構わせてしまうなんて申し訳ない。

「なんだ、迷惑だったか?」
「い、いいえ、まさかっ! あの、でもこちらこそご迷惑では……」
「俺が良いって言ってるからいいんだよ」

 彼は笑いながら、僕の頭をグリグリと撫でた。

「礼人、その子知り合い?」
「いいや、今会ったばっか」

 連れの二人の目が大きく見開く。かなり驚かれているのに、彼は気にもせずに僕に話しかけた。

「そういえば君の名前は? 俺は紫藤礼人(しどうれいと)
「あ、鹿倉歩(かぐらあゆむ)です」
「歩くんか、で、どこ志望なの?」
「富樫高校です」
「富樫か、あそこは野球が有名だっけ?」
「たぶん、でも僕はそれが目当てじゃないんですけどね」
「ふうん」
「あ、あのっ、紫藤さんはどこの高校なんですか?」
「ん? 聖徳」
「聖徳って、私立聖徳学園ですか?」
「そう」
 聖徳学園って言ったら、開校してまだ十年も経ってない新設校じゃなかったっけ。確か校則も緩めだって聞いてる。

「紫藤、じゃあ俺ら行くぞ」
「ああ、またな」

 紫藤さんは軽く手を挙げて二人と別れ、僕と近くのファーストフード店に入った。そこで宣言通りしっかりと一時間ほど勉強を見てくれた。
「じゃあな、頑張れよ受験生」
「はい、ありがとうございました」

 紫藤さんとは店の前でそのまま別れた。
 名前は聞いたしどこの高校かも聞けたけど、結局連絡先だけは聞く勇気が出なかった。
 もやもやとした焦燥感だけが残り、僕は足取り重く家路に着いた。


 連絡先もわからない。
 紫藤さんの通っている高校と志望校も違う。
 このままだときっと紫藤さんとはもう二度と会えないだろう。


「お母さーん、進路のことで相談があるんだけど―」
 僕は結局紫藤さんともう一度会いたいって気持ちを止められなくて、紫藤さんと同じ、『私立聖徳学園』を受験した。


 そして無事合格し、僕は紫藤さんともう一度出会うチャンスを掴んだんだ。