「なんで私服なの?」

 今日も寝坊し、1限も終わりに差し掛かったとこで教室に入った。そして最初に目に飛び込んできた光景が、近江の私服姿。
 スッキリしたシルエットのシャツに、ハイウエストのワイドパンツ。
 驚いて釘付けになってしまい久しぶりに先生に声をかけられた。
 再起動して席に着いたのはいいが、気になり過ぎて授業にあんまり集中できなかった。だから直球で質問する。

「僕も聞きたい! 珍しく遅刻ギリギリに登校して来たよな。いつも僕より早いのに」

 遅刻ギリギリって、そうだったんだ。
 佐々木も気になったのか振り向いた。3人で近江に詰め寄り、どんな答えが返ってくるのか待つ。

「弟が盛大に牛乳溢したんだ。それが俺にもかかってな」
「わぁ……。それは、災難だったね……」
「うわー……」

 佐々木は目を瞑り、まさかの内容にみんなで御愁傷様って感じの表情になった。

「というか弟いたんだね」
「2人いる、双子」
「え、そうなんだ。見たい。写真ある?」

 あるって言ってスマホをささっと操作した後、みんなで見れるように机に置いてくれた。
 兄弟いたんだ。それも双子の弟だなんて、めっちゃ気になる。
 スマホを覗き込むと写ってるのは、サラサラな黒髪の男の子が2人。おっとりした感じの子と、気の強そうな子。片手におにぎりを持ち、もう片方はピースをしている写真だ。

「可愛い〜」
「マジだ! 可愛いな!」

 垂れた目と、大きく口を開けて笑っている表情が輝きを放ってる。
 でも近江とあんまり似てない? んー、いや、2人を足した感じが近江だな。

「弟くん何歳?」
「10歳、今年小5」
「へぇー、まだ小学生かー」
「少し歳離れてんだな!」

 可愛いなー。近江はお兄ちゃんだったんだ。兄弟でどんな話するんだろう。
 小さい頃の近江も見てみたいな。

「昔の近江もこんな感じで可愛かったのかなー」
「あ! もしかして近江も実は可愛い顔してんのか!」

 更科の発言にドキリとする。

「はは、可愛い顔って」
「可愛いはおかしいか! じゃあなんだ、そう顔が良い!」

 さらに心臓がドキドキっとする。え、おれ墓穴掘った?

「別に普通だと思うけど」
「メガネ外してみてよ! 高校デビューに成功した僕が判断してあげよう!」

 更科が手を伸ばしてメガネに近づいていく。
 外しちゃうのかな? 近江も普通に受け答えしてるし。ついに美形がバレてしまうのかと、もう沙汰を待つだけかと。結構早かった。

「国民的漫画の主人公の目みたいになるからダメ」

 ぶはっと更科が吹き出した。

「近江そういうの読むのか!」
「小学校の図書室あっただろ」
「あった! たしかに僕も読んだわー」

 一瞬近江が何を言ったのかわからなかった。一頻り目をぱちぱちさせた後、近江の様子を窺うようにそっとそちらを見るとバッチリ目が合った。
 目を細めてふわっと微笑まれる。たぶん。メガネもマスクもしてるから確証はない。
 何、考えてることバレてた? 揶揄われたのかな? タイプってポロッと言ったのやっぱり聞こえてたのかな。

「こっちの絆創膏いっぱいしてる方がドジなんだ、物凄く」

 おれと目を合わせたまま話を変えて喋り出す。窮地を脱したらしい。別の窮地に追いやられてる気がしないでもないけど。
 こっちと指さされたのはおっとりした感じの子。確かに絆創膏を顔にも手にもしている。

「こ、この子が牛乳溢したんだ?」
「そう。朝から家族全員で大慌てだった。パック丸ごとぶち撒けたから」

 思い出したのか遠い目をした。レンズ越しに目は見えてるからこれは確か。
 水溢しただけでも大変なのに、牛乳だもんね。想像するだけでげんなりする。

「俺も弟たちもシャワー浴びて着替え直し」

 そのせいでギリギリになった、と。それでも遅刻しないなんてさすがだな。

「当分は私服登校なの?」
「連休に入るから」
「あ、そうだった。じゃあ今日だけレアなんだね」

 今日だけか。ホッとする。完全に窮地を脱した。これで本当に安心して話せる。

「無駄になった牛乳を悼んで真っ黒の服を選んだの?」
「牛乳を憎んで黒を選んだんだ」
「んふっ……」
「ウケる! ハハハ!」

 笑っちゃった。ストレートに牛乳カラーを否定してきた。
 シャツとパンツはもちろん、マスクまで今日は黒にして徹底してる。マスクの色までわざわざ変えるなんて理由があるのかと、近江が考えそうなことを言ってみたら間髪入れずに答えが返ってきた。悼んだのではなく憎んだんだね。ちょっと惜しかった。

「実際は考えなくて楽だから大体いつも黒。それも嘘じゃないけど」
「かっこいいよ。びっくりしてガン見しちゃったもん。アクセとかはしないの? あ、どう? おれみたいに」

 ピアスがたくさんついた自分の耳を指さして、思いつきを提案してみる。
 おれくらい開ければ、突然かっこいい私服で登校してきても確実に一定は近づいて来なくなる。ついでの予防線になればラッキーだよね。
 まぁ1つ2つならまだしも、こんなにたくさん開けようとは思わないだろうな。

「江間が開けてくれんの?」
「え?」
「開けてくれないのか?」

 え、意外と乗り気? 近江の顔を見ても真剣なのが冗談なのかわからない。

「お、近江が開ける気ならやるけど」
「うん、頼んだ」

 え、本当に? なんでそんなやる気なんだ。おれがどう?って言ったんだけどさ。受け入れられるとは思ってなかった。
 若干まだ頭の中にハテナが浮かんでるが、やるって言っちゃった。

「マジそんな簡単に決めるのか? ぼ、僕も開けようかな。佐々木どう思う?」
「体に穴開ける意味がわからない」

 頭を横に振り、その後スッと立ち上がる佐々木。
 両耳の合計で14個も穴が開いてるおれは意味不明な人間だったのか。思わずふふっと息が漏れた。

「チャイム鳴りそうだから移動するぞ」
「えっ」
「やば! そうじゃん!」

 次、移動教室だ。忘れてた。笑ってる場合じゃなかった。
 ガタガタと音を立てて立ち上がり、慌てて教科書を用意し始める。あれこれと取り出しロッカーを閉めると「江間」と声をかけられた。

「後で連絡先教えて。交換してなかったな」
「う、うん」

 本気なんだ。佐々木が言ったように体に穴開けるんだよ。
 うわ、なんか今から緊張してきた。

「江間たち置いてくぞ!」
「はーい! 行く」

 なぜか顔が熱くなってきて近江から目を逸らして走り出す。
 猛スピードで廊下を駆けていった佐々木だけ、チャイムが鳴る前に着席できたのだった。
 授業後、ピアス云々のことなんて忘れていて、裏切られた!と近江と更科と一緒に笑い合った。