近江がマスクを外すまでに、

 4月の下旬に入った。ここ最近はぽかぽか陽気が続いていたけど、今日は雨のせいで少し肌寒い。今も雨が降り続いていて、意味はないがブレザーの袖を引っぱって、それからお弁当を取り出す。

「ベンチ使えないね。どうする?」
「教室でいいだろ。買ってくる」
「はーい」

 いってらっしゃーいと近江を見送る。
 今日は1限の途中から来ているのでノートは既に写し終わった。スマホでもいじって待っていようかなとポケットから出しかけたとき「江間!」と更科に声をかけられた。

「江間たち今日教室で食べるのか?」
「うん」
「じゃあ一緒に食べようぜ! な、佐々木!」
「ほんと? 混ぜてもらおうかな」

 元気いっぱいに誘ってくれる更科と頷く佐々木に対して嬉しさと気まずさが混ざった気持ちが湧いてくる。
 部活紹介を一緒に見にいった後から話すことが増えた。主におれが遅刻して受けられなかった授業について。みんなそれぞれ得意科目が違うから逆に話が合うという現象が発生していて、意外に会話が弾む。おれは化学、更科は古文、近江は全部できるけど数学が1番得意。佐々木は基本的に頷くばかりであんまり話してはいないけど。
 近江とも、近江以外とも、多少は関係を築けている、と思う。

「2人はいつも教室なの?」
「そうだぜ。そっちは?」
「購買奥のベンチだよ」

 今日は雨に濡れてボロさがいっそう際立っていそうだな。物悲しい雰囲気を放ってむしろいつもより味があるかもしれない。

「あぁ! この学校やたらベンチあるからなぁー」
「普段は江間たちみたいなやつが多いんだろう。教室は人が少ないから案外快適だ」
「雨だから今日は多いけどな!」

 佐々木が喋った。いや、頷いてる印象が強いだけで全然喋るんだった。
 近江の机を勝手に移動して、2人のところに合流する。近江も一緒に食べるだろうから大丈夫なはず。

「佐々木は部活の方には行かないんだね」
「朝夕夜って会うから昼くらいは顔見なくていい」
「ずっとは飽きるのかな?」

 佐々木が頷く。
 部活に入ったことがないから、そういうものなんだなとふわっと理解する。

「せっかく仲良くなったから高校でも親睦を深めてるんだ!」
「せっかく? そういや中学一緒なんだっけ?」

 部活紹介のときに更科が女子としてた会話の内容から、多分そうなんだろうって考えたんだった。

「おう! ここ受験するのが僕と佐々木と鷲尾さんだけでな! 先生に一緒に勉強しろ教えあえって言われたのがきっかけなんだ」
「へぇー、そうだったんだね」
「みんな同じクラスになるなんて奇跡だよな!」

 佐々木がまた頷いている。

「なんの話?」
「あ、おかえりー。机使ってるよ」
「僕と佐々木のそれはそれは大変だった受験の話をしてたんだ!」
「ちょっと違うけど」

 ふぅん?と首を傾げながら席につく近江に気を遣うことなく、「なぁなぁ!」と更科が声をかけて話を進めていく。

「近江は受験苦労してなさそうだな! なんでトップの方行かなかったんだ?」
「遠いから」
「あー」

 みんなして声を出して納得する。
 遠いから選ばなかったってことはこっちはそれなりに近いのかな? 
 おれはあえて少し遠いところ選んでるけど、通学時間は選ぶ理由の1つであることは大いに納得できる。

「大事だな! 江間は?」
「校則がないから、かな」
「あぁ〜」
「納得の仕方が近江のと違うー」

 わかるけど。自分の見た目と行いが原因だけど。

「いやーハハハ!」
「そういう更科はどうなの?」
「僕も校則なしに惹かれたんだ!」
「一緒じゃん〜」

 ハハハ!って大きな声で笑って誤魔化される。屈託のない笑顔だ。きっとおれみたいな不純な動機とは違うんだろうな。

「佐々木は?」
「空手の形が強いからだ」

 なるほど。うちはやっぱり空手強かったんだ。
 佐々木の勇姿と迫力のある美しさが脳裏に浮かんで、そのときの高揚感が少し戻ってくる。

「部活紹介の演武って言い方でいいのかな? かっこよかった」

 頷いて、すいっと顔逸らされた。ちょっとひどい。ちゃんと本音なのに。
 逸らした先の菓子パンが気になったみたいでめっちゃ見てるし。

「近江それだけか?」
「ん?」
「足りるのか?」
「たくさん食べると眠くなるだろ。佐々木の弁当はでかいな」

 近江は1つ目を食べ終え、2つ目のチョココロネの入った袋を開けている。3つ目はない。チョココロネのとんがった方をちぎってチョコをつけてから口に放り込んだ。
 対して佐々木は大きいお弁当箱っていうより、重箱って感じのお弁当箱から卵焼きを箸で摘んだ。焦げ目のない綺麗な卵焼きだ。

「そういや近江がマスク外してんのまともに見るの初めてだな。風邪?」
「花粉症だ」
「花粉症なのに外で食ってんのか。ベンチって外だよな?」

 目から鱗。更科に言われて今さら気づいた。

「そういえばそうじゃん。大丈夫なの?」

 おれは全く問題ないから気にしたことがなかった。

「花粉症だからって部屋に閉じこもらなきゃいけないのはムカつくだろ」
「ハハハ! おもしろ!」
「春の陽気は嫌いじゃないんだ」
「確かにぽかぽかしていいよな!」

 近江っぽい答えが返ってきた。
 晴れている日は日差しと校舎の影がいいバランスで心地良いのは確かだ。お昼ご飯を食べてお腹が膨れるのも相まってうたた寝したくなるくらい。

「ぽかぽかどころかもう普通に暑いぞ」
「いや今日寒いよ」
「ちょうどいいぞ」
「えー」

 佐々木の箸を持つ手から腕先を見るとジャージの袖が捲られている。いや、寒いって。

「まぁ、花粉の時期終わったらさっさとマスク外して快適に過ごすよ」
「え、マスク外すの?」
「え? 邪魔だろ。花粉のせいで仕方なくしてるだけだから」

 言われた言葉を反芻する。え、なんだろう、なんか落ち着かない。
 なぜか近江はずっとマスクしてるものだと思い込んでいた。メガネとマスクのセットが近江のデフォルトで、トレードマークになってるから。おれの中で。

「大変だな!」
「花粉症俺だけか? 羨ましい」

 そっか、マスク外すのか。目から鱗が落ちすぎて視力がさらに良くなりそう。
 メガネとマスクの両方を外した近江の素顔がとても好みだ。外してなくてもつい眺める程度には。でもずっと外していてほしいと思ったことはない。
 どっちも必要なものだから外されるって考えが頭になかったのもあるけど、それだけじゃなくて、周囲に素顔がバレてほしくなかったのかも。
 少し前にマスクの効果の大きさを知ったばかりだ。当然だけど、マスクを外したらバレる確率はとても高い。
 もしかして女子に美形がバレたら、一緒にいることができなくなるのかな……?
 だって女子って結構積極的だ。どこにそんなパワーを隠してたの?ってくらいの行動力を発揮することがある。
 一般的な女子の好みは知らないが、近江の素顔は所謂美形に該当するはずだ。連れてかれちゃう。近江だって健康な男子だ。女子にちやほやされたら嬉しいだろう。
 せっかく仲良くなったのに、それは嫌だな。これからも話したり、ご飯食べたりしたい。ついでにちょっとくらい顔も見たい。
 仲良くなったって言っていいはずだ。ただ友人と言っていいのか、わからない。
 せめて。せめて、確固たる友人ポジションを確保するまでは、おれ以外に近江の素顔はバレてほしくない。確保さえできれば、最悪女子に人気者になっても、連れてかれても、関わりが消えることはないと思う。多少は一緒にいられると思う。
 バレないようにするにはどうすればいいんだろう。方法は思いつかないが、とりあえず花粉の飛散量は毎日調べようと決意した。