最初に音読した以外は特に何事もなく授業が終わり、10分休憩。
ほんの少し迷ったあと、後ろに振り返って声をかける。
「ねぇノート貸してもらえない? あ……、えーっと、ごめん。名前なんだっけ?」
遅刻して受けられなかった数学のノートを借りようと声をかけたのに、名前がわからなかった。話しかけてから後ろの席のやつの名前を知らないことに思い至った。
後ろの席のやつだけじゃなくて、クラスの人、まだ誰の名前も把握してないや。
失敗したなーと顔を見遣るが、前髪とメガネとマスクに阻まれて表情はよくわからない。
「近江だ」
「近江ね。さっきは驚かせてごめんね」
「いや、寝坊?」
「うん」
特に嫌な顔をせず名前を教えてくれた。
中途半端に後ろに向けていた体を、全体的に近江の方へ向き直る。そうしても見えてくるのは重たいメガネとマスクだけ。メガネが黒縁のウェリントンだということはわかった。
目が合ったときの感じは幻想か、と考え、いやいや何を考えているんだ、と頭を振る。
名乗ってもらったんだから、こちらもさっさと名乗り返さねば。
「おれは江間だよ」
「はは、知ってる」
知ってるんだ。すごいなって一瞬思ったけど、先生に呼ばれてたからね。名前の把握のされ方がなんとも言えない残念さ。
「はい。数学のノートでいいんだろ?」
「ありがとう!」
手渡されたノートを丁重に受け取る。快く貸してもらえて本当にありがたい。
高校の授業の大変さや進むペースがまだどの程度かわからないから、真面目にやろうと思って声をかけたんだ。
飾り気のない大学ノート。その表紙に丁寧な字で書かれた近江の名前が目に入る。
「近江、嵐?」
「嵐だ」
「らん、ね。覚えた」
ノートを貸してくれた親切な恩人としてしっかりと名前を心に刻む。
ピンクの髪にピアスバチバチに開けてるおれと意外と臆さず話すんだな、ともう一度顔を見遣る。たぶんおれの見た目をそんなに気にしてない。顔はほとんど見えないから予測だけど、たぶんそう。
バチッとまた目が合う。見過ぎたか。
「入試のときはシルバーだったよな?」
「あ、そうだね。冬だから」
「だから今はピンクなのか」
「そう。桜カラー」
2、3ヶ月に1回くらいのペースで色が変わってる。入試を受けた頃はたしかにシルバーだったな。
結構な頻度でガラリと色が変わるから、自分でもいつどんな色だったか忘れがち。
「あれ、よくおれだってわかったね?」
「派手な髪に綺麗な顔のやつだったから記憶に残ってる」
「あはは。ありがとう」
なるほどそうか、と思う。
シルバーとか派手な髪色してるやつなんてそういないから覚えやすいし、たとえ髪色が変わっていても当たりを付けやすいよな。
右手側に広がる教室の様子を見てみても、髪を派手に染めているやつなんてほぼいない。近江の隣の席のやつとか、遠くの席の女子とか、居ても暗めの茶髪から明るめの茶髪にしてるくらいだ。
校則がなくても意外とみんな髪を染めたり、派手にしたりしないんだ。
「近江はなんで制服なの?」
髪色を眺めながら、みんなの服装も目に入った。
このクラスで制服で登校しているのは、おれと近江だけ。凝ったデザインでもない所謂ブレザーの制服。ネクタイは青とグレーのストライプ。全学年同じ色と柄。
入学式はみんなきっちり制服に身を包んでいたのに、たった2日後、授業初日の今日にはほぼ着ている人がいない。
だから気になる。何か特別な理由があるんだろうか。
「着なくていいなら着るか、って感じで」
「あー」
制服買わせるのに服装自由だからね。
特別な理由はなさそうだ。ただ、そう。近江は捻くれ者なのかな。右と言われたら左ってやつ。
「自覚ある」
「まだ何も言ってないよ」
一拍間を置いて、お互いにくつくつと笑い合う。
「江間は髪派手なのに私服にしないんだな」
「高校生って感じを感じたいでしょ?」
バカっぽい言い方しちゃった。でも制服なんて学生の特権じゃん。適切な年齢のときに着るのがいいと思うんだ。
「へぇ。寝坊して急いだからってわけじゃなく?」
「ないとは言わない」
へらりと笑って言うと、またさっきみたいに笑ってくれる。
全然急いで支度なんかしなかったけど、考えなくていいのが楽ってことは本当。時間に余裕ができる。制服の利点だ。
たかが制服が話すきっかけになってくれて、共通の話題にもなるなんて。
意外と楽しく会話ができて、10分休憩は結局ノートを写す時間がなくなってしまった。
***
お昼休みになり、写しきれてないノートを再び開く。3限と4限の間の10分休憩だけじゃ全然足りなかった。
全然進んでないという事実を目の当たりにし、いやでもこの時間内には終わるだろうと当たりをつける。
ながら弁当にするか、終わってからお行儀よく食べるか、どうしようかな。
「江間」
知ったばかりの声に呼ばれて、ノートを見ていた顔を上げる。え、もうタイムリミット? 返さなきゃいけない?
おれの席の横に来た近江を見上げて延長を申し出る。
「ごめん待って。まだ写し終わってないんだ」
「催促じゃないから。お昼食べよう」
近江を見上げたまま瞬く。一緒に食べようって誘ってくれたってこと?
「俺購買行くんだけど、江間は?」
つい視線を下に落として逡巡する。誘ってくるなんて思わなかった。でも、嫌ではない。
進学して人間関係はほぼ0になったし。誘ってくれるんだ、久しぶりに人と関わるチャンスなのかもしれない。
「お弁当あるけど気になるからついてく」
「じゃあどっか、ベンチとかで食べよう」
「あ、いいね」
天気良いし。それに、ちらちらと受ける視線はあんまり好きじゃないから。関わろうかなと思ってすぐに後ろ向きな感情が出てしまったが蓋をする。
ノートを丁寧にしまい、お弁当を持って教室を出ていく。
「ベンチいろんなところにあるよね」
「学校側がどこでも快適に過ごせるように、各々が良いと思うところで休憩したり勉強できるように設置してる」
「へー」
「のをいいことに」
「え」
続きがあるのか。へーって、さすが校則なしの高校、発想や気遣いの方向が一味違うなんて納得しかけたのに。
こっちを見て笑いかけた、と思う。マスクが邪魔だ。
「生徒が勝手に買って設置したり、文化祭に乗じて作って設置したりしてるらしい」
「なるほど」
学校側と生徒が設置してくからこんなにたくさんあるんだな。撤去されないところがこの学校の良いところなんだろう。
「なんで知ってるの?」
「中学の担任が勝手に設置した張本人で話してくれた」
「その先生行動力があるなぁ」
結構な労力が必要になりそうなのによくやるなー。窓から見える校庭にもベンチが整列してるし、そういう生徒多いのかな。
他愛のない話をしてるうちに1階まで降りてきて、教室棟と特別教室棟の間にある通路に着く。
商品を展開しているところまで来ると生徒でごった返していた。人のいない時間に登校して来たからこんなに生徒がいたのか、って当たり前のことを思う。
購買の他にも学食があって、遠目から眺めた感じでも結構混んでるように見える。
はぐれないように近江を視界に入れながら売られているものを物色する。惣菜パンも菓子パンもあるし、お弁当も売ってるんだな。いっぱい種類あって選ぶ楽しみもある。
おれも機会があったら買ってみようかな。
近江はメロンパンと、ジャムとクリームが挟んである菓子パンを選んだ。甘いのが好きなのかな?
「どこで食べる?」
「あー、こっち」
「え、どこ行くの?」
近江の迷いのない足取りに不安が募るが、後をついて行く。購買の脇を通り抜け、校舎の裏側に回り込む。校舎の影に入ってほんの少し歩くとポツンと置かれている物。
「えぇー、なんでこんな所に3つも並んでるの。面白いなぁ」
そこにあったのは、詰めれば4人座れそうなベンチが3つ。横並びに設置してある。ベンチの目の前は目隠し用の高くもなく低くもない塀で、決して景色は良くない。屋根もないので野ざらしになってるせいか、なかなかにボロくなってるベンチだ。
「知ってたの?」
「知らないけど探せばこういう所かなりあるらしい」
「さっきの先生談?」
「あぁ、探すと楽しいぞって」
たしかに宝探しみたいな感覚で探すのは楽しいかもしれない。もしかしたらめちゃくちゃ立派なベンチ、を通り越して東屋とかあったりして。教室で勉強するより楽しそう。
妄想は置いておき、見た目はボロいがまだまだ現役のしっかりしたベンチに並んで座る。購買が近いから人の声は聞こえてくるけど、あんまり人気のなさそうな場所だな。だから空いていて座れるんだけど。
お弁当を広げて、手のひらを合わせていただきますをする。
「っと」
箸で唐揚げを持ち上げたところで軽く慌てたような声が聞こえた。唐揚げを空中で停止させて声の発信源の方を向くと、メガネが変な風にズレている。どうしたんだろう。
「大丈夫?」
「紐が引っかかっただけだから大丈夫」
「そっか」
マスクを外すときに紐がメガネのつるに引っかかったのか。
おれは視力がいいからメガネの大変さがわからない。こういうことってよく起こるのかな。
メガネに引っかかったマスクの紐と格闘する近江を眺める。メガネを外したからか、目を細めて眉間にしわが寄っている。
サラサラな黒髪の間から見えるたれ目がちな目尻、くっきりした平行二重。すっと通った綺麗な鼻筋に、程よい厚さの唇。パーツ1つ1つを見て、顔全体を見て、思う。
え、めっちゃ好みの美形が出てきた。ものすごく、
「タイプ……」
「え?」
「あっ? あー、えっと、その、なんでマスクしてんの?」
咄嗟に質問をして取り繕う。
危ない危ない。余計なことを口走るところだった。ちょっと出てしまった言葉は、紐に気を取られていたおかげで聞こえなかったようだ。
我ながら下手くそな質問をしたと思うが、答えは気になる。
おれが髪の色を派手にしたみたいに、マスクで顔を隠して人目を避けているのかな。顔が良いと人が寄ってくるから。
そうなら見れたおれはラッキー?
「花粉症なんだ」
「花粉症……。え、メガネは?」
「近眼」
「あぁ、そりゃそうだ」
あはは、と笑って誤魔化す。
マスクもメガネもそもそもファッション用じゃないんだった。メガネなんて立派な医療機器だ。至極当然な返答に、しかし想像していなかったから面食らった。
その間に近江はメガネをかけ直したようだ。タイプの顔が隠れてしまい、ちょっと惜しい。ただお昼を食べるためにまだマスクはしてないので、話しながらこっそり見る。心の中で明日からも一緒にお昼を食べようと決めた。
「おれめっちゃ健康だからわかんないんだけど、杉がやばいの?」
「スギも酷いしヒノキとイネも少しある」
「わー大変そう」
近江が菓子パンを頬張ったのを見て、自分もお弁当を食べ始める。
「棒読みだな。薬飲んでるから、まぁなんとかなってる」
「飲み忘れたら?」
「最悪」
間髪入れずに吐き捨てる感じが深刻度を物語ってるんだろうが、花粉症でないおれにはその深刻度がどの程度か理解できない。
とりあえずとても嫌そうな表情をしている。重たいメガネをしていてもマスクがないと表情がよくわかるな。それに素顔を知っていると、このメガネをしていても美形が漏れている気がする。
「困ったらティッシュあげるね」
「頼る日が来ないことを祈る」
タイプの顔を見るとドキドキするんだって初めて知った。
ノートはお昼休み中に写し切ることができなくて、写し終わったのは放課後に入って10分後のことだった。待ってくれた近江は良いやつ。
ほんの少し迷ったあと、後ろに振り返って声をかける。
「ねぇノート貸してもらえない? あ……、えーっと、ごめん。名前なんだっけ?」
遅刻して受けられなかった数学のノートを借りようと声をかけたのに、名前がわからなかった。話しかけてから後ろの席のやつの名前を知らないことに思い至った。
後ろの席のやつだけじゃなくて、クラスの人、まだ誰の名前も把握してないや。
失敗したなーと顔を見遣るが、前髪とメガネとマスクに阻まれて表情はよくわからない。
「近江だ」
「近江ね。さっきは驚かせてごめんね」
「いや、寝坊?」
「うん」
特に嫌な顔をせず名前を教えてくれた。
中途半端に後ろに向けていた体を、全体的に近江の方へ向き直る。そうしても見えてくるのは重たいメガネとマスクだけ。メガネが黒縁のウェリントンだということはわかった。
目が合ったときの感じは幻想か、と考え、いやいや何を考えているんだ、と頭を振る。
名乗ってもらったんだから、こちらもさっさと名乗り返さねば。
「おれは江間だよ」
「はは、知ってる」
知ってるんだ。すごいなって一瞬思ったけど、先生に呼ばれてたからね。名前の把握のされ方がなんとも言えない残念さ。
「はい。数学のノートでいいんだろ?」
「ありがとう!」
手渡されたノートを丁重に受け取る。快く貸してもらえて本当にありがたい。
高校の授業の大変さや進むペースがまだどの程度かわからないから、真面目にやろうと思って声をかけたんだ。
飾り気のない大学ノート。その表紙に丁寧な字で書かれた近江の名前が目に入る。
「近江、嵐?」
「嵐だ」
「らん、ね。覚えた」
ノートを貸してくれた親切な恩人としてしっかりと名前を心に刻む。
ピンクの髪にピアスバチバチに開けてるおれと意外と臆さず話すんだな、ともう一度顔を見遣る。たぶんおれの見た目をそんなに気にしてない。顔はほとんど見えないから予測だけど、たぶんそう。
バチッとまた目が合う。見過ぎたか。
「入試のときはシルバーだったよな?」
「あ、そうだね。冬だから」
「だから今はピンクなのか」
「そう。桜カラー」
2、3ヶ月に1回くらいのペースで色が変わってる。入試を受けた頃はたしかにシルバーだったな。
結構な頻度でガラリと色が変わるから、自分でもいつどんな色だったか忘れがち。
「あれ、よくおれだってわかったね?」
「派手な髪に綺麗な顔のやつだったから記憶に残ってる」
「あはは。ありがとう」
なるほどそうか、と思う。
シルバーとか派手な髪色してるやつなんてそういないから覚えやすいし、たとえ髪色が変わっていても当たりを付けやすいよな。
右手側に広がる教室の様子を見てみても、髪を派手に染めているやつなんてほぼいない。近江の隣の席のやつとか、遠くの席の女子とか、居ても暗めの茶髪から明るめの茶髪にしてるくらいだ。
校則がなくても意外とみんな髪を染めたり、派手にしたりしないんだ。
「近江はなんで制服なの?」
髪色を眺めながら、みんなの服装も目に入った。
このクラスで制服で登校しているのは、おれと近江だけ。凝ったデザインでもない所謂ブレザーの制服。ネクタイは青とグレーのストライプ。全学年同じ色と柄。
入学式はみんなきっちり制服に身を包んでいたのに、たった2日後、授業初日の今日にはほぼ着ている人がいない。
だから気になる。何か特別な理由があるんだろうか。
「着なくていいなら着るか、って感じで」
「あー」
制服買わせるのに服装自由だからね。
特別な理由はなさそうだ。ただ、そう。近江は捻くれ者なのかな。右と言われたら左ってやつ。
「自覚ある」
「まだ何も言ってないよ」
一拍間を置いて、お互いにくつくつと笑い合う。
「江間は髪派手なのに私服にしないんだな」
「高校生って感じを感じたいでしょ?」
バカっぽい言い方しちゃった。でも制服なんて学生の特権じゃん。適切な年齢のときに着るのがいいと思うんだ。
「へぇ。寝坊して急いだからってわけじゃなく?」
「ないとは言わない」
へらりと笑って言うと、またさっきみたいに笑ってくれる。
全然急いで支度なんかしなかったけど、考えなくていいのが楽ってことは本当。時間に余裕ができる。制服の利点だ。
たかが制服が話すきっかけになってくれて、共通の話題にもなるなんて。
意外と楽しく会話ができて、10分休憩は結局ノートを写す時間がなくなってしまった。
***
お昼休みになり、写しきれてないノートを再び開く。3限と4限の間の10分休憩だけじゃ全然足りなかった。
全然進んでないという事実を目の当たりにし、いやでもこの時間内には終わるだろうと当たりをつける。
ながら弁当にするか、終わってからお行儀よく食べるか、どうしようかな。
「江間」
知ったばかりの声に呼ばれて、ノートを見ていた顔を上げる。え、もうタイムリミット? 返さなきゃいけない?
おれの席の横に来た近江を見上げて延長を申し出る。
「ごめん待って。まだ写し終わってないんだ」
「催促じゃないから。お昼食べよう」
近江を見上げたまま瞬く。一緒に食べようって誘ってくれたってこと?
「俺購買行くんだけど、江間は?」
つい視線を下に落として逡巡する。誘ってくるなんて思わなかった。でも、嫌ではない。
進学して人間関係はほぼ0になったし。誘ってくれるんだ、久しぶりに人と関わるチャンスなのかもしれない。
「お弁当あるけど気になるからついてく」
「じゃあどっか、ベンチとかで食べよう」
「あ、いいね」
天気良いし。それに、ちらちらと受ける視線はあんまり好きじゃないから。関わろうかなと思ってすぐに後ろ向きな感情が出てしまったが蓋をする。
ノートを丁寧にしまい、お弁当を持って教室を出ていく。
「ベンチいろんなところにあるよね」
「学校側がどこでも快適に過ごせるように、各々が良いと思うところで休憩したり勉強できるように設置してる」
「へー」
「のをいいことに」
「え」
続きがあるのか。へーって、さすが校則なしの高校、発想や気遣いの方向が一味違うなんて納得しかけたのに。
こっちを見て笑いかけた、と思う。マスクが邪魔だ。
「生徒が勝手に買って設置したり、文化祭に乗じて作って設置したりしてるらしい」
「なるほど」
学校側と生徒が設置してくからこんなにたくさんあるんだな。撤去されないところがこの学校の良いところなんだろう。
「なんで知ってるの?」
「中学の担任が勝手に設置した張本人で話してくれた」
「その先生行動力があるなぁ」
結構な労力が必要になりそうなのによくやるなー。窓から見える校庭にもベンチが整列してるし、そういう生徒多いのかな。
他愛のない話をしてるうちに1階まで降りてきて、教室棟と特別教室棟の間にある通路に着く。
商品を展開しているところまで来ると生徒でごった返していた。人のいない時間に登校して来たからこんなに生徒がいたのか、って当たり前のことを思う。
購買の他にも学食があって、遠目から眺めた感じでも結構混んでるように見える。
はぐれないように近江を視界に入れながら売られているものを物色する。惣菜パンも菓子パンもあるし、お弁当も売ってるんだな。いっぱい種類あって選ぶ楽しみもある。
おれも機会があったら買ってみようかな。
近江はメロンパンと、ジャムとクリームが挟んである菓子パンを選んだ。甘いのが好きなのかな?
「どこで食べる?」
「あー、こっち」
「え、どこ行くの?」
近江の迷いのない足取りに不安が募るが、後をついて行く。購買の脇を通り抜け、校舎の裏側に回り込む。校舎の影に入ってほんの少し歩くとポツンと置かれている物。
「えぇー、なんでこんな所に3つも並んでるの。面白いなぁ」
そこにあったのは、詰めれば4人座れそうなベンチが3つ。横並びに設置してある。ベンチの目の前は目隠し用の高くもなく低くもない塀で、決して景色は良くない。屋根もないので野ざらしになってるせいか、なかなかにボロくなってるベンチだ。
「知ってたの?」
「知らないけど探せばこういう所かなりあるらしい」
「さっきの先生談?」
「あぁ、探すと楽しいぞって」
たしかに宝探しみたいな感覚で探すのは楽しいかもしれない。もしかしたらめちゃくちゃ立派なベンチ、を通り越して東屋とかあったりして。教室で勉強するより楽しそう。
妄想は置いておき、見た目はボロいがまだまだ現役のしっかりしたベンチに並んで座る。購買が近いから人の声は聞こえてくるけど、あんまり人気のなさそうな場所だな。だから空いていて座れるんだけど。
お弁当を広げて、手のひらを合わせていただきますをする。
「っと」
箸で唐揚げを持ち上げたところで軽く慌てたような声が聞こえた。唐揚げを空中で停止させて声の発信源の方を向くと、メガネが変な風にズレている。どうしたんだろう。
「大丈夫?」
「紐が引っかかっただけだから大丈夫」
「そっか」
マスクを外すときに紐がメガネのつるに引っかかったのか。
おれは視力がいいからメガネの大変さがわからない。こういうことってよく起こるのかな。
メガネに引っかかったマスクの紐と格闘する近江を眺める。メガネを外したからか、目を細めて眉間にしわが寄っている。
サラサラな黒髪の間から見えるたれ目がちな目尻、くっきりした平行二重。すっと通った綺麗な鼻筋に、程よい厚さの唇。パーツ1つ1つを見て、顔全体を見て、思う。
え、めっちゃ好みの美形が出てきた。ものすごく、
「タイプ……」
「え?」
「あっ? あー、えっと、その、なんでマスクしてんの?」
咄嗟に質問をして取り繕う。
危ない危ない。余計なことを口走るところだった。ちょっと出てしまった言葉は、紐に気を取られていたおかげで聞こえなかったようだ。
我ながら下手くそな質問をしたと思うが、答えは気になる。
おれが髪の色を派手にしたみたいに、マスクで顔を隠して人目を避けているのかな。顔が良いと人が寄ってくるから。
そうなら見れたおれはラッキー?
「花粉症なんだ」
「花粉症……。え、メガネは?」
「近眼」
「あぁ、そりゃそうだ」
あはは、と笑って誤魔化す。
マスクもメガネもそもそもファッション用じゃないんだった。メガネなんて立派な医療機器だ。至極当然な返答に、しかし想像していなかったから面食らった。
その間に近江はメガネをかけ直したようだ。タイプの顔が隠れてしまい、ちょっと惜しい。ただお昼を食べるためにまだマスクはしてないので、話しながらこっそり見る。心の中で明日からも一緒にお昼を食べようと決めた。
「おれめっちゃ健康だからわかんないんだけど、杉がやばいの?」
「スギも酷いしヒノキとイネも少しある」
「わー大変そう」
近江が菓子パンを頬張ったのを見て、自分もお弁当を食べ始める。
「棒読みだな。薬飲んでるから、まぁなんとかなってる」
「飲み忘れたら?」
「最悪」
間髪入れずに吐き捨てる感じが深刻度を物語ってるんだろうが、花粉症でないおれにはその深刻度がどの程度か理解できない。
とりあえずとても嫌そうな表情をしている。重たいメガネをしていてもマスクがないと表情がよくわかるな。それに素顔を知っていると、このメガネをしていても美形が漏れている気がする。
「困ったらティッシュあげるね」
「頼る日が来ないことを祈る」
タイプの顔を見るとドキドキするんだって初めて知った。
ノートはお昼休み中に写し切ることができなくて、写し終わったのは放課後に入って10分後のことだった。待ってくれた近江は良いやつ。
