「近江おはええぇ! 江間!? おはよう!」
「おはよー」
元気よく教室に入ってきた更科に大袈裟に驚かれる。
おれは今、朝休みの時間を使ってテスト対策をしていた。椅子の向きを変えて、近江の机を共有しながら。
「僕より来るの早いなんて明日は雪だな!」
「それも悪くないね」
「雨よりいいよなー、今日は晴れててあっついけど!」
更科よりも早く登校したどころか、実は近江よりも早く登校していた。
朝、アラームに紛れてメッセージの通知音が聞こえ、珍しい音に瞼を1ミリ開けた。隙間からどうにか確認するとひと言『起きろ』と入っていた。
たったこれだけ。
しかし挨拶すらないままされる簡潔な指示に、脳が覚醒した。重かった瞼も開きすぎるほどに開いた。なぜなら近江に起こされたから。
単純というか現金すぎる。
朝ちゃんと起きて、しかも機敏に動くおれが怪しすぎて、母さんに「不快な音を聞きすぎて変になったか」と言われた。さすがに違うと伝えた。
返信するのも忘れて支度して、結果かなり早い時間に学校に着いた。
教室で近江を出迎えたら「極端すぎる」って笑われた。
「江間たちテスト勉強してるのか? 数学?」
「そうだよ」
「僕も混ぜて。僕は代わりに古文を教えよう!」
「あ、教えてほしいところあるんだ。古文得意だなんてほんとすごいよね」
「ふふん! 任せてくれ!」
中間テストは来週からだ。
よって、早く登校したことでできた時間をテスト勉強に活かすことにした。遅刻以外は真面目な生徒だから。
しかし好きなやつが目の前にいるのに黙って勉強するなんてことはなく。
近江になんでメッセージくれたのか聞いたら「テスト期間は遅刻しない方がいいだろうから、その前に思い立ってやってみた」と。
テスト勉強はしているけど、そのテストを受けられないのでは元も子もないと、言われて初めて気づいた。
どうしようか。
「あ、えっ? 江間くん!」
声をかけられて顔を上げると、速水さんと鷲尾さんが教室に入ってきていた。
ペンを持ったまま手を振って、ちゃんと返事をする。
「おはよー速水さん」
「おはよう……!」
「速水ん行ってるねん」
「え! あっ、うん!」
席へ向かう鷲尾さんを一瞬目で追う。鷲尾さんはおれに全く興味なさそうなんだよな。だから速水さんからの視線が際立つというか。
今も更科に挨拶しただけで、速水さんを置いてサッと行った。
「今日は随分早いんだねっ」
「そうなんだよねー。テストは遅刻しない方がいいんじゃないって、近江が起こしてくれだんだ」
「そっ、そっか……。それで早く来て勉強してるんだ? やっぱり仲良いんだね……?」
「うん……!」
他人から見ても近江と仲良く見えるなんて嬉しいな。
「あ、そうだ。飴美味しかったよ。3つとも食べちゃった」
近江に言われたその日の夜に、夕飯を作りながら食べきった。普通に美味しかった。
「本当? 良かった。あっ飴好きでよく買うから、またあげるねっ」
「うん、ありがとう。作業しながら舐めるのにちょうど良くて、おすすめがあったら教えてね」
「あっ、う、うん! じゃあ、邪魔したら悪いから、またねっ!」
「またねー」
もう一度手を振って席へ走っていく速水さんを見送る。
なんだか、初めてちゃんと表情を見た気がした。
近江と話して狭まっていた視野が少しだけ広まったように思う。だからといって、すぐに何とも思わなくなるわけでもないけど。
好意を嫌って、それ以外を見ようとしてなかった。女子だってそれだけじゃない。
速水さんが飴をくれたように、本当におれのことを心配していたときもあるんだろう。ありがとうは言うけど、それすらも受け止めることもできていなかった。
もう少しちゃんと周りに目を向けられるように頑張ろうかな。
「はぁ……」
「え、なんでため息つかれたの……?」
明らかにおれの顔見てしたでしょ。
「別に」
「そ、そう?」
「僕もわかる」
「えぇ……?」
どういうことか教えてもらう前に、更科と近江に「ここ違う」と指摘されてうやむやにされた。
その後も教室に入ってくるクラスメイトみんなに驚かれた。廊下側1列目という席にいる以上、後ろのドアから入ってくると必ず目に留まるから。
程度はさまざまだけど、この時間におれがいるなんて誰も思っていないらしい。
予鈴が鳴った頃教室に来た佐々木にも、もちろん驚かれた。
***
「江間——」
「近江、お昼食べに行こう」
「あぁ」
一緒に購買奥のボロいベンチへ向かい、近江が菓子パンを買って、おれがどんな種類のものを買ったのか聞く。
足速に移動するのは変わらないけど性急さは無くなった。変わったのは、たまにおれから誘うのに成功するようになったことくらい。
梅雨入りしたのに燦々と晴れていて眩しいくらいの中、ベンチに並んで座る。
近江が今日は何を選んだのか知って満足したところで「こっち」と手招きされた。
「なに? どうしたの?」
お弁当袋の紐から一度手を離して近づく。
近江がこちらに腕を伸ばすのが見えた直後、後頭部を掴まれ力強く引き寄せられる感覚にびっくりして、反射的に目を閉じた。
「……?」
数秒経っても何も起こらなくて、あれ……?とそろそろと目を開ける。
瞬間、バチッと音がした気がした。
息がかかるほどの距離から見つめられている。
メガネ越しの強い視線に、心拍数と体温が徐々に上がっていくのがわかった。くらくらと逆上せてしまいそうだ。この視線が瞳を通しておれの奥まで見透かしてくる。
「起きれたご褒美」
「ぇ……?」
「していい?」
火照った頭でキスしてくれるってことだよなと考えて、火照りが沸騰に変わった。でもしてほしくて、ちゃんと答える。
「っうん」
頭を引き寄せられる感覚に再度目を閉じる。
おれと近江の距離がゼロになって、待っていた柔らかさを唇に感じた。
「首まで真っ赤」
「だっ……。だって、好きなやつとキスしたんだよ。ファーストキスだし……」
すぐに離されたけど、感触が残っているようでドキドキが治まらない。
おれって本当に近江に好かれてるんだって、言葉や態度だけじゃなくて行為でも示されて、嬉しさが溢れてくる。
「ふぅん。もう1回する?」
「あ、明日に取っておく……」
「何それ可愛いな」
可愛くはないでしょ……。ただ、ちょっと、邪な考えが浮かんだだけ。
「明日もちゃんと起きるから、たぶん、おそらく、いや頑張るから」
「自信なくなってるぞ」
だからまたしてほしい。
起きるために毎日近江に連絡入れてもらうのはノート借りるのと変わらない。でもキスなら、ねだってもいいんじゃないかなって思う。
そうすれば明日も起きられる気がする。
「また明日、してほしい」
「起きれたらな」
ちゃんとおれの意図が伝わっている。
メガネの奥に見える、意志の強い目を細めて笑う近江の表情が好きだな。近江も少しだけ頬と耳が赤くなっている。レアな表情を見れて優越感さえ感じる。
好きになることに歯止めが効かない。欲が出てきてズルくなっていく。
「ね、いつマスク外すの?」
「外してるけど」
「今じゃなくて。その、花粉症はどう?」
外してほしくないと思った。たぶん、最初の欲。
近江の表情が見えていることで、いつの間にか外されていたマスクの存在を思い出す。
「あぁ。外してほしくなさそうだっただろ」
「な、なんで知ってるの……?」
「なんでバレてないと思ってるんだ?」
「……」
ドキリとしたのも一瞬。そうだよね……、と腑に落ちる。
おれの好意も感情も大体バレていた。マスクについてだって知られていてもおかしくない。
「外していいのか?」
「うん。マスクの息苦しさは理解したから」
近江と一緒にいられるなら、マスクがなくても問題ない。例え素顔がバレて連れていかれそうになっても大丈夫だ。
「んー、じゃあ中間テスト終わったらだな。キリがいい」
「あと1週間くらいだね」
近江との居場所を確保できたからこう思えるんだ。
当初の予定とはポジションが異なるけどと考えて、でもやっぱりおれも最初から惹かれていたのかもしれないと、ふと思った。
おれも一目惚れだったのかな。目が合って、控えめに手を振り返してくれたその姿に。
なんにせよ、これからはこの居場所を失わないように、逃げずに好きを伝えていくだけだ。
「おはよー」
元気よく教室に入ってきた更科に大袈裟に驚かれる。
おれは今、朝休みの時間を使ってテスト対策をしていた。椅子の向きを変えて、近江の机を共有しながら。
「僕より来るの早いなんて明日は雪だな!」
「それも悪くないね」
「雨よりいいよなー、今日は晴れててあっついけど!」
更科よりも早く登校したどころか、実は近江よりも早く登校していた。
朝、アラームに紛れてメッセージの通知音が聞こえ、珍しい音に瞼を1ミリ開けた。隙間からどうにか確認するとひと言『起きろ』と入っていた。
たったこれだけ。
しかし挨拶すらないままされる簡潔な指示に、脳が覚醒した。重かった瞼も開きすぎるほどに開いた。なぜなら近江に起こされたから。
単純というか現金すぎる。
朝ちゃんと起きて、しかも機敏に動くおれが怪しすぎて、母さんに「不快な音を聞きすぎて変になったか」と言われた。さすがに違うと伝えた。
返信するのも忘れて支度して、結果かなり早い時間に学校に着いた。
教室で近江を出迎えたら「極端すぎる」って笑われた。
「江間たちテスト勉強してるのか? 数学?」
「そうだよ」
「僕も混ぜて。僕は代わりに古文を教えよう!」
「あ、教えてほしいところあるんだ。古文得意だなんてほんとすごいよね」
「ふふん! 任せてくれ!」
中間テストは来週からだ。
よって、早く登校したことでできた時間をテスト勉強に活かすことにした。遅刻以外は真面目な生徒だから。
しかし好きなやつが目の前にいるのに黙って勉強するなんてことはなく。
近江になんでメッセージくれたのか聞いたら「テスト期間は遅刻しない方がいいだろうから、その前に思い立ってやってみた」と。
テスト勉強はしているけど、そのテストを受けられないのでは元も子もないと、言われて初めて気づいた。
どうしようか。
「あ、えっ? 江間くん!」
声をかけられて顔を上げると、速水さんと鷲尾さんが教室に入ってきていた。
ペンを持ったまま手を振って、ちゃんと返事をする。
「おはよー速水さん」
「おはよう……!」
「速水ん行ってるねん」
「え! あっ、うん!」
席へ向かう鷲尾さんを一瞬目で追う。鷲尾さんはおれに全く興味なさそうなんだよな。だから速水さんからの視線が際立つというか。
今も更科に挨拶しただけで、速水さんを置いてサッと行った。
「今日は随分早いんだねっ」
「そうなんだよねー。テストは遅刻しない方がいいんじゃないって、近江が起こしてくれだんだ」
「そっ、そっか……。それで早く来て勉強してるんだ? やっぱり仲良いんだね……?」
「うん……!」
他人から見ても近江と仲良く見えるなんて嬉しいな。
「あ、そうだ。飴美味しかったよ。3つとも食べちゃった」
近江に言われたその日の夜に、夕飯を作りながら食べきった。普通に美味しかった。
「本当? 良かった。あっ飴好きでよく買うから、またあげるねっ」
「うん、ありがとう。作業しながら舐めるのにちょうど良くて、おすすめがあったら教えてね」
「あっ、う、うん! じゃあ、邪魔したら悪いから、またねっ!」
「またねー」
もう一度手を振って席へ走っていく速水さんを見送る。
なんだか、初めてちゃんと表情を見た気がした。
近江と話して狭まっていた視野が少しだけ広まったように思う。だからといって、すぐに何とも思わなくなるわけでもないけど。
好意を嫌って、それ以外を見ようとしてなかった。女子だってそれだけじゃない。
速水さんが飴をくれたように、本当におれのことを心配していたときもあるんだろう。ありがとうは言うけど、それすらも受け止めることもできていなかった。
もう少しちゃんと周りに目を向けられるように頑張ろうかな。
「はぁ……」
「え、なんでため息つかれたの……?」
明らかにおれの顔見てしたでしょ。
「別に」
「そ、そう?」
「僕もわかる」
「えぇ……?」
どういうことか教えてもらう前に、更科と近江に「ここ違う」と指摘されてうやむやにされた。
その後も教室に入ってくるクラスメイトみんなに驚かれた。廊下側1列目という席にいる以上、後ろのドアから入ってくると必ず目に留まるから。
程度はさまざまだけど、この時間におれがいるなんて誰も思っていないらしい。
予鈴が鳴った頃教室に来た佐々木にも、もちろん驚かれた。
***
「江間——」
「近江、お昼食べに行こう」
「あぁ」
一緒に購買奥のボロいベンチへ向かい、近江が菓子パンを買って、おれがどんな種類のものを買ったのか聞く。
足速に移動するのは変わらないけど性急さは無くなった。変わったのは、たまにおれから誘うのに成功するようになったことくらい。
梅雨入りしたのに燦々と晴れていて眩しいくらいの中、ベンチに並んで座る。
近江が今日は何を選んだのか知って満足したところで「こっち」と手招きされた。
「なに? どうしたの?」
お弁当袋の紐から一度手を離して近づく。
近江がこちらに腕を伸ばすのが見えた直後、後頭部を掴まれ力強く引き寄せられる感覚にびっくりして、反射的に目を閉じた。
「……?」
数秒経っても何も起こらなくて、あれ……?とそろそろと目を開ける。
瞬間、バチッと音がした気がした。
息がかかるほどの距離から見つめられている。
メガネ越しの強い視線に、心拍数と体温が徐々に上がっていくのがわかった。くらくらと逆上せてしまいそうだ。この視線が瞳を通しておれの奥まで見透かしてくる。
「起きれたご褒美」
「ぇ……?」
「していい?」
火照った頭でキスしてくれるってことだよなと考えて、火照りが沸騰に変わった。でもしてほしくて、ちゃんと答える。
「っうん」
頭を引き寄せられる感覚に再度目を閉じる。
おれと近江の距離がゼロになって、待っていた柔らかさを唇に感じた。
「首まで真っ赤」
「だっ……。だって、好きなやつとキスしたんだよ。ファーストキスだし……」
すぐに離されたけど、感触が残っているようでドキドキが治まらない。
おれって本当に近江に好かれてるんだって、言葉や態度だけじゃなくて行為でも示されて、嬉しさが溢れてくる。
「ふぅん。もう1回する?」
「あ、明日に取っておく……」
「何それ可愛いな」
可愛くはないでしょ……。ただ、ちょっと、邪な考えが浮かんだだけ。
「明日もちゃんと起きるから、たぶん、おそらく、いや頑張るから」
「自信なくなってるぞ」
だからまたしてほしい。
起きるために毎日近江に連絡入れてもらうのはノート借りるのと変わらない。でもキスなら、ねだってもいいんじゃないかなって思う。
そうすれば明日も起きられる気がする。
「また明日、してほしい」
「起きれたらな」
ちゃんとおれの意図が伝わっている。
メガネの奥に見える、意志の強い目を細めて笑う近江の表情が好きだな。近江も少しだけ頬と耳が赤くなっている。レアな表情を見れて優越感さえ感じる。
好きになることに歯止めが効かない。欲が出てきてズルくなっていく。
「ね、いつマスク外すの?」
「外してるけど」
「今じゃなくて。その、花粉症はどう?」
外してほしくないと思った。たぶん、最初の欲。
近江の表情が見えていることで、いつの間にか外されていたマスクの存在を思い出す。
「あぁ。外してほしくなさそうだっただろ」
「な、なんで知ってるの……?」
「なんでバレてないと思ってるんだ?」
「……」
ドキリとしたのも一瞬。そうだよね……、と腑に落ちる。
おれの好意も感情も大体バレていた。マスクについてだって知られていてもおかしくない。
「外していいのか?」
「うん。マスクの息苦しさは理解したから」
近江と一緒にいられるなら、マスクがなくても問題ない。例え素顔がバレて連れていかれそうになっても大丈夫だ。
「んー、じゃあ中間テスト終わったらだな。キリがいい」
「あと1週間くらいだね」
近江との居場所を確保できたからこう思えるんだ。
当初の予定とはポジションが異なるけどと考えて、でもやっぱりおれも最初から惹かれていたのかもしれないと、ふと思った。
おれも一目惚れだったのかな。目が合って、控えめに手を振り返してくれたその姿に。
なんにせよ、これからはこの居場所を失わないように、逃げずに好きを伝えていくだけだ。
