近江に近づきたいんだけど、近づくと迷惑がかかる。
おれの指向は変えられないし、女子からの視線が苦手で否定してきたことも変わらない。
友人以上を求めるという前にも、そういう視線を近江に送らないようにするために友人以下になるという後ろにも進めない。
元々目的としていた、近江の友人ポジションの座を確固たるものにするしかない。
そう決めても、おれの気持ちが消えるわけじゃないから八方塞がりだ。
ひとまず今できそうなこととして、おれから近江をお昼に誘うことをしようと思った。
今のうちにおれから誘うことが自然になっていれば、近江の気が他所に向いたとしても誘いやすくなる、はず。
このままノートを借り続けるのも現実的じゃない。
ノートの貸し借りっていう繋がりを失くしたくはないが、このまま負担をかけ続けるのは違うから。
アラームを増やして、不快な音に設定した。モスキート音がいいらしい。若干早く起きれるようになった気がしないでもない。
ただ朝になると不快な音が鳴るので何事かと母さんに心配された。
起きるためって説明すると「その音のせいで夕飯の肉の量が減ったのか?」と言われた。違うけどそうって言っておいた。
***
4限終了のチャイムが鳴り号令に従い起立、礼をしてお昼休憩が始まる。
よし、と意気込んで後ろに振り向いて近江に声をかけた。
「近江、おひ——」
「江間、雨降ってきたから教室で食べよう」
「あ、うん」
「買ってくるから更科たちと待ってろよ」
「あ、うん。いってらっしゃいー……」
足速に教室を出ていく近江に手を振って見送った。廊下を覗くともう姿が見えなかった。
おれから誘うんだって意気込んだはいいが、成功した試しがない。成功しないままもう数日が経過している。
被せられるというか、言わせてもらえないというか。なんか圧が強くなった。なんでだろう。
一緒にお昼を食べるという目的は一致しているし、それが達成できているから特に何も言わないままにしている。藪蛇は嫌だから。
もしおれの視線がバレていて、強く言うことおれから離れていくことを望んでいる、とかだったら困る。だって近江捻くれてるところあるし。可能性が否定できない。
「おーい江間! 食べようぜ!」
「うん。混ぜてもら——」
「あ! 江間くん!」
更科の方へ移動しようとして、しかしブレザーの袖を掴まれて引っ張られた感覚につい振り返った。
少し下にある顔を確認するとカラオケに誘ってきた女子だ。カラオケが嫌すぎて覚えていた。
「教室にいるなんて珍しいね!」
「あー、そうだね」
「いつもはいないのに。普段どこで食べてるの?」
「秘密だよ」
絶対に知られるわけにはいかない。これだけは本当に。探さないでほしい。
「えー! もしかして彼女と食べてるの?」
「いや、そういうのじゃないよ」
「怪しいー! でも違うなら一緒に食べようよ!」
「えっと」
「教室にいるってことは今日はその秘密のとこで食べないってことでしょ? いいじゃん?」
ぐいぐい来るタイプだなー。
良い言い訳が思いつかないから正直に真摯に言うしかないか。
廊下を覗かなければ回避できたのかな。すぐに更科のところに行っていればよかった。
「友人と一緒に食べたいんだ。だからごめんね」
「江間、お待たせ」
「え?」
珍しく手を振って近づいてくる近江。帰ってくるの早くない?
もしかして友人って言ったの聞かれた? おれひとりが友人って思ってたらどうしよう。
「南條さん、江間は俺らと食べるから」
「えっ、あんたは関係ないでしょ!」
「友人同士の楽しみ取んなよ」
「は、待ってよ!」
肩を組まれて無理矢理向きを変えられる。
女子からの返答を聞かずに教室に入り、更科たちのいる席に行く。たった数メートル先だけど、この距離が遠かったから助けてくれたのはありがたい。
近江との距離が近いこと以外は。
チラッと後ろを見るとこっちに背を向けて去っていくのが見えた。
「……いいのかな? ちょっと強引だったけど」
なんかあんまり見ない、というか知らない感じの近江を見た。
女子と話しているのを見るのもこの前の速水さん以来で、なんというか、ちょっといろいろ追いつかない。
「いいだろ。女子と食べんの?」
「食べないけど」
ていうか近江、友人って言ったよね? これは、目的達成……?
「更科たちと待ってろって言ったのに」
「ご、ごめん」
現実に引き戻された。
つい近江の背中を追ったから。ちゃんと言われてたのに。おれのこと思って言ってくれたのに無下にしてしまった。
「更科もごめん。無視するつもりはなかったんだけど」
「おう、大丈夫だぞ! 江間こそ大変だな!」
「あはは、まぁ、うん」
やっと席につけたって感じだ。
近江の手が肩から離れてちょっとホッとした。
お弁当の蓋を開けて食べ始めようとするが、アスパラの肉巻きとか、じゃがいもの肉巻きとか、にんじんの肉巻きとか、掴んでは離してしまい口に辿りつかない。
母さんから『肉食わないならその分野菜食え』ってメッセージが入ってた。使えと言わんばかりに野菜も置かれていたのでちゃんと使った。
ようやくひと口辿りついた。ちゃんと美味しい。でも食欲が減るってことはそれなりにしんどいって思ってるってことなんだろう。
机に置かれた弁当箱と正面から見つめ合うように項垂れた。
「江間ー、大丈夫かー? 女子苦手ってそういや言ってたもんな」
女子も苦手だし、視線もしんどいし、今はそれに近江のことが追加されたし。
言っても仕方ない上に言う勇気もないから、態度に出す気もなかったんだけどな。上手くいかない。
「大丈夫だけど……、なんでおれなんだろう」
「かっこいいからだな!」
「えー……。更科の方がいつも笑顔で愛嬌があって可愛いし、かっこいいよ。今だって心配してくれた。元気よく大きな声で話しかけられると気分が明るくなるんだ。最初に声かけてくれたときも嬉しかったんだよ」
「えぇ! て、照れる……!」
頭を上げて見た更科の顔はニッコニコで屈託のない百点満点の笑顔だった。絶対更科の方がいいよ。
更科だけじゃなくて佐々木だって、近江だっておれの億倍いいでしょ。
ひどいこと言うけど、女子って見る目がないのかもしれない。
「佐々木だって静かに話聞いてくれる感じとか、寡黙な感じと空手の堂々とした姿のギャップもかっこいいし。近江だってずっとノート貸してくれて勉強教えてくれて付き添ってくれるなんて優しいし。こんなおれに話しかけてくれて一緒にいてくれるし……」
遅刻ばかりしてるやつなんて良いところなくない?
「いや、そういうとこだよ!」
「どういうとこ……。え、まさか遅刻するところ?」
「う〜ん! 江間って意外とぽん、あっと、天然なんだなー」
続けて「もっとスマートな感じかと思ってた!」って言われた。でも自分ではどっちもしっくりこない感覚だ。
「江間。前に言った大会が土曜にあるんだ。観戦に来ないか。自分がやらなくても気分転換になるぞ」
「あ、そうじゃん! 近江と話してたんだった!」
これまで黙っていた佐々木が口を開いて、思いがけないことを言ってくれた。
この前話したときに大会のことは聞いていたのに、現地に行って応援するという発想がなかった。
「話?」
「江間も後で誘おうって。行くだろ?」
おれを見て聞いてくる。
友人と友人の応援に行くなんてイベント、参加してみたい。それに近江が行くなら行くに決まってる。
「行く……!」
「よっしゃ、連絡先交換しようぜ!」
「あ……、おれも教えてほしい」
いまだに交換してなかった。こういうことがすぐに思いつかないんだよな。
スマホを取り出してさささっと操作する。更科と、佐々木の連絡先も交換してもらい無事に入手できた。
「大会の予定送っとくから!」
更科がメッセージのグループも作ってくれて、よろしくって書かれたパンダのスタンプが送られてきた。
自分のアカウントが追加されてるのを確認して嬉しくなる。
近江のをゲットしたときも嬉しかったけど、たぶん嬉しいのベクトルが違う。
すぐに近江のことに思考が向かっていると気づいて誤魔化そうと周りに目を向けたが、気になったのは結局近江のこと。
「今日は何買ったの? それは?」
「これはカスタードデニッシュ」
「初めてじゃない?」
「そうかもな。早く行くと種類たくさんあるからいい」
さっと行ってさっと帰ってきた理由はそれか。
近江が何を買ってくるのかを地味に楽しみにしてる。自分は食べる気はないけどなんとなく気になるから。
いつも聞いてる質問をすることで、いつも通りを演出した、つもり。
◇
「うわ、通知やばい……!」
なんかいつもより明るいなって思いつつ、スマホで時間を確認して、飛び起きた。
待ち合わせの時間から2時間近く経っている。もうお昼じゃん。
普段の授業開始より遅い時間に集合ってなっていて、それなら起きられる時間だから大丈夫って思っていたのに。
出かけるって伝えてないから母さんが起こしてくれるなんてこともなく、過去最高の寝坊をした。
とにかく連絡を入れようと「ごめん今起きた」ってメッセージを送るとすぐに既読がつき、次の瞬間には着信画面に切り替わった。
「も、もしもし」
『江間』
『江間ー!』
近江の声の後ろから更科の声も聞こえてきた。2人は一緒にいるんだな。
「ごめんすぐ行くから」
『佐々木1回戦勝ったぞー!』
「え、すごいね……!」
『江間が来るまで勝ち進められるよう僕らが応援しておくから! 車に気をつけて来るんだぞ!』
見られなかったのが悔やまれると思っていると、更科に保護者みたいなことを言われた。
「うん、ありがとう。おれのことは気にせず楽しんでて」
『待ってるから来いよ』
『休憩挟んでから2回戦だからな!』
「うん、わかった。行くから後でね」
『じゃ! 待ってるぞー!』
冷水で顔を洗って、着替えてスマホを持つ。
「あ、マスク」
寝癖を隠すためにキャップを手に取ろうとして、未開封のまま放置されていたマスクが目に入った。ラックの横に置かれた新品のマスク。
こんなところに置いていたのか。
キャップと、マスクも手に取る。
会場までの道を調べておいて良かった。絶対ギリギリになると思って調べてあったからそれを頼りに出かける。
ギリギリじゃ済まなかったけど。
***
市内のスポーツ競技場とかいう会場に着いた。
着いたはいいが、空手部の大会が行われている第二武道館ってところに辿り着けない。
空手だけじゃなくて他の部活でも大会が同時に開催されていて、総合施設って感じでかなり広いところが会場だった。
真っ直ぐ行けばあるらしいけど、直線じゃないし脇道多いし、想像の10倍くらい広くてずっと歩いてるのにそれらしき建物が見当たらない。
縁がなさすぎて規模感がわからなかった。どんな建物か外見を知らないから判別もつかない。
寝坊の上に迷子って。そんな小さい子どもみたいなことになるなんて。
案内板の前に立って地図を確認する。
会場についてからもう15分くらいフラフラしてる。ここに着くまでに1時間近くかかっていて、もう決勝戦が迫っている。
佐々木が決勝まで勝ち進んでいた。すごい。頑張って勝ち進んでいるのに、おれは応援できないどころかこの体たらくなんて。
更科が実況のように佐々木の試合や進み具合を定期的に送ってきてくれているが、それも負担をかけてるってことだ。ありがたさと申し訳なさで惨めな気持ちになる。
電話して聞こうかな。でも会場にいるだろうし迷惑かな。悩んでる時間が無駄だってわかるけど、かけたことないから緊張する。
「うわっ!」
横から急に腕を引かれてたたらを踏んだ。
「江間っ? 何してんの?」
「え?」
顔を上げると見慣れたメガネとマスクが目に入った。
「近江? なんでいるの?」
「なんでってお前が来ないからだろ」
お前って。初めて言われたかも。言葉が崩れるくらいには待たせているよな。おれが遅いからここまで走って来てくれたのかな。息が切れているし。
それに今日の格好でおれのことに気づくなんて。
「ごめん」
「いいから、時間ないから行くぞ」
「わっ」
腕から手首に掴み直されて、近江に引っ張られながら走り出す。
手首を掴む力が強くてちょっと痛い。
バタバタと会場の第二武道館まで行き、そこからさらに客席まで一気に上がっていった。
少し高い位置から中央のコートを見て佐々木を探す。目が良くてよかった、多少遠くても見えるから。
2面あるコートにそれぞれ1人ずついて片方が佐々木だ。もう片方は女子の試合をやってるんだな。
息を整えながら試合を見る。
いつもは張り上げない声を会場に響かせながら大胆に、でも緩急があって静と動が美しい。試合というより演武とか演技って言い方の方が合っているな。
体感500メートルくらい走ったから実際はわからないけど結構息が上がって呼吸が大変。胸を上下させたまま目は佐々木に集中していたが、すぐに演武が終わり、礼をした。
おれが会場に来た時点で始まっていたし、試合時間自体も長くないから一瞬だった。
「もう終わっちゃった」
ほんとに最後の方しか見れなかったな。声援の代わりに拍手を送る。
勝敗の付け方を知らないので勝ったのか負けたのかよくわからない。そもそもどうやって対戦してるんだろう。今度教えてもらおうか、話のきっかけになるし。
いやまずは全然応援できなかったことを謝るところからか。
「江間、なんでマスクしてるんだ? 似合ってないな」
佐々木がいなくなってもコートを見続けていたら、あけすけに言う声が聞こえてきた。
自分で確認してないからどんな風なのか知らないけど、まぁおれも似合ってるとは思わないんだろうな。
「寝起きだからだよ。近江こそよくこんな息苦しいの毎日してるね」
それだけじゃないけど。
マスクの顔を隠す効果ってどうなのかなって、失くしたと思ってたのが出てきたし試してみた。
でも慣れてなくて着けてると違和感がすごい。なんかガサガサする。基本的に邪魔なだけで、呼吸もしづらいし今は要らないと、マスクを下げる。
さっさと外したいって言うわけだよ。必要に迫られなきゃしたくないよね。
花粉症の大変さはわからないけど、マスクの大変さは少し知ることができた。
「そのままマスクしてろよ」
「わっ、ちょっと!」
下げたばかりのマスクを摘み上げて、付け直させられる。息苦しいって言ってんのになんでだ。息苦しさを味わえってこと?
流れるようにキャップのつばを掴んでこっちはぐいっと下げられた。前見えないじゃん。
「近江ー!」
更科の声がして、周りを確認するためにキャップを上げる。
「こっち来てくれたのか」
「おう! 江間探せなかったのか?」
「更科」
近江の後ろから顔を出して手を振る。
「えっ江間じゃん! 間に合ったんだ! ていうか風邪だったのか?」
「違うよ。寝起きと寝癖のせいだから」
「なるほど!」
気づかれないなんてキャップとマスクのせいかな。効果はあるんだな。
でもマスクしてると余計な心配もかけるみたいだ。不純な理由でつけるのは、やっぱりダメだな。
「寝坊してごめん。実況ありがとね」
「おう! ブラインドタッチ特技なんだ、なかなかの出来だっただろ!」
「うん、臨場感あったよ」
更科からのメッセージは助かったけど、スマホでブラインドタッチってどういうことだろう。
「あっ! そうだ。僕、聡子さんの回収に行かなきゃいけなくなったからここで解散な!」
「聡子さん?」
「佐々木のお姉さん! めっちゃ美人なんだ。で、めっちゃ怖い。物理的に!」
「物理的に」
物理的に怖いお姉さんって。更科がそう評するなんて結構なんじゃない……?
「選手用入り口で止められたって怒ってるんだ。OGでも大会関係者じゃないんだから入れるわけないのになー」
「OG? うちの?」
「そう、姉弟で空手やってるんだ!」
「へぇ、なんか想像つくね」
「佐々木に連絡つかないからって僕にきた。なんの権限もないのに! げげ! はっ倒されないために行ってくるから! またなー!」
スマホを見て顔を青くした更科が走り去っていく。
すぐに更科から『学校で今日のこと話そうな!』とメッセージが入った。走りながら打つなんて器用だ。でも危ないよ。
「物理的に怖いお姉さんだって。近江知ってた?」
「昼に会って話した。俺もそんときに知った」
「うっ……」
寝坊しなければおれも会えたし、更科に説明させる必要もなかったってことか。
「そのうちまた機会あるだろ」
「うん、そうだね」
佐々木にはお姉さんがいたんだな。更科はどうなんだろう。
おれは一人っ子でふわっと憧れみたいなのがあるから、兄弟ってなんとなく気になる。
「この後どうする?」
近江とふたりっきりだ。
いや、更科もほんの少ししか会わなかったからずっとふたりみたいなものだったか。今になって気づいて意識し始めてしまい、また心拍数が上がってくる。さっきとは違う理由だ。
聞かれたことにどう答えようか迷う。
来たばっかりだし、せっかく一緒にいるのにこのまま帰るのは寂しい。
友人に対して寂しいって感情ってはおかしいのかな。でもできる限り時間を共有したいって欲が湧いてくる。
ダメだって思うのに欲を抑えられない。
「ね、甘いもの食べに行こう。おれ何も食べてないんだ」
「甘いもの? 肉とかちゃんとしたご飯じゃなくて?」
当然の疑問か。近江の前で甘いもの食べた記憶もないから。
おれの好みを覚えててくれてるとかだったりしないかな、なんて一瞬思ったけどいつもお弁当で肉ばっかだからわかるか。
「うん。近江の好きなもの食べたいから」
どうせ顔見えないし、表情わからないから。
ズルいやつって俯瞰した自分が言うけど、少しくらいいいでしょ。
今ならキャップとマスクのおかげでおれの視線や表情はわかりにくい。重たいメガネとマスクをしている近江の表情がわかりにくいように。
***
駅前のケーキ屋併設のカフェにやって来た。
行きで近くを通ったはずだけど気づかなかったな。スマホで地図見ながら急いでたから仕方ないか。
近江と更科は急いでなかっただろうから、周りとか見ながら歩いたんだな。
「テイクアウトもやってるんだね」
メニューを見ると持ち帰り用の注文もできるみたいだ。
キラキラしたたくさんのケーキが並んだ立派なショーケースをを思い返して、カフェ併設のケーキ屋なのかと考え直す。
「天と進に買って帰る」
「さすがお兄ちゃん」
弟くん思いの優しいところにもいちいちときめく。
「ひとりで食べると何故かバレるんだよ」
「弟くんたちも甘いの好きだったね。センサーが働くのかな?」
「いらないセンサーだな」
憎まれ口を叩いているけど、仲の良い兄弟だって知ってるから微笑ましい。
「あ、さくらんぼのやつあるよ」
「んー、いや、マンゴーのショートケーキにする」
「マンゴー?」
メニューを見直すとこっちも旬のフルーツで限定って書いてある。限定って惹かれるよね。
「女子が提案したやつなんて嫌だろ」
「そっか?」
気になるんじゃなかったっけ? よくわかんないけど、近江っぽい答えが返ってきたのはわかる。
「おれも同じの頼む」
「生クリームとか食べられるのか?」
「食べられるしちゃんと好きだよ。あんまり食べないのは、なんというか、特別なときに食べるイメージがあるからかな?」
「ふぅん……。そういうときは肉食べないのか?」
「めっちゃ食べる」
目を細めておれを見る近江にドキドキする。
あぁ、嫌だな。
近江と一緒にいると楽しくて、心が明るくなって、自然と笑顔になれる。おれが楽しいなって思ってるときに、近江も笑っていてくれたら嬉しくなる。
好きって気持ちを消すなんて無理だよ。友人以上を求めないでいるなんて難しすぎる。
人を好きになると、感情をコントロールできなくなるんだ。
好きって感情は消えない。消せない。
目が合って、話しかけて、お昼を一緒に食べて、一緒に勉強して、同じ時間を共有する。
普通の人が普通にしてることを、近江にしてもらえただけだ。それだけで好きになるなんて単純だ。
でも、好きにならないなんて無理でしょ。
注文した後、買って帰る用を一緒に悩んだ。そんなことも楽しい。
ケーキが運ばれてきてから、ようやく気づいた。表情を隠すためのマスクを外さないと食べれないと。
いつもお昼の近江を見てたのに、自分がするとなるとそこまで頭が回らなかった。
おれの指向は変えられないし、女子からの視線が苦手で否定してきたことも変わらない。
友人以上を求めるという前にも、そういう視線を近江に送らないようにするために友人以下になるという後ろにも進めない。
元々目的としていた、近江の友人ポジションの座を確固たるものにするしかない。
そう決めても、おれの気持ちが消えるわけじゃないから八方塞がりだ。
ひとまず今できそうなこととして、おれから近江をお昼に誘うことをしようと思った。
今のうちにおれから誘うことが自然になっていれば、近江の気が他所に向いたとしても誘いやすくなる、はず。
このままノートを借り続けるのも現実的じゃない。
ノートの貸し借りっていう繋がりを失くしたくはないが、このまま負担をかけ続けるのは違うから。
アラームを増やして、不快な音に設定した。モスキート音がいいらしい。若干早く起きれるようになった気がしないでもない。
ただ朝になると不快な音が鳴るので何事かと母さんに心配された。
起きるためって説明すると「その音のせいで夕飯の肉の量が減ったのか?」と言われた。違うけどそうって言っておいた。
***
4限終了のチャイムが鳴り号令に従い起立、礼をしてお昼休憩が始まる。
よし、と意気込んで後ろに振り向いて近江に声をかけた。
「近江、おひ——」
「江間、雨降ってきたから教室で食べよう」
「あ、うん」
「買ってくるから更科たちと待ってろよ」
「あ、うん。いってらっしゃいー……」
足速に教室を出ていく近江に手を振って見送った。廊下を覗くともう姿が見えなかった。
おれから誘うんだって意気込んだはいいが、成功した試しがない。成功しないままもう数日が経過している。
被せられるというか、言わせてもらえないというか。なんか圧が強くなった。なんでだろう。
一緒にお昼を食べるという目的は一致しているし、それが達成できているから特に何も言わないままにしている。藪蛇は嫌だから。
もしおれの視線がバレていて、強く言うことおれから離れていくことを望んでいる、とかだったら困る。だって近江捻くれてるところあるし。可能性が否定できない。
「おーい江間! 食べようぜ!」
「うん。混ぜてもら——」
「あ! 江間くん!」
更科の方へ移動しようとして、しかしブレザーの袖を掴まれて引っ張られた感覚につい振り返った。
少し下にある顔を確認するとカラオケに誘ってきた女子だ。カラオケが嫌すぎて覚えていた。
「教室にいるなんて珍しいね!」
「あー、そうだね」
「いつもはいないのに。普段どこで食べてるの?」
「秘密だよ」
絶対に知られるわけにはいかない。これだけは本当に。探さないでほしい。
「えー! もしかして彼女と食べてるの?」
「いや、そういうのじゃないよ」
「怪しいー! でも違うなら一緒に食べようよ!」
「えっと」
「教室にいるってことは今日はその秘密のとこで食べないってことでしょ? いいじゃん?」
ぐいぐい来るタイプだなー。
良い言い訳が思いつかないから正直に真摯に言うしかないか。
廊下を覗かなければ回避できたのかな。すぐに更科のところに行っていればよかった。
「友人と一緒に食べたいんだ。だからごめんね」
「江間、お待たせ」
「え?」
珍しく手を振って近づいてくる近江。帰ってくるの早くない?
もしかして友人って言ったの聞かれた? おれひとりが友人って思ってたらどうしよう。
「南條さん、江間は俺らと食べるから」
「えっ、あんたは関係ないでしょ!」
「友人同士の楽しみ取んなよ」
「は、待ってよ!」
肩を組まれて無理矢理向きを変えられる。
女子からの返答を聞かずに教室に入り、更科たちのいる席に行く。たった数メートル先だけど、この距離が遠かったから助けてくれたのはありがたい。
近江との距離が近いこと以外は。
チラッと後ろを見るとこっちに背を向けて去っていくのが見えた。
「……いいのかな? ちょっと強引だったけど」
なんかあんまり見ない、というか知らない感じの近江を見た。
女子と話しているのを見るのもこの前の速水さん以来で、なんというか、ちょっといろいろ追いつかない。
「いいだろ。女子と食べんの?」
「食べないけど」
ていうか近江、友人って言ったよね? これは、目的達成……?
「更科たちと待ってろって言ったのに」
「ご、ごめん」
現実に引き戻された。
つい近江の背中を追ったから。ちゃんと言われてたのに。おれのこと思って言ってくれたのに無下にしてしまった。
「更科もごめん。無視するつもりはなかったんだけど」
「おう、大丈夫だぞ! 江間こそ大変だな!」
「あはは、まぁ、うん」
やっと席につけたって感じだ。
近江の手が肩から離れてちょっとホッとした。
お弁当の蓋を開けて食べ始めようとするが、アスパラの肉巻きとか、じゃがいもの肉巻きとか、にんじんの肉巻きとか、掴んでは離してしまい口に辿りつかない。
母さんから『肉食わないならその分野菜食え』ってメッセージが入ってた。使えと言わんばかりに野菜も置かれていたのでちゃんと使った。
ようやくひと口辿りついた。ちゃんと美味しい。でも食欲が減るってことはそれなりにしんどいって思ってるってことなんだろう。
机に置かれた弁当箱と正面から見つめ合うように項垂れた。
「江間ー、大丈夫かー? 女子苦手ってそういや言ってたもんな」
女子も苦手だし、視線もしんどいし、今はそれに近江のことが追加されたし。
言っても仕方ない上に言う勇気もないから、態度に出す気もなかったんだけどな。上手くいかない。
「大丈夫だけど……、なんでおれなんだろう」
「かっこいいからだな!」
「えー……。更科の方がいつも笑顔で愛嬌があって可愛いし、かっこいいよ。今だって心配してくれた。元気よく大きな声で話しかけられると気分が明るくなるんだ。最初に声かけてくれたときも嬉しかったんだよ」
「えぇ! て、照れる……!」
頭を上げて見た更科の顔はニッコニコで屈託のない百点満点の笑顔だった。絶対更科の方がいいよ。
更科だけじゃなくて佐々木だって、近江だっておれの億倍いいでしょ。
ひどいこと言うけど、女子って見る目がないのかもしれない。
「佐々木だって静かに話聞いてくれる感じとか、寡黙な感じと空手の堂々とした姿のギャップもかっこいいし。近江だってずっとノート貸してくれて勉強教えてくれて付き添ってくれるなんて優しいし。こんなおれに話しかけてくれて一緒にいてくれるし……」
遅刻ばかりしてるやつなんて良いところなくない?
「いや、そういうとこだよ!」
「どういうとこ……。え、まさか遅刻するところ?」
「う〜ん! 江間って意外とぽん、あっと、天然なんだなー」
続けて「もっとスマートな感じかと思ってた!」って言われた。でも自分ではどっちもしっくりこない感覚だ。
「江間。前に言った大会が土曜にあるんだ。観戦に来ないか。自分がやらなくても気分転換になるぞ」
「あ、そうじゃん! 近江と話してたんだった!」
これまで黙っていた佐々木が口を開いて、思いがけないことを言ってくれた。
この前話したときに大会のことは聞いていたのに、現地に行って応援するという発想がなかった。
「話?」
「江間も後で誘おうって。行くだろ?」
おれを見て聞いてくる。
友人と友人の応援に行くなんてイベント、参加してみたい。それに近江が行くなら行くに決まってる。
「行く……!」
「よっしゃ、連絡先交換しようぜ!」
「あ……、おれも教えてほしい」
いまだに交換してなかった。こういうことがすぐに思いつかないんだよな。
スマホを取り出してさささっと操作する。更科と、佐々木の連絡先も交換してもらい無事に入手できた。
「大会の予定送っとくから!」
更科がメッセージのグループも作ってくれて、よろしくって書かれたパンダのスタンプが送られてきた。
自分のアカウントが追加されてるのを確認して嬉しくなる。
近江のをゲットしたときも嬉しかったけど、たぶん嬉しいのベクトルが違う。
すぐに近江のことに思考が向かっていると気づいて誤魔化そうと周りに目を向けたが、気になったのは結局近江のこと。
「今日は何買ったの? それは?」
「これはカスタードデニッシュ」
「初めてじゃない?」
「そうかもな。早く行くと種類たくさんあるからいい」
さっと行ってさっと帰ってきた理由はそれか。
近江が何を買ってくるのかを地味に楽しみにしてる。自分は食べる気はないけどなんとなく気になるから。
いつも聞いてる質問をすることで、いつも通りを演出した、つもり。
◇
「うわ、通知やばい……!」
なんかいつもより明るいなって思いつつ、スマホで時間を確認して、飛び起きた。
待ち合わせの時間から2時間近く経っている。もうお昼じゃん。
普段の授業開始より遅い時間に集合ってなっていて、それなら起きられる時間だから大丈夫って思っていたのに。
出かけるって伝えてないから母さんが起こしてくれるなんてこともなく、過去最高の寝坊をした。
とにかく連絡を入れようと「ごめん今起きた」ってメッセージを送るとすぐに既読がつき、次の瞬間には着信画面に切り替わった。
「も、もしもし」
『江間』
『江間ー!』
近江の声の後ろから更科の声も聞こえてきた。2人は一緒にいるんだな。
「ごめんすぐ行くから」
『佐々木1回戦勝ったぞー!』
「え、すごいね……!」
『江間が来るまで勝ち進められるよう僕らが応援しておくから! 車に気をつけて来るんだぞ!』
見られなかったのが悔やまれると思っていると、更科に保護者みたいなことを言われた。
「うん、ありがとう。おれのことは気にせず楽しんでて」
『待ってるから来いよ』
『休憩挟んでから2回戦だからな!』
「うん、わかった。行くから後でね」
『じゃ! 待ってるぞー!』
冷水で顔を洗って、着替えてスマホを持つ。
「あ、マスク」
寝癖を隠すためにキャップを手に取ろうとして、未開封のまま放置されていたマスクが目に入った。ラックの横に置かれた新品のマスク。
こんなところに置いていたのか。
キャップと、マスクも手に取る。
会場までの道を調べておいて良かった。絶対ギリギリになると思って調べてあったからそれを頼りに出かける。
ギリギリじゃ済まなかったけど。
***
市内のスポーツ競技場とかいう会場に着いた。
着いたはいいが、空手部の大会が行われている第二武道館ってところに辿り着けない。
空手だけじゃなくて他の部活でも大会が同時に開催されていて、総合施設って感じでかなり広いところが会場だった。
真っ直ぐ行けばあるらしいけど、直線じゃないし脇道多いし、想像の10倍くらい広くてずっと歩いてるのにそれらしき建物が見当たらない。
縁がなさすぎて規模感がわからなかった。どんな建物か外見を知らないから判別もつかない。
寝坊の上に迷子って。そんな小さい子どもみたいなことになるなんて。
案内板の前に立って地図を確認する。
会場についてからもう15分くらいフラフラしてる。ここに着くまでに1時間近くかかっていて、もう決勝戦が迫っている。
佐々木が決勝まで勝ち進んでいた。すごい。頑張って勝ち進んでいるのに、おれは応援できないどころかこの体たらくなんて。
更科が実況のように佐々木の試合や進み具合を定期的に送ってきてくれているが、それも負担をかけてるってことだ。ありがたさと申し訳なさで惨めな気持ちになる。
電話して聞こうかな。でも会場にいるだろうし迷惑かな。悩んでる時間が無駄だってわかるけど、かけたことないから緊張する。
「うわっ!」
横から急に腕を引かれてたたらを踏んだ。
「江間っ? 何してんの?」
「え?」
顔を上げると見慣れたメガネとマスクが目に入った。
「近江? なんでいるの?」
「なんでってお前が来ないからだろ」
お前って。初めて言われたかも。言葉が崩れるくらいには待たせているよな。おれが遅いからここまで走って来てくれたのかな。息が切れているし。
それに今日の格好でおれのことに気づくなんて。
「ごめん」
「いいから、時間ないから行くぞ」
「わっ」
腕から手首に掴み直されて、近江に引っ張られながら走り出す。
手首を掴む力が強くてちょっと痛い。
バタバタと会場の第二武道館まで行き、そこからさらに客席まで一気に上がっていった。
少し高い位置から中央のコートを見て佐々木を探す。目が良くてよかった、多少遠くても見えるから。
2面あるコートにそれぞれ1人ずついて片方が佐々木だ。もう片方は女子の試合をやってるんだな。
息を整えながら試合を見る。
いつもは張り上げない声を会場に響かせながら大胆に、でも緩急があって静と動が美しい。試合というより演武とか演技って言い方の方が合っているな。
体感500メートルくらい走ったから実際はわからないけど結構息が上がって呼吸が大変。胸を上下させたまま目は佐々木に集中していたが、すぐに演武が終わり、礼をした。
おれが会場に来た時点で始まっていたし、試合時間自体も長くないから一瞬だった。
「もう終わっちゃった」
ほんとに最後の方しか見れなかったな。声援の代わりに拍手を送る。
勝敗の付け方を知らないので勝ったのか負けたのかよくわからない。そもそもどうやって対戦してるんだろう。今度教えてもらおうか、話のきっかけになるし。
いやまずは全然応援できなかったことを謝るところからか。
「江間、なんでマスクしてるんだ? 似合ってないな」
佐々木がいなくなってもコートを見続けていたら、あけすけに言う声が聞こえてきた。
自分で確認してないからどんな風なのか知らないけど、まぁおれも似合ってるとは思わないんだろうな。
「寝起きだからだよ。近江こそよくこんな息苦しいの毎日してるね」
それだけじゃないけど。
マスクの顔を隠す効果ってどうなのかなって、失くしたと思ってたのが出てきたし試してみた。
でも慣れてなくて着けてると違和感がすごい。なんかガサガサする。基本的に邪魔なだけで、呼吸もしづらいし今は要らないと、マスクを下げる。
さっさと外したいって言うわけだよ。必要に迫られなきゃしたくないよね。
花粉症の大変さはわからないけど、マスクの大変さは少し知ることができた。
「そのままマスクしてろよ」
「わっ、ちょっと!」
下げたばかりのマスクを摘み上げて、付け直させられる。息苦しいって言ってんのになんでだ。息苦しさを味わえってこと?
流れるようにキャップのつばを掴んでこっちはぐいっと下げられた。前見えないじゃん。
「近江ー!」
更科の声がして、周りを確認するためにキャップを上げる。
「こっち来てくれたのか」
「おう! 江間探せなかったのか?」
「更科」
近江の後ろから顔を出して手を振る。
「えっ江間じゃん! 間に合ったんだ! ていうか風邪だったのか?」
「違うよ。寝起きと寝癖のせいだから」
「なるほど!」
気づかれないなんてキャップとマスクのせいかな。効果はあるんだな。
でもマスクしてると余計な心配もかけるみたいだ。不純な理由でつけるのは、やっぱりダメだな。
「寝坊してごめん。実況ありがとね」
「おう! ブラインドタッチ特技なんだ、なかなかの出来だっただろ!」
「うん、臨場感あったよ」
更科からのメッセージは助かったけど、スマホでブラインドタッチってどういうことだろう。
「あっ! そうだ。僕、聡子さんの回収に行かなきゃいけなくなったからここで解散な!」
「聡子さん?」
「佐々木のお姉さん! めっちゃ美人なんだ。で、めっちゃ怖い。物理的に!」
「物理的に」
物理的に怖いお姉さんって。更科がそう評するなんて結構なんじゃない……?
「選手用入り口で止められたって怒ってるんだ。OGでも大会関係者じゃないんだから入れるわけないのになー」
「OG? うちの?」
「そう、姉弟で空手やってるんだ!」
「へぇ、なんか想像つくね」
「佐々木に連絡つかないからって僕にきた。なんの権限もないのに! げげ! はっ倒されないために行ってくるから! またなー!」
スマホを見て顔を青くした更科が走り去っていく。
すぐに更科から『学校で今日のこと話そうな!』とメッセージが入った。走りながら打つなんて器用だ。でも危ないよ。
「物理的に怖いお姉さんだって。近江知ってた?」
「昼に会って話した。俺もそんときに知った」
「うっ……」
寝坊しなければおれも会えたし、更科に説明させる必要もなかったってことか。
「そのうちまた機会あるだろ」
「うん、そうだね」
佐々木にはお姉さんがいたんだな。更科はどうなんだろう。
おれは一人っ子でふわっと憧れみたいなのがあるから、兄弟ってなんとなく気になる。
「この後どうする?」
近江とふたりっきりだ。
いや、更科もほんの少ししか会わなかったからずっとふたりみたいなものだったか。今になって気づいて意識し始めてしまい、また心拍数が上がってくる。さっきとは違う理由だ。
聞かれたことにどう答えようか迷う。
来たばっかりだし、せっかく一緒にいるのにこのまま帰るのは寂しい。
友人に対して寂しいって感情ってはおかしいのかな。でもできる限り時間を共有したいって欲が湧いてくる。
ダメだって思うのに欲を抑えられない。
「ね、甘いもの食べに行こう。おれ何も食べてないんだ」
「甘いもの? 肉とかちゃんとしたご飯じゃなくて?」
当然の疑問か。近江の前で甘いもの食べた記憶もないから。
おれの好みを覚えててくれてるとかだったりしないかな、なんて一瞬思ったけどいつもお弁当で肉ばっかだからわかるか。
「うん。近江の好きなもの食べたいから」
どうせ顔見えないし、表情わからないから。
ズルいやつって俯瞰した自分が言うけど、少しくらいいいでしょ。
今ならキャップとマスクのおかげでおれの視線や表情はわかりにくい。重たいメガネとマスクをしている近江の表情がわかりにくいように。
***
駅前のケーキ屋併設のカフェにやって来た。
行きで近くを通ったはずだけど気づかなかったな。スマホで地図見ながら急いでたから仕方ないか。
近江と更科は急いでなかっただろうから、周りとか見ながら歩いたんだな。
「テイクアウトもやってるんだね」
メニューを見ると持ち帰り用の注文もできるみたいだ。
キラキラしたたくさんのケーキが並んだ立派なショーケースをを思い返して、カフェ併設のケーキ屋なのかと考え直す。
「天と進に買って帰る」
「さすがお兄ちゃん」
弟くん思いの優しいところにもいちいちときめく。
「ひとりで食べると何故かバレるんだよ」
「弟くんたちも甘いの好きだったね。センサーが働くのかな?」
「いらないセンサーだな」
憎まれ口を叩いているけど、仲の良い兄弟だって知ってるから微笑ましい。
「あ、さくらんぼのやつあるよ」
「んー、いや、マンゴーのショートケーキにする」
「マンゴー?」
メニューを見直すとこっちも旬のフルーツで限定って書いてある。限定って惹かれるよね。
「女子が提案したやつなんて嫌だろ」
「そっか?」
気になるんじゃなかったっけ? よくわかんないけど、近江っぽい答えが返ってきたのはわかる。
「おれも同じの頼む」
「生クリームとか食べられるのか?」
「食べられるしちゃんと好きだよ。あんまり食べないのは、なんというか、特別なときに食べるイメージがあるからかな?」
「ふぅん……。そういうときは肉食べないのか?」
「めっちゃ食べる」
目を細めておれを見る近江にドキドキする。
あぁ、嫌だな。
近江と一緒にいると楽しくて、心が明るくなって、自然と笑顔になれる。おれが楽しいなって思ってるときに、近江も笑っていてくれたら嬉しくなる。
好きって気持ちを消すなんて無理だよ。友人以上を求めないでいるなんて難しすぎる。
人を好きになると、感情をコントロールできなくなるんだ。
好きって感情は消えない。消せない。
目が合って、話しかけて、お昼を一緒に食べて、一緒に勉強して、同じ時間を共有する。
普通の人が普通にしてることを、近江にしてもらえただけだ。それだけで好きになるなんて単純だ。
でも、好きにならないなんて無理でしょ。
注文した後、買って帰る用を一緒に悩んだ。そんなことも楽しい。
ケーキが運ばれてきてから、ようやく気づいた。表情を隠すためのマスクを外さないと食べれないと。
いつもお昼の近江を見てたのに、自分がするとなるとそこまで頭が回らなかった。
