「お昼食べに行こう」
「うん」

 いつも通りに誘ってくれた。いつも授業が終わったらすぐに声をかけてくれる。
 今日はちょっと、態度悪かったと思うんだけど。
 ノートを写す必要がないせいで、10分休憩を持て余した。何をしていいかわからなかったし、何を話せばいいのかもわからなかった。
 その結果やったことは寝たふりをすることだけ。
 少しでも多く近江と話せたらって思ってたのに、自らその機会を潰すなんてバカすぎる。
 でも他のクラスの女子がおれを呼びに来たときに、寝てるからって理由で逃げられたのは良かった。
 近江が「江間寝てるよ」って、「寝不足っぽいから今はやめておいたら」って、断りを入れていたのを聞いていた。
 気遣ってくれる優しさに嬉しくなり、対応してくれてありがとうという気持ちが生まれ、ついでに普通に女子と話すんだっていうモヤモヤした気持ちも生まれた。
 足速に移動して購買に着くと、近江は菓子パンを買いに、おれは1人で先にベンチに行く。
 急ぐのは購買が混むからという理由の他に、おれが女子から声かけられないようにするためというのがある。口に出して確認したわけじゃないけど、示し合わせたようにお昼の時間はおれも近江も素早さが増してる気がする。
 ベンチを独占し、購買や学食の喧騒を遠くに聞く。
 購買で購入争いをしている近江を想像して、素顔がバレてるわけじゃなさそうか、と思う。
 バレたからってどの程度騒がれるのかなんて知る由もない。少なくとも、お昼とか放課後に話しかけられたり乱入されるようなことは今までなかった。
 おれが女子に話しかけられて教室を出て行くことはあってもその逆は今まで目撃していない。
 まぁ、登校していない朝がどうなのかは、わからない。またテンションが下降した。

「お待たせ」
「おかえりー。今日は何買ったの?」
「メロンパンとチョココロネ」

 予想通り菓子パンだ。飽きずに甘いものを続けている。
 種類はそこそこ多いみたいだけど毎日ずっと続けていると、被ってくるな。

「江間は? 今日も肉?」
「うん」

 おれも変わらず肉ばかりを続けている。
 お弁当の蓋を開けて出てきたのは、照り焼きチキン。よりにもよって今日のおかずがこれだなんて。自分で作ったから知ってたけど。
 連休中に近江と弟くんたちのために作ったのと同じものだ。
 近江に見られてちょっと緊張しながら作ったり、弟くんたちがわいわいと騒いだり、美味しいって言ってもらったり。楽しかった記憶を思い出した。
 今の悶々とした感情との落差に心がついていけない。
 でも食べ物に罪はない、と口に放り込む。
 我ながらちゃんと美味しく作れている。悩んでいても味覚は正常に機能していた。

「早く起きたせいで眠いのか?」
「いや、大丈夫」

 朝起きれないだけで、目が覚めてしまえば以降眠くなるということはない。健康が恨めしい。
 本当に眠ければ、無駄に悩むこともないのに。言い訳じゃなくて本当の理由としても使えるのに。

「じゃあ具合悪かったりする?」
「すこぶる快調」

 心配してくれるんだ。寝たふりをしていたせいかな。授業は普通に受けていたんだけど、それでも聞いてくれるなんていいやつだ。申し訳なさを通り越して罪悪感が芽生える。
 だからこそ嘘がつけない。体は元気すぎるほどに元気だから。

「すこぶるって。じゃあなんか悩んでんの?」
「悩んで……」

 悩んでるけど、言えないし。言葉にできるほど自分でも理解できていない。
 悩んでないと言いかけて、気になることが1つ浮かんできた。

「近江、花粉症は?」
「何、俺の花粉症について悩んでんの?」
「違うけど」
「違うのかよ」

 気にはしているけど、悩んではいない。
 速攻で否定したおれが面白かったのかくつくつと笑う。
 笑っている近江を見ると、おれも楽しくなってくる。こんな些細なことでテンションがまた上昇してくるなんて。単純すぎるな。

「そうだな、俺も最近はだいぶ快調だな」
「えー、そっか」

 やっぱりそうなのかー。

「残念そうだな。ひどいやつ」
「だって」
「だって?」

 マスクを外してほしくない。花粉にはもう少し頑張ってもらいたい。
 近江は花粉症の時期が終わったらマスク外すって言っていた。
 それがきっかけでもし美形がバレたら、おれから離れちゃうかもしれないじゃん。女子に連れてかれちゃうのも嫌だし、女子の方がいいって近江から離れていかれるのも嫌だ。

「なんでもない……」
「そこで切んの? モヤモヤするだろ」

 下を向いて悶々と考え出したおれの顔を覗くように、身をかがめる近江。
 ちょっと今は見ないでほしい。別に具合悪いわけじゃないから大丈夫。なんでこんなにいいやつだんだ。
 近江と話していて、近江を見ていて、なんか、急に理解できた。
 理解できてしまった。
 おれは近江の友人ポジションを確保したいって思っていた。
 近江に「江間は友人だ」って明確に思ってもらいたかった。言葉に出してくれたらわかりやすくていいと思っていた。
 でも本当に欲しいものって、それじゃない。
 独占欲丸出しの自分の思考を思い出して恥ずかしくなる。
 今だけじゃない。もうずっと近江のことばかり考えていた。近江のことをよく考えていたのは、交友関係の狭さだけが理由じゃない。
 おれが近江のことを好きになっていたからだ。
 いや、元々近江ことは好きだった。たぶんかなり早い段階から好きだった。でもその好きって、そういうのじゃなかった、はず。いつからそういう好きになっていたんだろう。
 今おれの中にあるこれは、恋愛感情の好き、だ。
 だからずっと考えているし、一喜一憂もする。モヤモヤと悶々と悩むんだ。
 恋なんかしたことないから恋愛のあれこれなんて知らない。人を好きになるのだって初めてだ。でも話しかけられて嬉しくなるのも、触れられてドキドキするのも、近江に恋をしたからって考えると納得がいく。
 朝ネットで調べた花粉情報を頭から引っ張り出す。
 ヒノキの花粉はほぼ終わりを迎えた。後はイネの花粉があるが、どこまで猛威を振るうのかわからない。
 近江も快調だって言ってる。だからもうそろそろだろう。
 近江がマスクを外すまでにおれが欲しいものは、友人ポジションだけでなく、近江そのもの、全部なんだ。
 自分の本心に気づいて、まともに顔をあげられないまま昼休憩が終わった。

 放課後、ノートを写す必要がないので一緒に残ることはなかった。
 どんな顔をすればいいかわからないから、助かったような、淋しいような。