ラストノート

「一日でいいからオフ貰えない?」
 映画の番線後、スケジュール確認しているマネージャーに切り出すと、あからさまに顔を歪められた。
 わかってはいたけれど、ここまで嫌がられると、少しばかり俺の心にも棘が生える。
 確かに、ここまで育ててもらって、ここまで一緒に頑張ってもらって、今一番の売り時に「休ませろ」なんて、俺の方が空気を読めていないのは分かっている。彼女だって俺にかかりっきりで、俺の為に生活を犠牲にしているのだ。そんなことは彼女の日々薄くなっていく化粧で分かっていた。
 けれど、俺の生活は「俳優業」だけじゃない。今守らなかったら、消えてしまう「幸福」が俺にはあるのだ。
 俺はマネージャーに頭を下げながら、最後に見た、葵の寝顔を思い出していた。
 これが消えた時、俺は今の仕事を心から楽しめないし、憎く思うかもしれない。
 二つの幸せを求める事は贅沢かもしれない。けれど、どちらも失いたくない。きっとどちらか一方掛けたら、俺は俺自身を見失ってしまう。
「……要、葵君と番にならないの?」
すべてを汲んだ上での質問を投げられて、心臓がどくりと跳ね返った。
「なろう、とは思ってるけど……」
 俺の脳裏に浮かぶのは、葵の寝顔から、あのメモ帳に変わっていた。俺との終わりをカウントダウンしている、あのメモ帳。いや、何かの冗談かもしれない。冗談であってほしい。
 先走る想像だけで、背筋が凍って、掌がじっとりと汗で濡れていく。
「葵、まだ学生やってるから……あいつが卒業したらって話してる。番の話も、結婚も」
「なら葵君も分かってくれてるんじゃない?」
 将来を約束しているなら。
 俺はその単語に奥歯を噛み締めた。
「まあ、結婚と子供はもうしばらく待ってほしいけどね」
 将来の約束。
 子供。
 俺の頭の中で、その言葉が虚しい冬の乾いた風のように転がって行く。それらは俺の目の前を通過するだけで、足元につむじ風を吹かせる訳でもなく、ただ他人事のように通り過ぎ、俺の目の前から去っていくだけ。
 あるのは、冷たい空気だけだ。
 約束なんて……。
「とにかく、今はだめ。とりあえずあと二か月は我儘は控えて欲しい」
 そう言いながら手帳をぱたんと閉じると、マネージャーは雑誌の表紙撮影があるから、スタジオに移動だと俺の背中を押した。
 俺に、こんな気持ちのまま、笑えって言うのかよ。
 初めて零れ落ちる、乱暴な言葉は辛うじて音にならず、心の奥底へと落ちて闇に溶けた。
 たまらなく、葵に会いたくなった。