陸一郎の部屋に海斗がいた。

「俺と真白さんが婚約ですって? ふざけた事を言わないでくださいよ。彼女と兄さんの関係に気が付かないとでも思っているのですか?」

「私の妻は萌黄しかいない。真白は別に妾でもないし、何も気にすることはない」

「お断りします。お互いに好き勝手する約束ですよね? 兄さんも勝手に結婚したわけです。俺の婚約を命令だなんて、どういうおつもりですか」

「真白が望んでいるのだ。叶えてやりたい」

「……兄さんは真白さんに惚れているのでしょう? それならば、兄さんが結婚するべきでは?」

「俺が惚れているのは萌黄だよ。決まっているだろう?」

 兄の『何を言っているんだ?』という顔に海斗は、不気味さを感じて身じろぎする。

「萌黄もそろそろ反省しただろう。私のことを深く愛しているのだと、泣いて反省しているのは私も知っている」

 寒気がした。
 もちろん海斗も、萌黄を汚い蔵に閉じ込めている仲間として嘘をついていた。
 『泣いている』『具合が悪そうだ』『働かせ続けている』そういう報告をしていた。
 
 しかし、陸一郎を深く愛しているなどと……誰が言うものか。
 庭師だって、そんな事は言うまい。

 ……真白か。

「兄さん、萌黄姉さんは……貴方を愛してなどいない」

「兎に角、真白との婚約話を進めるからな」

「だからそれは絶対に無理な話です! 彼女本人にしっかりと断ってきますよ!」

「断れるものなら、勝手にしろ。萌黄を呼んであるから、お前はもう去れ」

「萌黄姉さんを? ……何故です」

「夫婦水入らずで、今後の事を話すのだ。何がそんなにおかしい? 去れ……」

 兄の重い一言。
 海斗は兄が怖くなどはない。
 ここで揉めても構わない。
 しかし、得策ではないかもしれない。

 萌黄は、陸一郎を拒絶するだろう。

 それならば、まずは自分も真白に婚約をしっかり拒否しなければ。

「それでは失礼いたします。」

 ノックの音がした。
 海斗がドアの前に立つと、萌黄が陸一郎の部屋に入ってくる。
 萌黄は海斗がいたことに、少し驚いたが微笑んだ。
 服は、ボロボロで髪もボサボサにわざとしてある。

 海斗は萌黄が安心するように、頷いた。

 そして海斗に変わって、次は萌黄が陸一郎の前に立つ。

「……そろそろ反省したか?」

「えっ……」

「寂しく辛く孤独な想いをして、私という存在の大きさがよくわかったか……?」

「……」

 萌黄は何も言えない。
 この問いの正解など、わからない。

「まだ、わからないのか……?」

 わからないのなら折檻が必要だという瞳。
 もしかしたら、またあの薄暗い虫だらけの部屋に……!?

「あ、あの……」

「お前の作った魔道具を見た。俺のために努力している事を評価しよう。さすがは匠姫」

「えっ……」

 萌黄は自分のため……海斗のため……いや、それもあったが何より創るのが楽しくて学べることが嬉しくて……。
 
 決して、陸一郎のためではない。
 それに今……『匠姫』と言った……?

「……今、匠姫とおっしゃいました……?」

「ははは、お前の異名を知らんやつなどいないだろう? お前が塾から姿を消す……半年前だったか? お前の祖父の黄田助(きだすけ)名人が、死にかけた海斗を救ったのだ」

「えっ……」

「あいつの左腕は、黄田助名人が作った魔道具で動いている……」

「覚えております……か、海斗さんが……あの時の……」

 医師ではない魔道具技師が、負傷者に何か施すなど普段ならありえない。
 しかし、瀕死の少年を助けるには魔道具で腕の補助が必要だった。
 名も知らぬ彼は武芸を志す少年だった。

 外科医と立ち会い、祖父はその手術を見守った。
 萌黄は、その少年を励まし続けた。

『萌黄姉さん、ありがとう! 俺も魔道具技師になる……!』

 あっ……!

 あの可愛くて、純粋無垢な笑顔。
 萌黄は握手して、彼との再会を誓って……別れた。

 でも、その半年後に祖父は亡くなり……真白の我儘で萌黄は魔道具技師の道を断念する他なかったのだ。

 ずっと前から、萌黄の事を知っていたのだ。
 その時から……? 巡る萌黄の心。

 しかしその時、

「あの時から、私はお前を妻に娶ろうと思っていたのだ」

 陸一郎から恐ろしい言葉が発せられた。