結局、萌黄が海斗に気付いた時にはもう夜の九時過ぎだった。
 慌てて、うどんを茹でて二人で啜る。

「……すみません。私から食事に誘っておいて、素うどんだなんて」

「すごく美味いです! こんな美味い素うどんは初めてです」

 小さい丸テーブルで、向かい合って二人で素うどん。
 それなのに海斗は嬉しそうだ。

「陸一郎さんと真白は何か言っていましたか?」

「まぁ罰だから躾だからと言い訳をしておりまして、今後も萌黄姉さんを解放する気はないようです」

「……そうですか……」

「萌黄姉さん、あいつらのために落ち込まないでください。彼らの価値観は狂っていて……あ、すみません。貴女の妹さんに」

「いいえ、私も真白の感性には昔からついていけませんでしたから……」

「やはりですか? 失礼ながら、真白どころか、真っ黒かと思うほどの狂った性根ではないかと……あ、失礼」

「真白が真っ黒……」

 真白はいつでも天使。真白はいつでも正しい。真白は可愛い。真白は正義。

 萌黄は悪。萌黄は不細工。萌黄はいつでも間違っている。萌黄はいつだって悪魔。

 そう真白にも、両親にも、そして真白の周りの人間からも言われてきた。
 通う学校が違っても、何故か真白の信者はいつでもどこにでも沢山いて、いつも萌黄は陰口を叩かれてきた。

 おかしい! おかしい! と思っていても、もう叫ぶ気力もなかった。
 
 でも魔道具の勉強をやめさせられた時、あの時だけは抵抗した。
 叫んで、泣いて、暴れた。
 でも結局は、萌黄がおかしいという結果になった。

 それからもう抵抗するのをやめたのだ。

 でも、結婚してどれだけ後悔したか……。
 まだ、まだ自分の中で平和に暮らしたい、幸せになりたい……そう思う心が死んでいなかったんだと思い知ったニ週間だった。
 
「萌黄姉さん……」

 いつの間にか、涙が溢れていた。
 
「私……自分がおかしいんだって……」

「何もおかしくないですよ」

 海斗がハンカチを渡してくれた。
 
「魔道具の勉強……やめたくなかったんです……」

「そうですよね」

「結婚も……したくなかったんです……」

「そうですよね……よかった」

「でも……私がおかしいって言われ続けて……」

「もう大丈夫ですよ。おかしいのは、あいつらです。俺が萌黄姉さんを守るから、大丈夫」

 涙が溢れて止まらない萌黄の横にいつの間にか海斗がいて、座ったまま抱き締められた。

「……ひっく……うう……」

「必ず……兄と離縁させてみせます」

「でも一千万円の慰謝料を払わなければっ……」
 
「あの真白さんと兄の関係……ただの義理の兄妹ではありませんよね」

「……」

 さすがに海斗を傷つけてしまうのでは、と萌黄は沈黙してしまったが、逆にそれは答えとなった。
 不貞行為をしたのは、陸一郎だ。
 しかし、あの二人を断罪するのは面倒だと思い海斗は言う。

「萌黄姉さん、大丈夫。一千万円くらい俺が用意できますから」

「えっ……そ、それはいけません……!」

「留学中ではありますが、収入は十分にあるのです。だから兄も俺に何も言えないのです」

 萌黄は涙を拭いて、海斗の胸元から逃れた。

「いいえ。これは自分の弱さが招いた事、我が妹の異常さが、招いた事。海斗さんは何も悪くないのに、そこまでして頂くわけにはいきません……!」