美羽と立石は、スマホに充電池をぶら下げて、階段を降りて行った。脱出路はもっと湿気た匂いや埃っぽい空気なのかと思いきや、意外と風通りがよく、まるでデパートやホテルなどの荷物の運搬路のようだった。
 辺りを照らしてみても、洋館風の地下の割には古臭くなく、むしろ地下鉄の駅の近未来的なつるりとした雰囲気を感じる。

「あの館……あたしたちが閉じ込められた館よりも真新しい感じがしますね?」
「むしろ逆なんじゃないかな」
「逆……ですか?」
「あらかじめこの催し物をするために、どこからか館を買い取ったんだろう。主催側の使用通路を隠すように上に乗せて」
「……この意味不明な状況、立石さんはわかるんですか?」
「わかるというより、最初にコンシェルジュが言っていたから、そうなんだろうと。俺たちにあらかじめ指令を用意し、全員にそれぞれ負荷をかける内容を選んで配った。それを見て困り果てたり、自暴自棄になったり、勝手に殺し合うのを観察しているのが主催側だろう……さしずめこれは、リアリティーショーだ」
「リアリティーショーって……」

 深夜テレビや、ネット番組で脈々と存在しているそれ。
 あらかじめ設定だけ参加者たちに引き渡し、ひとつの場所に放り込んでそのシチュエーションを楽しむというもの。
 海外ではそのシチュエーションや設定に飲まれてしまった参加者や、悪役の設定を渡されてしまった参加者への視聴者からの誹謗中傷により、番組自体の放送中止が相次いでいるが、日本では未だにその辺りの規制が緩く、今も設定やシチュエーション、参加者を替えてネット番組として放送され続けている。
 それに「でも……」と美羽は訴えた。

「『ファムファタールの函庭』なんて番組、知りませんよ……それに、人が死んでるんですよ? そんなの楽しむなんて……」
「君は都市伝説についてどう思う?」
「都市伝説って……『ファムファタールの函庭』のですか? あたしも友達から聞いただけで、詳しくはありませんけど……一部のSNSだとものすごい勢いで広がって、これを元ネタにして創作活動していると教えてもらいました」
「……あくまで俺の勝手な推測だが、都市伝説っていうことにしてしまえば、いくらSNSで訴えても、都市伝説を語っているんだなと思われて相手にされなくなる。警察に被害届を出しても、行方不明事件で迷宮入りしてしまったらそれまでだ。この悪趣味なリアリティーショーを楽しんでいる連中は、金の力で権力をねじ伏せてるんだと思う」

 それに美羽は絶句した。

(話が大き過ぎる……でも……)

 毎日人が死んでいっているのに、それを面白がられている。ずさんなルール説明、食事をするかのように平然と人を殺す殺人鬼。そして逃げ出すことを許さない、館全体に張り巡らされた電流。

(……閉じ込められたあたしたちがどう転んでも面白いって思ってる人たちがいるんだ……その刺客が、この中にいる訳で)

 美羽がプルプルと震えている。
 それを見て、黙って立石はタッチパネルを叩きはじめた。

【君の指令もあるんだから、あまり感情を表に出すな。最終日まで隠さないと、大変なことになるかもしれない】

 そう文字を見せてきたので、美羽は少し落ち着いて、小さく首を縦に振った。

(……榛か、紅さんか……どちらかが刺客だと思うから……刺客だって特定したあとは……殺してもいいよね)

 美羽は厨房から包丁を探さないとと考えていた。
 人が変化していく様を楽しむというのがこのリアリティーショーの意義だとするならば、初日の普通の女子高生の選択肢の中に、ごく自然に殺人が入っていく様は、望まれていたものだろう。

****

 紅は榛が嬉々としてコンシェルジュの格好をした何者かを追いかけて立ち去った中、必死に自室の扉に家具を移動させて籠城していた。

(勘弁してくれよ……殺人鬼はひとりで間に合ってるんだよ……)

 紅は榛とはなるべく距離を置き、興味を持たれない程度に、また彼に飽きられない程度に温度を保っていた。榛は人を殺すのになんの躊躇もない。ただ「生かしたほうが面白そう」「殺したほうが面白そう」という基準で殺人を犯すのだから、前者だと判断させれば死ぬことはない。紅のホストとひもとして培った人間を見る目で、どうにかそう割り出したが、唐突に現れた殺人鬼はなにを考えているのかがわからない。
 快楽殺人鬼すら、行動理念さえ割れればそこまで怖いものではないのだが、わからないものというのは怖いのだ。
 だから残りの三日間はひたすら籠城し、脱出路を探している立石と美羽に乗って、それでとんずらしよう。紅は恥ずかしげもなく、そう判断していた。
 だから、籠城していればいいだろう。そう思っていたが。
 ガタン。紅の部屋から音がした。天井からである。

「……おい……勘弁してくれよ……」

 紅は必死に自分の荷物を探した。
 そうは言っても、彼が誘拐された際に一緒に持ってきたものは、せいぜい商売道具くらいのものだ。
 煙草、ライター、財布、ハンカチ、名刺入れ。それくらいしかない中で、誰かと戦うなんて、無理だ。

「……ああ、もうクソ! やっぱり世の中酒が必要だろうが!!」

 そう言いながら鞄の中をぶち撒けた中、ひとつだけなんとかなりそうなものが見つかった。
 ……小瓶の酒であった。もうほとんど入ってないが、元は度数の高いウォッカが入っていた。

(このままなにもしなかったら、ただ殺されるだけだし)

 紅はそう判断し、その小瓶を思いっきり床で叩き割る。そこにライターを付けて投げつける。更にそこにベッドのシーツ、名刺を入れて火をくべはじめた。

「死ねよ! 死ね死ね死ね死ね、燃えて死ねよ!」

 ガタッという音が聞こえた。下に落ちてくると判断していたが、そのまま天井に戻ってしまったらしい。
 それに紅は「なんだよ……」と拍子抜けし、ユニットバスで消化しようと開けようとするが。
 開かなかった。

「おい……まじかよ」

 天井から火を焚きはじめた紅を見て、作戦を変えたらしい。そのまま紅を蒸し殺せばいいと。
 どれだけドアノブを回しても開かない。
 なら部屋から出ればいい。しかし紅は籠城しようとした一心で、扉に家具を集中させてしまった。下手に移動させれば、火が回る。

「おい……もうなんなんだよ! 勘弁してくれよ……!」

 火自体は、可燃物と支燃物さえ燃え尽きてしまえば、本来はすぐ消えるのだが。密室で火を焚けば、普通に一酸化炭素が吐き出される。換気さえできれば助かるが、今はその換気すら防がれてしまっている。
 八方塞がり。だんだん紅の頭も回らなくなっていく。そのまま床に転がる。口の端からだんだん唾液が出てきて、呂律も回らなくなってくる。

(店持って、適当に生きて……適当に死ぬって……人生設計……パアじゃん)

 彼は町の喧騒を思い返しながら、とうとう思考を放棄した。
 紅は女を孕ませて逃げた以外は、悪党と呼ぶには小粒が過ぎ、善人と呼ぶには徳がなく、常人と呼ぶには怠惰が過ぎる。
 ただ、どこかの誰かの基準により、仕分けられてしまったのである。
 面白いか、面白くないか。
 その天秤を傾けている、どこかの誰かにより。

****

 美羽と立石はなんとかラウンジに戻り、ドラム缶をどける。途端に隠し階段は隠れてしまった。

「奥を見た限り、ここから脱出できるから、最終日はここから逃げれば」
「脱出できるって訳ですね」

 ふたりは歩いていた先で、外の光を見つけた。本当に久々な外気も浴び、あそこからそのまま逃げられると判断した。
 あとは、この脱出路を隠されないようにすることだが。結局はドラム缶をずらしておくだけに留めた。持っていくには重い上に、中身を減らしたり増やしたりしたら、そのまま鍵として使えるかがわからなかったからだ。
 ふたりでしゃべりながら、廊下に出た際、変なにおいがすることに気付いた。

「なんだ?」
「これ……なんか燃えてません?」
「……こんなところ燃えたらまずいだろ」

 慌ててドリンクの入れ替えに使っていたらしいプラスチックの入れ物を拾うと、それで水を汲んでにおいの先を探す。
 途中で榛に出会った。

「おい、このにおいはなんだ!?」
「えー。知んない。死体からそんなにおいしねえだろ?」
「おい。また誰かを殺したのか!?」
「えー。えんざーい。コンシェルジュが殺されてたんだよな」
「……はあ?」

 榛の適当な言葉に、みるみる立石と美羽の顔が強張る。しかし榛は全くいつものペースを壊さない。

「おっきーと一緒に見てたから、間違いねえと思うけどぉ? おっきーびびって部屋に篭もってたけど、そこでとち狂って自分の部屋でキャンプファイヤーでもしたんじゃねえの? 知らんけど」
「おい! こんなところで火を焚いたら……俺たちも巻き込まれるだろう!?」
「えー。知んねえ」

 ふたりの会話に頭が痛くなってきた。

(ちょっと待ってよ……もうこの人数しかいないのに、コンシェルジュが殺されたの……? つまりは……誰かが自分の死を偽装したってこと……? しかも……榛を出し抜いた……?)

 館内で死んだ人の死にほぼ関わっている榛にすら、死の偽装を見破られなかった上に、榛と互角のはずのコンシェルジュを殺せたなんていったら、もうそれこそが主催側の刺客としか言えない。

(……外から来たんだったら、また変わるんだけれど……これが立石さんの言っていた通りリアリティーショーだった場合、わざわざ追加で人を足すものなの?)

 そこまで考えたものの、ひとまずは火事を消さないことには、話にはならない。
 立石は「おい、手伝え!」と榛をどやし、三人で二階へと走っていった。そして焦げ臭いにおいがする部屋を見つけた。紅の部屋である。
 そのにおいを嗅いだ榛は「うーん……」と首を捻った。

「これ、放っておいたほうがよくね?」
「……おい、中に紅さんが……」
「おっきーは蒸し殺されるけど、これ放置してたほうがいいわ。下手に開けたら、よくて一酸化中毒。悪くてバックドラフトなるわ。さすがにこんな狭いとこでバックドラフトになったら、巻き込まれるけど。肝試しがてらやるぅ?」

 そう言ってニヤニヤと榛が笑うのに、立石は無表情のまま押し黙ってしまった。それを美羽はおろおろとして振り返る。

「あのう……バックドラフトって……?」
「……火が消えたと思って空気を入れた途端に、火が勢いを増す現象のことだ。江戸時代みたいにまだ大々的に消火剤を使って火を消せなかった時代は、火事になった家が燃え尽きるまで放置し、近所の家は壊してこれ以上火事に薪をくべないようにするしか、消す方法がなかった」
「……それ、中にいるはずの紅さん、死にますよね?」

 立石は唇を噛んで黙り込んでしまった。