美羽と翔太が他愛ない会話をしている中。
 ふと路地に目が留まる。
 そこで男性が倒れているのが目に入った。

「あれ?」
「みゅう、ちょっと自転車持ってて。大丈夫ですか!?」

 翔太がそのまま駆け寄り「みゅう、ちょっと救急車呼んで!」と声をかける。路地で転がっている男性にしゃがみ込むと、男性は顔を上げた。

「いいよいいよ。救急車は」
「ですが……頭打ってませんか?」
「大丈夫大丈夫、どうせすぐお迎えが来るからね」

 美羽はその言い方に一瞬ザラリとしたものを感じた。よくよく見たら変だ。男性の服は一見ぱっとしない服に見えるが、量産品にしては布地が薄くない。着ているスーツもひと昔前のデザインだが、仕立てはかなりいいのだ。

(なんでお金持ちみたいな人が、こんなところに倒れているの……?)

 違和感を覚え、無性に逃げたくなったが。翔太はなんとか起き上がれそうな男性が起きるのを手伝っている。彼氏を見捨てて逃げることは、美羽にもできなかった。

「問題ないなら、俺たちはこれで……」
「いいよいいよ……どうせなら、ゆっくりしてきなさい」
「はい?」

 気の優しい翔太すらも、なにかおかしいと思ったらしく、そのまま美羽の元に帰ろうとしたが。男性はニィー……と笑った。よくよく見たら、男性の口元の歯は、金と銀で埋め尽くされていた。
 途端に車が滑り込むよう路地まで走ってきた。その車から手が伸びてくる。
 美羽は悲鳴を上げようとしたものの、すぐに口は塞がれてしまった。そのまんま翔太と一緒に無理矢理車に詰め込まれる。

「ふぐー! ふぐー!!」
「寝かせておきなさい」

 なんとか抵抗しようとするものの、ハンカチらしき手触りの布で手首は縛られ、目元はアイマスクで塞がれてしまった。
 ただ助けた男性の好々爺みたいな声だけが、耳に残った。

「館に招待しましょう。きっと皆、喜んでくれるから」

 そのねっとりとした声に、美羽は怖気を覚えていた。

****

 目を塞がれ、車にガタガタ揺られていると、どれだけ恐怖を覚えても人は混乱して眠ってしまう。光が見えないと、時間がわからない。ただだんだん肌が感じる空気が、普段慣れ親しんでいる街のものから外れてきたような気がした。
 やがてブレーキがかかり、どこかで降ろされた。もっと荷物のようにぞんざいに扱われるのかと思っていた美羽だが、丁重に横抱きに抱えられて運ばれていく。

(ここどこ……? 青臭い。緑がいっぱいある場所? でもそんなとこ、近所にはまずないし……)

 公園で生えているのはポプラとかばかりで、こんな瑞々しい匂いはしない。違和感を覚えている間に、次に肌が覚えたのはひんやりとした空気だった。空調が利いている。どうも建物の中に入ったらしい。
 降ろされた美羽のアイマスクが取られたとき、目の前に広がる光景に言葉を失った。
 広いフローリングに、目の前には映画のセットにでも使われそうな螺旋階段。天井にはシャンデリアがかかり、奥には部屋が並んでいるようだった。

「どこ……ここ?」
「おい、みゅう。大丈夫か!?」
「翔太……うん。平気。でもここはいったい?」

 見知らぬ場所で、知っている顔があるとほっとする。美羽は思わず翔太に抱き着き、翔太も美羽を抱き締めながら、戸惑って辺りを見回した。

「ようこそおいでくださりました」

 ふたりが途方に暮れていると、背後から声がして、ぎょっとする。あからさまに機械で声を変えている、真っ白な仮面を被った人だった。執事服を着て、丁寧なお辞儀をしてくるのだ。

「当館の案内人になるコンシェルジュです。どうぞよろしくお願いします。早速ですが、こちらに皆様をご案内しておりますので、どうぞこちらに」
「あ、あの。ここはいったいどこなんですか!?」

 翔太は声を上げた。普段朗らかな声は、端々で引きつりが滲んで聞こえる。それにコンシェルジュを名乗る人は振り返った。顔が完全に仮面で覆われているため、表情は全く読めない。

「当館には名前はございません。強いて言えば、当館はファムファタールの館と呼ぶ方もおられるようです」
「……!?」

 思わず美羽と翔太は顔を見合わせた。
 先程の男性に、自分たちを車に詰め込んだ人々。そしてこのあからさまに様子のおかしい仮面のコンシェルジュ。

「都市伝説って聞いてたけど、ネット番組かなんかのやらせだったのかよ……」

 翔太の声には安堵が含まれていたが、美羽はそう取ることはできなかった。
 コンシェルジュの背中を追いながらふたりは廊下を歩く。廊下も磨き抜かれている上に、あちこちに花瓶が設置されて花が生けられている。
 ふたりが通された先は、どうも食堂のようだった。

「大変お待たせしました。最後のお客様の到着です」
「遅~い」

 間延びした声が響き、美羽はギョッとした。
 椅子に座っているものの、あからさまに脚も胴も長過ぎる男性が、のんびりとしていたのだ。三白眼といい、ピンピンにワックスで立てられた髪といい、翔太の親切を仇で返した男性とは違うベクトルで「なんだか変」と恐怖したのだ。
 おまけに。全く知らない顔が、この長身過ぎる男以外にも並んでいたのだ。

(男が七人で……女がひとり。まるで望海が言ってた都市伝説そのままじゃない……)

 コンシェルジュは「どうぞおかけください」と美羽と翔太にも着席を促してから、皆が見えるように立った。

「それでは、皆様に当館のルールおよび催し物の説明をいたします」

 コンシェルジュの言葉に、「そんなことより」と不平を漏らす声が出た。
 やたらと顔が整った男性である。襟足を長く伸ばした髪をからし色に染め、赤いカラージャケットを着ている。下に着ているシャツのボタンは大雑把に留めてあり、鎖骨をこれみよがしに見せつけている。

(ホスト……だよね。さすがに偏見じゃないよね)

 美羽は珍しいものを見る目にならないよう、なるべく視線を合わせないようにちら見だけで留めて彼を見る。
 ホストと思われる端正な顔つきの男性がコンシェルジュに声を上げる。

「今日は同伴の日だったんだけど。客を待たせて放置したら、下手したら査定に響くんだけど?」
「大変申し訳ございません。発言は説明のあとにしてくださいませんか?」
「はあ? さっきも『お待ちください』で待たされてるんだけど。連絡入れようとしても、スマホだって通じないし」

 彼のひと言で、美羽は思わず鞄に手を突っ込んでスマホを取り出す。たしかにスマホの右上には【圏外】と表示されている。

(ここ……本当に陸の孤島じゃない。今時スマホの使えない場所なんて……)

 美羽はちらりと翔太を見る。翔太もスマホを確認したが、なんのアプリもネットも使えないことを確認したらしく、唇を噛んでしまい込んでしまった。
 彼の発言で通信の確認をし出したのは他にもいる。くたびれたサラリーマンは今時珍しいガラケーを引っ張り出して、ガチャガチャ動かしはじめたが、通信が繋がらないと判断して早々によれたスーツの中に突っ込んでしまった。
 分厚いレンズのメガネをかけた大学生らしき人は、鞄からタブレットを取り出してなにやら確認しているが、盗み見防止に遮光フィルターでも貼っているのだろう。美羽の席からではなにを見ているのかがわからなかった。
 この中で一番いい仕立てのスーツを着ている男性は、皆のようにスマホを触って機能を確認するような真似はせず、【圏外】の部分だけちらりと見てからすぐにスーツの中にしまい込んだ。
 あと学ランの少年とやたらと背の高い男がいたが、こちらは確認すらしていない。

(あの子は多分中学生くらいだと思うから、校則でスマホ禁止が出てるだろうからわからないでもないけど……あの男の人は確認すらしてないなあ……今時スマホを持ってない人のほうが少数派だけれど)

 美羽がそう考えている間に、ようやっとコンシェルジュが声を上げた。

「ご確認いただけましたでしょうか? 当館はこれから七日間、催し物を開催します。その期間中、外部との連絡は一切遮断しておりますので、大変申し訳ございませんが、スマホ、携帯電話、パソコン類の通信の類は一切使用できないとお思いください」
「困るよ」

 ホストはなおも抗議するが、コンシェルジュに無視された。

「この場におられる皆さまは、ランダムで当館に集められました。七日間の間、皆さまは指令を与えられ、指令の達成を目指してもらいます」
「指令……?」

 どうもこのホストは【ファムファタールの函庭】の都市伝説は知らないらしかった。美羽は隣の翔太を見る。翔太は難しい顔でコンシェルジュを見ているのは、真面目な性格の彼のことだから黙ってルール説明を聞いているからだろう。
 一方コンシェルジュの話を聞いて、困った顔をしている人々もいる。サラリーマンらしき人はあからさまに顔が崩れるほど困っているし、中学生も周りにあわあわしながら視線を送っている。
 大学生に長身の男、金持ちらしき人は静かだ。ただ翔太のように黙ってルール説明を聞いているのとは違うようだ。

(……あの大学生、もう都市伝説の話を知っているんじゃないかしら。さっきからずっとコンシェルジュの手元を見ているから。他のふたりはわかんないなあ……)

 ただ美羽は、なんとなく長身の男が怖かった。間延びした口調を怖いと思ったのか、純粋に大男が過ぎて関わりたくないのか、自分でもわからなかったが。
 コンシェルジュは続ける。

「七日間の間、皆さまは指令達成だけを目指してくださいませ。その間の衣食住の保証は当館で行います」
「しつもーん」

 あの長身の男が長い手を挙げる。元々身長が大き過ぎる男なのだから、手を伸ばすとアシナガグモを思わせた。

「もし七日間の内に指令を達成できなかった場合はどうなるの~?」

 それを聞いて、美羽ははっとなった。

(……都市伝説だと、指令を達成できなかったら死ぬって……でもここ、一応は法治国家だよね? そんな誘拐してきた人たちをルールに沿わなかったら殺すって……)

 ダラダラと冷や汗を掻く中、コンシェルジュは静かに答えた。

「いかなる理由をもっても、ルールを守らない方は退場していただくこととなりますので、あしからずご了承くださいませ」
「ちょっと待ってください!」

 とうとう翔太がガタンッと音を立てて立ち上がった。その最中に椅子がひっくり返って倒れる。その音にサラリーマンと中学生はあからさまに肩を跳ねさせる。
 翔太は訴える。

「俺たちそもそも、ここに無理矢理連れてこられただけで、参加を了承した覚えはありません!」
「翔太、やめよう……?」

 普段は彼の正義漢の強さが頼もしかったが、今回は違うような気がした。

(常識ある人が、私たちを誘拐して知らない人と一緒に閉じ込める訳ないじゃない……! お願い、翔太。やめて……!)

 なんとかそう伝えたいものの、それを思わず口にして、一緒に連れてこられた人々に反感を持たれるのも嫌だった。美羽はどうにか彼をとりなそうとしたが、それより先に翔太が立ち上がった。

「ここから出て行きます!」
「了承しかねます。まだ説明は終わっておりません」
「でも……!」
「翔太……ちょっと待って」

 美羽はどうにか翔太の倒した椅子を起こして、彼の手を引いて座らせる。

「……説明を聞いてから、これからどうするか考えよう。ねっ?」

 ここがどこかがわからない。そもそもここにいる人々がなんなのかもわからない。そして都市伝説の内容だったら、紅一点が選んだ人であったら、死なないはずなのだ。

(まだなにがはじまるのかわかんないけど……ルールさえ守れば死なないはず……だよね?)

 その指令内容を聞くまでは、耐えたほうがいいと、美羽はそう判断したのだ。