それから一ヶ月の時が経った。
千賀高さまも亜子さんも、時折顔を見せてくださる佐武さんも、皆おやさしく、私によくしてくださる。
ひと月前、東雲家との縁談を告げられた時に感じた恐怖が嘘のようだった。

しかも千賀高さまは「まだ慣れないでしょうから」と寝室は別にしてくださっていて、柔らかてますあたたかいベッドのおかげか夜もだんだんと寝つきが良くなった。
ただ、心配なことが一つだけあった。
千賀高さまがあまりにもご多忙すぎることだ。

あやかしの討伐をされている千賀高さまは、夜も出かけていらっしゃる。それなのに朝早くから陰陽領と呼ばれる政府直轄の組織にも顔を出せねばならないとかで、このお屋敷で彼がゆっくりと過ごしているのを私は見たことがなかった。

千賀高さまは平気だとばかりおっしゃるけれど、こんな状態ではいつか体を壊されてしまう。

そう私が危惧していた夜。
玄関口に、千賀高さまがいつも携帯されている護符が落としてあるのに気づいた。
結婚初日、私が千賀高さまにいただいたものと同じ柄だった。きっと大切なものだ。

私は、お届けするべきかと迷い戸惑う。
千賀高さまには夜は決して出歩かないようにときつく言いつけられていた。
その約束を破ってまで届けるべきか、判断ができない。

結局私は、護符を手にしたまま、門扉の前で彼の帰りを待つことしかできなかった。

明け方、ひどい顔で門扉に立っていた私を見て、帰宅された千賀高さまは驚愕していた。きっと髪はぼさぼさで、泣いてしまったから目も腫れぼったくなっていたのだろう。

「どうされました、こんなところで」
「実は……」

とにかく中へ、と誘導され、私は洋間のソファに腰を落ち着けたあと、すぐ隣に座られた千賀高さまに護符の件を打ち明けた。
千賀高さまは複雑そうに顔を歪めた。

「ご心配をおかけしました。でも、小夜さんが屋敷を出ないでいてくれてよかったです」

子供をあやすように千賀高さまが私の頭をそっと撫でる。
あんまりやさしくされすぎて、私は安堵にまた泣いてしまった。

「役立たずで、申し訳ありません」

堰を切ったようにぽろぽろと涙が溢れる。
千賀高さまは「役立たずなんて思ったことは一度もありません」と低く穏やかな声で教えてくださった。

千賀高さまのおやさしさに、このまま胡座を掻き続けては申し訳ない。
涙を拭い、私はこの一ヶ月、考えていたことを口に出した。

「あの、千賀高さま」
「はい?」
「不躾なお願いだとは承知しております。ですがよければ私にも呪術を教えてはいただけないでしょうか?」

少しだけでも、せめて夜、ひとりで千賀高さまに届け物をできるくらいにはなりたい。
懇願した私に、彼は驚いたような顔を浮かべていた。