◇ ◇ ◇

千賀高さまに嫁いだその夜。
結局私は一睡もすることができなかった。
落ち着きなく邸内を徘徊し、何かできることはないかと探す。
そのうちが夜が明けてしまい、亜子さんがやってきた。

「おはようございます。お早いですね」
「お、おはようございます」

亜子さんに手持ち無沙汰なので何かお手伝いをさせてくださいと申し出る。最初は断られたが、私のあまりの必死さに「それじゃあ」と朝食の準備を手伝わせてくれた。
秋鈴の家では使用人のように扱われていたため、料理は慣れたものだった。
火を熾し、味噌汁の具材を切り、亜子さんが用意していた糠漬けからきゅうりと大根を掘り起こす。
やっと自分にできることがあって、私はこのお屋敷きて始めて安堵した。

「ただいま戻りました。って、あれ、小夜さんもお料理されるんですね」

台所に顔を出した千賀高さまに、私は青ざめる。旦那さまの帰宅に気づかず、あまつさえ台所を覗かせるなんて、妻失格だ。

「も、申し訳ありません。ご帰宅に気づかず」

あわあわと糠だらけの手をどうしようかと混乱する私に、千賀高さまと亜子さんが苦笑した。

「構いませんよ。俺は着替えてきますから、食事の用意をお願いします」
「はい、お任せください。若さま」

千賀高さまは軽く会釈をし、踵を返す。二階の寝室へ向かったようだった。

「ああ」

結婚二日目でこの失態。
私は糠だらけの両手で顔を覆い、俯いた。

「小夜さん、そんなに気を落とさないで。大丈夫ですって。若さまは心が広いし滅多なことで怒りはしないから平気ですよ。それより顔を拭きましょうね」

亜子さんがてきぱきと濡らした手拭いで私の顔を綺麗にしてくれる。

「……亜子さんは、東雲にお仕えされて長いのですか?」
「ええ。十六の頃からですから、もう二十年になりますね。若さまのご幼少時代も知っていますよ。昔からとても達観された子供らしくない子供でした」

懐かしむように目を細めた亜子さんは、千賀高さまを大切にされてきたのだろうと思った。私の頬をやさしい加減で拭いながら、千賀高さまのことを教えてくれる。

「興味のあること以外には無頓着という無関心なのが玉に瑕ですが、まあそう畏まることはありません。頭がいいってところ以外は普通の人ですから。それに小夜さんは若さまのお好みの女性だと思います。可愛いし面白いし……」
「面白い?」
「あ、ごめんなさい。秋鈴のお嬢さまにこんなこと」

亜子さんは謝りつつも「でも、悪い意味じゃないですよ」と微笑んだ。

「見ていて守りたくなるというか、あら、私ったら喋れば喋るほど墓穴を掘っているかしら?」
「いえ、いえ。そんなことは」

ただ、面白いなんて言われたことは初めてでとても不思議な気持ちになった。
義母にも雪音にも愚図だとか莫迦だとかばかり言われてきたから。

「さあ、朝餉の仕上げをお願いします。私は居間を整えてきますね」

亜子さんに言われて、私はしっかりと頷いた。



朝食はせっかくだからと三人でいただいた。
居間は和室と洋室の二つがあって、今朝は和室の方でとることになった。
千賀高さまはお米を一粒も残すことなく平らげてくださり、出勤前にも「美味しかったです」と伝えてくれた。
千賀高さまには結婚式の時から嬉しい言葉をいただいてばかりだ。
だから私も少しでも気持ちを返せるようにと心を込めて彼を送り出した。

「いってらっしゃいませ、旦那さま」

目を見てまっすぐに伝えると、千賀高さまは、柔らかく微笑んでくださった。