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秋鈴小夜さん。
父に言い渡された縁談の相手は、小柄でなんとも可愛らしいお嬢さんだった。柔らかな話し方と、二重瞼の黒い瞳が印象的で、やさしそうな子だなと思った。この子となら、打算まみれの結婚もうまくやっていけるだろうと。
式の間中、多少怯えているように見えたのは、俺が『東雲』の人間だからだろう。
これまでの経緯を考えれば無理もないことだ。秋鈴と東雲は、長い間仲違いを続けてきたのだから。
でもきっと大丈夫。小夜さんとも秋鈴家とも、少しずつ距離を縮めていけばいいのだ。俺は楽観的に考える。
ひとまず今夜は、あの子がぐっすり眠ってくれればいいのだけれど。結婚初夜にひとりきりにしてしまったのは、さすがにまずかっただろうか。


ーー目の前でのたうつあやかしを見下ろしながら、ふと思う。

「そりゃまずいでしょう」

調伏の後始末をしながら言ったのは佐武。
俺が一番頼りにしている部下だった。
先ほど秘密裏にかかった緊急招集で、帰宅させたはずの彼もまた呼び出されてしまったらしい。
俺は小さく息をつく。

「だよな。結界は二重にしてきたし、危険はないと思うんだけど」
「そういうことじゃありませんって。花嫁さんなんですよ? 実家から出てきたばかりなのに、あんな大きな家にひとりぼっちなんてかわいそうじゃないですか」

佐武は呆れたようにため息をつく。

年号が大正に移り文明開花の波が顕著に現れている帝都では、今夜もあやかしがひしめき人々を悩ませていた。
結婚初夜だというのに呼び出された俺は元凶である呪詛を纏った狐のあやかしに留めを刺す。帯剣していたサーベルを抜き、首を一息に切り落とした。断末魔と共に「往ね」という呪いの言葉を吐き、妖狐は跡形もなく消え去る。

と、そばでサーベルを構え固まっていた三級呪術師の部下が、ほっとしたように両手を下ろした。

「ありがとうございます、千賀高さま……! 助かりました」
「いえいえ、これくらいーー」

「ーーなんてことない」という気持ちと、「ーー自分たちでなんとかしてくれ」という感情が、ちょうど半分ほどの割合で内混ぜになる。

現在、帝都であやかしを満足に祓える呪術師の数は三十にも満たなかった。
深刻な人員不足だ。

呪術には知識と才能、そうして呪いを感知できる『目』が必要なのだが、そもそもの数が足りていなかった。血統で引き継がれる『目』を持つものたちは、率先してあやかしに狙われる。加えて、『目』を持っているからと言って、必ずしも呪術を使いこなせるわけではなくーーゆえに、呪術師の数は年々減少しているのだった。

だからこそ父は苦い思いを抱えつつも、没落はしたが『目』は持っている秋鈴家との縁談を進めたのだろう。
そこまでは理解できる。
けれど今日の結婚式は、終始胃が重たくてならなかった。
東雲にも秋鈴にも、歩み寄ろうとする意思がほとんど見えなかったからだ。

全く、なんのための婚姻だ。
子供じゃあるまいし。
そう辟易しつつも、両親や叔父叔母、特に祖父母らが抱えている葛藤も理解できた。数百年続くわだかまりを、昨日今日で払拭することなど不可能だろう。

だから俺はせめて自分くらいはと花嫁ーー小夜さんに極力穏やかに接した。
その努力が功を奏したのか、最初は手が震えるほど緊張していた小夜さんだったが、式が終わる頃にはだいぶ落ち着いていたように思う。
寝室に案内した途端、また恐れが戻ってきてしまったようだけれど、時間をかければきっと慣れてくれるはずだと希望的観測を持つ。

それに秋鈴家の方にも、歩み寄ろうとしてくれる存在はいた。
小夜さんの母君と妹君だ。

『お姉さまは恥ずかしがり屋なの。ずっと仏頂面だったけれどどうか許してちょうだいね。お義兄様』

秋鈴家の次女だと名乗った雪音さんは、式の直後、小夜さんが着替えをしている間、俺に話しかけてきた。
性格も容姿もずいぶん似ていない姉妹だなと思った。
薔薇柄の紅い振袖はひどく鮮やかで派手派手しく、いささか婚姻の場には相応しくない気がした。しかし、帝都ではそれが普通なのかもしれないと思い直す。
ひと月前まで西洋で暮らしていた俺は、こちらの流行に詳しくはなかった。

『千賀高さまって、とっても素敵ですわね。背も高くていらっしゃるしお顔もお人形みたいに綺麗だわ。あ、千賀高さまとお呼びしてもいいのかしら、私ったら』

雪音さんは物おじしない性格のようで、俺に屈託なく笑いかけてきた。寄り添うように腕に触れられ、男を誤解させる女の子だなと感じた。国内外を問わず、そうした女性は少なくない。
俺はさりげなく距離をとった。

『ええ。どうぞお好きに。親戚となるのですから』
『嬉しい! ありがとうございます! そうだわ、呪術のことでわからないことがあったらお聞きしてもいいのかしら?』
『もちろんです』

ぱっと花咲くような笑顔を向けられ、俺も口元にだけ笑みを浮かべる。
雪音さんの話は止まらず、それからしばらく彼女のおしゃべりに付き合わされた。これも家のためだとはいえ、けれど苦痛に感じ始めてしまった頃、ようやく小夜さんの着替えが終わり、雪音さんから開放された。青緑地に白い花を散らした柄の小袖に着替え、「お待たせしました」と駆け寄ってきた小夜さんが天使に見えた。