◇ ◇ ◇

どうしよう。どこで失くしたんだろう。
私はその夜、いつの間にか失くなっていた指輪に気づいてお屋敷中を探し回った。亜子さんはすでに帰宅していて、お屋敷には私ひとりきりだった。

そこへ「ごめんください」と尋ねるものがあった。
義母だった。

「お義母さま……?」

こんな夜分に、一体どうしたと言うのだろう。言葉なく玄関でたちすくむ義母の顔は青白く、髪は乱れ、まるで彼岸の向こうの人のようだった。
義母が虚に言った。

「あなたが悪いのよ。あなたのせいで、雪音は捕まってしまった」

そうして私に一歩近寄った。

「あなたが生まれたから、あの人は私を見てくれなくなった」

草履を履いていない、土汚れだらけの足袋を見て、私は悲鳴をあげそうになった。どう考えてもおかしい。そう思うのに、義母の一言で私はわずかにも動けなくなった。

「〝じっとしていて〟大丈夫。すぐに終わるから」

躙り寄る義母の右手には研ぎ澄まされた包丁が握られていた。『言霊』ーー千賀高さまが教えてくださったその破り方を思い出す。冷や汗が噴き出て、恐ろしくてたまらない。でもこんなところで死にたくない。私は渾身の力を込めて義母の目を見つめ返した。虚ろで濁っていて、哀しみに溢れている女の目を。

「出ていって……!」

叫んだ私に、義母がぴくりと頬を歪ませる。抵抗されるなんて思ってもみなかったのだろう。私はそうやってずっと、この人に呪われ続けてきたのだ。やっと理解して、私は懐に忍ばせていた護符を取り出す。

「近寄ったらこれを破ります。千賀高さまの術がかかっているので、きっとすぐに皆駆けつけてくれます」
「そう。東雲は流石ね。急がなきゃね」

義母は言霊がもう通じないことを察したのか、走りながら右手を振り上げた。私は必死に護符を破る。次の瞬間には、あたたかい腕の中に庇われていた。

「遅くなってすみません」

顔に大粒の汗をかいた千賀高さまが、構えたサーベルで義母の包丁を塞いでいた。次いで呪術師の方々が大勢集まってきて、義母を取り押さえる。義母は暴れることなく静かに涙を流していた。何が義母をそこまでさせたのか、千賀高さまと心通わせ、先ほど義母の『目』を覗いた私は、その本心を知ってしまった気がした。
義母はきっと、父を心から愛していたのだ。それなのに父は私の母を愛し、私が生まれ、今も心はすれ違ったまま。義母は永遠の片思いに苛まれていたのだ。

「大丈夫ですか、けがは?」
「あ……大丈夫、です」

強く両肩を掴まれ千賀高さまに問われた私は、なんとか返事をする。

「よかった……間に合って」

そのままぎゅうっと抱き寄せられ、他の呪術師の方々もいるのにと、私は狼狽えた。初めての接吻の時もそうだったけれど、千賀高さまはあまり周囲を気にされないのかもしれない。それも西洋の文化なのだろうか。

「秋鈴の本家にはお父上しかいなかったと佐武から報告を受けて、もしかしたら慌てて向かったんです。本当に、間に合ってよかった」
「ご心配をおかけしました……。でもあの、痛いです千賀高さま」
「我慢してください」

そう言った千賀高さまの手が微かに震えていることに気づいて、私は胸が締め付けられる想いだった。安心してほしくて、彼の背中に手を回す。
私は大丈夫ですと耳元で囁けば千賀高さまはようやく力を抜いてくれた。きっとこれも、言葉の力だ。