◇ ◇ ◇
この数ヶ月多発している、あやかしによる殺傷事件。
そのほとんどは、狐や狗といった人に取り憑くあやかしを用いたものだった。
捉えた犯人たちは皆一様に、『女の呪詛師』に手助けをしてもらったと白状した。
呪術を使えない犯人たちはその『女の呪詛師』に依頼し、憎き相手に呪いをかけていたのだ。
千年も前から存在する、現在では違法とされている呪術によって。
ーーその夜。俺は任務のため、とある夜会に参加していた。
件の呪詛師は依頼者たちから多額の報酬を受け取っている。高給取りである政府要人が集うその夜会に、例の呪詛師が絡んでいる可能性は多分にあった。
同行させた佐武とともに、帝都の一角に聳える瀟酒なホテルのパーティホールを練り歩く。
煌びやかな飾り付けの下、同じく着飾った男女が社交に華を咲かせていた。
「まあ! 千賀高さま!」
その群れの中に見知った姿を見つけ、俺は立ち止まる。
真っ赤な西洋風のドレスを身につけた雪音さんがこちらに駆けてくるところだった。
「千賀高さまも出席してらしたのね、きゃあっ」
慣れないヒールのせいだろう。雪音さんが絨毯に足を引っ掛け、俺の胸元に倒れ込む。仕方なしに抱き止めながら、きつすぎる香水に顔を顰めた。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
「平気ですわ。すみません私ったら、千賀高さまにお会いできたのが嬉しくて、つい」
恥ずかしそうに頬を染め、身を起こした雪音さんがこれみよがしに左手で口元を隠す。そこに光るものを見つけ、俺は強く眉根を寄せた。見間違えるはずもない。それは先日小夜さんに贈ったばかりの結婚指輪だった。
険しい顔をした俺を見て、雪音さんがバツが悪そうに目を逸らす。もう遅いと言うのに、左手をさっと体の後ろに回した。
「あ……」
「それは、小夜さんのものでは?」
咎めるような俺の口調に、雪音さんは瞳を揺らした。
「か、借りたんです。今夜のために」
「結婚指輪を? 本当に?」
低い声で詰め寄る俺に、雪音さんは観念したように俯く。その両目には涙が溢れていた。佐武が「まずいですよ」と囁くので、俺は雪音さんの腕を引き、ホテルの空き部屋を借りて、誘導する。
部屋には俺と雪音さん、佐武の三人きりとなった。
「ごめんなさい千賀高さま。私、嘘をつきました」
立ったまま向かいあった雪音さんは、懺悔するように口を開いた。俺は冷ややかな視線を送り続ける。
雪音さんは言った。
「これ、本当はお姉さまにもらったんです。『趣味じゃないからいらない』と言っていて、質屋に入れようとしていたんですけど私が止めて」
「小夜さんが質屋に? いつ?」
「今朝です。私、せっかく千賀高さまが用意してくださったものになのにひどいって怒ったんですけど『失くしたと言えばもっといいものを買ってもらえるから』って、お姉さまが」
「……そうでしたか」
淡々と受け入れる俺に、雪音さんは潤んだ瞳のまま歩み寄ってきた。佐武がさりげなく入り口を固める。
「でも質屋に入れるなんてひどいことはしてほしくなくて、だから私、お姉さまにお金で譲ってもらったんです。ごめんなさい。でも、バレたことはお姉さまに言わないで。お願いします……」
「お姉さん想いなんですね」
「……当たり前だわ。たったふたりの姉妹ですもの。それにお姉さまは妾の子だから、昔からお母さまにもお父さまにもあまり構ってもらえなくて、だから千賀高さまと結婚して、千賀高さまがあんまりおやさしいから調子に乗ってしまってるだけだと思うんです」
よく喋る子だなと思いながら、俺は長い口上が終わるのを待った。
「だからお姉さまを許して差し上げてください。お願いします」
「わかりました」
あっさり承諾した俺を雪音さんが虚を突かれたような顔をで見上げる。
「え?」
「でも、あなたは許しません。というか、俺には小夜さんに許すことなんてなにもない」
「痛……っ」
もう一時も我慢ならなくて、力任せに雪音さんの左手首を掴み、そのまま強引に指輪を抜き取る。ようやく取り戻せた。
「佐武」
命じた俺に従順な佐武が後ろから回り込み、雪音さんを羽交い締めにする。雪音さんは当然暴れ出した。
「なっ何をするんですか!」
「あなたには数件の呪詛法違反容疑がかかっています。お話を聞かせていただけますね?」
「……っ! 知らない! 私は何にも知らないわ!」
激しく抵抗し始めた雪音さんの正面に屈み込むと、俺はその細いあごを掴み、無理やり目線を合わさせる。
「じゃあ誰がやったんだ? こっちには強制的に話を聞く方法もあるんだぞ」
使役している鬼の気配を散らつかせる。雪音さんもやはり、呪術師の端くれらしい。それがどれだけ恐ろしいものか理解した彼女は、泣きながら謝りはじめた。
「ご、ごめんなさい。だって、お母さまに言われて、私」
俺の影から今にも顕現しようとする鬼の角を見つけて、雪音さんが錯乱する。そうして洗いざらいを白状した。母親に言われて『言霊』の呪詛を使い、狐や狗神を利用したこと。敵対する東雲の家で悲惨に暮らしていると思っていた小夜さんが立派なお屋敷にいたことが許せず、指輪を盗んだこと。
これまでにも幾度も『言霊』を用い、母親とともに小夜さんの心を蝕んできたこと。
「なんてことを」
言葉には力がある。それは、人が考えているよりずっと重く、呪詛師でなくとも人を殺めることができるほどなのだ。ましてや『言霊』使いのそれはどれほど小夜さんの心を苦しめ続けてきたのだろう。
結婚式であんなにも周囲に怯えていた理由がわかって、俺は唇を噛み締める。自分を役立たずだと事あるごとに言っていた小夜さんの心中を思うと、押しつぶされそうになった。
「佐武、すぐに秋鈴の家へ。当主の妻、秋鈴和音を捕縛するんだ」
「はい」
佐武が雪音さんを開放し、秋鈴家へ向かうべく走り出す。
雪音さんは壊れた人形のようにその場に頽れた。
この数ヶ月多発している、あやかしによる殺傷事件。
そのほとんどは、狐や狗といった人に取り憑くあやかしを用いたものだった。
捉えた犯人たちは皆一様に、『女の呪詛師』に手助けをしてもらったと白状した。
呪術を使えない犯人たちはその『女の呪詛師』に依頼し、憎き相手に呪いをかけていたのだ。
千年も前から存在する、現在では違法とされている呪術によって。
ーーその夜。俺は任務のため、とある夜会に参加していた。
件の呪詛師は依頼者たちから多額の報酬を受け取っている。高給取りである政府要人が集うその夜会に、例の呪詛師が絡んでいる可能性は多分にあった。
同行させた佐武とともに、帝都の一角に聳える瀟酒なホテルのパーティホールを練り歩く。
煌びやかな飾り付けの下、同じく着飾った男女が社交に華を咲かせていた。
「まあ! 千賀高さま!」
その群れの中に見知った姿を見つけ、俺は立ち止まる。
真っ赤な西洋風のドレスを身につけた雪音さんがこちらに駆けてくるところだった。
「千賀高さまも出席してらしたのね、きゃあっ」
慣れないヒールのせいだろう。雪音さんが絨毯に足を引っ掛け、俺の胸元に倒れ込む。仕方なしに抱き止めながら、きつすぎる香水に顔を顰めた。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
「平気ですわ。すみません私ったら、千賀高さまにお会いできたのが嬉しくて、つい」
恥ずかしそうに頬を染め、身を起こした雪音さんがこれみよがしに左手で口元を隠す。そこに光るものを見つけ、俺は強く眉根を寄せた。見間違えるはずもない。それは先日小夜さんに贈ったばかりの結婚指輪だった。
険しい顔をした俺を見て、雪音さんがバツが悪そうに目を逸らす。もう遅いと言うのに、左手をさっと体の後ろに回した。
「あ……」
「それは、小夜さんのものでは?」
咎めるような俺の口調に、雪音さんは瞳を揺らした。
「か、借りたんです。今夜のために」
「結婚指輪を? 本当に?」
低い声で詰め寄る俺に、雪音さんは観念したように俯く。その両目には涙が溢れていた。佐武が「まずいですよ」と囁くので、俺は雪音さんの腕を引き、ホテルの空き部屋を借りて、誘導する。
部屋には俺と雪音さん、佐武の三人きりとなった。
「ごめんなさい千賀高さま。私、嘘をつきました」
立ったまま向かいあった雪音さんは、懺悔するように口を開いた。俺は冷ややかな視線を送り続ける。
雪音さんは言った。
「これ、本当はお姉さまにもらったんです。『趣味じゃないからいらない』と言っていて、質屋に入れようとしていたんですけど私が止めて」
「小夜さんが質屋に? いつ?」
「今朝です。私、せっかく千賀高さまが用意してくださったものになのにひどいって怒ったんですけど『失くしたと言えばもっといいものを買ってもらえるから』って、お姉さまが」
「……そうでしたか」
淡々と受け入れる俺に、雪音さんは潤んだ瞳のまま歩み寄ってきた。佐武がさりげなく入り口を固める。
「でも質屋に入れるなんてひどいことはしてほしくなくて、だから私、お姉さまにお金で譲ってもらったんです。ごめんなさい。でも、バレたことはお姉さまに言わないで。お願いします……」
「お姉さん想いなんですね」
「……当たり前だわ。たったふたりの姉妹ですもの。それにお姉さまは妾の子だから、昔からお母さまにもお父さまにもあまり構ってもらえなくて、だから千賀高さまと結婚して、千賀高さまがあんまりおやさしいから調子に乗ってしまってるだけだと思うんです」
よく喋る子だなと思いながら、俺は長い口上が終わるのを待った。
「だからお姉さまを許して差し上げてください。お願いします」
「わかりました」
あっさり承諾した俺を雪音さんが虚を突かれたような顔をで見上げる。
「え?」
「でも、あなたは許しません。というか、俺には小夜さんに許すことなんてなにもない」
「痛……っ」
もう一時も我慢ならなくて、力任せに雪音さんの左手首を掴み、そのまま強引に指輪を抜き取る。ようやく取り戻せた。
「佐武」
命じた俺に従順な佐武が後ろから回り込み、雪音さんを羽交い締めにする。雪音さんは当然暴れ出した。
「なっ何をするんですか!」
「あなたには数件の呪詛法違反容疑がかかっています。お話を聞かせていただけますね?」
「……っ! 知らない! 私は何にも知らないわ!」
激しく抵抗し始めた雪音さんの正面に屈み込むと、俺はその細いあごを掴み、無理やり目線を合わさせる。
「じゃあ誰がやったんだ? こっちには強制的に話を聞く方法もあるんだぞ」
使役している鬼の気配を散らつかせる。雪音さんもやはり、呪術師の端くれらしい。それがどれだけ恐ろしいものか理解した彼女は、泣きながら謝りはじめた。
「ご、ごめんなさい。だって、お母さまに言われて、私」
俺の影から今にも顕現しようとする鬼の角を見つけて、雪音さんが錯乱する。そうして洗いざらいを白状した。母親に言われて『言霊』の呪詛を使い、狐や狗神を利用したこと。敵対する東雲の家で悲惨に暮らしていると思っていた小夜さんが立派なお屋敷にいたことが許せず、指輪を盗んだこと。
これまでにも幾度も『言霊』を用い、母親とともに小夜さんの心を蝕んできたこと。
「なんてことを」
言葉には力がある。それは、人が考えているよりずっと重く、呪詛師でなくとも人を殺めることができるほどなのだ。ましてや『言霊』使いのそれはどれほど小夜さんの心を苦しめ続けてきたのだろう。
結婚式であんなにも周囲に怯えていた理由がわかって、俺は唇を噛み締める。自分を役立たずだと事あるごとに言っていた小夜さんの心中を思うと、押しつぶされそうになった。
「佐武、すぐに秋鈴の家へ。当主の妻、秋鈴和音を捕縛するんだ」
「はい」
佐武が雪音さんを開放し、秋鈴家へ向かうべく走り出す。
雪音さんは壊れた人形のようにその場に頽れた。

