どどん、とお腹の底に響くような太鼓の音が鳴る。祭りの主役ーーお神輿が出発した合図だ。
お祭りの当日、浴衣を着て簪もまとめた髪に挿した私は軽い足取りで待ち合わせ場所に向かった。
地方からの見物客も来ているようで、人の数はいつもの倍以上に多い。
私は何度もぶつかりぶつかられながら、なんとか目的の桟橋にたどり着いた。そこには。

「小夜さん」

一際目立つ精悍な男性ーー千賀高さまが待っていてくださった。言葉を失ってしまったのは、予想していた仕事着の軍服ではなく、深い紺色の浴衣姿だったからだ。初めて見る和装に、私は胸の高鳴りを抑えることができず、たじろいでしまう。そんな私にも千賀高さまはいつも通りだった。

「浴衣、素敵な柄ですね。よく似合ってらっしゃいます」
「あ、ありがとうございます」

千賀高さまもかっこいいです、とは口に出せず、俯く。
日がだんだんと傾く中、千賀高さまが自然な動作で私の手を握りしめた。

「逸れるといけませんから。行きましょう」
「はい……」

それから千賀高さまは、出店で串焼きや綿菓子などを買ってくださり、私たちは境内の人波の邪魔にならない場所を探して座り、食べ物を分け合った。
初めて食べるカラメル焼きというお菓子がことのほか美味しくて、思わず足をぱたぱたとさせてしまい、千賀高さまに吹き出された。
恥ずかしかったけれど、とても良い思い出になったと思う。

お屋敷に帰るのが、寂しいくらいだった。

「その簪、お綺麗ですね」

ぼうっと月を見上げていると、不意に千賀高さまに囁かれた。
私は嬉しくて「はい」と答える。

「母の形見なんです。五つの頃に事故で亡くなってしまったのですけれど」
「え?」

千賀高さまが虚を突かれたような表情を浮かべた。

「と言うことは、今の母君は、後妻?」
「あ、いえ。実は……」

言い淀みながら、私は真実を打ち明けた。自分は父の愛人の娘だということ。だから義母と雪音とは、血が繋がっていないこと。

「ああでも、一応父の娘ですからちゃんと『秋鈴』の人間ではあるんです」
「そうだったのですか」

突然千賀高さまが、考え込むように黙ってしまう。そのあまりの深刻そうな雰囲気に、私は不安を募らせた。やはり、妾腹の娘など娶りたくはなかっただろうか。
離縁を切り出されたらどうしよう。

「あの、千賀高さま……」
「! すみません。実は前々から小夜さんと雪音さんはあまり似ていないなと思っていたもので。道理でと納得していたんです」

千賀高さまがそれより、と明るく話題を変える。

「実は小夜さんに贈り物があるんです」
「え?」
「凝ったものなので、出来上がるの少々時間がかかってしまいました。どうぞ」

言って差し出されたのは、白い小さな小箱。
渡されたそれを開けると、柔らかな針刺しのような布地の隙間に、指輪が埋まっていた。細いリングの中央には、白い金剛石が一粒光っていて、月夜にもきらりと映える。

「これは」
「結婚指輪です。俺の分には石はつけませんでしたが、西洋で流行っているので、せっかくだから真似てみたんです。指に合うと良いのですのが……つけてみてもいいですか?」
「は、はい」

千賀高さまに左手を取られ、薬指にゆっくりと通される。きらきらと光る指輪を月にかざして私は言った。

「ぴったりです」
「よかった。デザインが気に入らなかったらおっしゃってください。直しもできるそうですから」
「いえ、いえ。これがいいです。気に入りました。宝物にします」

左手を右手で覆い、私はぎゅうと胸に抱き締める。お祭りの思いでとこの指輪と、宝物が一気に増えてしまった。

「小夜さん」

と、千賀高さまに不意に手を伸ばされ、頬に触れられる。そのまま引き寄せられるように唇が重なった。
柔らかくてあたたかい、初めての感触に、私はじんっと頭の芯が痺れるのを感じた。
唇が離され、自然と瞑っていた目を開く。
柔らかな眼差しに見守られていた。

「これからも末長く、どうぞよろしくお願いします」
「……はい」

指を絡めるように手を繋がれる。いつの間にか彼の左手の薬指にも銀色の指輪が光っていた。