柔らかい風が五月の新緑を揺らして吹き抜けていく。真野(まの)は風でわずかに乱れた髪を掻きあげて望遠カメラを構える。

 関東地方の某地、緑に囲まれた陸上競技場で小規模の記録会が開催されている。参加人数が少ないせいか、どこかのんびりとした牧歌的な雰囲気が漂っている。全周からスタンドが取り囲む国立競技場と異なり、スタンドはホームストレート側にしか設置されていない。質素なスタンドにはほとんど観客もおらず、真野が立ち上がって撮影しても、周囲の迷惑にはならないだろう。

 目前にはスタンドとほぼ同じ高さで棒高跳(ぼうたかとび)のバーが設置されている。物干し竿のような長大なポール一つで、人が空を駆ける。それが棒高跳だ。

 助走位置に立つのは雷堂昂生(らいどうこうき)だ。雷堂は風向きを確認するように首を左右に軽く振ったあと、バーを睨みつける。軽く上げた前髪は日に焼けた額を顕わにしている。赤みを帯びた瞳には肉食獣のような鋭ささえ宿っていると真野は感じた。雷堂が軽くその場でジャンプするたびに跳躍を待ちかねるように下腿の筋肉が躍動する。

 雷堂はポールを両手で持ち上げて走り出した。全速力で駆けながらポールを小さなボックスに差し込んで、勢いよく跳びあがる。全体重を腕で支えながら身体が逆立ち状態になったあと、ポールから押し出されるように身体が宙に投げ出される。光線の影響か、彼の身体が描く軌道が流れ星のように煌めいてさえ見えた。

 バーにまったくふれることなく雷堂がマットに着地した瞬間、まばらな観客席からかすかなどよめきが起きた。のどかな晴天の牧場に突然、眩しい閃光が走ったかのような、未知の無遠慮な美しさだった。

 真野は息を呑んだ。カメラを構えていたのにシャッターを切ることさえ忘れている。

(まるで流星だ……)

 空中に刹那の煌めきを残す美しさは流星に似ていた。

 真野にとって、棒高跳を生で見たのは初めてだったが衝撃を受けたのはそれだけが理由ではない。他の選手と比べても雷堂の跳躍はずば抜けて印象的だった。

 真野の事前のメモによると、

『雷堂昂生、御暁山(ごぎょうやま)大学二年生。兄の影響で高校から棒高跳を始めている。高三時のインターハイの記録は「記録なし」、昨年のインターカレッジには怪我で出場なし。全国大会で記録を残せていないので注目度は低いが、自己ベストは5m40。ベストを更新できれば十分にインカレでの優勝を狙えるレベル』とある。

 雷堂とそれを立ち塞がるように相対するバーの世界で、周囲はその跳躍に魅了されていく。雷堂が一度跳ぶごとに歓声が大きくなっていくことに真野は気づいた。

(この選手はきっと――)