ライブ会場に着いた真澄は友人たちと開場前の列に並んでいた。待ちに待ったアーティストの生ライブが聞けるとあって、会場前の広場は既に熱気に包まれている。しかし、そんな中、真澄の表情だけがその空気に馴染んでいなかった。
「今回のグッズデザインも超良いよなぁ。なっ、真澄!」
「おーい真澄、どうした?ボーっとして」
「えっ、あ……ごめん聞いてなかった。何?」
「真澄、何か今日元気ないね。風邪気味?」
「ううん、そうじゃないんだ。そうじゃなくて……」
楽しみにしていたライブのはずなのに、頭の中はずっと遼のことばかり考えている。シャボン玉のように、彼と過ごした日々が脳裏に浮かんでは消えていく。失敗して、慌てて、一緒に笑って、喜びを分かち合ってきた時間。手を差し伸べると、ほんのり染まる彼の頬。口元を緩ませて笑う彼の横顔。自分の声を好きだと言ってくれた真っ直ぐな言葉。
真澄の胸に無数のシャボン玉が舞っていく。
真澄は鞄のショルダーストラップをぎゅっと握り締め、唇を結んだ。そして顔を上げると、列から飛び出し、突然駆け出した。
「ごめん!やっぱり俺、帰る!」
「えぇ!?」
遼のことが気になってライブを楽しむ気分になど、とてもなれなかった。
どうして避けられているのか。どうして距離を置かれるようになったのか。もしかしたら、気に障ることをしてしまったのだろうか。答えの出ない疑問が真澄の頭にぐるぐると渦を巻く。
モヤモヤした気持ちのまま遼と過ごすなど、もう耐えられなかった。
ちゃんと会って話がしたい。目を見て、はっきりと思っていることを言ってほしい。でなければ、この先、遼と会うことすら出来なくなってしまう気がする――真澄は、そんなざわつく気持ちを抱えながら、鞄のストラップを一層強く握りしめ、街中を駆け抜けて行った。
電車を降り、改札口を抜けて一直線に遼のマンションへ足を走らせた――その時だ。視界の端に映った人影に、思わず真澄の足が止まった。
向かい側の歩道、交差するように過ぎて行った、その人影を目で追う。視界に映ったのは、背の高い、無造作に流れる髪を揺らした青年。
「遼……くん?」
すると、青年はふいに立ち止まり何かを拾った。彼はすぐに振り向いて、たった今、通り過ぎた女性を呼び止めた。彼女に何かを渡している。遠目でよく見えないが、女性は恐らく何か落とし物をしたらしい。女性はお辞儀をしてまた歩き出した。その光景に、真澄の胸が一層ざわめく。
「どういうこと……?」
視界がぼやけてほとんど距離感も保てなかった遼が、何の手助けもなく周りと変わらない歩調で歩いている。それどころか、難なく物を拾い、それを落とした本人に渡してさえいる。裸眼の彼には、そんなことが出来るはずないのに。
真澄は混乱の渦にのまれそうだった。人波の中に紛れて遠ざかっていく彼の姿。真澄は焦燥感に駆られるように再び地面を蹴った。遼が歩いている歩道へ渡って、その背中を必死に追いかけた。
まさか、どうして、何で――言葉にならない言葉が真澄の頭を駆け巡る。混乱する真澄の思考。人違いであってほしい、そんな願いも、次第に近付くにつれ虚しく砕けていく。見間違うはずがない、この見慣れた姿は紛れもなく彼の背中だ。
真澄は手を伸ばし、遂にその青年の腕を掴んだ。
揺れる黒髪。長身の体が、ゆっくりと真後ろへ向きを変える。吐息まじりに、真澄の震えた声が虚しくこぼれ落ちた。
「何で……?」
その瞬間、まるで時間が止まったように遼の体は硬直した。彼の表情から一気に血の気が引いていく。それはまるで、背中の芯から急速に温度が下がっていくように明らかだった。遼の瞳には、酷く困惑した表情で見つめる真澄の姿が、はっきりと映っていた。
「嘘、ついてたの?遼くん……」
「真澄くん、何で……」
掴んだ腕を離すことなく、真澄は背を向けてそのまま遼の腕を引いた。連れられるがまま、遼は無言で真澄の背に従う。振り返ることなく歩み続ける彼の手からは、痛いほど、怒りが伝わってきた。
マンションまで戻って玄関へ入ると、そこでようやく腕は解放された。
「ま、真澄くん……今日ライブだったんじゃ……。な、何で、戻ってきたの……?」
真澄は振り向き、遼を見上げた。
「何で?それはこっちの台詞だよ。最近の遼くん様子がおかしかったから、どうしても気になって帰ってきたんだ。そしたら遼くんを見かけてさ、目を疑ったよ。一人でも全然平気そうに街中歩いてるんだもん。……どういうことなの?今までのは全部演技だったってこと?全部……全部、嘘だったの……?」
真澄は俯いて、握り締めた手を震わせていた。
「ごめん……ごめんね真澄くん。……全部、話すよ」
張り詰めた静かな部屋の中。マグカップを置く音が、こつと小さくテーブルを鳴らした。コーヒーの香りがほんのりと漂い、真澄の目の前に、ゆらゆらと湯気が立ち昇った。真澄は俯いたままだった。重たい空気が二人を覆う。遼は自分のマグカップを置くと、沈黙をやぶり、ぽつり、ぽつりと静かに話し出した。
「僕の目が悪いのは本当だよ。ひどい近眼っていうのも本当。今はコンタクトをつけているんだ。……コンタクトを持っていたことは、ずっと黙ってた。カラーボックスの一番上の棚、開けないでって、前、言ったでしょ。そこに入れて仕舞っていたんだ」
「……どうして、コンタクトのこと黙ってたの?」
真澄が低く問いかけた。
遼は一瞬、きゅっと口をつぐみ、マグカップに添えていた両手に力を入れた。かすかに震える唇を開き、絞り出すようにゆっくりと言葉を続けた。
「理由が欲しかったんだ。真澄くんの声を、ずっと傍で聞いていられる理由が。せっかくまた出会えたのに、あの日だけで終わりにしたくなかったんだ」
「また……?」
真澄が不意に顔を上げた。遼はこくりと頷く。
「そうだよ。僕は一度、小学生の時に真澄くんと出会っているんだ」
「今回のグッズデザインも超良いよなぁ。なっ、真澄!」
「おーい真澄、どうした?ボーっとして」
「えっ、あ……ごめん聞いてなかった。何?」
「真澄、何か今日元気ないね。風邪気味?」
「ううん、そうじゃないんだ。そうじゃなくて……」
楽しみにしていたライブのはずなのに、頭の中はずっと遼のことばかり考えている。シャボン玉のように、彼と過ごした日々が脳裏に浮かんでは消えていく。失敗して、慌てて、一緒に笑って、喜びを分かち合ってきた時間。手を差し伸べると、ほんのり染まる彼の頬。口元を緩ませて笑う彼の横顔。自分の声を好きだと言ってくれた真っ直ぐな言葉。
真澄の胸に無数のシャボン玉が舞っていく。
真澄は鞄のショルダーストラップをぎゅっと握り締め、唇を結んだ。そして顔を上げると、列から飛び出し、突然駆け出した。
「ごめん!やっぱり俺、帰る!」
「えぇ!?」
遼のことが気になってライブを楽しむ気分になど、とてもなれなかった。
どうして避けられているのか。どうして距離を置かれるようになったのか。もしかしたら、気に障ることをしてしまったのだろうか。答えの出ない疑問が真澄の頭にぐるぐると渦を巻く。
モヤモヤした気持ちのまま遼と過ごすなど、もう耐えられなかった。
ちゃんと会って話がしたい。目を見て、はっきりと思っていることを言ってほしい。でなければ、この先、遼と会うことすら出来なくなってしまう気がする――真澄は、そんなざわつく気持ちを抱えながら、鞄のストラップを一層強く握りしめ、街中を駆け抜けて行った。
電車を降り、改札口を抜けて一直線に遼のマンションへ足を走らせた――その時だ。視界の端に映った人影に、思わず真澄の足が止まった。
向かい側の歩道、交差するように過ぎて行った、その人影を目で追う。視界に映ったのは、背の高い、無造作に流れる髪を揺らした青年。
「遼……くん?」
すると、青年はふいに立ち止まり何かを拾った。彼はすぐに振り向いて、たった今、通り過ぎた女性を呼び止めた。彼女に何かを渡している。遠目でよく見えないが、女性は恐らく何か落とし物をしたらしい。女性はお辞儀をしてまた歩き出した。その光景に、真澄の胸が一層ざわめく。
「どういうこと……?」
視界がぼやけてほとんど距離感も保てなかった遼が、何の手助けもなく周りと変わらない歩調で歩いている。それどころか、難なく物を拾い、それを落とした本人に渡してさえいる。裸眼の彼には、そんなことが出来るはずないのに。
真澄は混乱の渦にのまれそうだった。人波の中に紛れて遠ざかっていく彼の姿。真澄は焦燥感に駆られるように再び地面を蹴った。遼が歩いている歩道へ渡って、その背中を必死に追いかけた。
まさか、どうして、何で――言葉にならない言葉が真澄の頭を駆け巡る。混乱する真澄の思考。人違いであってほしい、そんな願いも、次第に近付くにつれ虚しく砕けていく。見間違うはずがない、この見慣れた姿は紛れもなく彼の背中だ。
真澄は手を伸ばし、遂にその青年の腕を掴んだ。
揺れる黒髪。長身の体が、ゆっくりと真後ろへ向きを変える。吐息まじりに、真澄の震えた声が虚しくこぼれ落ちた。
「何で……?」
その瞬間、まるで時間が止まったように遼の体は硬直した。彼の表情から一気に血の気が引いていく。それはまるで、背中の芯から急速に温度が下がっていくように明らかだった。遼の瞳には、酷く困惑した表情で見つめる真澄の姿が、はっきりと映っていた。
「嘘、ついてたの?遼くん……」
「真澄くん、何で……」
掴んだ腕を離すことなく、真澄は背を向けてそのまま遼の腕を引いた。連れられるがまま、遼は無言で真澄の背に従う。振り返ることなく歩み続ける彼の手からは、痛いほど、怒りが伝わってきた。
マンションまで戻って玄関へ入ると、そこでようやく腕は解放された。
「ま、真澄くん……今日ライブだったんじゃ……。な、何で、戻ってきたの……?」
真澄は振り向き、遼を見上げた。
「何で?それはこっちの台詞だよ。最近の遼くん様子がおかしかったから、どうしても気になって帰ってきたんだ。そしたら遼くんを見かけてさ、目を疑ったよ。一人でも全然平気そうに街中歩いてるんだもん。……どういうことなの?今までのは全部演技だったってこと?全部……全部、嘘だったの……?」
真澄は俯いて、握り締めた手を震わせていた。
「ごめん……ごめんね真澄くん。……全部、話すよ」
張り詰めた静かな部屋の中。マグカップを置く音が、こつと小さくテーブルを鳴らした。コーヒーの香りがほんのりと漂い、真澄の目の前に、ゆらゆらと湯気が立ち昇った。真澄は俯いたままだった。重たい空気が二人を覆う。遼は自分のマグカップを置くと、沈黙をやぶり、ぽつり、ぽつりと静かに話し出した。
「僕の目が悪いのは本当だよ。ひどい近眼っていうのも本当。今はコンタクトをつけているんだ。……コンタクトを持っていたことは、ずっと黙ってた。カラーボックスの一番上の棚、開けないでって、前、言ったでしょ。そこに入れて仕舞っていたんだ」
「……どうして、コンタクトのこと黙ってたの?」
真澄が低く問いかけた。
遼は一瞬、きゅっと口をつぐみ、マグカップに添えていた両手に力を入れた。かすかに震える唇を開き、絞り出すようにゆっくりと言葉を続けた。
「理由が欲しかったんだ。真澄くんの声を、ずっと傍で聞いていられる理由が。せっかくまた出会えたのに、あの日だけで終わりにしたくなかったんだ」
「また……?」
真澄が不意に顔を上げた。遼はこくりと頷く。
「そうだよ。僕は一度、小学生の時に真澄くんと出会っているんだ」
