電車を乗り継ぎ、駅から徒歩で十五分。そこに遼が住んでいる賃貸マンションがある。十階建ての高層階のマンション、その八階が彼の部屋だ。玄関前に辿り着いたところで、真澄はそっと手を離した。
「本田さん、わざわざありがとう。お仕事中だったのに付き合わせちゃってごめんね」
「そんな、謝ることなんてないよ。そもそも迷惑かけたのはこっちの方だし。本当に悪いことしちゃってごめん。本来なら弁償代も払うべきなのに……」
「そのことは本当に気にしないで。新調しようと思っていたのは本当だから。今日はありがとう。もう大丈夫だよ」
遼は頬に笑みを浮かべながら鍵を取り出し、鍵穴に向けた――が、上手く差さらない。鍵をもう一度見て、表と裏の向きを替え再度試みるが、やはり差すことができない。今度は体を少し屈めて試している。それでも叶わず、終いには、しゃがみ込んで鍵穴に顔面を近付ける始末。ここまでして、ようやく施錠を果たしたのだった。
――いや、大丈夫じゃないだろ!
真澄は心の底からそう思った。彼はこの先、三週間ものあいだ無事に生活を送れるのだろうかと。
「長谷川くん、さのさ、困ったことがあったら遠慮なく言ってよ。新品が届くまで、替えの眼鏡でも色々不便があるかもしれないし、何か手助けできることがあるかもしれないからさ」
遼はポカンと口を開けて真澄を見上げる。
「僕、替えの眼鏡なんて持ってないよ?」
首を傾げる遼に、真澄は慌てて聞き返した。
「えっ、じゃあ眼鏡届くまでどうするの!?」
「どうって……まぁ、何とかなるんじゃないかな」
「いやいやいや!何とかなるレベルじゃないでしょコレ!危ないよ!一人じゃ危険過ぎるよ!」
真澄は思わず大振りなモーションで訴えかけた。今日を振り返ってみても、眼鏡が無い状態で街中を歩いてどれだけ時間がかかったか、どれだけ危なかったか、本人が一番分かっているだろうに、何故こうも楽観的に考えられるのだろうか。遼の「何とかなる」という考えはどこから湧くのか真澄には理解ができなかった。
「だったらさ……」
遼はゆっくりと膝を伸ばし、静かに立ち上がった。振り向いた遼の雰囲気が、どこか真剣みを帯びていた。
「新しい眼鏡が届くまで、きみが僕の目になってくれないかな」
「え……?」
遼の目元は前髪で隠れていて、よく見えない。なのに、真っ直ぐ、動けなくなるほどじっと見つめられているような気がした。そのくらい、熱い視線を強く感じさせられた。
「……なんてね。冗談だよ。びっくりさせちゃってごめんね」
遼は軽く笑って玄関のドアノブに手をかけた。
「……それって、共同生活をするって意味?」
「あ、いや、だから今のは冗談で――」
真澄は遮るように返した。
「いいよ。たった三週間だし、弁償代の代わりってことでその依頼引き受けるよ」
「待って、待って本田さん!ダメだよ本気にしないで!」
「何で?別に何も問題ないのに――」
「大ありだよ!」
大きな声が真澄の言葉を遮った。
「……大ありだよ。だって、一人暮らしの男の家に、女の子を連れ込むわけにはいかないでしょ?」
「…………は?」
その瞬間、真澄の思考はフリーズした。ようやく遼が自分を女性だと勘違いしていたことに気が付く。沸々と湧き上がる怒りを抑えつつ、真澄は財布から保険証を勢いよく取り出して遼の眼前に突き出した。
「俺は!正真正銘、男だよ!」
遼は真澄の保険証を手に取り至近距離でカードを見つめた。
「え、えええええっ!」
遼の叫び声が冬の澄んだ夜空に響き渡った。
「本田さん、わざわざありがとう。お仕事中だったのに付き合わせちゃってごめんね」
「そんな、謝ることなんてないよ。そもそも迷惑かけたのはこっちの方だし。本当に悪いことしちゃってごめん。本来なら弁償代も払うべきなのに……」
「そのことは本当に気にしないで。新調しようと思っていたのは本当だから。今日はありがとう。もう大丈夫だよ」
遼は頬に笑みを浮かべながら鍵を取り出し、鍵穴に向けた――が、上手く差さらない。鍵をもう一度見て、表と裏の向きを替え再度試みるが、やはり差すことができない。今度は体を少し屈めて試している。それでも叶わず、終いには、しゃがみ込んで鍵穴に顔面を近付ける始末。ここまでして、ようやく施錠を果たしたのだった。
――いや、大丈夫じゃないだろ!
真澄は心の底からそう思った。彼はこの先、三週間ものあいだ無事に生活を送れるのだろうかと。
「長谷川くん、さのさ、困ったことがあったら遠慮なく言ってよ。新品が届くまで、替えの眼鏡でも色々不便があるかもしれないし、何か手助けできることがあるかもしれないからさ」
遼はポカンと口を開けて真澄を見上げる。
「僕、替えの眼鏡なんて持ってないよ?」
首を傾げる遼に、真澄は慌てて聞き返した。
「えっ、じゃあ眼鏡届くまでどうするの!?」
「どうって……まぁ、何とかなるんじゃないかな」
「いやいやいや!何とかなるレベルじゃないでしょコレ!危ないよ!一人じゃ危険過ぎるよ!」
真澄は思わず大振りなモーションで訴えかけた。今日を振り返ってみても、眼鏡が無い状態で街中を歩いてどれだけ時間がかかったか、どれだけ危なかったか、本人が一番分かっているだろうに、何故こうも楽観的に考えられるのだろうか。遼の「何とかなる」という考えはどこから湧くのか真澄には理解ができなかった。
「だったらさ……」
遼はゆっくりと膝を伸ばし、静かに立ち上がった。振り向いた遼の雰囲気が、どこか真剣みを帯びていた。
「新しい眼鏡が届くまで、きみが僕の目になってくれないかな」
「え……?」
遼の目元は前髪で隠れていて、よく見えない。なのに、真っ直ぐ、動けなくなるほどじっと見つめられているような気がした。そのくらい、熱い視線を強く感じさせられた。
「……なんてね。冗談だよ。びっくりさせちゃってごめんね」
遼は軽く笑って玄関のドアノブに手をかけた。
「……それって、共同生活をするって意味?」
「あ、いや、だから今のは冗談で――」
真澄は遮るように返した。
「いいよ。たった三週間だし、弁償代の代わりってことでその依頼引き受けるよ」
「待って、待って本田さん!ダメだよ本気にしないで!」
「何で?別に何も問題ないのに――」
「大ありだよ!」
大きな声が真澄の言葉を遮った。
「……大ありだよ。だって、一人暮らしの男の家に、女の子を連れ込むわけにはいかないでしょ?」
「…………は?」
その瞬間、真澄の思考はフリーズした。ようやく遼が自分を女性だと勘違いしていたことに気が付く。沸々と湧き上がる怒りを抑えつつ、真澄は財布から保険証を勢いよく取り出して遼の眼前に突き出した。
「俺は!正真正銘、男だよ!」
遼は真澄の保険証を手に取り至近距離でカードを見つめた。
「え、えええええっ!」
遼の叫び声が冬の澄んだ夜空に響き渡った。
