会場のフロアへ戻ると、二人の姿に気付いた店長が、すぐさま彼らの元へ駆け寄った。手を引かれながら、遼の一歩後ろを歩く真澄の姿。彼は申し訳なさそうに顔を上げた。
「本田くん、もう大丈夫なのかい?」
「はい。突然あんなことになって、すみませんでした」
 頭を下げ、そして、続けて言った。
「無茶なお願いなのは重々承知です。でも、もう一度やらせてほしいんです。店長、お願いします……!」
「あのっ、今度はきっと大丈夫です。真澄くんを信じてあげてください。それと……、失礼を承知で、もう一つお願いがあるんです。朗読中、僕を、彼の隣に座らせてください。彼の傍に居てあげたいんです。どうか、お願いします」
 遼も深々と頭を下げる。店長は穏やかな眼差しを向けると、二人の肩に優しく手を伸ばした。
「事情はよく分からないけど、そのつもりで待ってたよ。さぁ、お客さんが待ってる。行ってあげて」
「はい……!」
 再び会場の出入り口に立つ。ここを一歩進むと別の世界だ。けれど、今度は一人ではない。繋がれた二人の手と手。隣を見上げると、視線に気付いた遼が微笑みを返した。「行こう」そう言われたような気がして、真澄は頷き、その足を前に進めた。
 鼓動が速くなる。脈打つ音が耳にまで聞こえる。怖さが消えたわけではない。足取りだってまだ重い。けれど、先ほどよりも息苦しくない。呼吸ができている。長く感じた椅子までの距離も、遼と二人ならあっという間だった。
 椅子に腰かけ、呼吸を一つして気持ちを整える。遼から朗読本を受け取ると、真澄はそのカバーを優しく撫でた。艶のあるハードカバーで装丁された本。ライトに照らされるとその艶が一層美しく輝いた。こんなに綺麗な本だったのに、それすらも全く気付くことができなかった。
 遼の腕が、真澄の肩をそっと寄せた。思わず驚いて見上げると、本人は照れながらも、はにかんだ笑みを見せていた。二人の体は優しく寄り添い合う。
 心臓の音が一層大きく鳴り響く。恐怖か、緊張か、高揚か。真澄は笑みを浮かべた。湧き上がってくるこの胸の高鳴り。この感覚を自分は知っている。
 中学の時、朗読発表会で最初に壇上に立った時と同じ感覚だ。これから沢山の言葉を届けるのだ。自分の呼吸で、自分の声で、観客一人一人に物語を贈る。
 真澄はハードカバーを開き、ページを捲ると、本の題名を口にした。
 そう、この感覚は――。