すっかり冷めてしまったコーヒー。遼の視線は手元のカップに向けられていた。その様子が、表面に映し出された自身の顔を見つめているようにも思えた。
「だから、大学に入学してからは人と関わることをなるべく避けて、顔を隠して生活してた。イケメンは何でもできるっていう、そういうレッテルを貼られることに疲れちゃったんだ」
 遼の瞳の奥には、真澄が想像できないほどの重圧があった。イケメンという名の一方的な期待と評価の視線。彼は、その全てを否応なく背負っていたのだ。
「だけど、真澄くんは違った」
「俺?」
 自分を指差して、きょとんと返事をする真澄。そんな真澄に遼は微笑んで頷く。
「依頼した初日にさ、真澄くんは僕に言ってくれたんだ。不得意があったっていい。ありのままの自分でいる方がずっといいって」
 遼は懐かしむように天井を仰いだ。
「真澄くんは外見で僕を推し量ることはしなかった。僕は自分に自信がないから、欠点が多いことを他人に知られることが余計に怖かったんだ。けど、真澄くんはダメな所が沢山ある僕をバカにしたり蔑んだりしないで、等身大の僕を見てくれた。真正面から向き合ってくれた。僕は真澄くんに出会って、ありのままの自分でいていいんだって、そう思えるようになったんだ」
 そう言葉にした遼の微笑みは、爽やかな春の木漏れ日のような温かさをまとっていた。真澄の胸に、じんわりと熱が帯びる。自分の何気ない言葉、行動の一つひとつが、遼にとっては大きな意味を持っていたのだと思うと、嬉しさと照れくささで、何だかくすぐったくなった。
 遼は真っ直ぐ真澄を見つめると、迷いのない確かな声で言った。
「僕は今まで、人と上手く接することができないのを全部顔のせいにしてきた。けど、それはただ、顔を理由に逃げていただけだったんだ。あのとき感じた嫌悪感は自分の顔に対するものだと思っていたけど、そうじゃない。あれは、他人の目を気にして自分と向き合おうとしない、自分自身への嫌悪だった。『こうあるべき』っていうレッテルを貼っていたのは、他の誰でもない、僕自身だったんだ」
 遼の指がそっと真澄の手に触れる。不意に波打つ鼓動。重なり合った手のひら。遼から伝わってくる温もりに真澄の頬は次第に熱を帯びていく。
「だから、僕はそう気付かせてくれた真澄くんに壁を作りたくない。そう思ったから、僕は顔を出すことにしたんだ」
 重ねた手に力が入る。そして気付く。遼から伝わってくる、わずかな震えに。
「でも……怖いんだ。他人の前で、大勢の前で顔を晒そうとすると、あのとき向けられた沢山の視線を思い出して、体が震える。本当は顔を出して真澄くんと外を歩きたいのに……」
「遼くん……」
 遼が抱える葛藤に、真澄の胸もぎゅっと詰まるような痛みを感じた。顔を出して外を歩く。ただそれだけのことが、彼にとっては大きな恐怖なのだ。過去のトラウマと向き合うというのは、崖から飛び降りろと言われているようなものだ。怖いのも無理はない。
 真澄自身も似た怖さを知っている。だからこそ、その恐ろしさを思い出すと胸が苦しくなる。刺さる視線と空気。体は凍りつくのに、手は小刻みに震えて呼吸が段々乱れていく。明るかった景色が徐々に闇に包まれて、やがて緞帳が下りるように目の前が暗くなっていく――そんな感覚は、もう二度と味わいたくない。
 真澄は震える遼の手をとって、両手で優しく包み込んだ。
「遼くん、話しづらいことだったのに、打ち明けてくれてありがとう。話してくれただけで十分だよ。だから、外に出る時は無理しないで――」
「それじゃダメなんだ!」
「え?」
「僕、今まで周りの評価を気にして、強迫観念に押されるように行動してたけど、今はそうじゃないんだ。今は、僕自身がそうしたいって思っているんだ!……この姿で外を歩くのは、正直……怖い。でもそれ以上に、僕はこの姿で真澄くんと外を歩きたい!」
 遼が真っ直ぐ真澄を見つめる。その瞳の奥には、揺るぎない彼自身の強い意思が込められているように思えた。そんな彼の意思を、どうして無下にできようか。
 真澄もその思いに応えるように、しっかりと頷いて返した。
「わかった。大丈夫、この手は絶対離さないから」