縁側から見える整った小庭。風が吹くと、さらさらと鳴る葉っぱの音が心地よかった。
隣には、にこにこと優しい笑顔を向けて座っている祖母。足をぷらぷらと投げ出し、意気揚々と宿題の音読を披露する小学生の真澄がそこにいた。
「そして市松はこう答えたのです。オラはやってねぇだ。どんぐりが勝手に動き回って家じゅうとっ散らかして行ったんだ。しかし村の衆は信じるはずもありません。市松はとうとう村の嘘つき者にされてしまいました」
隣で音読を聞いていた祖母は、顔のしわを更にくしゃりとさせて笑顔を見せた。
「まーくんはほんに上手に読むなぁ。おばあちゃん、まーくんの音読聞くんが楽しいわぁ」
真澄も、にいっと満足げに笑顔を向ける。
「おばあちゃん、僕の音読また聞いてね!」
「あぁ、聞いちゃる聞いちゃる。なんぼでも聞くけぇまた来んさい」
小さい頃、お盆やお正月によく遊びに行っていた母親の実家。いつも優しく迎えてくれたのは、腰が曲がった小柄な祖母だった。祖母の家は子供が駆け回るには十分な広さがあった。そんな広い家の中でじっとしているほうが難しい。それゆえ、母親に「静かにしなさい」とよく注意を受けた記憶がある。けれど祖母は「元気なんが一番ええ」と言っていつも笑ってくれた。
祖母の家で一番の楽しみだったのが音読だった。隣で本を読み上げると、祖母はいつも褒めてくれる。
「まーくんは綺麗な声しちょるねぇ」
ある時、祖母はそう言った。
「声?」
「そげ。まーくんの声はなぁ、水のせせらぎみたいに綺麗で澄んだ声しちょる。こげにいい声しちょる子は他におらんけぇ、きっと神さんがまーくんの為だけにごしなっただわ」
きっかけは祖母に聞いてもらった音読だったと思う。もともと本を読むことは好きで、読み聞かせて誰かを楽しませたり、喜ばせることができたらそれは最高に嬉しいことだった。祖母が綺麗だと言ってくれたこの声で、もっと沢山の人に心を動かすような感動を与えたい。そう思って、真澄は学校の朗読劇やボランティアの朗読会に参加したりと、積極的に人前に立って朗読を披露するようになった。
中学生になると、さらに朗読を披露する機会は増えた。先生の推薦で参加した全国の朗読発表会。それは全国の学生が一堂に集まり、朗読で競い合う大きな大会だった。緊張もあったが、それ以上にワクワクした気持ちが大きかったのを覚えている。声を乗せて沢山の人に言葉を届ける。真澄にとって、それが何よりも喜びに満ちた瞬間だった。
それなのに、たった一言で全てが変わった。
「女みてぇな声」
第一部の発表を終え、控室へ向かう廊下でその声は聞こえた。
「あぁ、あの名御中の奴な。俺、思わず吹き出したわ。見た目は男だし学ラン着てんのに、女声とかキモ過ぎだろ」
「名前なんつったけ、えーと……そう、本田。本田真澄」
「はっ、名前も女みたいじゃん。マジで性別どっちだっつの」
視界がぐにゃりと歪んだ。息ができない。まるで喉の奥を、何重にもくくられた縄で締め付けられたかのように、一瞬で呼吸が奪われた。たった一言、彼らにとっては他愛無いその言葉が、真澄の心を深く抉り取った。
第二部の発表は、それはもう悲惨なものだった。壇上に立った途端、声が出なくなったのだ。あんなに楽しく読んでいたのに、読みたかったはずなのに。
震えが止まらない。力が入らない。額に汗が滲む。呼吸は段々と上擦り、一斉に向けられたその視線は恐怖に変わった。そして呼吸の仕方を忘れると、真澄はその場で倒れ、意識を失った。
隣には、にこにこと優しい笑顔を向けて座っている祖母。足をぷらぷらと投げ出し、意気揚々と宿題の音読を披露する小学生の真澄がそこにいた。
「そして市松はこう答えたのです。オラはやってねぇだ。どんぐりが勝手に動き回って家じゅうとっ散らかして行ったんだ。しかし村の衆は信じるはずもありません。市松はとうとう村の嘘つき者にされてしまいました」
隣で音読を聞いていた祖母は、顔のしわを更にくしゃりとさせて笑顔を見せた。
「まーくんはほんに上手に読むなぁ。おばあちゃん、まーくんの音読聞くんが楽しいわぁ」
真澄も、にいっと満足げに笑顔を向ける。
「おばあちゃん、僕の音読また聞いてね!」
「あぁ、聞いちゃる聞いちゃる。なんぼでも聞くけぇまた来んさい」
小さい頃、お盆やお正月によく遊びに行っていた母親の実家。いつも優しく迎えてくれたのは、腰が曲がった小柄な祖母だった。祖母の家は子供が駆け回るには十分な広さがあった。そんな広い家の中でじっとしているほうが難しい。それゆえ、母親に「静かにしなさい」とよく注意を受けた記憶がある。けれど祖母は「元気なんが一番ええ」と言っていつも笑ってくれた。
祖母の家で一番の楽しみだったのが音読だった。隣で本を読み上げると、祖母はいつも褒めてくれる。
「まーくんは綺麗な声しちょるねぇ」
ある時、祖母はそう言った。
「声?」
「そげ。まーくんの声はなぁ、水のせせらぎみたいに綺麗で澄んだ声しちょる。こげにいい声しちょる子は他におらんけぇ、きっと神さんがまーくんの為だけにごしなっただわ」
きっかけは祖母に聞いてもらった音読だったと思う。もともと本を読むことは好きで、読み聞かせて誰かを楽しませたり、喜ばせることができたらそれは最高に嬉しいことだった。祖母が綺麗だと言ってくれたこの声で、もっと沢山の人に心を動かすような感動を与えたい。そう思って、真澄は学校の朗読劇やボランティアの朗読会に参加したりと、積極的に人前に立って朗読を披露するようになった。
中学生になると、さらに朗読を披露する機会は増えた。先生の推薦で参加した全国の朗読発表会。それは全国の学生が一堂に集まり、朗読で競い合う大きな大会だった。緊張もあったが、それ以上にワクワクした気持ちが大きかったのを覚えている。声を乗せて沢山の人に言葉を届ける。真澄にとって、それが何よりも喜びに満ちた瞬間だった。
それなのに、たった一言で全てが変わった。
「女みてぇな声」
第一部の発表を終え、控室へ向かう廊下でその声は聞こえた。
「あぁ、あの名御中の奴な。俺、思わず吹き出したわ。見た目は男だし学ラン着てんのに、女声とかキモ過ぎだろ」
「名前なんつったけ、えーと……そう、本田。本田真澄」
「はっ、名前も女みたいじゃん。マジで性別どっちだっつの」
視界がぐにゃりと歪んだ。息ができない。まるで喉の奥を、何重にもくくられた縄で締め付けられたかのように、一瞬で呼吸が奪われた。たった一言、彼らにとっては他愛無いその言葉が、真澄の心を深く抉り取った。
第二部の発表は、それはもう悲惨なものだった。壇上に立った途端、声が出なくなったのだ。あんなに楽しく読んでいたのに、読みたかったはずなのに。
震えが止まらない。力が入らない。額に汗が滲む。呼吸は段々と上擦り、一斉に向けられたその視線は恐怖に変わった。そして呼吸の仕方を忘れると、真澄はその場で倒れ、意識を失った。
