「早く柴野を離せ、ばか!」
「そんな揺らしたら柴野起きちゃうだろ!」
「もう起こさないとダメなんだよ!」


誰かが言い争ってる……この声は、早川と高峰だ。
ゆっくりと目を開ける。


「あ、柴野起きた?おはよ」


俺の目の前でにこやかな笑みを浮かべているのは高峰だ。俺は高峰に対して掠れた声で「おはよ」と挨拶をする。

なぜこんなにもこのイケメンと顔が近いのか。寝起きの俺では理解に数十秒かかったが、要するに高峰が俺を抱きしめているからだ。
そういえば、昨日抱きしめられてそのまま寝落ちしたんだっけ。


「ちゃんと寝れた?」


高峰はそういって微笑む。朝から全快のイケメンパワーは俺のような平凡男子にはきつい。
その眩しさから逃れるように俺は高峰の胸に顔を埋める。


「まだ眠い?」


高峰は、その問いかけに「んー」と曖昧な返事をする俺の頭を撫でた。


「柴ちゃーん、そろそろ起きないと遅刻してあおきんに怒られるよー」


矢沢からそう呼びかけられて、ゆっくりと体を起こす。青木先生のあの大声に怒られるのはごめんだ。

布団から出ると、洗面台に向かう。
早川と矢沢はもう準備を済ませているようだ。高峰は、俺をホールドしていたのにも関わらず、いつの間にか準備をあらかた終えているようだった。つまり俺待ちだということだ。

できるだけ急いで顔を洗って歯を磨いたところで、高峰が後ろに立った。


「柴野の髪、セットしていい?」


その手にはいつも使っているらしいワックスがあった。
高峰の髪の毛はまだセットされていなかったので、これからするのだろう。ついでに俺のセットをしてくれるようだ。
俺は少し考えて、そして首を横に振った。


「嫌?なんで?」
「嫌っていうわけじゃなくて……ワックスつけたら高峰が俺の頭撫でられないでしょ?」


高峰は目をぱちくりさせて俺を見る。この人、無自覚で俺の頭撫でてたのか?
高峰があまりにも動かないので、俺は高峰の顔をのぞく。


「高峰?」
「あ、あぁ……」


まだ寝ぼけてるのかな。
俺が首を傾げていると後ろから声が聞こえた。


「柴野、それ、ほんとにわざとやってるわけじゃないんだよね?」
「それってどれ?」
「早川、ダメだ。これは本物だわ」


早川と矢沢が俺を見て言う。
この2人はたまに俺には分からない話をすることがある。今回もそれなのだろう。
俺はあまり気にせずに、洗面所から出て着替えを済ます。

少しすると、高峰も洗面所から出てきた。
髪の毛はセットされていない。


「高峰、髪の毛セットしないの?」
「うーん。たまにはいいかなって」


どうやら高峰の髪型は気まぐれで決まるらしい。ノーセットでも様になっているんだから、イケメンって凄いなとつくづく思う。


「変?」
「変じゃないよ。いつもの髪型もかっこいいけど、セットしてないのも俺は好き」


そういって俺は高峰の髪に手を伸ばす。指の隙間をサラッと高峰の髪の毛が通った。

それから、高峰の髪型がノーセットになる日が増えるのをこの時の俺はまだ知らない。



ーーーー



「今日は一日、自由行動だ!各自決めたコースを回って集合時刻になったら、この場所に戻ってくるように!」


青木先生が声を張り上げたと同時にみんなが動き出す。
ちなみに俺たちの班は、主に食べ歩きだ。
そこまで詳しく予定を決めているわけじゃないので、現地でやりたいことがあったら、やる、という感じだ。

集合場所からバスに乗り、目的地へ向かう。
目的地は人気な観光地なので、近づけば近づくほど人が増えてきた。

バスから降り、辺りを見回す。大きな川に橋がかかっていた。
海外の人や他の学校の修学旅行生も多い。


「柴野」


高峰が手を差し伸べてくる。


「お風呂のときみたいに、1人になられたら困るから」
「いや、大丈夫だよ」
「俺が大丈夫じゃないんだよ、ほら」


高峰はそう言って強引に俺の手を取った。よっぽど心配をかけたみたいだ。俺は大人しくその手を握り返した。

矢沢に先導され、いろいろなところに行っては、アイスやコロッケなどを食べた。


「これからどうする?」
「さっきあった川で船に乗れるらしいよ」


早川がスマホを見ながら答える。さすが、抜け目ない。


「いいじゃん、船乗りたい!」
「柴野もそれでいい?」
「うん。俺はなんでも」
「んじゃいこーぜー」


矢沢はいつにも増してテンションが高い。俺としてはそちらのほうが、気分が上がってくるのでありがたい。

矢沢、早川が前、俺と高峰が後ろ。大体の移動はこの陣形が基本になっていた。

矢沢たちに続く俺の肩を誰かがポンと叩く。
なんだろう、と振り返り肩を叩いてきた人の顔を見る。
俺は息をのんだ。


なんで、お前がここにいる?


「芹くん。久しぶり」
「い、いいやま……」
「覚えててくれたんだぁ。嬉しいなぁ」


そういって俺を見て笑う飯山の顔が、“あの時”と全く一緒だった。本性を隠しきれていない、まるで獣のような目に、俺は怖気付く。


「柴野、友達?」


早川が聞いてくる。友達なんかじゃない、と言いたいが喉が閉まってうまく声が出せない。


「そーそー。芹くんとは中3の時に同じクラスで仲良かったんだよねぇ」


そう言って、飯山は俺に手を伸ばす。なにをされるのか予想もできないその手が、また“あの時”の記憶を掘り起こす。

嫌だ、と拒否できればよかったかもしれない。たが、その選択肢も眼中に入れることができないほどに恐怖に支配される感覚に陥る。

そんな俺の感覚など、わかるわけもない飯山の手が俺に触れそうになったその時。

横から伸びてきたその手が飯山の手を掴んだ。


「悪いけど、俺ら今から用事あるから。行こ、柴野」


高峰は冷たい視線を飯山に送った。
さっきは前にいた矢沢と早川は、いつのまにか俺と飯山の間に立っていた。
高峰は俺の手を引いてズカズカと歩いて行く。

少し歩いて船着場まできたところで、立ち止まる。


「ここまできたら大丈夫か」


高峰のその言葉にホッとしてハァーっと息を吐いて座り込む。
飯山とあってからこわばっていた体の力が抜けていく。


「柴野、具合悪い?」


高峰が座り込んだ俺と目線を合わせる。心配そうな高峰の顔が俺を覗き込んだ。


「いや、大丈夫。ちょっと疲れただけ」


俺はそういって立ち上がる。こんなところで止まっていたら、楽しめるものも楽しめなくなってしまう。


「あっ、船来たよ」


矢沢が指差したのは、10人ほどが乗れる木造の船だ。屋根がついており、そこから赤い提灯がぶら下がっている。船の先頭には、笠をかぶった男の人が立っている。

俺たちの他に客は3人ほどしかいなかったので、前から4列ある船の3列しか埋まらず、座席にも余裕があった。1番前の列に俺と高峰、2列目に矢沢と早川、3列目に他のお客さんが座る。

全員が座ると船がゆっくりと動き出した。青々とした木々の間を通って行く。森林浴をしているようだ。

隣を見ると、その視線に気がついた高峰がフッと顔を緩めた。


「どした?」
「なんでもない……」


顔を背けながら考える。
そんな顔、俺なんかに向けていいのだろうか。
俺なんかが、隣にいていいのだろうか。

答えはNOだ。わかってる。

俺の問題に、巻き込んではいけないのに。
振り回してはいけないのに。

高峰の優しさに甘えている自分が嫌だ。
この温かさに安心を求めてしまう自分が嫌だ。

事情も聞かずに、何度も俺を助けてくれる。
高峰だけじゃない。矢沢も早川もだ。

そんな3人だからこそ、もうこれ以上迷惑はかけたくない。

グッと拳に力を入れた。手のひらに爪がめり込んで痛かった。