それから、神社や寺を周り、あっという間に旅館に着いた。
旅館に着くとすぐに、夕飯の時間になる。
美味しそうな旅館の食事も思うように喉を通らない。
俺の頭は“アイツ”のことでいっぱいだった。
気にしない、今日いたのはたまたまだ、もう会うことなんてない。そう自分に言い聞かせば言い聞かせるほど、“アイツ”に頭の中を蝕まれる。
怖い、という感情が頭の中で膨らんでいく。
「柴野、もう食べないの?」
隣に座っていた高峰が俺の顔をのぞき込む。ホテルの夕飯は、円形のテーブルに班ごとに座るようになっている。
俺の正面に座っている早川も、心配そうな表情で俺を見る。
「あ……うん。昼のお弁当、いっぱい食べたから。あんまりお腹空いてなくて……」
食欲がない、というのは嘘ではない。ただ、その理由はお弁当ではない。
「食べ終わった班から、退出してくれ!この後8時から1組から順番に大浴場に入るように。時間厳守だそ!」
青木先生が、号令を出す。ポツポツと他の班の人たちが夕飯会場から出ていく。
「俺たちも出ようか」
早川の言葉に頷き、席を立つ。高峰はまだ心配そうに俺の顔をのぞく。
「具合悪い?」
「いや、全然平気。ほんと、なにもないから気にしないで」
俺は無理やり笑顔を作る。これは俺の問題だ。高峰たちに心配かけるわけにはいかない。
すると、高峰はスッと手を伸ばし、俺の額にあてた。
「熱はないみたいだけど、ちょっとおかしいなって思ったら早めに言いな」
高峰の言葉に頷く。ごめん、高峰。無駄な心配かけて。
ーーーー
着替えを持って部屋を出て、大浴場に向かう。着替えは体操服だ。体操服で寝る決まりのようだ。
脱衣所に着くと、服を脱ぐ。
高峰たちがなにか話しているようだったが、それも気にならないほど俺の頭は“アイツ”に支配されている。
先に入っておこうと、大浴場に入る。
あまり人がいないシャワーのところに座り、頭と体を洗う。どれだけ洗ってもあの記憶は流されてはくれないようだ。
広い大浴場を歩き、一番端の浴槽に入る。大浴場は、俺たち修学旅行生以外にも、一般のお客さんもいて、かなり混み合っている。
肩まで湯に浸かり、なんとなく天井を見上げる。天井には和風の絵が描かれている。
じっとその絵を眺めていると、だんだんと頭が回らなくなってきた。
体も温まり、少しずつ、“アイツ”の記憶が薄れていく。
いや、正確に言えば、薄れていったのではなく、考えられなくなっている。
今はその方がいい。そう思った時。
俺の体を誰かが引き上げた。
「柴野!おい、大丈夫か!?」
引き上げられた体はまるで鉛のように重い。自分では支えきれなくてふらついた俺を、しっかりと支えてくれる。
「柴野、聞こえてる?」
「高峰……」
「のぼせてる、早く外に連れて行こう」
俺の顔をのぞきこんだ早川が言った。
あぁ、俺のぼせてたのか……
そうぼやっと考えている俺を、矢沢と高峰が支えて歩き出す。
「柴ちゃん、大丈夫?風呂から出たら、冷たい飲み物飲もうね」
矢沢が俺の頭をポンと撫でる。
俺が小さい声で「ごめん…」とつぶやくと、矢沢は「いーよ」と笑う。
大浴場から出て、体を拭いて、服を着る。頭はまだ濡れているが、頭を拭くほどの体力は残っていなかった。
「柴野、おいで」
高峰が近くにあった椅子を叩く。座れ、ということらしい。俺は大人しくそこに座った。
首にかけてあったタオルを取り、高峰が俺の頭を拭いてくれた。
「ありがと」
「まだ終わってないよ」
俺が礼を言うと次は、ドライヤーのある洗面台の方に手を引かれた。
高峰がブォーっと髪の毛を乾かしてくれる。そういえばこの前にもこんなことあったなぁ、と俺が低気圧で体調を崩していた時のことを思い出す。
高峰のノーセット姿を見るのは2回目だが、それでも様になる。
「はい、終わり」
高峰はドライヤーを机に置き、俺の肩をポンと叩いた。
「早川と矢沢が外で待ってるって。行こ」
「うん、ありがと」
高峰が俺の手を取って歩き出す。俺は大人しくそれに着いていく。
暖簾をくぐると、早川と矢沢が待ち構えていた。通路の真ん中にあるベンチに座っていた。
「柴野ここ、座りな」
早川がベンチの空いているスペースをポンポンと叩く。
俺がそこに座ると、首筋にひんやりとした感覚が広がった。
「はい、柴ちゃん。まだ開けてないから安心して」
どうやら矢沢がペットボトルの水を首に当ててくれたようだ。熱った体にちょうどいい冷たさだ。
「ありがとう、矢沢」
そういうと矢沢は「いーよー」と笑う。ペットボトルを受け取り、一気に喉に流し込む。キンキンに冷えた水が体の中をまわった。
一息つくと、高峰が真剣な表情で俺を見る。
「ところで柴野。なんで1人で風呂入っていったの?神社の時から、様子変だったし」
「あ、えっと……考え事してて」
歯切れの悪い返事をした俺に、早川がたたみかける。
「あのまま俺たちが気づいてなかったら、だいぶ危なかったよ」
「……ごめんなさい」
正論すぎてぐうの音も出ない。しゅんとなっている俺を高峰が撫でた。
「考え事ってなに?俺らには相談できない?」
そう聞かれて黙り込む。
これは俺の問題だ。それに、“アイツ”が今日なにかしてきた訳でもない。俺の考えすぎだ。
こんなことに、高峰たちを巻き込みたくない。
そう思っているのに、“アイツ”を思い出すと、恐怖で体が震えて涙が出そうになる。
俺は膝に置いてあった手に力をこめた。
「ごめん。ただの俺の考えすぎだから。気にしないで」
こみあげそうな涙をグッと堪えて、二ヘラと笑って見せた。もうこれ以上、迷惑をかけたくない。
そんな俺を高峰がギュッと抱きしめた。いつもよりも強い気がする。
「わかった。柴野が言いたくないなら無理に聞かない。でも、そんな顔しないで。無理に笑わなくていいから」
耳元で発された高峰の言葉に、今まで抑えていた涙が溢れてきた。やっぱり、高峰に隠し事は通用しないようだ。
「ごめん、高峰、おれ……」
「なにも言わなくていいよ。大丈夫だから」
高峰はそう言って、俺の頭を撫でた。その優しさに引き出されるように、涙が出て止まらない。嗚咽を含んだ泣き声を殺すように、高峰の胸に頭を押し付ける。
涙が枯れるまで、高峰は頭を撫で続けてくれた。
涙がおさまり、顔を上げると、高峰がニコッと微笑んだ。
「もう大丈夫?」
「うん。ごめん……ありがとう」
「謝んなくていーよ。そろそろ部屋戻ろ」
俺は頷くと、周りを見る。そう言えばここ通路のど真ん中だ。
そんなところで号泣してたのか、俺。
だんだんと恥ずかしくなってきた。
「柴ちゃん、落ち着いた?」
矢沢が俺の前に立っていた。その隣を見ると早川が立っている。どうやら、俺の姿が周りに見えないように、立って隠してくれていたらしい。
矢沢の呼びかけに頷いて立ち上がる。
「ありがとう、矢沢。早川も」
「全然大丈夫だよ」
2人はニコッと微笑む。今更ながら、こんなイケメンと共に行動していることが信じられないな。
溜めていた涙を出し切ったせいか、気持ちは幾分か軽くなっていた。
ーーーー
4人で部屋に戻ると、歯磨きしておいで、と早川に言われ、洗面台に向かう。
早川はすっかり俺の母親のようだ。
歯磨きを終え、居間に戻ると、布団がひかれていた。頭を突き合わせるように2つずつ並べてある。
その1つに高峰が座って、俺を手招きする。その隣の布団に座った。
矢沢は高峰の向かい側に寝転がってスマホをいじっている。
俺は荷物を整理していた早川に言う。
「早川、布団ひいてくれてありがとう」
「ちょっと柴ちゃん。俺か高峰がやった可能性は?」
「え、矢沢がひいてくれたの?」
「いや早川だけど」
結局早川だった。そのやりとりが面白くて俺はつい笑ってしまった。久しぶりに笑った気がする。
みんなの歯磨きが終わり、布団に入ると矢沢が口を開いた。
「第1回、質問コーナー!」
ドンドンパフパフーと矢沢が盛り上げる。状況をよくわかっていない俺はとりあえず拍手をしておいた。
高峰と早川は呆れた顔をしている。
「質問コーナーって、俺たち質問することあるか?」
「なに言ってんの高峰。俺たち柴ちゃんのことあんまり知らないよ?柴ちゃんも俺らのこと意外に知らないんじゃない?」
「……たしかに」
たしかにそうだ。仲良くなって2ヶ月、俺はあまり高峰たちのことを知らない。
「ってことで、柴ちゃんって彼女いるの?」
「えっ?」
急にそんな話題になってビックリする。高峰がいつになく真剣な眼差しで見てくる。
「いや、いないけど……」
逆にいると思ったのだろうか。俺は首を振って否定する。
「んじゃ、元カノは?」
「いないよ……俺の恋愛聞いてもつまんないよ。付き合ってた人もいないし、今も付き合ってる人いないし」
自分で言って虚しくなってきた。こんな顔のいい人たちには信じられないよな。
「逆にみんなは?彼女とかいないの?」
俺が聞くと、みんなが首を横に振った。今はみんなフリーらしい。
「元カノは?」
「高峰は1年の秋まで彼女いたよ。矢沢もそれくらいまで彼女いたよね」
「あぁ……」
「まぁな……」
俺の問いに答えた早川に、高峰と矢沢は歯切れの悪そうに頷く。2人の雰囲気がどんよりし始めたことから、あまりいい思い出ではないのだろうな。
「高峰の彼女はストーカー気質で、矢沢の彼女は束縛激しかったんだよね」
それ以上掘り返さないであげてくれ、2人の顔がどんどん暗くなっている。
「じゃあ早川は?」
俺がそう聞くと、早川はニコニコしてなにも答えなくなった。
「無駄だよ柴ちゃん。早川、昔も今も彼女いたことないし」
「え?そうなの?」
「昔からずっと、同じ人のことが好きなんだってさ。それが誰かって聞いても、教えてくんないの」
初耳だ。早川の顔をみるが、さっきからなに一つ表情を変えない。
「教えてくれたっていいじゃんね。俺ら幼馴染だよ?」
「えっ、幼馴染なの?」
「そうだよ、あれ言ってなかったっけ?高峰と早川と俺は幼稚園からの幼馴染」
衝撃の事実だ。だから、こんなに仲が良かったのか。たしか、始業式の日から一緒に行動してた気がする。
「じゃあ、早川は幼稚園の頃からずっと好きな人がいるってこと?」
「そうらしいよ。一途だよなー」
そういって矢沢は早川の頭をわしゃっと撫でた。
「早く告っちゃえばいいのに」
「……それができたら苦労してない」
矢沢の言葉にムッと顔を顰めた早川の顔は少しだけ赤くなっていた。
「いつまでもそんなことしてたら、好きな人に逃げられるよ、きょーちゃん」
「その呼び方やめろ、千秋」
いつもは苗字呼びの矢沢と早川が名前で言い合ってる。本当に幼馴染なんだなぁ、としみじみ感じる。
言い合いしている2人を横目に、俺は高峰に聞く。
「早川の好きな人って、俺の知ってる人?」
「そうだよ」
高峰は早川が好きな人が誰か知っているようだ。
……俺もわかったかもしれない。早川が好きな人。
「わかった?」
高峰は頬杖をつきニヤッと笑う。俺は小さく頷いた。
「あいつらだけだよ。気づいてないの」
高峰が小声で俺に教えてくれた。矢沢は気づいているのか、いないのかわからないラインだ。
でも、少し羨ましい。誰かを好きになって、好きになられて。俺には一生交わらないものかもしれない。
「ところで、柴野は好きな人いないの?」
「え、いないけど……」
高峰が急に聞いてきたため、少し慌てる。俺が答えると、高峰がハァーッと大きく息をつく。
「柴野、俺もっと頑張るわ」
「え?うん。頑張って……?」
困惑しながらとりあえず応援する。なにを頑張るのだろうか。部活?
「ってことで、おいで。柴野」
「っ、うわっ!?」
高峰はそういって自分の布団に俺を引き摺り込んだ。
ってことで、って何か繋がりあった?
体に高峰の腕がまわってギュッと抱きしめられる。俺の顔を高峰がうかがう。
「どう?」
「どうって、なにが?」
「俺にぎゅってされたら、どう思う?」
どう思う、って言われてもなぁ。俺は高峰の胸に顔を埋める。高峰の体温が直に伝わってくる。それが、今日の疲れを解かしていってくれているみたいだ。
やばい、あったかくて寝そう……
「柴野?」
「んー……高峰にぎゅってされたら……あんしんする」
「…そっか」
高峰は俺の髪の毛をサラッと撫でた。
限界を迎えていたまぶたが、ゆっくりと閉じていった。
旅館に着くとすぐに、夕飯の時間になる。
美味しそうな旅館の食事も思うように喉を通らない。
俺の頭は“アイツ”のことでいっぱいだった。
気にしない、今日いたのはたまたまだ、もう会うことなんてない。そう自分に言い聞かせば言い聞かせるほど、“アイツ”に頭の中を蝕まれる。
怖い、という感情が頭の中で膨らんでいく。
「柴野、もう食べないの?」
隣に座っていた高峰が俺の顔をのぞき込む。ホテルの夕飯は、円形のテーブルに班ごとに座るようになっている。
俺の正面に座っている早川も、心配そうな表情で俺を見る。
「あ……うん。昼のお弁当、いっぱい食べたから。あんまりお腹空いてなくて……」
食欲がない、というのは嘘ではない。ただ、その理由はお弁当ではない。
「食べ終わった班から、退出してくれ!この後8時から1組から順番に大浴場に入るように。時間厳守だそ!」
青木先生が、号令を出す。ポツポツと他の班の人たちが夕飯会場から出ていく。
「俺たちも出ようか」
早川の言葉に頷き、席を立つ。高峰はまだ心配そうに俺の顔をのぞく。
「具合悪い?」
「いや、全然平気。ほんと、なにもないから気にしないで」
俺は無理やり笑顔を作る。これは俺の問題だ。高峰たちに心配かけるわけにはいかない。
すると、高峰はスッと手を伸ばし、俺の額にあてた。
「熱はないみたいだけど、ちょっとおかしいなって思ったら早めに言いな」
高峰の言葉に頷く。ごめん、高峰。無駄な心配かけて。
ーーーー
着替えを持って部屋を出て、大浴場に向かう。着替えは体操服だ。体操服で寝る決まりのようだ。
脱衣所に着くと、服を脱ぐ。
高峰たちがなにか話しているようだったが、それも気にならないほど俺の頭は“アイツ”に支配されている。
先に入っておこうと、大浴場に入る。
あまり人がいないシャワーのところに座り、頭と体を洗う。どれだけ洗ってもあの記憶は流されてはくれないようだ。
広い大浴場を歩き、一番端の浴槽に入る。大浴場は、俺たち修学旅行生以外にも、一般のお客さんもいて、かなり混み合っている。
肩まで湯に浸かり、なんとなく天井を見上げる。天井には和風の絵が描かれている。
じっとその絵を眺めていると、だんだんと頭が回らなくなってきた。
体も温まり、少しずつ、“アイツ”の記憶が薄れていく。
いや、正確に言えば、薄れていったのではなく、考えられなくなっている。
今はその方がいい。そう思った時。
俺の体を誰かが引き上げた。
「柴野!おい、大丈夫か!?」
引き上げられた体はまるで鉛のように重い。自分では支えきれなくてふらついた俺を、しっかりと支えてくれる。
「柴野、聞こえてる?」
「高峰……」
「のぼせてる、早く外に連れて行こう」
俺の顔をのぞきこんだ早川が言った。
あぁ、俺のぼせてたのか……
そうぼやっと考えている俺を、矢沢と高峰が支えて歩き出す。
「柴ちゃん、大丈夫?風呂から出たら、冷たい飲み物飲もうね」
矢沢が俺の頭をポンと撫でる。
俺が小さい声で「ごめん…」とつぶやくと、矢沢は「いーよ」と笑う。
大浴場から出て、体を拭いて、服を着る。頭はまだ濡れているが、頭を拭くほどの体力は残っていなかった。
「柴野、おいで」
高峰が近くにあった椅子を叩く。座れ、ということらしい。俺は大人しくそこに座った。
首にかけてあったタオルを取り、高峰が俺の頭を拭いてくれた。
「ありがと」
「まだ終わってないよ」
俺が礼を言うと次は、ドライヤーのある洗面台の方に手を引かれた。
高峰がブォーっと髪の毛を乾かしてくれる。そういえばこの前にもこんなことあったなぁ、と俺が低気圧で体調を崩していた時のことを思い出す。
高峰のノーセット姿を見るのは2回目だが、それでも様になる。
「はい、終わり」
高峰はドライヤーを机に置き、俺の肩をポンと叩いた。
「早川と矢沢が外で待ってるって。行こ」
「うん、ありがと」
高峰が俺の手を取って歩き出す。俺は大人しくそれに着いていく。
暖簾をくぐると、早川と矢沢が待ち構えていた。通路の真ん中にあるベンチに座っていた。
「柴野ここ、座りな」
早川がベンチの空いているスペースをポンポンと叩く。
俺がそこに座ると、首筋にひんやりとした感覚が広がった。
「はい、柴ちゃん。まだ開けてないから安心して」
どうやら矢沢がペットボトルの水を首に当ててくれたようだ。熱った体にちょうどいい冷たさだ。
「ありがとう、矢沢」
そういうと矢沢は「いーよー」と笑う。ペットボトルを受け取り、一気に喉に流し込む。キンキンに冷えた水が体の中をまわった。
一息つくと、高峰が真剣な表情で俺を見る。
「ところで柴野。なんで1人で風呂入っていったの?神社の時から、様子変だったし」
「あ、えっと……考え事してて」
歯切れの悪い返事をした俺に、早川がたたみかける。
「あのまま俺たちが気づいてなかったら、だいぶ危なかったよ」
「……ごめんなさい」
正論すぎてぐうの音も出ない。しゅんとなっている俺を高峰が撫でた。
「考え事ってなに?俺らには相談できない?」
そう聞かれて黙り込む。
これは俺の問題だ。それに、“アイツ”が今日なにかしてきた訳でもない。俺の考えすぎだ。
こんなことに、高峰たちを巻き込みたくない。
そう思っているのに、“アイツ”を思い出すと、恐怖で体が震えて涙が出そうになる。
俺は膝に置いてあった手に力をこめた。
「ごめん。ただの俺の考えすぎだから。気にしないで」
こみあげそうな涙をグッと堪えて、二ヘラと笑って見せた。もうこれ以上、迷惑をかけたくない。
そんな俺を高峰がギュッと抱きしめた。いつもよりも強い気がする。
「わかった。柴野が言いたくないなら無理に聞かない。でも、そんな顔しないで。無理に笑わなくていいから」
耳元で発された高峰の言葉に、今まで抑えていた涙が溢れてきた。やっぱり、高峰に隠し事は通用しないようだ。
「ごめん、高峰、おれ……」
「なにも言わなくていいよ。大丈夫だから」
高峰はそう言って、俺の頭を撫でた。その優しさに引き出されるように、涙が出て止まらない。嗚咽を含んだ泣き声を殺すように、高峰の胸に頭を押し付ける。
涙が枯れるまで、高峰は頭を撫で続けてくれた。
涙がおさまり、顔を上げると、高峰がニコッと微笑んだ。
「もう大丈夫?」
「うん。ごめん……ありがとう」
「謝んなくていーよ。そろそろ部屋戻ろ」
俺は頷くと、周りを見る。そう言えばここ通路のど真ん中だ。
そんなところで号泣してたのか、俺。
だんだんと恥ずかしくなってきた。
「柴ちゃん、落ち着いた?」
矢沢が俺の前に立っていた。その隣を見ると早川が立っている。どうやら、俺の姿が周りに見えないように、立って隠してくれていたらしい。
矢沢の呼びかけに頷いて立ち上がる。
「ありがとう、矢沢。早川も」
「全然大丈夫だよ」
2人はニコッと微笑む。今更ながら、こんなイケメンと共に行動していることが信じられないな。
溜めていた涙を出し切ったせいか、気持ちは幾分か軽くなっていた。
ーーーー
4人で部屋に戻ると、歯磨きしておいで、と早川に言われ、洗面台に向かう。
早川はすっかり俺の母親のようだ。
歯磨きを終え、居間に戻ると、布団がひかれていた。頭を突き合わせるように2つずつ並べてある。
その1つに高峰が座って、俺を手招きする。その隣の布団に座った。
矢沢は高峰の向かい側に寝転がってスマホをいじっている。
俺は荷物を整理していた早川に言う。
「早川、布団ひいてくれてありがとう」
「ちょっと柴ちゃん。俺か高峰がやった可能性は?」
「え、矢沢がひいてくれたの?」
「いや早川だけど」
結局早川だった。そのやりとりが面白くて俺はつい笑ってしまった。久しぶりに笑った気がする。
みんなの歯磨きが終わり、布団に入ると矢沢が口を開いた。
「第1回、質問コーナー!」
ドンドンパフパフーと矢沢が盛り上げる。状況をよくわかっていない俺はとりあえず拍手をしておいた。
高峰と早川は呆れた顔をしている。
「質問コーナーって、俺たち質問することあるか?」
「なに言ってんの高峰。俺たち柴ちゃんのことあんまり知らないよ?柴ちゃんも俺らのこと意外に知らないんじゃない?」
「……たしかに」
たしかにそうだ。仲良くなって2ヶ月、俺はあまり高峰たちのことを知らない。
「ってことで、柴ちゃんって彼女いるの?」
「えっ?」
急にそんな話題になってビックリする。高峰がいつになく真剣な眼差しで見てくる。
「いや、いないけど……」
逆にいると思ったのだろうか。俺は首を振って否定する。
「んじゃ、元カノは?」
「いないよ……俺の恋愛聞いてもつまんないよ。付き合ってた人もいないし、今も付き合ってる人いないし」
自分で言って虚しくなってきた。こんな顔のいい人たちには信じられないよな。
「逆にみんなは?彼女とかいないの?」
俺が聞くと、みんなが首を横に振った。今はみんなフリーらしい。
「元カノは?」
「高峰は1年の秋まで彼女いたよ。矢沢もそれくらいまで彼女いたよね」
「あぁ……」
「まぁな……」
俺の問いに答えた早川に、高峰と矢沢は歯切れの悪そうに頷く。2人の雰囲気がどんよりし始めたことから、あまりいい思い出ではないのだろうな。
「高峰の彼女はストーカー気質で、矢沢の彼女は束縛激しかったんだよね」
それ以上掘り返さないであげてくれ、2人の顔がどんどん暗くなっている。
「じゃあ早川は?」
俺がそう聞くと、早川はニコニコしてなにも答えなくなった。
「無駄だよ柴ちゃん。早川、昔も今も彼女いたことないし」
「え?そうなの?」
「昔からずっと、同じ人のことが好きなんだってさ。それが誰かって聞いても、教えてくんないの」
初耳だ。早川の顔をみるが、さっきからなに一つ表情を変えない。
「教えてくれたっていいじゃんね。俺ら幼馴染だよ?」
「えっ、幼馴染なの?」
「そうだよ、あれ言ってなかったっけ?高峰と早川と俺は幼稚園からの幼馴染」
衝撃の事実だ。だから、こんなに仲が良かったのか。たしか、始業式の日から一緒に行動してた気がする。
「じゃあ、早川は幼稚園の頃からずっと好きな人がいるってこと?」
「そうらしいよ。一途だよなー」
そういって矢沢は早川の頭をわしゃっと撫でた。
「早く告っちゃえばいいのに」
「……それができたら苦労してない」
矢沢の言葉にムッと顔を顰めた早川の顔は少しだけ赤くなっていた。
「いつまでもそんなことしてたら、好きな人に逃げられるよ、きょーちゃん」
「その呼び方やめろ、千秋」
いつもは苗字呼びの矢沢と早川が名前で言い合ってる。本当に幼馴染なんだなぁ、としみじみ感じる。
言い合いしている2人を横目に、俺は高峰に聞く。
「早川の好きな人って、俺の知ってる人?」
「そうだよ」
高峰は早川が好きな人が誰か知っているようだ。
……俺もわかったかもしれない。早川が好きな人。
「わかった?」
高峰は頬杖をつきニヤッと笑う。俺は小さく頷いた。
「あいつらだけだよ。気づいてないの」
高峰が小声で俺に教えてくれた。矢沢は気づいているのか、いないのかわからないラインだ。
でも、少し羨ましい。誰かを好きになって、好きになられて。俺には一生交わらないものかもしれない。
「ところで、柴野は好きな人いないの?」
「え、いないけど……」
高峰が急に聞いてきたため、少し慌てる。俺が答えると、高峰がハァーッと大きく息をつく。
「柴野、俺もっと頑張るわ」
「え?うん。頑張って……?」
困惑しながらとりあえず応援する。なにを頑張るのだろうか。部活?
「ってことで、おいで。柴野」
「っ、うわっ!?」
高峰はそういって自分の布団に俺を引き摺り込んだ。
ってことで、って何か繋がりあった?
体に高峰の腕がまわってギュッと抱きしめられる。俺の顔を高峰がうかがう。
「どう?」
「どうって、なにが?」
「俺にぎゅってされたら、どう思う?」
どう思う、って言われてもなぁ。俺は高峰の胸に顔を埋める。高峰の体温が直に伝わってくる。それが、今日の疲れを解かしていってくれているみたいだ。
やばい、あったかくて寝そう……
「柴野?」
「んー……高峰にぎゅってされたら……あんしんする」
「…そっか」
高峰は俺の髪の毛をサラッと撫でた。
限界を迎えていたまぶたが、ゆっくりと閉じていった。


