バスが来ると、早川と矢沢と別れた。そこからは高峰が俺の家まで快適に連れて帰ってくれた。


「柴野、部屋どこ?」
「……2階の真ん中」
「おけ」


高峰に半ば抱えられるような感じで部屋に入った。


「一旦着替えたほうがいいよな。柴野、1人で着替えれる?」


できれば自分1人で着替えたいのだが、なかなか体が思うように動かない。


「……たかみね、甘えてもいい?」


矢沢に「甘えなよ」と言われたことを思い出す。


「え……あぁ、うん、いいよ」
「じゃあ着替えさせてほしい……」


高峰は驚いたような表情を見せたが、すぐに頷いた。

ぷちぷちとシャツのボタンを外す音がする。全部のボタンを外し終わると、高峰が口を開く。


「柴野、脱げる?」
「ん……」


俺はそれに従う。シャツが脱げると高峰は着替えのTシャツを俺に被せた。Tシャツに腕を通すと、上半身の着替えは終わりだ。

次に、高峰は俺のベルトに手をかける。ベルトは比較的簡単な構造のため、すぐに外れた。ズボンのチャックをジーッと下におろした時だった。

ピロリロリン。
と高峰の携帯が鳴る。高峰は電話をとると、スピーカーにした。


「どした早川、なんか用?」
『柴野大丈夫だったかな、って。ちゃんと家着いた?』
「うん。今柴野の部屋にいるよ」
『よかった。今なにしてんの?』


俺はそこで耐えられなくなって高峰に言う。


「……たかみね。この状態恥ずかしいから、早く脱がせて……」
「あ、ごめん柴野」


そう言って高峰は俺のズボンを下から引っ張る。


「ま、まって……パンツ脱げる……」
『ちょっと高峰?お前マジなにしてんの?』


その会話を聞いていた早川が電話の中で慌てている。


『まさか、病人に手出してる?そうだったらマジで友達辞める』
「いや違うって!今柴野の着替えを手伝ってんの!!」
『本当に?信じられないから柴野に代わって』
「なんで信じられないんだよ!」


高峰が隣で頭を抱えている。どうしたんだろう。
首を傾げている俺に対して電話の中の早川が話しかけてくる。


『柴野ー?大丈夫ー?襲われたりしてない?』
「……うん。大丈夫だよ、早川。……今日はいろいろありがと……」
『全然、いつでも頼っていいから。高峰に襲われた時は俺が山に捨てにいってあげるから、すぐに言ってね』
「……ん?うん、わかった」


頭痛のせいで頭がなかなか回らなくて、何を言ってたのか理解しきれないが、とりあえず早川はいいやつだ。


「はい、脱げたよ」


高峰がズボンを脱がしてくれたので、半ズボンに着替えた。


「ありがと……」
「ん。じゃあもう寝ときな」


高峰は俺の頭を撫でた。高峰に撫でられると妙に安心する。高峰に支えられながら、ベットに入る。


「柴野、なんか食えそう?おかゆとか」
「うん……たべれる」
「じゃあ作るわ、勝手にキッチン触ってもいい?」
「いい……」


そう答え終わると、今までかろうじて開けていたまぶたが閉じた。



ーーーー



いい匂いがして思わず目を覚ます。さっきよりも大分頭がすっきりしている。


「あ、柴野起きた?」


高峰が小さい鍋のようなものを持ってきた。


「はい、熱いから気をつけて」


そういって小さいテーブルの上に置く。


「ありがとう、高峰」
「体調は?大丈夫?」
「おかげで大分回復した。あんまり頭まわんないけど」
「そっか」


高峰からスプーンを受け取って、おかゆを口に運んだ。
たまごがゆだ。ふわふわとした卵にやさしい味付けがとても美味しい。

そう思うと、なぜか涙がポロポロ出てきた。


「どしたの柴野。不味かった?気持ち悪い?食べなくていいよ」


高峰が慌てて俺からスプーンを取ろうとする。俺は首をブンブンと振った。


「いや、違くて……俺、親が2人とも出張で家空けること多くて。今までこういう風に弱ってるときに優しくしてもらえることなかったから……」


高峰も早川も矢沢も、俺のこと気遣って優しくしてくれる。それは俺にとって初めての感覚に近い。

親に迷惑かけないように、どんだけ辛くても苦しくても、1人で耐えないといけないんだと思っていたから。

涙が止まらない俺を高峰は優しく抱きしめた。高峰の匂いがして、すごく安心する。


「柴野はもっと人に頼っていいから」


高峰はそういって微笑んで、俺の頭を撫でた。俺は涙を隠すように高峰の体に頭をぐりぐりと押し付けた。

俺の涙が収まると、高峰はパッと離れた。まだ離れてほしくなかった、というのは内緒だ。


「1人で食えそう?」
「うん」
「じゃあ俺そろそろ帰るな」
「うん、ありがとう」


……まだ帰ってほしくないなぁ。
ふとそんな考えがよぎり、部屋を出ようとする高峰の服をくいと引っ張った。
高峰はパッと動きを止めて俺を見る。


「柴野?どした?」
「あの……」


口ごもる俺の顔を高峰がのぞき込む。
こんなこと言ったら引かれるだろうか。


「今日は一緒にいてほしい……って言ったら引く?」


おそるおそる高峰を見つめる。高峰は驚いたような顔をしている。困らせてしまったみたいだ。


「ごめん、困るよな。忘れ……」
「いいよ」
「え?」
「俺も柴野と一緒にいたいし」


高峰がニコッと笑う。その笑顔は反則だと思う。俺が女子だったら何十回も恋に落ちてるだろう。


「ありがとう……」
「うん。おかゆ食ったら風呂入れる?」
「大丈夫」
「柴野の家に泊まるってことでいい?」
「うん。そうしてくれると嬉しい」


俺が頷くと、高峰が頭を撫でる。今日はやけに高峰が撫でてくるけど、撫でやすい頭でもしてるのか?

俺が風呂から出ると、ドライヤーをもった高峰が待ち構えていた。


「自分でできるよ」
「だめ。今日は俺が全部する。はい、座って」


ソファーに座らされ後ろから高峰が乾かしてくれる。
誰かがいるって、こんなに安心するんだ。

部屋に戻り、俺がベットに入ると、高峰はどこかに電話し始めた。

その声を聞きながら俺は眠りについた。



ーーーー



雨は止むことなく、むしろさらに激しく降り続けていた。おかげで引いてきていた頭痛も、その痛みを取り戻していた。

頭痛で目を覚ますと、高峰がちょうど部屋から出ようとしていた。


「たかみね……」
「柴野、俺ちょっと……」


ドアに手をかけた高峰に俺は慌てて抱きつく。ふらついた俺を高峰が支えた。


「やだ……たかみね…いかないで」
「柴野?大丈夫だから」
「いやだ……ひとりにしないで……」
「落ち着いて、柴野」
「かえらないで……きょういてくれるっていった」


俺は高峰に縋り付く。頭が全くと言っていいほど回っていなかったので、高峰をとめることだけに必死だった。


「やだ……いかないで」


ギュっと抱きついた俺を高峰が抱きしめた。
ポロポロと涙を流し始めた俺に、高峰が言う。


「大丈夫。どこにも行かないから」


ポンポンと俺の背中をさすりゆっくりと座る。俺が高峰の太もものところに座り、対面で抱きついているような体勢になる。

高峰の肩に顔を埋めた俺の頭を、高峰が撫でた。


「柴野、大丈夫?またキツくなった?」
「ん……」
「ごめん、不安にさせて」
「ん……」


そうしていると、高峰の電話が鳴り始めた。
「出ていい?」と聞かれたので頷く。誰と話しているのかは聞き取れない。俺はずっと高峰の肩に顔を埋めていた。そんな俺の頭を高峰は優しく撫で続けてくれた。

電話が切れた後、少しすると誰かが部屋に入ってきた。


「え?これどういう状況?」


俺の顔をのぞき込んでいたのは早川だった。後ろには矢沢も立っている。


「はやかわ……やざわ……」
「どしたの柴ちゃん、なんでこうなったの?」
「たかみねが……おれのこと……おいていった」
「おい何してんだよ高峰」
「いや違うって!俺お前らに荷物もらいに行こうと……」
「言い訳すんな」


矢沢と高峰が言い合いを始める。できれば静かにしてほしい。


「2人とも、柴野の頭に響くからやめてあげて」


早川の一言で2人は言い合いをやめる。ありがとう早川。


「柴野、高峰はここに置いていくから。変なことされたりしたらすぐに俺か矢沢に言うんだよ。わかった?」


早川の言葉に頷く。高峰が「俺のこと信用しろよ」と小声で呟いている。

2人が部屋から出ていくと、高峰が俺の頭にポンと手を置く。


「風呂借りていい?」
「ん」
「じゃあ立てる?」


そう言えば、さっきからずっと同じ体勢だった。俺が立たないと、高峰は動けない。俺は高峰の手を借りて立ち上がる。

ベットに入ると、自然にまぶたが落ちた。



ーーーー



「柴野?」


高峰の声で目が覚める。髪が目の当たりまでかかって、いつもより長く見える。髪の毛が少し濡れていたのでお風呂から出たのだろう。


「ごめん、起こした。俺リビングのソファで寝ていい?」
「……なんで」
「他に寝れるとこなさそうだし」
「おれといっしょにねよ」
「……は?」


俺はそう言って高峰をベットの中に引き摺り込む。高峰の体温を感じる。


「ちょ、柴野」
「いやだった……?」
「いやじゃないけど……」


高峰の体から俺の家の匂いがして変な感じだ。


「たかみね、おれと同じにおいだ」


俺は高峰の胸に顔を埋めた。高峰は手を顔にあてて大きく息を吐く。


「柴野」
「なに?」
「お前もうちょっと警戒心持った方がいいよ」
「ん……あるよ、けいかいしん」
「嘘つけ」
「うそじゃない……たかみねは……やさしいし…あんしんする」
「たかみねは、て、だしてこないし……」
「……高峰“は”ってなに?柴野?」


なぜか急に慌てだした高峰の呼びかけに反応することなく、俺は眠っていた。



ーーーー



ピリリリリリリ。
スマホのアラームを止めようと手だけであたりを探る。
見つけると画面の適当なところをタップして止めた。
アラームが鳴ったということは朝の6時頃だ。

寝返りをうとうとすると、誰かに触れた。


「高峰?」


なぜか俺のベットで高峰が寝ている。
そういえば、俺が無理言って泊まってもらったんだっけ。
高峰はすうすうと息を立てて眠っている。
寝ている顔も相変わらずイケメンだな。


「高峰、起きて」


俺は高峰の体を揺さぶる。「んー」と眉間に皺を寄せる高峰の顔はレアだ。


「……あ、柴野。おはよ……今日って何曜日?」
「土曜日。休みだよ」
「うわ……部活あるわ……サボろ」
「え、いいの?」
「……1日くらい平気」

高峰はゆっくり起き上がって俺の頭を撫でた。本当に部活は行かなくて良いのだろうか。


「もう体調大丈夫?」
「バッチリ。なんならいつもよりいいよ。ほんとにありがとう」
「それはよかった」


高峰はフッと微笑むと、一変して真剣な表情になった。


「……柴野、昨日言ったこと覚えてる?」
「昨日?」
「高峰“は”、手出さないってやつ。……もしかしてさ、今までで誰かに手出されたことある?」


そう聞かれた瞬間、“アイツ”の顔が目に浮かぶ。


「…………いや、ないよ。ごめん、俺昨日頭回ってなくてさ。変なこと言ったかも」
「そっか。ならいいんだけど……」


まだ、言えない。いや、言う必要もない。もう会うことなんてないから。

頭を振って“アイツ”の顔を振り払うと、俺は高峰の胸に頭をぐりぐりと押し付けた。