(早川視点)
勉強会の日から数日。
目覚ましが部屋に鳴り響き目を覚ます。
顔を洗い、ダイニングへ向かうと既に朝ごはんが出来ていた。


「あ、恭弥おはよう。朝ごはん出来てるから早く食べちゃって」


母親の言葉に頷き席についた。
朝ごはんを食べ始めると、妹たちが起きてきた。
柚乃と紫乃。中学一年生の双子の妹だ。


「お兄ちゃんおはよー」
「おはよ」


俺に挨拶をすると、席について朝ごはんを食べ始める。
柚乃は朝に強いが、紫乃は弱い。
パクパクと食べ進める柚乃と、今にも寝そうな紫乃は本当に双子なのかと疑いたくなる。
そんな2人を眺めていると、柚乃がパッとこっちを向いた。


「あ!お兄ちゃん!今日友達来るから、早く帰ってきてね!」
「え?なんで?」
「きょう兄イケメンだから、みんな会いたいんだって」


紫乃がぽつりと呟いた。「私たちの友達なのに」と勝手に嫉妬されているのに苦笑しながらも、「わかったよ」と頷く。
残っていた朝ごはんをかきこんだ。

支度をして家を出る。
勉強会の日から、矢沢とは少し気まずくて、一緒に登校することもなくなっていた。
今日も1人か、と思っていると後ろからトンと肩を叩かれた。
振り返ると、高峰がヒラッと手を振った。


「はよ」
「おはよ」


短い挨拶を交わし、隣に並んで歩き出す。


「早川がこの時間珍しいな。いつももうちょっと早いだろ?」
「まあ」


俺たちは家が近いので、矢沢と鉢合わせないよう、時間をずらしている。


「高峰もこの時間珍しくない?いつももっと遅かったでしょ」


俺がそう聞くと、高峰はニッと笑った。


「今日柴野が俺ん家泊まりにくるんだよ。だから緊張して寝れなかった」


ここぞとばかりに惚気てきた。「そうなんだ」と軽く受け流す。


「で、なにがあった?」
「は?」


急に聞かれて戸惑う。なにがってなにがだよ。


「とぼけんなよ、矢沢となんかあったんだろ?」


鋭い視線で貫かれる。俺は言葉に詰まった。


「最近一緒に登校してないし、教室でもあんまり話してないから。なんかあったとしか思えない」
「……まあ」


曖昧に返事をしてはぐらかす。そんな俺を見て、高峰はため息をついた。


「お前らのことだから、多分変に拗れてんだろうなぁ」


ぽつりと吐かれた高峰の言葉は、冷え込んできたこの時期の空へ消えて行った。



ーーーー



「ねね、聞いた?」
「え、なになに」
「矢沢くん、また隣のクラスの子と復縁するらしいよ」
「え!?隣のクラスの子って、矢沢くんの元カノ!?」
「昨日校舎裏で2人が話してるとこ見たって人がいたんだって!」


女子が騒いでいる声が耳に入った。
遂に、か。
グッと唇を噛み締める。
矢沢がどうしようが矢沢の勝手だ。ただの幼馴染の俺にはそれについて何か言う権利はない。

関係ない、けど。
どうしても、俺の心はその事実を受け入れてはくれないようだった。
ぽっかりと、心に穴が空いたような感じがする。

気づいていた。
幼馴染という関係が不安定になってきているってことに。
キスの日から、なんとなく矢沢を避けるようになって、俺たちを繋ぐ、たった一つの頼み綱だった幼馴染という関係も、千切れてきていることに。

ここで終わって仕舞えばもう、幼馴染にすら戻れなくなってしまう気がする。もう、隣にいられなくなる気がする。

でも、もうそれでいいのかもしれない。
このままやるせない心のモヤモヤを宿したまま過ごすくらいなら、もう、それで。



ーーーー



放課後。
1人で靴箱を出ると、校門のあたりがやけに騒がしかった。
なにかあったんだろうか。そう考えていると、1人の女子が俺に駆け寄ってきた。


「早川くん!他の学校の人が早川くんのこと呼んでるよ」
「他の学校?」
「うん、駅でよくみる学校の男子」
「男子?」


他の学校の女子なら何回か告白されたことはあるが、男子から呼ばれるのは初めてだ。
校門の方に目を向けると、こちらに気づいて手を振った。


「おーい、早川くーん!」


この声は。


「飯山?」
「覚えててくれたんだぁ」


飯山は修学旅行の時とひとつも変わっていない不気味な笑みを浮かべた。

「なにしにきた」と言いたいのだが、人が集まってきている。目立つのは避けたい。
そして何より、こいつに柴野を会わせたくない。
もう柴野の怯えた顔は見たくない。


「ちょっと場所変えるよ」


飯山の腕を掴んで歩き出す。
飯山はニヤニヤと笑うだけで、何も言ってこない。

少し歩くと、人目の少ない路地についた。


「………思ってたんだけどさ、君も危機感ないよねぇ」
「は?」
「いや、なんでもないよ」


本当に何考えているかわからない。
俺は一息つくと、飯山を見据えた。


「何しにきた。まさかまた柴野に手を出すつもり?」
「いや、もうそんなことはしないよー。君たちに何されるかわかんないしねぇ」


飯山はヒラヒラと手を振った。
俺は顔をしかめて聞く。


「じゃあ何しに……」
「早川くんに相手してもらおうと思って」
「は?」


下半身に頭が付いているのだろうか。そうとしか思えない。


「忘れたの?修学旅行の時に言ったでしょ?」
「お前の相手なんかしない」
「一回くらい良いでしょ〜」
「嫌だ」


なかなか食い下がらない。このままいっても埒が開かないので、飯山の言葉を無視して帰ろうとする。と。

ダンッ


「いっ……!」


背中に鋭い衝撃が走る。一瞬何が起きたのかわからなかったが、どうやら飯山に壁に押し付けられたようだ。
俺の足の間に自分の足を入れる。手首を掴まれて上に上げられる。


「はなせっ」
「やだよ。せっかくのチャンスなんだから」


グイッと顔を近づけてくる。手が掴まれているので突き飛ばすことも出来ない。


「……早川くんさぁ。こんな人気の少ないところに連れ込むって、もう“襲ってください”って言ってるようなもんだよ?」
「はぁ?」
「分からないか〜。まあ、そりゃそうか。いつもあの子がいたもんね」


飯山は大きくため息をついた。


「あの子?」
「木刀の子だよ。修学旅行の時、早川くんと一緒にいた子」


矢沢のことか。今は1番考えたくないのに。


「早川くん、あの子のこと好きなんでしょ?」


驚いて飯山を見ると、ニヤッと笑った。


「……なんで?」
「見てたらわかるよ〜。早川くん分かりやすいからねぇ」


グッと耳に顔を近づけられる。


「もう抱いてもらった?」


抱く、という言葉にブワッと顔が赤くなる。
そんな俺をみて、飯山はフッと笑う。


「まだなんだねぇ〜。かわいぃ」
「うるさい。矢沢とは……そんなんじゃないし」
「あれ、そうなの?」


なぜか飯山はキョトンとしていた。
そんなに意外だっただろうか。


「じゃあオレが抱いてあげるよ」
「やだ。やめろ」


なんでそこでじゃあ、になるんだよ。
飯山は俺の制止も聞かず、首筋に顔を近づけた。


「……っ!」


ペロッと舐められて、くすぐったい、とはまた違うビリビリとした感覚が身体中に広がる。


「感度いいねぇ」


思い切り突き飛ばしてやりたいのだが、まだ手首を掴まれたままで動くことができない。


「離せ、ばか!」


そう言うことしかできなかった。
飯山は聞く耳を持たず、俺の首筋を舐め続ける。
あまり感じたことのないビリビリとした感覚に体が強張る。
飯山はそんな俺を見て、卑しい笑みを浮かべた。
と、同時に俺の首筋に唇をつけた。


「いっ……!?」


そのまま吸われ、ピリッとした痛みが広がる。
飯山は俺の首筋から顔を離すと、ニッと笑った。


「早川くん、肌白いから目立つね〜、キスマーク」


俺につけたキスマークをトンと触る。


「あの子が見たらどう思うだろうねぇ」


あの子、というのは矢沢のことだ。
俺はグッと唇を噛み締める。


「……どうも思わないよ。俺が誰と何するかなんて俺の勝手だ」


俺たちはただの幼馴染だから。
いや、その幼馴染という関係すらも消えかかっているから。

もう、忘れたい。

矢沢のことも、この淡い恋心すらも、忘れたい。


のに。


「早川!!」


グイッと引っ張られたかと思うと、抱きしめられる。
久しぶりに矢沢とこんなに近づけた気がする。


「お前、修学旅行の時の……!」
「あ、木刀の子だ〜。久しぶりだね〜」
「黙れクソ野郎」


矢沢は飯山にそう乱暴に吐き捨てて「大丈夫?」と俺を見る。

なんでお前はいつもこう、俺の心を掻き乱すんだよ。

諦めようにも、諦められないだろ。ばか。


「何された?体調悪いとか気分悪いとかない?」


真っ直ぐなその目から逃げるように顔を背けた。

なんで、なんでまだ………

お前は俺を離そうとしないんだ。


「…………なんで」
「俺たちは……幼馴染、だから」


矢沢のその言葉に、グッと唇を噛み締めた。

やっぱり、矢沢にとって俺はただの幼馴染で。
それ以上にも、以下にもなれない。

でも、

でも、俺は……


「俺は……もう、幼馴染は嫌なんだ」


忘れてしまおうとすら思った恋心は、消えるどころかどんどん膨れ上がっていた。


もっと一緒にいたい。
俺のものだと、胸を張って言いたい。
1番近くで、その温もりを感じていたい。


どうしようもないほど、好きなんだよ。


だからもう、幼馴染じゃ嫌だと伝えるんだ。


たとえ、この関係が、終わったとしても。


ごめん、矢沢。
お前の望んだ関係には、もう戻れそうにない。

俺はその場から逃げるように走った。