船を降りると矢沢が口を開いた。


「そろそろお土産買おうぜー」
「確かに、そろそろ買ったほうがいいかもね」


早川も頷いて歩き出す。俺と高峰もそれに続いた。

4人でお土産を売ってる店に入る。
その土地限定のお菓子やキーボルダー、グッズなど色々なものが置いてあった。
俺は親が2人ともよくいろいろなところを飛び回っていて、たまに帰ってきた時にお土産をこれでもかとくれるので別に買わなくていいかな、と思う。

暇だし、トイレでも行こうかな。
そう思い立って、トイレを探す。が、店の中はないみたいだ。店員さんに聞くと、店を出て少し歩いたところにあるらしい。高峰に「トイレ行ってくる」と伝えて店を出る。

店員さんに教えてもらったところは少し入り組んでいて、道も細い。薄暗くて、人も少なかった。

少し不気味に感じた俺は、サッサと用を終わらせてトイレの外に出た。

また細くて暗い路地を通らないといけないのか。そんなことを考えていた矢先。


「芹くん?」


腹の底が震える。薄暗くて顔はあまり見えない。が、確認しなくてもわかる。
“アイツ”……飯山だと。


「やっぱり、芹くんだぁ。オレずっと待ってたんだよ〜」
「待つってなにを……?」


やっとの思いで声をしぼり出す。
動けない俺に、一歩、また一歩と飯山が近づいてくる。


「もちろん、芹くんが1人になるのを」


あっけらかんとしながらも、どこか含みのある声を飯山は発した。


「ずっとあの人たちが一緒にいたでしょ〜?芹くんのこと全然1人にしないんだもん。オレは気づいてたよ、神社の時から」


神社の時。もう気づかれていたのか。
飯山の目は一切笑っていない。鋭い目つきが俺を貫く。いつのまにか、壁側に追いやられていた。


「オレは今までずっと芹くんのこと考えてたよ」
「……“あの時”からずっと、こうしたかった」


手が伸びてくる。
嫌だと、分かっているのに。
頭では危険信号がこれでもかというほど流れているのに。
体が思うように動かない。

伸びてきたその手は、服の中にいとも簡単に入ってくる。


「ひっ……や、めっ」


かろうじて漏れ出た声も飯山には届かない。
手は腹のあたりを弄ったかと思うと、ゆっくりと上がってくる。体の中から震えるようないやらしい手だった。


「や、やだっ……やめ、ろ」


飯山は俺の制止を聞かない。押しのけたいのに、体に力が入らない。
飯山の呼吸が荒くなっていく。


「芹くん、芹くん、芹くん」
「はなせ……っ、いいやま!」


大声を出したと同時に力が入る。思いっきり飯山の体を押した。

が、びくともしない。

その時、俺は本能で感じ取る。


“こいつからは、逃げられない。”


そう思った途端、体に力が入らなくなった。
頭の中が真っ白になる。

唯一浮かんだのは、高峰の顔だった。
ポケットにはスマホが入っている。

連絡できれば……いや、だめだ。迷惑はかけられない。

いつのまにか、シャツの前のボタンが全て外されていた。
俺はただ呆然と、それを見つめることしかできない。


「あれ、芹くん泣いてるの?かわいぃ」


飯山はそうして厭わしい笑みを浮かべて俺を見る。
知らないうちに目から溢れ出ていた涙が、頬を伝っていくのを感じた。


「そんな反応されるとさぁ、もっと酷いことしたくなる」


俺の胸の辺りを弄って、首筋のあたりに顔を近づけた。


“噛まれる”


そう感じて思わず目を閉じた。
が、感じるはずの痛みはどこにもなかった。

目を開けると、飯山が視界にはいない。

なんでだろう。放心状態で立ち尽くす。


「……の!しばの!柴野!」


自分の名前が呼ばれているのだと、数秒後に気づいた俺はその声の主の名前を呼ぶ。


「……高峰?」


俺が呼ぶと、高峰の顔がフニャとゆがんだ。
その後すぐに引き寄せられ、抱きしめられる。


「ごめん、1人にして。もう大丈夫だから」


その温かさに、ようやく状況が理解できるようになった。

また、高峰たちが助けてくれたのだと。


「たかみね……ごめん、おれっ、めいわく……」
「迷惑なんかじゃないって。ほんと、ごめん」


なんで、高峰が謝るんだよ。
なんで、まだ俺のことを助けてくれるんだよ。
なんで、そんなに優しいんだよ。

聞きたいことはたくさんあるのに、溢れ出る涙と嗚咽に阻まれて出てこない。


「おれ、こわく、て……だれにもいえな、くて」


文脈もクソもない俺の話を高峰は頷いて聞いてくれた。



ーーーー



飯山とは、中学3年のときの同級生だった。
友達を作るのが苦手な俺にとって、話しかけてくれる飯山という存在はとても大きいものだった。
飯山は、誰とでも仲良くできて、先生からも信頼されている。そんな飯山に、俺は微かに尊敬の念を抱いていた。
朝あいさつをして、昼は昼ごはんを一緒に食べて、放課後は一緒に帰る。たまに寄り道なんかする。
普通の生活を過ごしていた。そういう普通の関係が、俺にはすごく心地良かった。

ある時、飯山に呼び出された。確か冬だった。お昼ご飯を食べた後だったから、昼休みだ。

人気のない体育倉庫。運動場から少し離れたところにある、用事がない限り滅多に使わない場所だ。

「先生にここの片付けを頼まれたから一緒にして欲しい」と飯山に言われ、俺は疑うことなくそれを承諾した。

体育倉庫に入ると、俺を迎える飯山は、いつもと幾分か雰囲気が違っていた。

後ろ手で倉庫の扉を閉め、俺の肩を押した。バランスを崩した俺に飯山は覆い被さる。


「芹くん。オレ芹くんのこと大好きなんだよ」
「だからさ、いいよね?」


突然のことで状況を理解できていない俺の服を、飯山は脱がしていく。


「飯山、なにして……」
「ずっと我慢してた。ずっと、こうしたいって思ってた」


俺の話は飯山の耳に入っていない。
どう言い換えればいいかわからないような、恐怖に苛まれる。
飯山の手が、俺の胸に触れる。肩がピクンと跳ねた。


「やめ、ろっ、飯山!」


飯山を押し退けようとしたその手を飯山は掴んだ。


「芹くん。そんなことしていいの?この部屋には何台もカメラを仕掛けておいた。もし芹くんが、今オレから逃げようとしたら、この映像みんなにばら撒こうかなぁ。芹くんはこんな姿、みんなに見られたくないよねぇ」

「それに、今オレを押し退けたとして、オレがケガをしたとしたら?芹くんにやられたとオレが言ったら?芹くんとオレ、みんなはどっちを信じるかなぁ」


飯山は俺の腰の上に跨り、もう逃げる道はないと示すように笑った。

そこからの話は、あまりよく覚えていない。

嫌になるほど体を触られたことと、運良くチャイムが鳴り、事に至ることはなかったということだけが記憶に残っている。



ーーーー



場所を変え、落ち着いて話せるところでその話を全部高峰に伝えた。


「ごめん、今まで黙ってて……」
「ううん。そういうのって、話しづらいだろ。話してくれてありがと」


頭を下げた俺を高峰が優しく撫でた。


「柴野は1人でよく頑張ったよ。でも、俺とか早川とか、矢沢にもっと頼って欲しい」
「頼っても、いいの?」
「うん。いいよ」
「迷惑じゃない?」
「迷惑じゃない。むしろ嬉しいから。だから……」


そういって高峰は俺をグッと引き寄せる。


「1人で我慢しようとしないで。柴野は、他人に頼るのとか甘えるのとか、苦手かもしれないけど。それでも、俺には甘えてよ」


いつもの高峰よりもか細い声。まるで、何かに縋っているようだ。


「……なんで、そんなに俺のこと」
「柴野のこと、大切だから」


真剣な眼差しで俺を見つめる。その目に貫かれて動けない。
高峰は俺を抱きしめている手をグッと強めた。


「柴野が帰ってくるの遅いなって思って、見に行ってみたらあんなことなっててビビった。ほんと、心臓に悪い」


高峰がハァーッと息をついて俺の肩に乗せた頭をサラッと撫でた。高峰は今日ワックスをつけてないから、触り放題だな。と思う。


「そういえば、矢沢と早川は?……飯山も」


俺を助けにきてくれたときに、確かに高峰の後ろにいたはずだ。


「あのクソ野郎のことは俺が蹴り飛ばした。後は2人に任せたからわからん。柴野は気にしなくていいよ」


そう言って高峰は微笑んだ。飯山がいつのまにか視界にきなかったのは高峰が蹴り飛ばしたからだったのか。現役サッカー部の蹴りをくらったのは、ご愁傷様としか言いようがない。

少しすると、矢沢と早川が俺たちのもとへ走ってきた。


「柴ちゃん!」
「柴野!」
「大丈夫だった?いや、大丈夫じゃなかったよな……とにかく!」


矢沢がわかりやすくテンパっている。その姿がおかしくてつい笑ってしまう。


「もう平気だよ。2人ともありがと」


俺がそう言うと、2人は表情を崩して笑い、俺の頭を撫でた。


「柴ちゃん。困ってることがあったら、ちゃんとお兄ちゃんに言いなよ?すぐ駆けつけるから」
「お母さんにも言いなさい」


矢沢と早川に口々に言われた。矢沢は昨日からたまに自分のことを「お兄ちゃん」というが、早川が自分のことを「お母さん」というのは初めてだ。いつのまにか、兄と母親ができてしまったようだ。


「矢沢、その木刀は?」


俺は矢沢が手に持っている木刀を指差す。2人が来た時からずっと気になっていた。


「お土産屋で買ったー。ちょうど使い道ができてよかったよ」


その使い道がなんなのかは聞かない事にした。矢沢の目が怖かったから。


「そろそろ戻らないといけない時間だね」


早川が時計を見て言う。もうそんな時間だったのか。


「ごめんみんな。俺のせいで全然楽しめなかった」


大半の時間を俺の問題に使わせてしまった。申し訳なさでいっぱいになる。


「なにいってんの柴ちゃん。柴ちゃんのせいじゃないでしょ。今日だって楽しかったよ。それにまだ明日もあるんだし」


矢沢がニコッと笑う。矢沢は人を元気づける才能があると思う。


「行こ、柴野」


高峰に差し出された手に、俺は手を重ねた。