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「……それでさゆりお姉さまに見つかり、口封じのために殺したの?」
 なるべく冷静でいようと思っているけれど、声に怒りが隠せていない。筒見さんはキッパリと答えた。
「いいえ、私じゃない」
「復讐のためにお姉さまを殺したんでしょう!」
「違う!」
 私が怒鳴ると筒見さんも怒鳴り返す。
「確かに私はさゆりに復讐したいと思っていた。でも殺してない!」
 ゴミ箱から見つけたのは、筒見流奈に関する素行調査書とDNA鑑定の結果書だった。筒見流奈と白雪正邦が親子であるという証明と、彼女の生い立ちがしっかりと書かれていた。そして本人もその事実を認めた。
 筒見さんはさゆりお姉さまの異母妹になり、お姉さまへの復讐の機会を狙っていたのだ。
「酷いです! 流奈さんが、さゆりさんを……っ」
 佳乃子さまも非難の視線を筒見さんに向けた。筒見さんは顔を真っ赤にした。
「だから違うって言ってるでしょう! 確かに私はさゆりの部屋に行った。でもその時には既に死んでいたの!」
 部屋はシンと静まり返る。
「それ、本当なの?」
 私は筒見さんを見つめる。彼女は頷いた。
「本当よ。私が部屋に行った時、わずかにドアが開いていた。迷ったけど、さゆりを心配するフリをして中に入った。その時にはもう倒れていたの」
「どうしてそれを先に言わなかったの?」
「言ったら私が疑われるじゃない! 今みたいに!」
 筒見さんはキッと睨む。
「倒れているのを見て、人を呼ばなかったのは何故?」
 私が睨み返すと、筒見さんは言い淀む。
「それ、は……」
「やっぱりあなたが殺したんじゃないの?」
「違う! 最初は死んでるなんて思わなかったのよ! 気絶しているのかと思って近づいたら息をしてなかった。怖くなって逃げ出した。悪い!?」
「死んでると思わなかった? この状況を見てどうして死んでいると思わなかったの?」
「っ……」
「筒見さん! 答えて!」
「…………ったから」
 筒見さんは呟く。
「私が見た時、血なんてなかった……。遺体は綺麗だったの。だから私、寝てるのか気絶してるのかと思って近づいた。そしたら、息をしてなくて……」
 筒見さんの顔は青ざめていた。
「やっぱり……」
 私は呟く。「え?」と筒見さんが顔を上げた。
「何となくそうじゃないかと思っていた。恐らくお姉さまの死因は絞殺。首を絞められた後に腹を切られた」
 全員が目を見開き、息を呑むのがわかった。私は続ける。
「刺殺だったらナイフを持って突き刺すのが普通でしょ。でもこの切り傷は違う、腹を裂いて切り開いたような切り口よ。ねぇ筒見さん、あなたが本当に見たものを話して」
「……ふふっ」
 この場に相応しくない笑い声が聞こえた。
「本当にそれを話してもいいの?」
 筒見さんは私に向かって嘲笑する。
「愛するさゆりお姉さまの本当の姿、あなたが信じられるのかしら?」
「いいから答えて!」
 私は声を荒げた。筒見さんは「ふふっ」と短く笑った後、大声で言った。
「さゆりの腹がね、大きく膨らんでいたの。妊娠してたのよ!」
 私は思わず目を瞑った。瞼の裏には礼拝堂で見つけたあの赤ん坊の姿が映る。
「信じられる!? 完璧な聖女が裏で男と子どもをつくっていたなんて! 膨らんだ腹を見た時、思わず笑い出しそうになった。これで白雪を貶められるってね!」
 筒見さんは高らかに笑う。
「雛森さんが事件の捜査をすると言い出した時、好都合だと思った。警察が介入する前に自分の手で証拠を押さえたかったから。だからあなたには感謝してるわ」
 パァン! 突然部屋に乾いた音が響いた。目を開けると、笠吹さまが筒見さんの頬にビンタをしていた。
「恥を知りなさい」
 笠吹さまの声は震え、目は真っ赤だった。
「最低よ、流奈」
 叩かれた頬に手を当て、筒見さんは短く笑う。
「軽蔑しました? こんなのが妹で」
「……っ」
 笠吹さまは拳を握りしめていた。唇を震わせて俯いていたが、やがて顔を上げて筒見さんを真っ直ぐ見つめる。その目に涙などなかった。
「流奈、私の目を見て答えなさい。あなたはさゆりさんを殺したの?」
「殺していません」
 筒見さんも真っ直ぐ笠吹さまを見て答えた。
「……そう、わかった」
 笠吹さまは目を伏せた。
「流奈がやってないと言うのなら信じるわ」
「蘭華お姉さま、何故ですか? どうしてこんな私を信じてくれるんです?」
「私はあなたの姉だもの」
 笠吹さまはきっぱりと言い切った。
「流奈がそんなに苦しんでいたことには気づけなかったけど、嘘をついてないことくらいはわかるわ」
「お姉さま……」
 筒見さんの目は赤かった。私は小さく息を吐いた。腹を括るしかないと思った。
「……皆さん、少し待っていてください」
 黒薔薇姉妹はお互いに押し黙っていた。佳乃子さまは信じられないと言わんばかりに頻りに首を横に振り、姫宮さまは呆然と俯いていた。この状況で真実を突きつけるのは、私としてもしんどい。
 だがそうも言っていられないので一人現場を離れる。自室に戻ると、ベッドの上でその子はすやすやと眠っていた。起こさないようにゆっくりと抱き上げる。改めて顔をよく見たけれど、生まれたばかりで似ているのかよくわからなかった。
「お待たせしました」
 私が戻ってくると、全員「えっ」と声を漏らす。ヒッと悲鳴にも似た声をあげて口を押さえる佳乃子さま、赤ん坊を凝視して固まる姫宮さま、「どうして?」という声が漏れ出る笠吹さま。
「まさか、雛森さん知っていたの?」
 流石の筒見さんも眉間に皺が寄っていた。
「この子は猫探しをしている際、礼拝堂のマリア像の下で見つけました。驚きましたがとりあえず自室で寝かせることにして、その直後に悲鳴を聞いたんです」
「どういうこと?」
 姫宮さまが困惑しながら訊ねる。
「流奈が見つけた時にはまだお腹が膨らんでいて、その後に透が礼拝堂で赤ちゃんを見つけて……?」
「つまり、絞殺した後に腹を切って赤ちゃんを取り出したのでしょう」
「そ、んな……」
 姫宮さまはゆらりとよろめく。
「じゃあ、私が部屋から出た後に犯人が再び現れて腹を切って赤ん坊を取り出したってこと?」
 筒見さんがいう。
「そういうことでしょうね」
「待ってください、それではその子は、さゆりさんの子どもということですか……?」
 震えながら佳乃子さまが訊ねる。私は苦々しく頷いた。
「……恐らくは」
「そんな……」
「佳乃子!」
 後ろによろめいて倒れそうになった佳乃子さまを姫宮さまが支える。
 私もこのまま気を失ってしまいたかった。もしかして、という予感はあったが本当にさゆりお姉さまが妊娠していたなんて信じたくなかった。さゆりお姉さまには恋人がいた。その相手との子どもを身籠ったから、どんなに言っても会ってくださらなかったのだ。
 認めたくない、だけどこれは紛れもない事実だ。真相を知るためには受け入れて進むしかない。私は大きく深呼吸してから、赤ん坊をさゆりお姉さまのベッドに寝かせる。母親のベッドだからなのか、先程よりも寝顔が穏やかになったように見えた。
「笠吹さま」
 私はくるりと振り返って呼びかける。
「質問してもよろしいでしょうか」
「な、何?」
「この部屋で凶器を探してくださっていましたよね」
「ええ……それらしいものはなかったけど」
「何故凶器が首を絞めたものだとわかったのですか?」
 笠吹さまは黙って青い瞳を見開く。
「この遺体を見た時、まず疑う凶器はナイフなどの刃物のはずです。でもあなたは首を絞められるものはない、と言った」
「……」
「あの時あなたは遺体に近づこうとしなかった。よく見なければ首を絞められた痕があることにも気づけない。でもあなたは死因が絞殺だと知っていた。何故ですか?」
「み、見えたのよ。首元にある傷が。私、結構目はいいの」
 笠吹さまの目は明らかに泳いでいる。
「では、今日はどうしてバッジをしていないのですか?」
「え?」
「いつも胸元にしている薔薇のバッジです」
「あっ!」
 どうやら自分でも気づいていなかったらしい。彼女の胸元にはいつも黒薔薇寮長の証である金色のバッジが光っている。なのに今はバッジをしていない。
「付け忘れたのかしら……」
「おかしいですね。あなたは誰より薔薇のバッジに誇りを持っていたはずです。先代寮長から受け継いだバッジを大事にされていたことはリリス生なら皆知っています」
 代々受け継がれるバッジはかなり古いものになるため、錆びていたりメッキが剝がれてしまっていたりする。だが笠吹さまのバッジは常にピカピカの金色だった。これがどういうことなのか、説明されずともすぐにわかる。
「バッジを付けられない理由があったのではないですか?」
「……」
 笠吹さまは黙り込む。
「お姉さま……?」
 筒見さんが呟いた。じっと姉の顔を見つめていた。
「もう一つ、赤ん坊は腹から取り出された。つまりは帝王切開です。当然ですが医学知識が必要となり、素人ではまずできないと思います。しかし犯人は見事にやってのけました」
 私は赤ん坊を包んでいるカーテンとバスタオルを少しめくる。
「へその緒も切って結んであります。これができるということは、犯人には多少なりとも医学知識があるということになります」
 この中で医学知識があると思われる人物が一人だけいる。その者の実家は医療事業を中心に行い、大きな病院をいくつも経営している。そして本人も医学部への進学が決まっている。
「笠吹蘭華さん、あなたがさゆりお姉さまを殺害して赤ん坊を取り出したのではないですか?」
 名指しすると、笠吹さまの瞳孔は開いており微かに震えていた。
「お姉さまが……?」
 先ほどまでは狂気じみた笑みを浮かべていた筒見さんだが、今は姉のことを信じられないとばかりに見つめている。
「本当に、お姉さまなのですか……?」
「蘭華……」
 姫宮さまも呟く。
「蘭華さん、あなたが……?」
 顔を青くした佳乃子さまが震えながら訊ねる。
「っ、ころしてない……」
 笠吹さまは震える声で呟く。
「確かに赤ちゃんを取り上げたのは私……でもそれだけ。私は殺してない」
「赤ちゃんを取り出したことは認めるんですね」
 頷く笠吹さまに対し、筒見さんが訊ねる。
「お姉さまは……赤ちゃんを助けたかったんですよね。医者を志す者としてそのままにはしておけなかったんでしょう?」
「そんなに綺麗なものじゃないわ」
 笠吹さまは首を横に振る。
「確かにそれもある、今ならまだ赤ちゃんを助けられると思った。でもそんなに純粋な気持ちじゃない――私は欲しかったの」
「欲しかった?」
 笠吹さまはゆっくりとベッドに近づき、すやすやと眠る新生児の頭を優しく撫でる。その表情は慈しみに溢れていたが、どこか恍惚としているようにも感じられた。
「そう、愛した人の産んだ子どもが欲しかったのよ」