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リネン室からシーツを持ってきてお姉さまの遺体と血が飛び散ったカーペット全体を覆い隠すように被せた。所謂現場保存というやつだ。本格的な捜査は警察が行うことになるだろうし、なるべく荒らさないようにしなければ。こんなことをしている時点で父にも兄にも大目玉を食らうことになるだろうが。
私たちは一旦談話室に移動して話し合うことにした。佳乃子さまが気を利かせて紅茶を淹れてきてくださったが、優雅なティータイムという雰囲気ではない。とは言えさっきから喉がカラカラだったので有難くいただこうとしたのだが、筒見さんがこんなことを言い出す。
「毒が盛られていたりしてね」
その言葉に思わず私もカップから口を離す。すると佳乃子さまが心外だと言わんばかりに顔を真っ赤にする。
「そんなこといたしませんっ!」
「冗談です。もし毒殺だったらそんなこともあり得るのかと思っただけです」
「流奈、笑えない冗談はやめなさい」
「失礼いたしました」
「妹が無礼でごめんなさい」
笠吹さまが頭を下げる。その姿に恐縮したのか、やや興奮気味だった佳乃子さまが慌てて制する。
「や、やめてください、蘭華さん。そんな、気にしてませんから。こんな状況ですし……」
「ありがとう。紅茶は有難くいただくわ。そうでしょう、流奈?」
「はい、すみませんでした」
気高くプライドの塊の笠吹さまだが、間違ったことを正して導く姿は正にリリスの寮長の鑑そのものだ。姉である笠吹さまには弱いのか、筒見さんはしおらしくなって紅茶を飲んでいた。
確かに無礼だが彼女の言うことは一理ある。毒ではないにせよ、睡眠薬を飲まされたという可能性は? さゆりお姉さまを眠らせて無抵抗にさせた上で殺害――大いにあり得るのではないだろうか。
とはいえこの紅茶に毒も睡眠薬も入っておらず、美味しいダージリンティーだった。
「そういえば佳乃子さん、リボンはどうしたの?」
言われて佳乃子さまの胸元を見ると、確かにセーラー服のリボンがなかった。リリスの制服は白いセーラーのワンピースで、胸元には細めの白いリボンを結ぶ。全身純白のセーラーワンピースは清楚なリリス生の証である。
特にリボンはきっちり結び、曲がっていてはいけない。リボンがよれていたり曲がっていると上級生に𠮟られる。美しくリボンを結ぶことはリリス生の一つのステータスでもあるのだ。佳乃子さまはリリス生の中でも特に美しくリボンを結ばれると評判だった。
「あ……着替えた時にし忘れてしまったみたいです。眠る時に制服を脱いだので」
「そう。あなたが珍しいじゃない」
「寝ぼけていたのかもしれないですね」
そう言って佳乃子さまは苦笑した。少し空気が穏やかなものになったところで、私は話を再開する。
「少し状況を整理したいと思います」
全員の意識が集中したのを確かめてから、立ち上がってホワイトボードを持ってきた。
・13時半〜課外授業(全校生徒外出)
・姫宮:14時半さゆりを訪ねる(不在)〜自室
・笠吹:自室〜15時頃外出
・乙木:14時半保健室〜自室
・筒見:自室〜15時前後図書館
・雛森:学院周辺〜15時過ぎ礼拝堂
・16時頃遺体発見
書き出してみたものの、全員アリバイがないことが逆に空白の時間を多く作っている。それ故に決め手がない。
「あまりに空白の時間が多すぎるね」
「全員アリバイはなしということだものね」
姫宮さまと笠吹さまが揃って唸る。
「ただ、一つだけ言えることがあります。お姉さまは十三時半から十四時半頃までの間、誰かと会っていた」
私の言葉に全員が驚き、一斉に視線をこちらに向ける。私は部屋にティーカップが二つあったことから、誰かと会っていた可能性があることを説明した。ティーカップはお姉さまのお気に入りであり、大切な人と会う時に使われていたということも。
「要するにこの中の五人は誰でも可能性があるし、嘘をついている人物がいるということになりますね」
しばらくの間沈黙が続いたが、重い口を開いたのは笠吹さまだった。
「……外部の人間という可能性はないの?」
「外部の人間?」
「さゆりさんのメイドだって外部の人間でしょう? 彼女が使ったカップだという可能性だってあるわ」
「確かにそれもありますが、メイドとお気に入りのカップでお茶するでしょうか」
「それは……そうだけど」
現実的ではないと自分でもわかっていたのか、それ以降は何も言わなかった。
「外部犯の可能性がゼロではないと思いますが、可能性は低いと思います。リリスのセキュリティの厳しさは皆さんもご存知でしょうから」
リリスに通う生徒は皆名家の令嬢ばかりであるため、そのセキュリティは非常に厳重なものとなっている。生徒手帳はカードキーにもなっており、これがなければ寮には入れない。外部の者が出入りするには身分証明書を提示した上でかなり厳しいチェックに合格する必要がある。学院専属の守衛もいるため外部の人間が易々と入れるような場所ではない。
「もう一度お姉さまの部屋を捜査してみます」
私は紅茶を飲み干して立ち上がった。
「皆さんはここで待っていてください」
「待って」
筒見さんも立ち上がる。
「私も行く。一人で行動するのは危険じゃないの」
「そうね。一緒に来てもらえると助かる」
「みんなで行った方がいいんじゃないかな」
二人で出て行こうとする私たちを更に姫宮さまが引き留めた。
「何かあった時に全員で固まっていた方がいいと思うのだけど。蘭華と佳乃子はどう思う?」
「……そうね。私たちも行きましょう」
「はい」
「わかりました。では全員で現場に戻りましょう」
こうして私たちは再度現場であるさゆりお姉さまの自室に戻ることになった。
*
再度戻ってきたお姉さまの自室は先ほどと変わらない。かけたシーツもそのままになっており、特に動かされた形跡もない。万が一誰かに見られる可能性も考えていたが、やはりここにいるのは私たちだけのようだ。あまり現場を荒らさないように気をつけながら、部屋の中を再度見て回る。
「ねぇ雛森さん、写真を撮ってもいい?」
筒見さんがスマホを取り出しながら訊ねる。
「なんていうか、現場保存? 一応記録しておこうと思うのだけど」
「だったら私がやる」
「いや、私が撮るよ。お姉さまのこんな姿、つらいでしょう?」
「いえ、これは私がやらなければならないことだから。シーツ、めくってもらってもいいかな」
「……わかった」
筒見さんがシーツをめくってくれたので、私は自分のスマホで写真を撮る。角度を変えて何枚か撮影した。画面越しでも生々しい惨状がありありと映し出されている。
「ありがとう、上手く撮れたと思う」
「そう、良かった」
そう言って筒見さんはめくっていたシーツを元に戻した。その様子を見ながら考える、もしも彼女が犯人だとしたら一体動機は何なのだろう?
正直全員動機が明確にあるわけではない。日頃からさゆりお姉さまをライバル視していた笠吹さまが一番動機を持っていそうなくらいで、他二人も動機らしいものがあるとは思えない。
だがこの中で一番お姉さまとの接点が希薄な筒見さんは最も動機が想像しにくい。リリスの幹部として関わることはあったけれど、個人的な交友はなかったはずだ。二人が直接会話しているところもほとんど見たことがない。
そもそも筒見さんは常に笠吹さまの隣にいるイメージしかない。同じ学年だが寮は違うし同じクラスになったこともないので、実のところ彼女のことは知らないことが多い。
「……あれ、」
何気なく筒見さんの横顔を見ていたら気づいたことがあった。筒見さんの耳の形がさゆりお姉さまの耳の形と似ている。さゆりお姉さまは耳の形すらも綺麗で縦に長い三日月型だ。小振りで耳朶は薄くてかわいらしい耳をしている。それと同じような形をしているのだ。
偶然だろうか? 耳の形なんてなかなか似るものではないと思うけれど。
「……あ」
余所見をしていて近くにあったゴミ箱を倒してしまった。中には丸められた紙が入っていたらしく、床に散らばってしまう。私はしゃがみ込んで紙屑をゴミ箱の中に戻そうとして、一瞬見えた文字に手を止める。
「調査書……?」
調査書という文字が気になり、丸められた紙を開いてみた。そこに書かれている文字を目で追っていくと、どんどん心臓の動悸が速くなる。どくんどくん、と脈打つ心臓の音が耳にはっきりと聞こえる。
「こ、れは……」
私は他の紙屑も開いてみた。その内容に書かれていたのは――、
「雛森さん?」
「……」
「どうしたの? 何か見つけた?」
「……九十九パーセント……」
「え?」
「DNA鑑定の結果――白雪正邦と筒見流奈を親子と認める」
白雪正邦は白雪財閥会長、つまりさゆりお姉さまの父親の名である。接点が薄いだなんてとんでもなかった。むしろ誰よりも濃い繋がりを持っていた。
「あなたとさゆりお姉さまは――」
「姉妹よ」
筒見さんは真顔かつ抑揚のない声で答えた。
「腹違いのね」



