中高一貫のミッション系全寮制女子校、私立聖リリス女学院。「清く正しく美しく」をモットーにした創立百五十年という歴史と伝統のある女学院である。リリスに通う生徒は皆名家の令嬢ばかりで、リリスの出身というだけで箔がつくという折り紙付きだ。
 そんなリリスで一際目立ち、誰よりも美しく神々しい存在――白雪(しらゆき)さゆり。白百合(しらゆり)寮の寮長で現在三年生である。品行方正、文武両道、容姿端麗という正に完璧な学院のマドンナであり、象徴とも言える存在だった。更には旧華族の末裔、白雪本家の一人娘であり国内有数の大財閥・白雪財閥会長令嬢と家柄も申し分ない。胸元に光る金色の円の中に、百合の花が彫られたバッジが今日も輝いていた。白百合寮長に代々受け継がれる寮長としての証だ。
「ご機嫌よう、(とおる)
「ご機嫌よう、さゆりお姉さま」
 今日もさゆりお姉さまは私に優しく微笑みかけてくださる。女神のような微笑みを見ているだけで、心の底から嬉しくて震えてしまう。財閥令嬢であることを鼻にかけることはなく、慎ましやかで誰に対しても優しく平等で聖女のような方なのだ。
「透ったら、また夜更かししていたの? 隈ができているわ」
「試験前で勉強に熱中してしまって」
「そう。努力家なところは透の美点だけれど、無理はしないでね」
「ありがとうございます、お姉さま。でも私、頑張ります!」
 だって私、お姉さまの妹なんだもの。
 常に完璧で正しいお姉さまに並び立つため、相応しい存在でありたい。私にとって、さゆりお姉さまこそ生きる道標そのものなのだから。
「……」
「お姉さま、どうかされました?」
「ああ、いえ。何でもないの」
 お姉さまはそう言ってニコッと微笑まれたけれど、何でもないという雰囲気ではない。
「何か気になることでもあるのですか?」
「大丈夫よ。ただ……最近よくものがなくなるの」
「ものですか?」
「ええ、ボールペンとか消しゴムとか。大したものではないけど、なくなると困るのよね」
「それなら私のをお貸しします」
「予備があるから大丈夫。ありがとう」
 お姉さまは寮関係なく全生徒が憧れ、慕われる存在。中には熱烈な信者もいる。
 きっとその中の誰かがお姉さまの私物を盗んでいるに違いない。お姉さまはお優しいから大事にはしないでしょうけれど、私は許さない。
 すぐ傍でお守りしなければ。私は密かに気持ちを引き締めた。

 *

 リリス女学院には礼拝堂がある。立派なステンドグラスがある豪奢な礼拝堂で、その中にはマリア像が佇んでいる。
 その前で熱心に祈りを捧げる黒髪でショートヘアの生徒がいた。
「まあ、さゆりさんに透さん。ご機嫌よう」
 私たちに気づくとにこやかに挨拶をしてくれた彼女は、白百合副寮長の乙木(おとき)佳乃子(かのこ)
「ご機嫌よう、佳乃子」
「ご機嫌よう、佳乃子さま」
 佳乃子さまは生徒たちの中でも特に熱心なクリスチャンで、毎日マリア様に祈りを捧げることを日課としていた。その姿は模範的なリリス生そのものだと先生たちの間でも評判なのだとか。
「お二人とも、今朝はご一緒だったのですね」
「ええ、佳乃子は今日も熱心ね」
「私なんて、これくらいしかできることがありませんから」
「そんなことはないわ。佳乃子はいつも副寮長としてよくしてくれている。佳乃子がいてくれてとても助かっているわ」
「さゆりさん……」
「これからも頼りにしているわね」
「はい」
 佳乃子さまはそばかすのある顔を綻ばせ、嬉しそうにはにかむ。
 さゆりお姉さまと佳乃子さまは中等部の頃から仲が良く、親友同士だ。控えめで大人しい性格の佳乃子さまはいつもどこか遠慮がちだけれど、お姉さまはそんな佳乃子さまのことを大切に思っている。
 お二人には親友という特別な信頼関係があり、時々入っていけない空気になる。それが羨ましいと思っていることは、お姉さまには絶対言えない。
「私今日は日直でした。お先に失礼しますね」
 恭しくお辞儀して立ち去る佳乃子さまと入れ替わりに礼拝堂へ現れたのは、このお二人だった。
「あら、さゆりさん。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、蘭華(らんか)さん」
 黒薔薇(くろばら)寮長、笠吹(かさぶき)蘭華。この学院のもう一人の顔だ。日本人とフランス人のハーフであり、プラチナブロンドの髪に青い瞳という西洋風のお顔立ちがとても目立つ。胸には黒薔薇寮長に受け継がれる薔薇のバッジが光っていた。
 その隣に控えるのは彼女の妹、筒見(つつみ)流奈(るな)である。黒髪をポニーテールに結いているのがトレードマークで、笠吹さまと並ぶとアジアンビューティーといったところ。
 二つの寮は昔は対立関係にあったと聞くが、今は寮同士がいがみ合うことはない。学院行事によっては寮対抗で行うことになるけれど、特に優劣の差はない。
 しかし笠吹さまは学院に入学する以前からさゆりお姉さまとは顔見知りらしく、何かとお姉さまのことをライバル視している。
「本日の幹部会、忘れていないでしょうね」
「もちろんよ」
「いつもあなたの信者が小鳥のようにうるさいから、静かにさせてちょうだい」
 こんな風にお姉さまに嫌味を言う学院では稀有な存在。だけどお姉さまはニッコリと微笑む。
「ええ、もちろん」
「本当にわかっているの? この前も……」
「蘭華お姉さま」
 笠吹さまを制したのは、妹の筒見さん。
「既に手は打ってあります。幹部会の場所は西棟の第二会議室で行うとそれとなく周囲に伝えました。本来は東棟ですが」
「流石よ、流奈」
「お姉さまの気を散らせるようなことはいたしませんわ」
「本当にあなたは優秀ね。流石は私の妹」
「当然です。お姉さまのためですもの」
 誇らしげに言い切る筒見さんは、いずれ笠吹さまの跡を継いで黒薔薇寮長となる。
 彼女は高等部から入学した珍しい外部生だ。だからこそ型にハマっていないというか、凝り固まったリリス生とは違って大胆な発想を見せる。同学年であり同じ妹である筒見さんは、密かに負けたくない存在だ。
 私だって、さゆりお姉さまを絶対に守るのだから。

 *

 礼拝堂を出た後、また一人お姉さまに声をかける人物がいた。
「さゆり、ちょっといいかな」
(なぎさ)
「次の大会のことで相談がしたいんだけど」
「ああ、そうね。私も話したいと思っていたわ」
 彼女は黒薔薇寮の副寮長、姫宮(ひめみや)渚。お姉さまと同じ弓道部に所属しているため、寮は違うがお姉さまとは友好的だ。
「幹部会の前か後に時間取れる?」
「では後でどうかしら」
「わかった。よろしく」
 クールにそう言うと、コホンと咳払いして姫宮さまは立ち去った。
 天はお姉さまに何物も与え、弓道の腕前は全国大会に出場する程。弓道部の部長であり、ダブルエースとして活躍する姫宮さまはお姉さまの相棒とも囁かれている。日本人形のような長い黒髪を持つ大和撫子で、クールかつ冷静沈着な人柄が生徒の中でも人気がある。
 ちなみに寮長二名、副寮長二名、寮長の妹二名はリリスの幹部と言われ、学院の運営に携わる謂わば生徒会のような立ち位置となる。
 特に圧倒的なカリスマ性に溢れたさゆりお姉さまの周囲には常に人が集まっている。それもすべて、お姉さまのお人柄が素晴らしいから。お姉さまが尊い存在だからに他ならないのだけれど、時折寂しくなってしまう。
 私だけが、お姉さまの特別になれたらいいのに――なんて、そんな大それた望みを抱いていけない。
「さあ、行きましょう透」
「はい、お姉さま」
 今日もお姉さまと過ごせる一日に感謝しなければならない。お姉さまが卒業されたら離れ離れになってしまうからこそ、一日一日を大切にしなければ。
 そしてお姉さまの期待に応える、完璧な寮長を目指すのだ。