* * *
「浬へ
出産を間近に控え、何となく手紙を認めたいと思ったので筆を執っています。何を書いたらいいかわからないまま書き始めてしまったので、支離滅裂な文章になっているかもしれませんがご容赦ください。
まず、あなたはずっと罪悪感を抱いているかもしれません。けれどこの子を産むことは私の希望でもあります。あなたを気遣う嘘ではなく、これは私自身が望んだことでした。
私が自分の意志で何かを望んだことは、これが初めてのことでした。今までは望まれるがままに白雪家の令嬢として、学院の寮長として、または言われるがまま聖女としてあるべき理想的な振る舞いを心がけていました。でも、本当の私はとてもちっぽけな人間です。求められるまま聖女になったけれど、本当の自分は空っぽで何もない人間でした。
こんな自分は完璧でないと誰にも愛されない。両親から愛されていなかった私は、せめて両親に捨てられないように、失望されないようにと必死でした。
密かに子どもをつくったなどと知ったら、両親は激怒することでしょう。それこそ私のことを見限るかもしれません。それでも産みたいと思ったのは――あなたの子だったからです。
あなたが私に近づいた理由は何となくわかっていました。それでも秘密を共有し、あなたと愛し合った日々は今まで生きてきた中で一番幸せでした。ありのままの私を受け入れてくれたあなたを、母親のために“渚”として生きようともがくあなたを、心から愛しています。
なのに言葉にしようとすると上手く言えなくて、浬は何度も囁いてくれたのに『私も』と返すのが精一杯でごめんなさい。今も文字に書くだけでとても緊張しています。
子どもの名前は産まれて顔を見てから決めましょうと言ったけれど、私たちは子どもの性別について話したことがなかったですね。普通は性別はどちらなのか、一番気になるはずのことなのに。浬は女の子を望んでいることでしょう。私も最初こそ女の子を産んであげたいと思っていました。女の子を産めば、生き方を縛られたあなたを解放してあげられると思っていたからです。
けれど、そうじゃない。男でも女でも関係なく、生まれてくる子に愛情を持って接することができたらきっと救われる。だってその瞬間からあなたは女として生きるのではなく、父親として生きることを自分で選び取ったのだから。そして私も自ら母になることを選びました。
本当はあなたに愛されているのか不安なんです。この先もずっと一緒にいたいけれど、破綻した結婚生活しか知らない私はいつも不安で仕方ありません。それでもあなたを愛したい、あなたとの子を産みたいと思った気持ちは私だけのものだから――私の我儘を貫くことを許してください。
最後に。この手紙を書いたのは何となく自分の思いを綴っておきたいと思ったからで、あなたに渡すかどうかまだ迷っています。でも、できればこの手紙を読む前に直接あなたに『愛してる』と伝えたいと思っています。
どうかこの想いを受け取っていただけますように。
愛をこめて。
白雪さゆり」
*
「っ、さゆり……っ」
便箋の上にポタリ、ポタリと雫が落ちる。机の上には小さな小箱が置かれていた。卒業したら渡そうと思っていたものだ。
「ごめん……っ」
本当はもう家のことなんてどうでも良くなっていた。たださゆりと一緒にいたくて、さゆりに自分だけを見て欲しくて。さゆりが僕だけのものになってくれるなら、生まれてくる子の性別なんてどっちでも良かったんだ。こんな形でさゆりを縛ってしまったために、不安な気持ちにさせていたことを強く後悔した。
誰よりも君を愛していた。ずるくて弱い自分のことを愛してくれた君と子どもを一生守りたくて――卒業式の日に自分の覚悟を伝えようと思っていた。けれど、もう二度と君に会うことはできない。
その時、ベビーベッドのある部屋から泣き声が響く。ハッとして涙を拭い、ベッドに駆け寄った。
「結理、お腹空いた?」
尚も泣き続ける我が子をそっと抱き上げる。予め作っておいた哺乳瓶を口元に近付けると、結理は静かに飲み始める。その姿を見てホッと安堵した。
改めてこの子が今生きていることは奇跡なんだと思う。愛する人と結ばれて授かり、様々な人との結びつきから生まれ、こうして一緒に過ごすことができている。さゆりの分まで愛情を持って育ててゆきたいと、改めて誓った。
机の上に置かれた小箱の中には、二つの指輪が納められている。指輪の内側には「K・S」と彫られていた。



