私の日課は毎朝礼拝堂でマリア様に祈りを捧げることです。先生も生徒もそんな私のことを敬虔なクリスチャンと評します。でも、本当はマリア様に捧げているわけではありません――私にとってのマリア様は、さゆりさまただお一人なのですから。
*
私の実家は乙木家具という老舗企業です。創立から守り続けるブランドは多くの消費者から信頼を集めておりましたが、ここ数年業績は右肩下がりでした。新しい競合他社が次々と現れ、伝統だけでは立ち行かなくなってしまったのです。社員を守るため社長の父は必死に奮闘しておりました。
ところが突然、父は睡眠薬を大量に飲みすぎて倒れていたところを発見されました。その隣で母も倒れていました。すぐに二人とも病院に運ばれましたが、意識不明の重体でした。二人が自殺を図ったことは明白です。父の机の引き出しからは遺書が見つかりました。遺書にはこう書かれていました。
専務だった叔父の裏切りが発覚したこと。叔父は秘密裏に海外企業との業務提携を結んでいたそうなのです。新たな企業を立ち上げ、乙木家具の社員の過半数を引き抜いてしまいました。叔父は乙木家具を潰そうと目論んでいたのです。乙木家具は破産寸前まで追い込まれました。先代から守り抜いてきた乙木家具を自分の代で潰すわけにはいかないと、必死にもがいてきたけれどもう限界だ。長きに渡って愛された乙木家具を自分の代で潰して申し訳ない。震える文字で綴られていました。
二人とも一命は取り留めましたが、昏睡状態でした。目を覚ますことがあるのかどうなのか、私にはわかりません。遺書の最後に「佳乃子だけは生きて欲しい」と綴られていましたが、私だけが生きたところで一体どうすれば良いのでしょう? どうして私も道連れにしてくれなかったのでしょうか。
私は小学生の頃、陰湿ないじめを受けていました。クラスメイトたちから無視され、物を隠されたり壊されたりしました。登校したら自分の席がなかったこともありました。地元の子たちと同じ中学校に行きたくなくて、私立聖リリス女学院中等部を受験しました。いじめはありませんでしたが、毎日息苦しい日々でした。リリスに通う生徒は皆名家の令嬢ばかり。破産寸前の乙木家具の娘なんてこの学院では落ちこぼれです。セレブな同級生たちの会話についていけず、孤立していました。まるで自分は透明人間のようでした。両親があんなことになってから周囲は私を腫れ物のように扱います。先生ですらどう接していいかわからず、気まずそうに私を見ておりました。
ミッション系スクールのリリスでは毎日礼拝の時間があり、聖書を読む授業もあります。神を信ずれば救われるなんて教えるくせに、実際は誰も私を助けてくれない。救いがあるなんて大嘘です。だってこの先両親が目覚めるかどうかわからないのですから。どこにいても透明人間で独りぼっち。この先、生きていても救いはない。
私は誰もいない屋上で一人佇んでいました。ここから飛び降りてしまえば楽になれるでしょうか。私一人いなくなったところで世界は何も変わらない。いてもいなくてもどちらでもいい存在なのです。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。生きて欲しいと言ったけれど、その約束は守れそうにありません。私はもう、生きているのがつらいんです。苦しくて苦しくて息が詰まりそうなんです。先に逝く親不孝者の娘を許してください――。
足を踏み出そうとした直後、強い力に引っ張られて後ろに倒れ込みました。柔らかいものにぶつかり、甘くて優しい香りが鼻孔をくすぐりました。私を引っ張ったのは同じクラスの白雪さんでした。
「大丈夫!?」
白雪さんは美しいお顔を歪め、心底私を心配なさっているように見えました。理解ができませんでした。
「お怪我はない?」
「……何故ですか?」
「え?」
「何故死なせてくださらないのですか?」
じわりと涙が溢れ出てきました。
「生きていたって、仕方ないのに……っ」
嗚咽を漏らしながら泣き叫ぶ私のことを白雪さんは抱きしめてくださいました。
「そんなこと言わないで。私はあなたがいなくなったら悲しい」
「悲しい……? どうしてあなたが?」
「クラスメイトですもの」
クラスメイトなんて、ただ同じクラスにいるというだけの他人なのに。まともにお話したこともないのに、どうしてそんな風に言ってくださるのでしょう。
「私はあなたに生きていて欲しいし、友達になれたら嬉しいと思ってる」
「とも、だち……?」
「ええ、ダメかしら?」
「友達なんて、あなたにはたくさんいるでしょう?」
だってあなたは私とは正反対の人。あの白雪財閥のお嬢様で美人で誰もが羨み憧れる存在。みんなが白雪さんと仲良くなりたがるのに。
「私はあなたと友達になりたいの、佳乃子さん」
「う……っ」
誰かにそんな風に言っていただけたのは初めてでした。誰からも見向きもされない透明人間の私が、誰かの瞳に映ったのです。私は子どものように大声をあげて泣きじゃくりました。彼女は落ち着くまでずっと優しく抱きしめてくれました。
その後、乙木家具は白雪財閥の経営する白雪インテリアに吸収合併されることになりました。両親の治療費、入院費は白雪が負担してくださるそうです。だから私を助けてくれたのか白雪さんに訊ねたら、彼女は首を横に振りました。
「合併の話は知らなかったわ。ただ私が佳乃子さんとお友達になりたかっただけよ」
「どうしてですか?」
「友達になるのに理由がいる?」
彼女はそう言って微笑まれました。その時雷が落ちたような衝撃を受けました。こんなにも優しくて美しく、清らかな方は初めてだったからです。正に聖女そのものでした。彼女は暗黒の世界の中で差し込んだ一筋の光。私はやっと、自分の生きる希望を見つけられました――さゆりさまという存在を。
それから私の人生は薔薇色に変わりました。いえ、両親は未だに目覚めないのですから状況は変わりません。でも黒ずんでいた世界が薔薇色に変わったのです。だって私の隣にはさゆりさまがいてくださるのですもの。さゆりさまは誰よりも気高い存在でありながら、何一つ鼻にかけることはしません。誰に対しても慈しみを持って接する姿は、マリア様そのものでした。神なんて存在しないと思っていたけれど、女神様は目の前にいらっしゃいました。さゆりさまは私を救ってくださった女神様なのです。
「ご機嫌よう、佳乃子」
無価値だと思っていた自分自身が、さゆりさまに選ばれたというだけで特別な存在だと思えました。私のことを腰巾着だの陰口を叩く者は多々いましたが、そんな声は全く気になりませんでした。皆私に嫉妬しているのでしょう。その優越感だけで私の心は満たされました。
「ご機嫌よう、さゆりさん」
「宿題終わった?」
「はい、だけど自信のない問題があって」
「後で一緒に答え合わせしましょう」
「はい、是非お願いします」
どんなに優越感に浸っても、私とさゆりさまは対等な存在ではないと自分に言い聞かせています。何故ならさゆりさまは神であり、私はただの人間だからです。私など女神のご加護をいただいている身。本来は隣に並び立つことなど恐れ多いのです。ですがさゆりさまは心優しいお方ですから、私なんかを親友だと仰ってくださいます。
ああ、なんという甘美な響きなのでしょう!
恐れ多いとは思うものの、この胸の高鳴りを止めることはできません。私は今、初めて息をしていると思えます。自分が存在しているのは、さゆりさまと出会うため。さゆりさまを心から愛し尊敬し、崇めることが私の生きる道だったのです。
さゆりさまと親しくなって間もなく、笠吹蘭華さんという方が私たち――もといさゆりさまに話しかけてきました。笠吹メディカルグループという誰もが知る大企業のご令嬢で、ハーフのお顔立ちが華やかな方でした。笠吹さんは明らかに私を見て「邪魔だ」と言っておりました。何故私のような者がさゆりさまのお隣にいるのか気に入らないという思いが、視線にありありと出ておりました。皮肉を飛ばす笠吹さんに対し、さゆりさまは庇ってくださいました。
「蘭華、そんな言い方は良くないわ。私は佳乃子さんとお友達になれて嬉しいと思ってるのよ」
友達。その響きに高揚しました。
「友達? 友達なんてなれるわけないじゃない」
笠吹さんは吐き捨てて立ち去っていきました。さゆりさまは私に向かって「ごめんなさいね」と謝ってくださいましたが、私のことを気遣ってくださったことが嬉しくてたまりません。
「蘭華は幼なじみでずっと仲が良かったの。きっと話せばわかってくれるわ」
笠吹さんに皮肉を言われて傷ついたわけではないけれど、彼女の存在は私の心をざわつかせました。当たり前ですが、さゆりさまのお友達は自分だけではないのです。笠吹さんが言ったように、さゆりさまと本気でお友達になれるだなんて思っておりません。それでも期待してしまう気持ちがありました。さゆりさまにとって私は、一番のお友達なのではないかと。
けれど完璧な聖女であるさゆりさまの周りには、たくさんの人が集まります。私の知らないさゆりさまを知る笠吹さんはもちろんのこと、さゆりさまと同じ弓道部の姫宮さんともよくお話されていました。お二人ともさゆりさまと並ぶとお似合いでした。西洋美人の笠吹さん、和風美人の姫宮さんは正反対のお顔立ちでしたが、完璧すぎるさゆりさまの美しさを前にしても霞むことはありません。それに比べてそばかすの目立つ私の顔はなんて醜いのでしょう。
私のような者はさゆりさまのお隣にいさせていただけるだけで有難いのに、卑しくも嫉妬してしまいました。さゆりさまがいなければ私は生きていけない。過呼吸になりそうになった時、さゆりさまの言葉を思い出します。
「佳乃子は私の親友よ」
親友、一番のお友達。そう、さゆりさまにとって私は一番――自分に言い聞かせて優越感に浸り、心の平穏を保つのでした。
「ご両親のご様子はいかが?」
「相変わらずでした」
両親は今も昏睡状態でした。医師によればいつかは目が覚めるとのことでしたが。
「そう。少しでもご回復に向かわれたら良いのだけど――私にできることがあれば、なんでも言ってね」
そう言って私の手を握り締めてくださるさゆりさま、なんてお優しいのでしょう。いつも私を気遣い、慈悲深いお言葉をかけてくださるお美しい方。ですが両親が目を覚ましたら、さゆりさまは私の傍から離れてしまうのでしょう。そもそも私に声をかけてくださったのは、私の身の上を憐れんでくださったから。もし両親が目覚めたらきっと喜んでくださるけれど、今までのように私だけを心配してくださらなくなる。それならばもう、目覚めなくてもいい――私にはさゆりさまさえいてくだされば、他に何もいりません。
*
笠吹さんとは結局仲違いをしたのか、今では白百合寮と黒薔薇寮を代表するライバル同士となっていました。さゆりさまは特にお変わりないけれど、笠吹さんは何かとさゆりさまに突っかかります。ですがさゆりさまを映す青い瞳に、敵対心ではない別の特別な感情が宿っていることに気づいていました。だからといってどうということはありませんが。彼女に曝け出すつもりがないなら、さゆりさまにとっての特別が私であることに変わりありません。
姫宮さんは弓道部の二大エースとしてさゆりさまの相棒だと囁かれる声もありましたが、所詮は部活動中だけのこと。お二人が弓道以外の話をしているところを見たことがなかったですし、部員で幹部生という関係性以上のことはなさそうです。
ですが、二年に進級して私を脅かす存在が現れました。一学年下の透さんです。彼女はさゆりさまと姉妹の契りを結んだ妹となりました。
リリスのシスター制度はほとんど廃れた制度であるものの、実際姉妹となった二人は強い絆で結ばれます。さゆりさまにもお姉さまがいらっしゃいましたが、さゆりさまとは二学年離れていたので実際に姉妹だったのは一年程。大きく心を乱すような存在ではありませんでした。
でも透さんは違います、これから卒業するまでの二年を姉妹として過ごすのです。透さんはさゆりさまのことを熱烈に慕い、さゆりさまもまた妹を可愛がっておいででした。それがどんなに羨ましいことか。
「お姉さま! 次の外出許可日に一緒にこのカフェに行ってみませんか?」
「あら、かわいらしいわね。初めて見たわ」
「韓国でバズってるカフェが日本でも出店したそうなんです! 今JKの間で大人気で……ああでも、お姉さまはこんなところには行きませんよね」
「いいえ、行ってみたい。とても楽しそう」
「本当ですか! やったぁ!」
透さんは色んなことに興味を持ち、一般的な女子高生のトレンドにも敏感でした。かと言って庶民というわけでは全くなく、雛森と言えば全員エリートの警察一家。透さんもかなり聡明かつ大胆な行動力を持ち合わせています。さゆりさまとはまた違ったカリスマ性に溢れた方でした。更に私とは違って愛嬌もある。私にないものをすべて手にする彼女のことが、羨ましくて妬ましくてたまりませんでした。
だから私も副寮長に立候補しました。控えめな私が自分から挙手したのは初めてでした。さゆりさまは驚かれましたが、とても喜んでくださいました。
「佳乃子が副寮長になってくれたらとても心強いわ」
「こんな私でも、お手伝いできるでしょうか」
「もちろんよ。とても嬉しい」
さゆりさまが喜んでくださると、心が満ち溢れて多幸感でいっぱいになります。私はさゆりさまのためなら何でもやろうと心に決めました。さゆりさまが望むのなら、この命を捧げても構わない。そんなことは絶対にあり得ないと承知ですが、さゆりさまに「死んでください」と言われたら喜んで死ぬでしょう。こんなに幸せな死はないと思える程です。そもそも私はさゆりさまに救っていただいた命。飛び降りようとしていた私を助けてくださったその日から、私の命はさゆりさまのものなのです。
*
三年になってしばらくしてから、さゆりさまが体調を崩されました。寮から出られない程深刻なようで心配でたまりませんでしたが、お見舞いに行っても会ってくださいません。白雪家からメイドさんがお世話に来られて、何度かさゆりさまに会わせてくださいとお願いしましたが、頑なに拒まれてしまいます。それ程までにお身体が良くないのだと思うと心配で夜も寝られませんでした。毎日さゆりさまのご快復をお祈りしました。
半年が過ぎてもさゆりさまが復帰されることはありませんでした。私はなんて無力なのでしょう。さゆりさまは私を救ってくださったのに、私はさゆりさまがおつらいときに何もできないのです。無力な自分のことが歯痒くて仕方ありませんでした。
ですが、ついにさゆりさまからお手紙が届いたのです。美しい達筆な文字でこう綴られていました。
「乙木佳乃子さま
大事なお話がございます。明日十四時頃に寮長室までお越しいただけますでしょうか。
白雪さゆり」
こんなお手紙をいただいて行かないわけにはまいりません。半年ぶりにさゆりさまのお顔が拝見できるのだと胸を躍らせながら、大事な話とは何だろうと考えました。もしかして大きな病を患っておられるのだとしたら――私の血液も臓器もすべてを捧げてでもお救いしたいと思いました。
翌日の午後は課外授業でしたが欠席しました。午前中からずっとソワソワして落ち着きませんでした。十四時、やや緊張しながら寮長室のドアをノックしました。
「どうぞ」
その一言だけでも鈴の音を転がすような響きに胸が高鳴りました。
「さゆりさん、佳乃子です」
「お入りになって」
私はゆっくりとドアを開けて聖域に足を踏み入れました。
「お久しぶりね」
そう微笑んださゆりさまは、相変わらず神秘的な美しさを纏っておられました。思っていたよりも血色が良く明るいお顔をされていました。ですが、半年前とは明らかに違うことにすぐに気がつきました。
「え……さゆりさん……?」
さゆりさまのお腹が大きく膨らんでいたのです。太ったとは違い、お腹だけが出っ張っています。私は訳がわからなくて、思考停止してしまいました。
「佳乃子には話しておきたいと思って。今、このお腹の中に赤ちゃんがいるの」
オナカノナカニアカチャンガイルノ?
さゆりさまの仰る意味が全く理解できません。
「臨月でもう間もなく産まれるかもしれない。卒業する前にこの学院を去ることになるかもしれないから、親友の佳乃子にはきちんと話しておきたいと思ったの」
そう言ってさゆりさまは私に頭を下げました。
「今まで黙っていてごめんなさい」
私はどうしても目の前で起きていることへの理解ができませんでした。
さゆりさまのお腹に赤ちゃんがいる? 妊娠しているということ? そんなこと、あり得るはずがない。だってさゆりさまは女神なんですもの。懐妊するなんてそんな馬鹿なこと、あり得ないに決まっている。そのとき私の脳裏にある言葉が過ぎりました。
「あはっ、そうか。そうだったのですね!」
さゆりさまは処女受胎なさったんだ。処女でありながら神の子をその身に宿した聖母マリアのように。さゆりさまは本物の聖女様になったんだ!
「処女受胎なさったのですよね? さゆりさま」
「えっ」
「だってそうでしょう? それしか考えられません」
「……違うわ。このお腹の子は、私の大切な彼との子よ」
さゆりさまは愛おしそうにお腹を撫でる。
「今は彼のことは話せないけど、ちゃんと佳乃子には紹介したいと思ってる」
「な、何を言っているのですか」
彼って誰? そんなひと、存在しない。私は知らない。だってさゆりさまは聖女だもの。完璧で崇高なる女神様なの。だから、あり得ない。
「私のことからかっているんですよね? だって、そんなこと、あり得ないです」
「私が佳乃子をからかうと思う?」
「違うのですか……? 違うなら、」
処女受胎でないのなら――男と交わって懐妊したということ?
「……ごめんなさい」
「なんで、何故ですか? なんで……っ」
あり得ない、あり得ない、あり得ない。さゆりさまに男がいた? リリスという花園の中で、密かにどこの馬の骨とも知れない男と通じ合っていたというの?
「あり得ないっ!」
どんな花よりも美しく、神々しくて清らかなさゆりさまが穢されてしまった。あなたはどこまでも完璧で究極的な存在でなくてはならないのに、汚らわしい男との間に子どもをつくっていたなんて。
「そんなのさゆりさまじゃない! 悪夢、これは悪夢なのよ……」
「佳乃子……」
「こんなの違う……さゆりさまじゃない」
私の愛した、優しくて慈悲深くて完璧な美しさを持つ聖女じゃない。心から愛して尊敬して崇めていた私の聖女はどこへいってしまったの――?
「佳乃子、ごめんね。私は、」
「いやあああああああっ」
ハッと我に返った時、目の前でさゆりさまが横たわっていました。私の両手にはセーラー服のリボンが握りしめられていました。
「あ……あ……」
さゆりさまの首元には首を絞められた痛ましい痕が、くっきりと残っていました。私はさゆりさまに駆け寄りましたが、既に事切れた後でした。
「あ、あ、いや……っ」
私はブルブルと震えながらその場から逃げ去りました。さゆりさまが死んだ。その命を奪ったのは、この私でした。ほとんど無意識的に胸のリボンを解き、さゆりさまの首を絞めていました。
怒り、悲しみ、絶望、嫉妬、そして惨めさ。様々な負の感情が私の中で渦巻き、真っ黒に燃え上がりました。
「わたしは、なんということを……」
この命をさゆりさまに捧げると誓っておきながら、さゆりさまの命を私が奪ってしまうなんて! なんという罪を犯してしまったのでしょう。
私は走って寮のキッチンへ行きました。誰もいませんでした。私は包丁を取り出し、その刃を自分自身に突き立てようとしました。しかし、すぐに思い返しました。
「……この学院のどこかに、さゆりさまを穢した男がいる?」
聖リリス女学院は男子禁制の花園です。そのセキュリティは非常に厳重であり、部外者が易々と入り込める場所ではありません。一体どこから潜り込み、さゆりさまに手を出したのでしょう?
「もし、どこかにいるのだとしたら――その男をこの手で葬るしかありませんね」
それからお腹の中の子どもも。得体の知れない男との子なんて悪魔も同然です、父親同様に消えていただきましょう。私は包丁を懐に隠し持つことにしました。
それから焼却炉を動かしてリボンを燃やしました。誰かの足音が聞こえたので、足速に立ち去りました。焦っていたので予備のリボンを取りに行くことを忘れてしまいました。
とりあえず先に赤ん坊を消そうと思ったのです。さゆりさまの美しいお体に巣食う悪魔をこの手で殺さねば。そう思って寮長室に戻り、腹を裂かれて血まみれになっていたさゆりさまを発見しました。そして裂かれた腹の中に赤ん坊はいませんでした。凄惨な現場と突如消えた赤ん坊に動揺し、思わず悲鳴をあげてしまいました。
そうしたらまさか、私以外に四名もの人間が現れたのです。この中に赤ん坊を奪った人物、さゆりさまに男を当てがった裏切り者がいるかもしれない――私は憎しみの炎を内に秘め、動揺したフリをしながら裏切り者を炙り出そうと決意しました。



