私がさゆりお嬢様付きのメイドになったのは、お嬢様が五つの頃でございました。初めてお目にかかったあの日のことは、今でもはっきりと覚えております。なんと愛らしい、正に無垢な天使そのものでした。
白雪(しらゆき)さゆりです。よろしくおねがいします」
 丁寧にお辞儀をなさるそのお姿は、幼いながらも既に立派なレディでございました。まだまだ若輩者のメイドでしたが、お嬢様のために精一杯尽くそうと決心いたしました。
 お嬢様は好き嫌いをなさらず、どんな料理にも「美味しいわ」と微笑まれます。ご両親である旦那様と奥様はお仕事でご多忙のため、家を空けることも多々ございました。きっとお寂しいはずなのに我儘ひとつ仰らず、お勉強もお稽古も熱心に励まれる。その健気さに、私は日々心打たれておりました。
 やがてお嬢様はどんな花よりも美しくご成長なさり、人々はお嬢様を「聖女」と呼ぶようになりました。ご多忙なご両親に代わって、恐れ多くも私が育てたお嬢様は心優しく清らかで正真正銘の聖女でございました。
 聖リリス女学院にご入学後は白百合寮に入られましたが、時折美しい筆致でお手紙をくださいます。
 さゆりお嬢様をお姉さまと慕う“妹”の雛森(ひなもり)(とおる)さま。
 お嬢様の一番の親友・乙木(おとき)佳乃子(かのこ)さま。
 黒薔薇寮の寮長で幼なじみでもある笠吹(かさぶき)蘭華(らんか)さま。
 弓道部で切磋琢磨している姫宮(ひめみや)(なぎさ)さま。
 笠吹さまの妹で同じく幹部生の筒見(つつみ)流奈(るな)さま。
 お手紙によくお名前が登場する数名は覚えてしまいました。正に青春を謳歌されているといったところでしょうか。学院での寮生活をとても楽しんでおられるようで、少し寂しくもありましたが喜ばしく拝見しておりました。

 それゆえ、あの日――
理子(りこ)に大事な話があるの。こちらへ来てくれる?」
 お嬢様から直接そのようなお電話をいただいたとき、私は何か胸騒ぎのようなものを覚えました。どうやら体調を崩されたようなのです。けれど、リリスは外部の者の立ち入りに厳重な手続きを要するため私がお嬢様のもとに伺えたのは、連絡を受けてから二日後のことでございました。久しぶりにお目にかかったお嬢様は相変わらず美しく完璧で……でもその瞳には、何か違うものが宿っておりました。そしてその薄紅色の唇から紡がれた言葉は、耳を疑うような衝撃的な内容だったのです。
「……本当なのですか?」
「ええ、本当よ」
 お嬢様は、ふざけておいでの様子ではありませんでした。メイドたるもの、どんな事態にも冷静沈着であるよう教え込まれてまいりましたが、あのときばかりは動揺を隠せませんでした。
「ど、どうして……」
「お願い、理子。このことは誰にも言わないでほしいの」
「そんなこと、できません……」
「お願い、あなたにしか頼れないのよ」
 その一言に、心がぐらりと揺れました。
「お父様とお母様には言わないで」
「そ、そんな……」
「私はもう、決めたの」
 ――あのお嬢様が。
 我儘一つおっしゃらず常にご両親の期待に応え続けてきたあの方が、初めて自らの意志を貫こうとしておられたのです。長年お仕えしてきた私にも、それは初めてのことでございました。白雪家のメイドとしては、即刻旦那様と奥様にご報告すべきでした。ですが私は、さゆりお嬢様にお仕えする者としてお嬢様のご意志を尊重して差し上げたいと思ったのです。
「……承知いたしました」
「ありがとう、理子」
 お嬢様は、ほっとしたように笑われました。その微笑みはいつも通りまるで聖女のようでした。
 私は思わず、ちらりとお腹に視線を落としました。まさか……マリア様なわけあるまいし――。
 人には誰しも知られたくない顔、暴かれたくない秘密というものがございます。清楚可憐なさゆりお嬢様にも、きっと誰にも見せぬ一面があるのでしょう。ならば、私が守りましょう。
 お嬢様の秘めたる仮面を――最後まで。