七月になると、いよいよみんな本気で練習を重ねるようになった。土日の部活動も多くなり、各楽器の講師を招く回数も増えた。
 その講師はプロの有名な楽器奏者ばかりで、指導してくれるのはありがたい。

 「え、佐那(さな)先輩! お久しぶりです!」

 「里奈、久しぶり。元気だった?」

 「は、はい。元気ですけど……先輩どうしてここに?」

 「どうしてって……遊びに来ただけだよ」

 里奈先輩は、どうやらわたしの知らない人と話しているようだった。
 髪型はショートで、背が高く、モデルみたいな体型の綺麗な人だ。
 ……先輩呼びしているということは、里奈先輩の先輩なのかな?

 「あっ、こころちゃん。先輩、トランペットに新入生入りましたよ!」

 「へぇ、良かったね。こころちゃんって言うんだ」

 「は、はい。そうです」

 「じゃあわたし先生に呼ばれてるので、ちょっと行ってきますね。また!」

 そう言って里奈先輩はこの場を離れてしまった。
 ふたりきり……。何か話しかけたほうが良いのだろうか。それともOGに話しかけるのは失礼?
 そんなこんなで、わたしが混乱していると。

 「そんな緊張してなくていいよ。あたし、まだ大学一年なんで」

 「そ、そうなんですか。……えっと、じゃあ、里奈先輩の一つ年上なんですね」

 「そそ。里奈はもう三年かぁ……。時の流れって早いんだねぇ」

 わたしはどう反応すれば良いか分からず、「はい」と言って頷いた。

 「あの……お名前、聞いても良いですか」

 「あ、ごめん。名乗ってなかったね。大谷 (おおたに)佐那です。佐那でいいよ、こころちゃん」

 「佐那……先輩?」

 「あー、どうする? なんかOGに先輩呼びって嫌だよね。ならさん付けとかでいいんじゃない?」

 知らんけど、と佐那さんは付け加えた。
 何だか雰囲気が愛良先輩に似ている気がする。愛良先輩の二つ年上ということは、去年は先輩たち一緒に部活していたんだよね。

 「あの……佐那さん。愛良先輩のところ、行きますか?」

 「愛良? んー、いいかな。あの子の練習の邪魔になっちゃ悪いし」

 「そ、そうですか。余計なことを言ってすみません」

 「いや全然。むしろ気遣ってくれてありがと」

 佐那さんはにこっと笑った。

 「愛良とは仲悪いわけじゃないから、安心してね。ただ練習に熱心だからさ、もうすぐコンクールもあるし」

 「そうですよね。愛良先輩……すごく上手で。わたしもびっくりしました」

 「はは、そうだよね。愛良上手いもんね。そっか、愛良も先輩かぁ。あたしも年を取るわけだ」

 三つ年が上なだけなのに、佐那さんはとても大人っぽく見える。
 大学生という分類だからなのか、OGだからなのか。
 それは分からないけれど、早くこんな大人になりたいと思ったのは確かだった。

 「じゃああたしそろそろ帰るね。里奈にもよろしく言っておいて」

 「え、もう帰っちゃうんですか?」

 「うん。あたしこう見えて音大生で、これからレッスンあるんだ。じゃあ頑張ってね、こころちゃん」

 わたしは帰ってしまう佐那さんにぺこりと頭を下げる。
 何となくスマホで「大谷佐那」と調べると、佐那さんは有名な音大に通っているトランペット奏者だったことに、わたしは驚いた。


 合奏が終わってパート練習が始まった。
 今回はメロディーラインと合わせて練習したいと里奈先輩が言ったので、クラリネットと金管で一緒に練習することにした。
 青葉くんは今日用事があって欠席しているので、一緒に練習できないのが残念だ。

 「ねぇ、ちょっと」

 「は、はい」

 「さっきのところ違う。三連符できてないから」

 「すいません」

 クラの一年生の子が、三年生の先輩に厳しく指導を受けている様子だった。

 「はぁ。この前も言ったよね、今日までにできるようにしておいてねって」

 「言われました」

 「だよね。もうすぐコンクールなんだよ。あなたはレギュラーメンバーなの。ちゃんと自覚持って!」

 ……怖いな。
 クラの子は、とてもビクビクしていて怖がっている様子だった。
 いつもあんな感じなのだろうかと疑問に思っていると、愛良先輩が小さい声で話しかけてきた。

 「クラの先輩、ピリピリしてるみたいだね」

 「そう、ですね。いつもあんな感じなんですか?」

 「いや、あそこまではいかないかな。ただ熱心なんだろうね。自分の練習もしないといけないのに、後輩が間違っていたら先輩の責任になっちゃうから、教えないといけない。それがすごく重荷なんだよ」

 確かに、それは一理あるかもしれない。
 自分の練習をして、後輩の指導もする。それを当たり前にこなしている先輩たちは、改めてすごいなぁと思う。
 きっと先輩が引退したら、先輩のありがたさに気づくんだろうな……。
 そう思うと、悲しくなった。

 「こころ、どした? 大丈夫?」

 「あ、すみません。大丈夫です、ちょっと先のこと考えて悲しくなっちゃって」

 「先のことねー。今は考えてもしょうがないよ。あたしたちが目指してるのは、県大会金賞でしょ?」

 わたしは、先輩の言葉に首を縦に振る。
 その通りだ。今は先のことを考えるより、目の前のことに目を向けないと。

 「先輩、少し変わりましたよね」

 「え? どこらへんが?」

 「表情が優しくなったっていうか……穏やかになったっていうか」

 「ふーん、そう。たぶん、それは後輩のおかげかもね」

 わたしたちは、思わず噴き出してしまった。
 
 来年、いずれ愛良先輩が引退してしまうと、先輩はわたしだけになる。そしたら後輩に教えるのも当然わたしだ。
 わたしは、愛良先輩や里奈先輩……他の先輩たちみたいになれるのだろうか。
 遠くはない将来のことに、不安を抱いてしまった。