わたしは家に帰った瞬間、絵莉ちゃんに電話をかけた。
 部活が終わってメッセージを見たけれど、まだ返事は来ていなかった。
 既読がついてこんなにも返事が来ないなんて初めてだから、もし何かあったら……と不安になってしまった。
 けれどそんな不安を打ち消すかのように、コールが数回鳴って電話が繋がった。

 「もしもし、絵莉ちゃん!?」

 『……こころ、ちゃん』

 「どうしたの? 体調大丈夫?」

 『うん、体調、は』

 絵莉ちゃんの電話越しの声は、聞いたことがないくらい弱々しかった。
 体調“は”大丈夫ってどういう意味だろう。

 「じゃあどうして休んだの? もしかして何かあった?」

 『いろいろ、あって、ちょっと行きにくくて。本当にごめんね、連絡も返せなくて』

 「ううん、いいよ。絵莉ちゃんが無事で良かった」

 わたしはホッと胸を撫で下ろした。

 「そうだ、あのね。柚乃ちゃんとか瑠夏ちゃんも、先輩たちも心配してたよ。絵莉ちゃんが休むなんて珍しいって」

 『……え?』

 「だから絵莉ちゃんが来るの、みんな待ってるから」

 『そんなふうに、言わないで……!!』

 絵莉ちゃんが息を切らして、そう言った。
 電話越しでも分かる、絵莉ちゃんの苦痛の叫び。
 ……え。

 『ご……ごめんなさい。ごめんなさい!』

 「え、絵莉ちゃん? どうしーー」

 『じゃあね』

 どうしたの、と聞くまでもなく、電話を切られてしまった。
 『そんなふうに、言わないで……!!』
 頭のなかで絵莉ちゃんの叫び声が、ぐるぐると回っている。あんな取り乱した絵莉ちゃん、見たことがない。
 きっと何かあったに違いない。そう分かってはいるものの、電話をもう一度かける勇気はなかった。


 その夜、わたしと絵莉ちゃん、柚乃ちゃんや瑠夏ちゃんの四人でのグループに連絡が来ていた。
 柚乃ちゃんからだった。

 『絵莉ちゃん、体調は大丈夫? わたしたち待ってるから』

 『絵莉が休むなんて珍しいって今日話してたんだよ! 休むならひとことくらい言ってよね!』

 『瑠夏、落ち着いて。絵莉ちゃんにも事情はあるでしょ』

 ……どうしよう。絵莉ちゃん、このメッセージを見てまた取り乱したりしないだろうか。
 けれど柚乃ちゃんや瑠夏ちゃんは心配しているだけだし、絵莉ちゃんに何も悪いことはしていない。
 じゃあどうして休んだのかは気になるけれど。
 そう思っていると、今度は柚乃ちゃんからわたしにメッセージが来ていた。

 『こころちゃん、急にごめん。絵莉ちゃんに電話した?』

 『うん、したんだけど……ちょっといつもの絵莉ちゃんと違ったんだよね』

 『そうなんだ。わたし、何かしちゃったかな』

 『柚乃ちゃんは何もしてないと思う。きっと何か悩みがあるんじゃないかな』

 『そうだよね。ありがとう。瑠夏も何か失礼なこと言ってないといいけど』

 わたしは、わたしたちは、絵莉ちゃんに何もしていない。言っていない。
 何故かわたしは、どこからそう思ったのか分からない、謎の自信があった。

 絵莉ちゃんは一週間ぶりに、学校へ登校してきた。

 「絵莉、ちゃん」

 「こころちゃん……」

 「おはよう。あのさ」

 「ごめん、ちょっと、わたし課題終わらせないといけないから」

 話しかけた瞬間、絵莉ちゃんはわたしを避けるように自分の席へ行ってしまった。
 それを見ていた柚乃ちゃんと瑠夏ちゃんが首を傾げる。

 「何あれ。ちょっとひどくない? うちらに謝りもせずに。結局返事も来なかったし」

 「絵莉ちゃんにも事情があるんでしょ」

 「柚乃はそればっかり! 事情事情って、うちらにも事情あるじゃん! ひどいよ、友達だと思ってたのに!」

 瑠夏ちゃんは絵莉ちゃんのその態度に、日に日に怒りが湧いてきているようだった。

 「瑠夏ちゃん……」

 「だってそうじゃん。こころが一番心配してたのにさ」

 「ありがとう。でもわたしは大丈夫。絵莉ちゃんが話してくれるまで待つよ」

 わたしが納得していると分かったからか、瑠夏ちゃんも落ち着き始めた。
 だけどその日は、一度も絵莉ちゃんと会話することなく終わってしまった。

 放課後、今日は特別日課で部活がないから寄り道しないかと、瑠夏ちゃんに誘われた。

 「ねー、絵莉! 絵莉も行くでしょ?」

 「あー、えっと、わたしは……時間なくて」

 「え、何それ。うちらと遊んでる時間がないってこと? 無駄だってこと?」

 「ごめんねっ」

 瑠夏ちゃんの問いにも答えず、絵莉ちゃんはすぐ帰ってしまった。
 その態度で、ますます瑠夏ちゃんは怒りが収まらないようだった。

 「もういいや。絵莉のことなんて知らない。三人で行こ」

 「あー、ごめん。わたしも今日はちょっと帰ってもいいかな」

 「えー、こころも!?」

 「ごめん、ちょっと体調悪くて」

 というのは建前で、本当は気分が乗らないからだ。
 けれど正直に言うとまた瑠夏ちゃんが怒ってしまうかもしれないので、嘘を吐いてしまった。

 「分かった。じゃあ今日は解散しよ」

 「柚乃まで!」

 「また日曜とかもあるんだし。こころちゃん、お大事にね」

 柚乃ちゃんは、わたしが嘘を吐いたのを分かっているうえで解散と言ってくれたんだと思う。
 瑠夏ちゃんも納得していて、わたしはなんて優しい友達を持ったのだろうと嬉しくなった。

 駅までの帰り道を歩いていると、絵莉ちゃんの姿があった。
 わたしは思わず「絵莉ちゃん!」と叫んでしまった。

 「……っ、こころちゃん」

 「絵莉ちゃん、あの、ちょっと話が」

 「やめて!」

 絵莉ちゃんの手を掴もうとしたとき、強く振り払われた。
 手首がジンジンして、ひどく痛い。

 「ごめ……ごめんなさい」

 「いいよ、わたしのことは。それより絵莉ちゃんと話したいの!」

 「ごめん……それは嫌っ!」

 「どうして? 何でわたしたちのこと避けるの? 何かあったなら相談してほしいよ」

 「放っておいてよ!!」

 ハッ、とした。
 電話越しの絵莉ちゃんのあの叫び声と、一緒だった。

 「わたし……何かした?」

 「……別に、こころちゃんが悪いわけじゃない。でも気づいてほしかった。わたしの、気持ちを」

 「ごめん……直すから、どこが悪かったか教えてほしい。嫌だったことも全部、教えて」

 絵莉ちゃんを落ち着かせるようにそう言うと、こくんと頷いてくれた。

 「瑠夏ちゃんたちと遊びに行ったとき……あったでしょ。そのとき、ずっと金管の先輩の話とかされて。辛かった、わたしだけ木管だから話入れないの」

 「あ……」

 「こころちゃんと柚乃ちゃんは、わたしに気遣ってくれたよね。すごく伝わった。でも、瑠夏ちゃんはわたしのこと、忘れてるみたいで……全然、気づいてくれなくて……」

 絵莉ちゃんは一粒、涙を流す。
 ーーあぁ。わたし、最低だ。
 少しだけ、絵莉ちゃんがわたしたちを避けていることにうんざりしていた。謝罪もなく、話しかけても無視されたから。
 だけど悪いのはわたしたちだったんだ。

 「わたし、瑠夏ちゃんと話すの怖い。部活に行くのも怖い。サックス吹くのも怖い……!! わたし、こころちゃんとふたりで話してたほうが幸せだった」

 「えっ」

 「ほんと、わたし最低だよね。もうみんなと友達失格だよね。ごめんね、さよなら」

 「あ、絵莉ちゃん、待って!」

 絵莉ちゃんはそう言葉を投げ捨てて、駅に駆け足で行ってしまった。
 ごめんね……って。ひどいのはわたしたちだったのに。
 もう絵莉ちゃんと仲を戻すことはできないのだろうか。そんなことを考えていると、心が苦しくなり、パニックを起こしそうになった。