梅雨の六月に入り、本格的に練習が熱心になってきた。といっても、顧問の須田先生はもともと熱心だったけれど。
 合奏やパート練習の際の雰囲気がピリピリしてきたように思えた。

 「おはよ、こころ」

 「愛良先輩! おはようございます」

 「なんか元気だねー。今日何時に来たの?」

 「七時です」

 「マジか。それ続けてたら上手くなるよ、きっと」

 七時半集合だから、少し練習したくて七時に来たのだけれど、そんなに褒められることなのだろうか。
 わたしは嬉しくなった。

 「愛良ちゃんこころちゃんおはよー!」

 「先輩おはようございます」

 わたしがそう言うと、愛良先輩は「おはよーっす」とテキトーに答えた。

 「愛良ちゃん、ちゃんと挨拶返してよね! この前からわたしへの扱いテキトーになってない?」

 「そんなことないですよ。そんな先輩扱いしてほしいですか?」

 「もう! 愛良ちゃんてば、からかわないでよ!」

 「あはは、すみませーん」

 わたしはふたりのやりとりを見て微笑ましくなる。
 先輩たちが前より仲良くなっている気がして。


 「今日の欠席は、穂村さんだけね」

 合奏が始まってからの須田先生の言葉に、わたしはひどく驚いた。
 ……あれ、絵莉ちゃんから欠席って連絡来てなかったような。
 急に体調不良にでもなってしまったのだろうか。心配だ。
 わたしは合奏が終わってパート練習が始まった瞬間スマートフォンを開き、絵莉ちゃんにメッセージを入れた。

 『絵莉ちゃん、体調大丈夫?』

 するとすぐに既読はついた。
 いつも返信が早いけれど、何故か返事が来なかった。

 「こころー、何してんの? スマホ?」

 「あ、先輩、すみません。絵莉ちゃんに、連絡してて」

 「あー、穂村さん。珍しいよねー、あの子上手いのに」

 「はい……」

 愛良先輩も、絵莉ちゃんが休むことに対して珍しいと思っているようだった。
 わたしはそのままパート練習を始めた。

 「こころちゃん」

 「あ……柚乃ちゃん。おはよう」

 「絵莉ちゃんのこと何か知ってる? わたしにも、瑠夏にも連絡来てなくて」

 柚乃ちゃんと瑠夏ちゃんも、絵莉ちゃんから連絡ないんだ。

 「ごめん、わたしにも連絡なくて……。さっき連絡したんだけど」

 そう言ってスマホを確認するも、まだ絵莉ちゃんから返事は来ていなかった。

 「こころちゃんにも来ないんだ。どうしたんだろ。よっぽど体調悪いのかな」

 「うん……。部活終わったら電話してみる」

 「それがいいかもね。よろしくね」

 わたしは頷いた。
 すると高野先輩からトントンと肩を叩かれた。

 「え、先輩。どうしたんですか?」

 「……やっぱ真中って、人の悩みを自分に気負うタイプだよね」

 「え……そうですか?」

 「うん。だって演奏に気持ち出てるから」

 ……うそ。わたし、演奏に気持ち出ちゃってるんだ。
 先輩にも気づかれているなんて、それは良くない。今はコンクールに向けて集中しないといけないのに。

 「……すみません」

 「いや別に、謝らなくていいけど。なんか、俺と似てるなーって」

 「先輩と、ですか?」

 「うん。俺も他人の悩みに突っ込んでいって、自分が悩んじゃうから。松嶋のときにも言ったけど、そんな悩まないほうがいいよ」

 高野先輩の正確なアドバイスを、わたしは素直に受け止める。
 やっぱり先輩は意外と話しやすく、似たようなタイプの人なのかも。

 「ありがとうございます。あの、先輩も無理しないでくださいね」

 「うん。どうも」

 先輩はそう言ってチューバを吹こうとすると、瑠夏ちゃんが話しかけていた。

 「高野先輩って、沙羅先輩と付き合ってるんですか!?」

 「……はぁ? 俺が南川先輩と?」

 「はい! だってこの前、一緒に帰ってたじゃないですかー!」

 そういえば、本人に直接事情聴取するって言ってたな。
 高野先輩は困っている様子だったために、沙羅先輩が割って入ってきた。

 「瑠夏……本気でそう思うの? うちら付き合ってないよ」

 「えぇ、そうなんですか!? じゃあじゃあ、一緒に帰ってたのは何で!?」

 「別にたまたま帰り道にあって、家が近いからだけど。うちら小学校からずっと一緒だから」

 「なんだぁー」

 瑠夏ちゃんは先輩たちが付き合っていないことを知ってがっかりしていた。
 そんな瑠夏ちゃんの姿を見ながら、わたしと柚乃ちゃんは苦笑いをする。
 愛良先輩は腹を抱えて笑っていた。

 「あはは、瑠夏って結構おもしろいね」

 「愛良先輩、ひどすぎますー!」

 「ごめんごめん。おもろー」

 あ、瑠夏ちゃんも愛良先輩への呼び方変えたんだ。
 何だか先輩が他のパートの子と仲良くなっているのを見て、少し寂しくなってしまう。
 けれどそんな孤独な気持ちより、金管パート全員が仲良くて楽しいという気持ちのほうが、強かった。