月曜日、わたしは帰りのホームルームが終わってすぐに部室に向かうことにした。
 直接里奈先輩に話したいことがあったから。

 「みんな、ごめん。今日先に部室行っててもいい?」

 「え? うん、いいけど……どうしたの、こころちゃん」

 「こころ、何かあった?」

 「相談乗るよ」

 絵莉ちゃんや柚乃ちゃん、瑠夏ちゃんに心配されてしまった。
 わたしは別に何ともない。だから首を横に振った。

 「ちょっと早めに練習したくて。じゃあ先行ってるね」

 そう言って、駆け足で部室に向かった。
 もう里奈先輩はトランペットをケースから出して音出しをしていた。
 だけどまだ音が少しだけ掠っていて、しっかりとした音が出ていない。やはり松嶋先輩との実力の差は目に見えてしまう。
 わたしは勇気を出し、里奈先輩に声を掛けた。

 「先輩、こんにちは」

 「こころちゃん! 早いね」

 「はい、今日はちょっと……先輩とお話したくて早く来ました」

 「え? わたしと?」

 きょとん、としている里奈先輩の言葉に対し、わたしはこくん、と頷く。
 先輩は「じゃあちょっと場所変えよう」と言ってくれて、いつものパート練習の部屋へ移動した。

 「どうしたの?」

 「あ、あの、松嶋先輩……のことで」

 「愛良ちゃん? あぁ、この前のことかな。……って、こころちゃん。先輩のことは名前で呼ぶ約束だよ」

 「そのこと、なんですけど。松嶋先輩、名前で呼ばれるの嫌なのかな……って」

 恐る恐るわたしがそう言うと、里奈先輩は目を丸くした。

 「松嶋先輩、里奈先輩が“先輩のことは名前で呼ぶ”って提案したとき、少し嫌そうな顔をしていたので……あ、あの、違ったらすみません」

 「そっかぁ。まぁ、愛良ちゃんってそういう子だからね。人とあまり関わりたがらないっていうか。話したいことって、このこと?」

 「あ、あと! ファーストの、ことで」

 「……やっぱりそうだよね」

 先輩は、窓辺寄りかかり、空を見上げながら口を開いた。

 「わたし、確かにファーストやりたいと思ってたよ。それが当たり前だったし。でも、去年この部に愛良ちゃんが入部してから薄々感じてはいたの。こうなること」

 「……そう、なんですか? どうして?」

 「トランペットが上手いからかな」

 『上手い』。
 その言葉が、わたしの胸にドシンと重く響いた。

 「わたしは高校から初めて、愛良ちゃんは小学校から。そりゃあ差がつくよね。敵わないなーって思ったもん」

 「そう、なんですね」

 「うん。本気で県大会金賞を目指すなら、愛良ちゃんがファーストを吹くべきだよね。みんなそう思ってる。……でもわたしは、ソロを吹きたい」

 それが、里奈先輩の本音なのだろう。
 松嶋先輩が吹くべきだと分かってはいるけれど、本当はソロを吹きたいと思っているんだ。

 「ありがとう、こころちゃん。でももう決まっちゃったことだから」

 「そ、そんな簡単に諦めないでくださいっ」

 「……え」

 「わたし……松嶋先輩に、話してみます!」

 気づいたら、そんな発言をしてしまった。
 だけど里奈先輩は、くすっと笑ってくれた。

 「ありがと、本当に。こころちゃんが後輩になってくれて良かったなぁ」

 「わたしも、です。里奈先輩が先輩で良かったです」

 「嬉しい。これからもトランペット、頑張ろうね」

 「はい!」

 こんな優しい先輩のためにも、わたしは松嶋先輩にちゃんと話をしよう。
 どちらが悪いとか良いとか、そんなものでは決められないから。
 そう決心した。


 わたしは松嶋先輩が来てすぐに、先輩に話しかけた。

 「先輩、こんにちは。あの、ちょっと話したいことがあって、いいですか?」

 「今じゃなきゃダメ? あたし、練習したいんだけど。ソロもあるし」

 「……はい、すみません」

 さすがにわがまま言いすぎだろうか。
 そう不安になったけれど、先輩はわざとらしいため息を吐き、渋々頷いてくれた。

 「練習しなきゃだから、手短にね」

 「あ……ありがとうございます!」

 わたしと先輩は、またいつものパート練習している教室に移動した。
 里奈先輩とは違い、松嶋先輩は椅子に腰掛け、足を組んだ。

 「で、なに?」

 「……あの、里奈先輩のことで」

 「あーね。やっぱそれか。気にしないで、一年の気にすることじゃないし」

 「でも、どうしても気になるんです。松嶋先輩はどうしてファーストを吹きたがるんですか? 先輩は来年もありますよね?」

 思いきって質問攻めすると、先輩は面倒くさそうにため息を吐いた。

 「別に、何もないよ。ただ中澤先輩よりあたしのほうが上手い。だからファーストを吹きたい。そう思うのは普通でしょ」

 「でも、里奈先輩は最後のコンクールですよね。どうして譲らないんですか?」

 「譲るとか、そういう考えがおかしいの!!」

 急な先輩の大声に、わたしはビクッとしてしまう。
 ……初めて聞いた、先輩の叫び。

 「部活にそんな考えはいらない。あたしは本気で県大会金賞を目指してる。だからあたしがファーストを吹きたい。こころも知ってるでしょ、中澤先輩の実力! あの音で、目標達成できると思う!?」

 「……それ、は」

 「答えないってことは、思ってるってことじゃん。だいたい、こころがそんなにあの人のことを気にするのは“部長”だからでしょ? 実力で言ってるわけじゃないんでしょ?」

 先輩の発言に、体が動かなくなった。
 頷くこともできずに。

 「しかもあたしが間違ってるとこ指摘したら、あの人教えてくれって言ったんだよ? あたし、そういうところが好きじゃないの! 後輩に教えてもらうって、恥ずかしくないのかな!?」

 わたしは、何も言葉を発せなかった。

 「部長だからかわいそう、三年生だからファーストを吹いてほしい。……あたしは、それは間違ってると思う。本気で目標達成するには、あたしがファーストを吹いたほうがいい」

 先輩の強いまなざしに、何も反論できなかった。
 この人は本気なんだと、目を見るだけで伝わったから。

 「こころはどうなの」

 「……え?」

 「上手い人が吹いて目標達成するか、達成できなくても最後に三年生が吹いて思い出にするのか。どっちが正解だと思う?」

 わたしはその問いに、答えを出すことはできなかった。