帰り道、絵莉ちゃんと今日のパート練習の出来事を話していた。
「そういえばね、先輩のこと全員名前で呼んでもいいってことになったんだ」
「えー、何それ、いいなぁ! 金管パートは仲良いんだね」
「そうかな? 木管は先輩とそんなに仲良くないの?」
「うーん、そんなことはないよ。アルトの先輩優しいし。でも他のサックスの先輩とか木管の先輩は、ちょっと話しかけにくいんだよねー」
確か副部長は、フルートの先輩だ。厳しいとか怖いとかそういうわけじゃないけれど、確かに金管の先輩より木管の先輩のほうが話しかけにくい気もする。
「でも、わたし、松嶋先輩のことがちょっと気になってて」
「あー、松嶋先輩? ファーストやることになったから?」
「うん、まぁ……」
里奈先輩の発言に対して、時々不満げな顔をすることも気になるけど。
「二年生がファースト吹くって、そんなにダメなことかな?」
「……え?」
「わたしの中学では、そういうことも普通にあったよ。実際それで支部大会とか出場してたし。上手い人が吹く、っていうのが当たり前だったから」
県大会の次の大会、支部大会も出場したことがあるなんて、絵莉ちゃんの中学校は強豪校だ。
三年生ではなく、二年生がファーストを吹く。それが当たり前……。
「……里奈先輩、我慢してると思うんだよね。本当は最後のコンクールだからファースト吹きたいんだろうし。部長として頑張ってるから、わたしも先輩に吹いてほしいと思ってるし」
「うん、わたしもそう思うよ。里奈先輩は我慢してる。部全体のことをまとめていて、すごいと思ってる。でもこころちゃん。こころちゃんは、どっちが“ふさわしい”と思ってるの?」
「ふさわ、しい……?」
「そう。私情は関係なく。県大会金賞を目標にしているこの吹部のトランペットファーストは。里奈先輩と松嶋先輩。どっちがふさわしいと思う?」
絵莉ちゃんの真剣な瞳に、わたしは吸い込まれそうになり、足をピタッと止めた。
だけど頭が真っ白になってしまい、簡単に答えを出すことはできなかった。
「じゃあね、こころちゃん。また月曜日に」
「うん、またね、絵莉ちゃん。……さっきの答え、出せなくてごめんなさい」
「ううん、わたしこそなんか、こころちゃんの気持ちに踏みにじっちゃったよね、ごめんね。気にしないで」
それからわたしは、ひとりで歩きながら考えていた。
……どっちが、ふさわしいのか。里奈先輩なのか、松嶋先輩なのか。
考えれば考えるほど、心が傷んで仕方がなかった。
「ただいま」
「おかえり、こころ。部活お疲れ様。どうだった?」
「うん、なんかいろいろ疲れちゃった。先輩のこととか考えすぎちゃって」
「えっ、先輩? もしかしてこころ、先輩にいじめられてるの?」
わたしはすぐに首を横に振って否定した。
「違う違う。先輩たちはみんないい人ばかりだよ。でもちょっと、いざこざがあって」
「……そうなの。お母さんに少しだけ、話聞かせてくれる?」
わたしはお母さんに、今日あった里奈先輩と松嶋先輩の出来事を話した。
お母さんはわたしが話し終わったあと、「そっか」と短く呟いた。
「お母さんは卓球部だったんだけど、あの時代は先輩たちがすごく厳しかったの。一年が準備するべき、とか、二つ結びじゃないと先輩に呼び出されるとかあったし」
「そう、なんだ。怖いね」
今じゃ考えられない出来事だ。
そうでしょ、と言いながらお母さんは微笑んだ。
「お母さんが二年のときね、学年の誰よりも上手いって言われてたの」
「へぇ、そうなんだ。すごいね、お母さん」
「ふふ、お母さんでも得意なことはあったからね。でもね、そのとき思ってた。どうして自分よりも実力がない先輩たちが威張っているんだろうって。ちょっと悔しかったな」
……あ。それはもしかして、松嶋先輩と似たような感情なのかな?
そう思った。
「だから松嶋先輩も、そうなんじゃないかな。自分が上手い。自分の音に自信がある。だけどみんなに親しまれているのは里奈先輩。それが少し引っかかっているんだと思う」
「……そっか。でも、代々ファーストを吹いてきたのは三年生だったみたいなんだ。なのに今年は二年生が吹くなんて、そんなの良いのかな」
もちろん松嶋先輩が誰よりも上手いということは、わたしも分かっている。
けれど里奈先輩もきっと最後のコンクールだから、ファーストを吹きたいに決まっている。
「今年の目標は、何だったんだっけ?」
「えっと、県大会金賞だよ。でも毎年県大会止まりで、銀賞とか銅賞しか取ったことがないみたい」
「そっか。じゃあ今年は、去年よりも工夫して頑張らなきゃいけないんじゃない? って、お母さんは思うかな」
ーー工夫。
その言葉を聞いた瞬間、わたしの心にあった疑問が一気に消えた気がした。
そうだ。今まで通りじゃダメなんだ。本気で県大会金賞を目指すには、工夫をしなければいけない。
わたしはどうしてそんな答えも導き出せなかったのだろう。
「ありがとう、お母さん。お母さんに相談して良かった」
「いえいえ、お母さんは人生の先輩ですから。でも無理だけはしないでね、こころ。病気のこともあるんだし」
そうだ。すっかり自分のことなんか忘れていた。
青葉くんと関わると過去のことを思い出して、パニックになってしまうことが多い。
だけどそれ以外は、あまり症状が出ることはない。
わたしは少しだけ、成長しているのかもしれない。そう思えた。
「そういえばね、先輩のこと全員名前で呼んでもいいってことになったんだ」
「えー、何それ、いいなぁ! 金管パートは仲良いんだね」
「そうかな? 木管は先輩とそんなに仲良くないの?」
「うーん、そんなことはないよ。アルトの先輩優しいし。でも他のサックスの先輩とか木管の先輩は、ちょっと話しかけにくいんだよねー」
確か副部長は、フルートの先輩だ。厳しいとか怖いとかそういうわけじゃないけれど、確かに金管の先輩より木管の先輩のほうが話しかけにくい気もする。
「でも、わたし、松嶋先輩のことがちょっと気になってて」
「あー、松嶋先輩? ファーストやることになったから?」
「うん、まぁ……」
里奈先輩の発言に対して、時々不満げな顔をすることも気になるけど。
「二年生がファースト吹くって、そんなにダメなことかな?」
「……え?」
「わたしの中学では、そういうことも普通にあったよ。実際それで支部大会とか出場してたし。上手い人が吹く、っていうのが当たり前だったから」
県大会の次の大会、支部大会も出場したことがあるなんて、絵莉ちゃんの中学校は強豪校だ。
三年生ではなく、二年生がファーストを吹く。それが当たり前……。
「……里奈先輩、我慢してると思うんだよね。本当は最後のコンクールだからファースト吹きたいんだろうし。部長として頑張ってるから、わたしも先輩に吹いてほしいと思ってるし」
「うん、わたしもそう思うよ。里奈先輩は我慢してる。部全体のことをまとめていて、すごいと思ってる。でもこころちゃん。こころちゃんは、どっちが“ふさわしい”と思ってるの?」
「ふさわ、しい……?」
「そう。私情は関係なく。県大会金賞を目標にしているこの吹部のトランペットファーストは。里奈先輩と松嶋先輩。どっちがふさわしいと思う?」
絵莉ちゃんの真剣な瞳に、わたしは吸い込まれそうになり、足をピタッと止めた。
だけど頭が真っ白になってしまい、簡単に答えを出すことはできなかった。
「じゃあね、こころちゃん。また月曜日に」
「うん、またね、絵莉ちゃん。……さっきの答え、出せなくてごめんなさい」
「ううん、わたしこそなんか、こころちゃんの気持ちに踏みにじっちゃったよね、ごめんね。気にしないで」
それからわたしは、ひとりで歩きながら考えていた。
……どっちが、ふさわしいのか。里奈先輩なのか、松嶋先輩なのか。
考えれば考えるほど、心が傷んで仕方がなかった。
「ただいま」
「おかえり、こころ。部活お疲れ様。どうだった?」
「うん、なんかいろいろ疲れちゃった。先輩のこととか考えすぎちゃって」
「えっ、先輩? もしかしてこころ、先輩にいじめられてるの?」
わたしはすぐに首を横に振って否定した。
「違う違う。先輩たちはみんないい人ばかりだよ。でもちょっと、いざこざがあって」
「……そうなの。お母さんに少しだけ、話聞かせてくれる?」
わたしはお母さんに、今日あった里奈先輩と松嶋先輩の出来事を話した。
お母さんはわたしが話し終わったあと、「そっか」と短く呟いた。
「お母さんは卓球部だったんだけど、あの時代は先輩たちがすごく厳しかったの。一年が準備するべき、とか、二つ結びじゃないと先輩に呼び出されるとかあったし」
「そう、なんだ。怖いね」
今じゃ考えられない出来事だ。
そうでしょ、と言いながらお母さんは微笑んだ。
「お母さんが二年のときね、学年の誰よりも上手いって言われてたの」
「へぇ、そうなんだ。すごいね、お母さん」
「ふふ、お母さんでも得意なことはあったからね。でもね、そのとき思ってた。どうして自分よりも実力がない先輩たちが威張っているんだろうって。ちょっと悔しかったな」
……あ。それはもしかして、松嶋先輩と似たような感情なのかな?
そう思った。
「だから松嶋先輩も、そうなんじゃないかな。自分が上手い。自分の音に自信がある。だけどみんなに親しまれているのは里奈先輩。それが少し引っかかっているんだと思う」
「……そっか。でも、代々ファーストを吹いてきたのは三年生だったみたいなんだ。なのに今年は二年生が吹くなんて、そんなの良いのかな」
もちろん松嶋先輩が誰よりも上手いということは、わたしも分かっている。
けれど里奈先輩もきっと最後のコンクールだから、ファーストを吹きたいに決まっている。
「今年の目標は、何だったんだっけ?」
「えっと、県大会金賞だよ。でも毎年県大会止まりで、銀賞とか銅賞しか取ったことがないみたい」
「そっか。じゃあ今年は、去年よりも工夫して頑張らなきゃいけないんじゃない? って、お母さんは思うかな」
ーー工夫。
その言葉を聞いた瞬間、わたしの心にあった疑問が一気に消えた気がした。
そうだ。今まで通りじゃダメなんだ。本気で県大会金賞を目指すには、工夫をしなければいけない。
わたしはどうしてそんな答えも導き出せなかったのだろう。
「ありがとう、お母さん。お母さんに相談して良かった」
「いえいえ、お母さんは人生の先輩ですから。でも無理だけはしないでね、こころ。病気のこともあるんだし」
そうだ。すっかり自分のことなんか忘れていた。
青葉くんと関わると過去のことを思い出して、パニックになってしまうことが多い。
だけどそれ以外は、あまり症状が出ることはない。
わたしは少しだけ、成長しているのかもしれない。そう思えた。



